第58話 夜話は月下美人の香り
「星が綺麗ですねご主人さま。ほら、リンクルミーと山鐘座がもうあんなに近いです……。ヒトツヅキが済めばもう冬になりますね」
「確かに綺麗な星空だな。
「そうですよご主人さま。リンクルミーとミスミカンダル。――この世界で最も有名で、最も愛され、そして……最も憎まれているカップルなのです」
エトワと契約したその日の夜、俺は約束通り屋敷の庭でディアナと向かい合っていた。
屋敷に戻り、オリカが作った夕ご飯をみんなで食べ、オリカの日本語の勉強を見てやり、風呂に入って、マリナもオリカも寝静まった22時(異世界の感覚では深夜)。
俺とディアナは月明かりに照らされた屋敷の庭にいる。
俺は部屋着の上下ジャージ姿で、ほぼ寝巻きと言って過言じゃないお気楽スタイル。
対するディアナは風呂上りのはずなのにすっかり乾いた髪を下ろし、初めて会った時と同じ白いドレスを身にまとっている。パジャマ代わりにユニ○ロのお気楽トレーナーを着てたはずだけど、なにか思うところがあるんだろう。月明かりに照らされて、自ら発光するかのようなプラチナブロンドは目の冷める美しさだ。
「月のカップルか。名前まであったんだな、どっちが男でどっちが女かわからんけど……。大きいほうが男の月なのかな」
夜空には大きめで少し赤い月と、それより少し小さい明るい月が離れて浮かんでいる。
「いえ、大きく赤いほうが女月のリンクルミーなのですよ。明るいほうが男月のミスミカンダル。リンクルミーとミスミカンダルが完全に重なると『
月を見上げながら教えてくれるディアナ。ヒトツヅキで湧くモンスターはリンクルミーとミスミカンダルの子供だと言われてるんだそうだ。だから、最も憎まれているカップル……ってわけか。
「振り子落としってのはなんなの?」
「ヒトツヅキは年に2回から4回くるのですが、その時々でモンスターの強さが違うのです。月の動きと、星の位置からヒトツヅキには何種類かあるとわかっていて、それぞれに名前が付いているのよ」
「へぇ。そのなかで振り子落としが一番危険ってわけなんだ」
「概ねそのとおりなのです。
なるほどね。とにかく今度のヒトツヅキは危険ってことだな。でも、月と月が重なるってことは、月と月による月食? みたいなもんなのかな。ちょっとスペクタクルだ。写真撮ったりはしたいかも。
そういえば、合わせ月ってのもあるとかレベッカさんが言ってたっけ?
「
「いちいち細かく名前があるもんだなぁ。ディアナもずいぶん詳しいね」
俺は別のところに関心した。
星に思いを馳せるのは万国共通ってことなのかな。こっちにも星座や占星術、星物語なんかもあるんだろう。リンクルミーとミスミカンダルも、織姫と彦星みたいな感じあるし。
……ヒトツヅキで一つになっちゃって子供まで出来ちゃうあたりが、ずいぶん直接的ではあるけれども。
「……子供のころよく読んだ絵本の影響なのです。夢幻の大魔導師の物語、なのですけど」
夢幻の大魔導師ってどっかで聞いたことあったな。
神殿で祝福受けた時に、神官ちゃんが鼻息荒く説明してくれた、昔エリシェにいたっていう有名人だっけか。
「どういう内容なん?」
「大まかに言えば…………振り子落としより強力なモンスターが産み落とされる『
此岸巡りねぇ。どれもこれもファンタジーすぎて、作られたお話なのか、実際にあった話なんだかイマイチ判別できないな。
一つだけわかるのは、夢幻の大魔導師ってのがリアルチートキャラだということくらいだ。こっちの世界の人も俺TUEEEとか好きなんだなぁ。
そういえば神官ちゃんも言ってたっけ。夢幻の大魔導師は固有スキルで千の軍勢をたった一人で止めたという伝説があるとかなんとか……。
「なるほどね。ディアナがそういう英雄譚が好きだったとは、ちょっと意外だったな」
「え、あ、はい。そうですね……。正確には英雄譚……というのとも少し違いますが。……どちらかと言うと女の子向けのお話ですし」
ああ、リンクルミーとミスミガンダルの恋愛、星の巡り合わせとかヒトツヅキとか、そういうの絡めてロマンティックな仕上がりになってる本ってことかな。
「……現実には、ヒトツヅキは
雲一つない夜空に美しく輝くリンクルミーを見上げながら、懺悔するかのように吐露するディアナ。
エフタの話では、ディアナの「特別なお導き」とやらはもう発生してから2年以上も経つみたいだし、その間になんかあったのかもしれない。
俺もヒトツヅキってのは未体験だが、レベッカさんの話じゃこのへんでも「守護騎士の鎧」とかいうすごいモンスターが出て16人死んだってことだし、対策可能な竜巻が世界的に同時発生するような感じ……なのかな?
とすると、のん気に「お月さんキレイですぅ~」ってわけにもいかないか。
「まあ、仕方ないんじゃないか? モンスター自体が湧かないんだろ? ディアナの故郷って」
「でも……ヒトツヅキのことは、よく知っていたのです。それなのに私は…………ヒトツヅキに憧れすら持っていたのよ……」
「なぜに」
七夕がロマンティックで憧れる! みたいな話なのかな。
ディアナは答えるか答えまいか悩むように、口を開きかけ、また閉じてを繰り返し、瞳を閉じて軽く深呼吸。そして意を決したようにこちらに向き直った。
「ですからそれは……、えっと……あの……」
顔を赤く染めてシドロモドロのディアナ。全然意を決せてなかった!
「そんなに恥ずかしいことなん? ヒトツヅキってつまりはリンクルミーとミスミカンダルの恋物語で、それがロマンティックで憧れるとか、そういうのじゃないの? こっちじゃそういうの恥ずかしいって認識なのかな」
地球じゃそういうのに憧れるとかって女子供の定番って気がするけどな。
ああ、ある程度の歳で「白馬の王子さま」みたいなこと言ってたら恥ずかしいってやつか?
ディアナもゴニョゴニョ口ごもっちゃって言いにくそうだし、話題変えてやるか。
「ところでディアナさ、お導きのほうはどうなん? なんかコレといって動きなさそうだけど進展とか」
「えっ? はい……、いちおう進展中……だといいのですけれど……」
「そんな曖昧なもんなのか。大変だな『特別なお導き』ってのも」
「いえ、大変ではないのですよ、ご主人さま。これは私のワガママみたいなものですし……」
ワガママなのか。まあソロ家のサポートで大金使わせてるしな。
「…………いい機会だから聞いちゃうけどさ、その……お導きとはいえ、知らない男の奴隷になる……なんて、怖くなかったのか?」
この世界で「お導き」がどれほど絶対的なものかは、今更言うまでもないが、そうだとしてもやはり「奴隷になる」なんてのはな。ハッキリ言って異常だよ。
「そうですね……。奴隷になるのが『お導き』だったのかどうかは秘密なのですけれど、怖くなかったと言えば嘘になる……かな」
「そうなの? そのわりには最初から超然としていたけどなぁ。まあ、お導きだったんならジタバタしても仕方なかったんだろうけど。つか、ソロ家にお導きのサポートしてもらってる立場で、奴隷になってたってことはディアナが頼んで奴隷になったってことだろ? なら奴隷になるのがお導きだったのは確定してるんじゃ……? まあ、秘密だってんなら言わなくてもいいんだけど」
「…………ひみつです」
そうか、ひみつなら仕方がないな。
てか、まあ今更そこらへんの事情はどうでもいいか……。いずれにせよ、もう少しでディアナの「特別なお導き」は終わる……終わってしまうという話だしな。
「それに……、あの商館で会ったのが初対面というわけでもなかったのです。ご主人さまが広場でエフタとの約束を果たすのを、実はこっそり見ていたのよ。……あのとき、目が合ったような気もしましたが、ご主人さまは気付いていなかったのですね」
俺が市長に贈り物と称してサプライズやらかした時のことか。
「う~ん? いや、気付かなかったな。人だかり凄かったし俺もあのときは必死だったから……」
しかもちょっと酔ってた――とかは……言わなくてもいいか。
「そうですね。ふふっ、確かに顔を赤くして、慌てたり深呼吸したりしながらで……。見ているこっちもハラハラしたのです」
「そうなの? ひどいな」
自分としては、かなり上手くやれたと思ってたんだけどな。長くニート生活してた人間が、急に上手くやれるわけなかったか……。
でも顔が赤いのは酔ってたからだぞ。言わないけど。
「……でも最後に、市長夫婦が抱き合って、つられて優しく微笑むご主人さまを見て思ったのです。この人なら大丈夫だって。……この人こそが、私の…………■■■■だって……」
そう言って、真っ直ぐ俺を見つめるディアナ。
ん? なにか良い事を言ってくれたようなのだが……?
最後の言葉だけ聞き取れなった。いや、正確には「翻訳されなかった」のかこれは。
「ごめん、最後なんて言ったのか聞き取れなかったんだけど」
「またご主人さまは……。すぐ、そうやってからかって酷いのです。これでも、思い切って言いましたのに……。……ご主人さまが! 私の! ■■■■だって言ったのです! ああ、もうっ」
はずかし~とばかりに顔に両手を当てて、身を捩じらせるディアナ。
そして、チンプンカンプンの俺。どうすんだこの状況。
う~ん。なんだろう。話の流れからすると……「ご主人さま」……なのかなぁ。すごいドMみたいだな……。
まあなんにせよ、本人思い切ったようだし、反応返さないと……。
「そ、そうかぁ。嬉しいよディアナ。あの広場で俺を見てそんな風に思ったなんて、なんか変わってるけどな」
「そんなことなかったのですよ、ご主人さま。とても、……とても立派だったのです」
両手を頬に当てたまま、上目使いで微笑むディアナ。
普段あまりそういう可愛い仕草をしないくせに、気を許しおってからに……。こんな綺麗な月の夜は、変な間違いが起こりますよ! 男は狼だって昔から言いますし!
「わ、私ばっかりずるいのです。ご主人さまは……どうだったのです? ……私みたいなこんな全身に精霊呪の入った娘は、……嫌だったのではないのですか? 後悔してないのです?」
……また答えにくいところをぶっこんできたな。
正直に言ってしまうと、あの時、商館では「もっと普通のエルフでよかった! 普通のエルフがよかった!」と思ったのは否定できない。
でも、刺青も(精霊呪っていうのかあれ)見慣れたらなんだか気にならなくなってきたし、プラチナブロンドの髪はきれいだし、声も可愛いし、それに……。
「最初は確かに度肝を抜かれたけどね……。今、俺がここでこうしてノンビリ商売してられるのは、ほとんどディアナのおかげみたいなもんだし、こっちの世界でいろんな人と知り合えたのも、ディアナと知り合えたのがキッカケだからな。感謝してるって言うと変だけどさ……、ホント良かったって思ってるよ。そうでなかったら、もうとっくに俺はこの世界からドロップアウトしてただろうな」
「え、えへへ。ル・バラカのお導きなのです」
お導き……か。
「でも…………、俺にとってはそんなことより、ディアナが
このことは言うつもりなかったけど、つい口に出てしまった。我ながら女々しい。
「? どういう意味なのです?」
「いやさ……、エルフの王族ってことはディアナはお姫さまみたいなもんなんだろ。……今はさ、お導きでそういう展開になってるからここにいるけどさ、お導きを達成するか、次のお導きが出れば、いつまでもこんなとこで奴隷やってるってわけにもいかないんじゃないか。その……腰掛け奴隷的なことなんじゃないか……」
上手く誤魔化すこともできず、わりとはっきり言ってしまう。これじゃあ「いずれいなくなってしまうからつらい」とストレートに言ってしまっているのと同じだ。
そして俺は……、ディアナに「そうではない」と、「ずっと一緒にいる」と言って欲しがっている。
我ながら……本当に――女々しい。
お導きの達成は(他人から見れば)唐突なものだ。まして、ディアナの「特別なお導き」は内容も秘密。どういう条件で、達成したり次の行程へ入るのか本人以外には全くわからない。
そう。
ディアナは明日にも、「特別なお導き」を達成していなくなってしまう可能性があるのだ。
「……ご主人さまは……ずっとそんな風に思っていたのですか……? エフタから無類のエルフ好きと聞いてましたのに、私ではなくマリナにばかり構っていたのも……それが理由なのです? それに、私は■■■■とまで言いましたのに……」
「半分はそう……かもしれない。実際にそう意識してたわけじゃないけどな。それでどうなんだディアナ。……お導きはそろそろ達成されそうなのか?」
ディアナは深く溜息をついて、真剣な顔をして言った。
「――ご主人さま。誤解なさっているみたいですし……、ここでハッキリ言っておきます。これは、言っていなかった私の落ち度だったのです」
なんだ……?
今更「お導きの上だけの関係なのですよ。にぱ~☆」とか言い出すわけじゃあるまいな……。
「私は、ディアナ・ルナアーベラは、未来永劫ずっとご主人さまの側にいるのです。もちろん、ご主人さまに解雇されればそれまでですけど、そうなってしまうまでは、
ずっと側にいる。
ハッキリとそう口にするディアナ。
……なんだ、俺の独り相撲だったのか。
「は、ははは。ずっといるのかディアナは」
「ずっといっしょなのです。私は……ご主人さまの奴隷なのですから」
「そっか。じゃあ今度鉱山街に行く予定だったけど、その次は湖畔街にも行こうぜ。せっかくだから他にもいろいろ行ってみたいよな! 装備も整ってきたし、冒険も少しはしてみたいし!」
ディアナはハイエルフでお姫さまだから、俺が勝手にあんまり遠くへ連れてっちゃいけないとか。
ディアナはハイエルフでお姫さまだから、危険な目にあわせちゃいけないとか。
ディアナはハイエルフでお姫さまだから、好きになっちゃいけないとか。
ディアナは、俺が無意識に張っていたそういった心の枷をすべてとりはらう、最高の笑顔を浮かべ言った。
「はい、連れていってください。ご主人さまとこの世界を見に行けるなんて、夢、みたいです。言い伝えにある月旅行だって、ご主人さまとならきっとできるって思うのです」
そうして、俺の両手を包み込むように握る。
「そうだな。つ、月旅行なんて本当に夢みたいだ。どうせ行くならミスミカンダルよりリンクルミーのほうがいいな。ミスミカンダルは熱そうだし……な」
話しながら近づく距離。
「き、気があうのです、ご主人さま。私も……行くならリンクルミーのほうがいいなって……思っていたのよ……」
ディアナの耳にそっと触れる。
くすぐったそうに目を細めるディアナ。
「ご主人さま…………」
「ディアナ……」
そして俺の目をじっと見つめ囁くように呟いた。
「……その……私と…………『永遠の愛』を誓ってくださいますか……?」
その言葉は不思議な魔力を帯びていて、俺は「ああ、えいえ……
ガッタン! ガラガラッ!
「うわわっ、マリナさんが押すから!」
「痛恨の極みであります。作戦は完全に失敗であります」
樽の陰からまろび出てくるマリナとオリカ。
それで完全に我に返った。
ディアナもパッと身を離して、モジモジしている。
2人ともデバガメ……か? 完全にもう寝たと思ってたのに、なにもこんなタイミングで……。
「はい。マリナにオリカ。ここに来て座りなさい。いつから見てたんだ?」
「うう~。旦那さま、ごめんなさい。マリナさんに唆されて、つい……」
「どうしても気になったのであります。自分でも理解不能な感覚なのであります。さっきも無意識でオリカを押し出したのであります」
反省しきりのオリカと、イマイチ悪びれないマリナ。
あ、ディアナはけっこう真顔でマリナを見詰めているぞ! この感じはけっこうマジで怒ってるぞ!
「ちなみに、『星がきれいですねご主人さま』から見てたであります!」
最初からじゃねーか!
その後、マリナとオリカはディアナに長々とお説教され、その夜はうやむやのまま明けたのだった。