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青色LEDの開発により会社は80もの特許を取得し、莫大な利益をあげました。しかし、社員として中村教授が受け取った報奨金はわずか「2万円」でした。
この貢献に対し,当社は中村氏にボーナスや昇給という形で報いてきたつもりです。1989年から11年間の合計で,同世代の一般社員よりも6195万円ほど上乗せして支給しました。45歳で中村氏が退職する際の給与所得は2000万円弱。
この元従業員は退職する直前には、主幹研究員という、当社では部長待遇の研究員でした。40代半ばでしたが、給与は当社の役員の平均を上回る額を貰っていました。
また、退職した年には、国内外を含め、年の半分近くは学会等への出席のために出張しておりましたが、会社はよほどのことが無い限り当人の申請どおり許可しておりましたし、それらの費用は全て会社で負担しておりました。
この元従業員は退職したときには開発部主幹研究員(部長待遇の、研究者としての最高職)にありました。またその年の9月からはそれに加えて窒化物半導体研究所所長という役職を与えました。この研究所は最初は部下等はおりませんでしたが、窒化物半導体に関する研究テーマを彼に自由に選んでもらい、それに必要な予算と設備・人員を与えるというものでした。
ですから退職するまで彼は開発部の研究員の頂点にいましたし、窒化物半導体という枠の中ですが、好きなテーマの研究をしてもらう用意を会社はしておりました。
日亜化学工業では,1989年から青色LEDの開発をスタートさせました。そのとき先行していた,当時名古屋大学教授だった赤崎勇氏などの論文を検証する実験から始めました。
~中略~
つまり当社は,先行する「公知の技術」を学習して,これを基点に開発をスタートさせることにしました。
先ほども言いましたが,ツーフローMOCVD装置はあくまでもサファイアの上にGaNの結晶膜を作るためのものであって,これだけでは青色LEDにはなりません。ほかに必要な技術がたくさんあるにもかかわらず,なぜ中村氏の貢献度(配分率)だけがあれほど高く評価されるのかが理解できません。
高輝度青色LEDや青色LDが光を放つには,三つの要素技術が必要となる。①下地層となる良質なGaN単結晶②p型GaN単結晶③発光層である窒化インジウムガリウム(InGaN)単結晶―だ。日亜化学工業にとっては,これらのすべてが「公知の技術」だった。
~中略~
ところが,三つの要素技術の中で当時最も難しいと考えられていたのは,GaN単結晶のp型化だった。赤崎氏のグループが電子線照射によるp型化を発表していたが,他の研究者が追試しても簡単には再現できない状況にあったからだ。この難易度の高いp型化を日亜化学工業で実現したのは,中村氏ではなく,妹尾氏と岩佐氏である。
次に,本特許権の貢献度については,青色LEDに関連する重要な技術としては,本特許権のほかにGaNバッファ層の発明や,不純物Mgドープに関する発明,p型化アニーリングの発明などがあるが,これらの技術や発明は競合会社である豊田合成株式会社やクリー社にそれなりの代替技術があり,圧倒的な競争力を有する高輝度のLEDやLDについては本件特許の貢献度が100%であり,その他の技術や特許の貢献度はゼロというべきであるとしている。
この元従業員によると、窒化ガリウム以外の材料(ガリウム砒素)の研究をしてはどうかと社長が言ったとのことで、それを研究開発中止命令であるとしているようです。
~中略~
研究開発中止命令があったとされる時期の前後を通じて、この元従業員が会社に提出した所定の報告書にも、彼自身が中断なく窒化ガリウムの研究を継続していたことが記載されております。つまり元従業員の研究開発は上司の承認を得ておりましたし、この時期以降も当社は継続的に窒化ガリウム系LEDの開発に投資しておりました。そのことから明らかなように、窒化ガリウムの研究を中止せよと命令した事実はございませんし、研究開発中止命令の存在を示す客観的な証拠も一切提出されておりません。
最初のきっかけは、日亜化学工業の社長だった小川信雄氏が、青色LED開発という私のギャンブルを支持してくれたことだ。
この実験を基に「加熱処理だけでp型化できる」と推測した岩佐氏は中村氏に報告する。ところが中村氏は全く信用しなかったため,岩佐氏は再実験して確認した後,報告し直したという。その時にも「そんなはずがない。間違っているだろう」と中村氏に否定されるが,岩佐氏が自信に満ちた態度で断言すると,中村氏は自ら確認実験を行った。
このアニールp型化現象を発見する上で岩佐氏は「中村氏から全く指示は受けていない。入社間もなくてほとんど口を利いてくれなかったほど」と証言する。後に中村氏は,妹尾氏や岩佐氏が実現もしくは発見したp型化現象を,理論を後付けした上で誰にも知らせずに,妹尾氏や岩佐氏と連名の論文として発表する。筆頭者(ファーストオーサー)は中村氏だった。
中村氏は1993年までは実験の指示を出していたが,それ以降は自分で実験せず,他の研究者たちの成果を論文にまとめて外部に発表するようになった。論文はすべてファーストオーサーで,特許の発明者にも必ず名前を入れた。マスコミの取材や講演の依頼も同氏が対応した。「受賞時の賞金も同氏が1人で受け取った」(日亜化学工業)。
ただし、仕事の成果となると話は別です。中村さんの「すべて自分でやった」という趣旨の主張には多くの人が反論します。実際に青色LEDを実現するには無数の致命的な課題があったのですが、その解決策を提案し実現したのは中村さんの周りにいる若いエンジニア達でした。彼らが「こんなアイディアを試してみたい」というと、中村さんはきまって「そんなもん無理に決まっとる、アホか!」とケチョンケチョンに言い返したそうです。それでも実際にやってみると著しい効果があった。そういう結果を中村さんがデータだけ取って逐一論文にし、特許にし、すべて自分の成果にしてしまったんだ、と。
米国は研究者にとって、多くの自由がある。必死で努力すれば、誰でもアメリカンドリームを手にするチャンスがある。日本ではそのチャンスはない。年齢による差別、セクハラ、健康問題での差別があり、米国のような本物の自由がない。
日本では大企業のサラリーマンになるしかない。企業が大きな事業をやっていても、社員は平均的なサラリーマンだ。米国では、何でも好きにやれる。
少なくとも、アメリカでは企業発明者にこのような多額の報酬を与えることは全く無い。理由は簡単で、そもそも企業発明者は従業員という形で就業と生活の保証がされた上で発明をすることが義務として雇われ、それを反映した雇用契約書(報酬のあり方、額等)にサインしてから働くので、報酬の額は契約書に拘束され、争いになることはほとんどあり得ないからである。
青色LEDの発明対価をめぐる訴訟で、日亜と中村教授の和解が成立した。日亜の支払額は1審の200億円から大幅減額し、8億4391万円で決着。
1.当弁護団は、「①和解に応じなかった場合に予想される判決内容、②上告審で高裁判決が破棄される可能性、③破棄された場合に差戻審で認定される可能性のある金額、④上告審で一審判決の金額が支持される可能性、
~中略~
など、本件に関する全ての事情を考慮して、依頼者の最大利益は、和解勧告を受諾することと考える」と依頼者に助言し、中村教授はその助言に従い、和解勧告を受諾することとしました。