第四インターの「内ゲバ反対論」について

 史上、革マル派との和解を進言する党派に60年代初頭の構造改革派(フロント)といつの頃よりか不明であるが第四インターが存在するようである。以下、その論調の検討に入りたい。

 
第4インターの革マル派に対する認識は次の通りである。概要「革マル派は、内ゲバの目的意識性と系統性において群を抜く集団である。各派の内ゲバ消耗戦は、もっとも深刻な破壊の道をまっすぐに突き進んでいる。それがもはやどの程度まで来てしまったのかを、われわれは、冷静に現実的に把握しておかなければならない」、「敵である他のセクトの理論なり運動をそのあるがままの現実においてとらえるよりも、ウジムシ、青ムシというように、人間以下的な存在として人々に印象づけるファシストの常套語法が系統的に使用される(国士館総長が共産党を「赤毛虫」と呼んで学生を教育して来たこと、ヒットラーその他の歴史の実例を想起せよ)」。

 しかし、中核派も社青同解放派も基本的スタンスにおいて大同小異と見立て、革マル派も含めて次のように批判している。「このようにして批判は、デマゴギーと大本営発表にとってかわられるのである。プロレタリアートの解放戦争、革命戦争は、大衆の戦争であって、レーニンやトロツキーが範を示しているように一切の真実をつねに明らかにし、敵の弱さと強さを不断に分析し、人間の群衆心理的ヒステリー症状にではなくて英雄的革命的団結心に訴えて遂行される。そこでは、デマのかわりにリアルな真実が力の源泉となる。今日の『新』左翼内ゲバ戦争の論理は、ブルジョア戦争の論理である。それは大衆の戦争ではない」。


 従って、第4インターのメイン見解は次のようになる。概要「革マル派は内ゲバの元祖であり、元凶であるが、反革命ではなく、日和見主義的でセクト的な政治傾向を持つ党派であるが、中核派が云うような『KK連合』ではなく、革マル派は国家権力とは結合していない」。

革命的暴力と内部ゲバルト



革命的暴力か内ゲバ主義か(矢沢和彦見解)      

第一章 革命的前衛の緊急の任務 ――「新」左翼の腐敗を突破せよ――

 いま「新」左翼セクト相互の襲撃、リンチ、計画的な傷害、そして殺人があいついでいる。革マル派、中核派、解放派などが相互に「ウジムシ」「青ムシ」「反革命カクマル」「宗派」などと呼び合い、殲滅を宣言し、スパイを放ち謀略をはりめぐらし、機関紙上でその「戦果」を大々的に宣伝し、おのおのもはや「全滅寸前の敵」を「最後の一匹まで掃討する」決意を恥しげもなく披瀝しあっている。 「新」左翼に心情的共感をいだいて期待をつないで来た労働者・人民諸君も、度重なるこの醜態にすっかり落胆している。この醜態はすでに「若気の誤ち」を通りこしている。殺され、両手両足の骨を砕かれ、失明させられ、そして通学の権利を放棄させられた数百の活動家諸君。
   
 革マル派は、内ゲバの目的意識性と系統性において群を抜く集団である。各派の内ゲバ消耗戦は、もっとも深刻な破壊の道をまっすぐに突き進んでいる。それがもはやどの程度まで来てしまったのかを、われわれは、冷静に現実的に把握しておかなければならない。

 第一に、「新」左翼各派間では、党派闘争の主要な手段が内ゲバの暴力行使になってしまっている。これは一つの新しい事態である。公開の討論、もしくは紙上の論争は後景に遠き、紙上における各派批判は、ただ内ゲバによる打撃を相手に加えるための口実を提起し、自派の活動家の意志を統一し戦意を高揚させるための宣伝手段にすぎなくなった。このため、敵である他のセクトの理論なり運動をそのあるがままの現実においてとらえるよりも、「ウジムシ」「青ムシ」というように、人間以下的な存在として人々に印象づけるファシストの常套語法が系統的に使用される(国士館総長が共産党を「赤毛虫」と呼んで学生を教育して来たこと、ヒットラーその他の歴史の実例を想起せよ)。そこまでいかない場合でも、「反革命」とか「宗派」とかいうように、階級の敵としてえがき出す性格づけが採用されている。したがって批判は、つぎには、「戦果」の報告に席を譲る。「ウジムシ○匹せんめつ」とか「はいつくばって助けを求めるカクマル」とか言った、嫌悪を催させる表現で、敵の無力さを印象づける記事が、理論闘争や運動上の諸批判を通じた闘争の報告に代る。

 このようにして批判は、デマゴギーと大本営発表にとってかわられるのである。プロレタリアートの解放戦争、革命戦争は、大衆の戦争であって、レーニンやトロツキーが範を示しているように一切の真実をつねに明らかにし、敵の弱さと強さを不断に分析し、人間の群衆心理的ヒステリー症状にではなくて英雄的革命的団結心に訴えて遂行される。そこでは、デマのかわりにリアルな真実が力の源泉となる。今日の「新」左翼内ゲバ戦争の論理は、ブルジョア戦争の論理である。それは大衆の戦争ではない。

 党派闘争が、戦争の原理――「敵戦闘力の撃滅」にもとづくようになっているということである。他の党派の活動家を、「敵戦闘員」としてとらえ、したがって、その「破壊」が目的になっているのである。他の党派の活動家を、まず階級闘争の活動家としてとらえ、それを自らの思想で獲得しようとするのではないのだ。相手を破壊すること――これがその相手に接したときの目的になるのだ。たとえば革マル派は、早稲田大学の急進的活動家層にテロをかけるときに、「今後一切自治会活動から手を退け」と要求している。また他の党派にテロ、リンチを加えるときに、その手足を骨折させ、失明させるというように、以後人間として再起不能にさせ、すくなくとも、きわめて長期にわたって活動が不能となるような状況に追い込もうとして来た。これらが一時の衝動から出た行為ではなくて、綿密に計画された意識的な行為であるということはブルジョア国民戦争の論理の支配を如実に示しているのである。こういう意味で、一一・八事件で行なわれた「意図せぬ事態」という革マル派の「自己批判」が存在しているのである。
 
 第三に問題にしなければならないことは、これらの内ゲバが、大衆運動の決定的抑圧要因として働いているという事実である。川口君虐殺は、党派が大衆を「せん滅」したきわだった実例であり、内ゲバと大衆の関係の新たな「高み」を示したものであった。以後革マル派は、早稲田の大衆にたいする恐怖支配を意図し実現している。大衆は革マル派に従うか、もしくは沈黙を強いられるのである。うちつづく内ゲバは、大衆の「新」左翼にたいする一般的な恐怖心と嫌悪をつくり出し、大衆運動の全般的不活発をもたらしている。まさに内ゲバこそが、運動の発展をさまたげているのである。そしてまた逆に、大衆運動の停滞が、各派の内ゲバをエスカレートさせるという、悪循環の構造がつくり出されているのである。

 そこで最後に、もっともかんじんな点をのべなければならない。それは、内ゲバが「新」左翼弾圧の警察行動の効果にとってかわりつつあるということである。このような事態は表面的には、警察当局の「予想外」のことであるように見えるが、実際には、公安当局がもっとも望ましい事態として最初から計算されていることがらである。言いかえれば、戦闘的諸党派を強権的に弾圧して孤立に追い込む第一段階、つぎは諸党派間の対立をあおって相互にたたかわせる第二段階、そして最後に一挙に全体を一掃する第三段階として、「新」左翼取締りの戦略が構想されているのである。日本の公安当局は、いま、この第二段階を効果的に遂行しつつある。

 警察当局の革マルとのきわめて「密接な関係」は客観的に確認できることである。たとえば、川口君虐殺において、革マル派はきわめてあたたかく扱われている。こうした革マル派の警察的効果は、革マル派が反革命だとしたら、けっして成立しないのである。革マル派が、まさに「新」左翼の一党派であるがゆえに、ここを軸として第二段階作戦を構想することができるのである。ところが中核派は、「反革命カクマル」を呼号することによって問題の本質をぼかし、現実の敵を免罪してしまうのである。
 
 われわれは内ゲバ主義に反対して来た。われわれは、このような愚かしい行為をくりかえさないように訴えて来た。だが現実には、内ゲバの腐敗はますますエスカレートしているのであり、そのことが、全人民的なたたかいの発展と急進化のなかで、逆に「新」左翼総体が孤立するという状況を確実に生んでいるのである。それは、内ゲバを行使し合っている当事者たちにとってだけではなく、人民戦線派をのりこえてたたかおうとする全ての戦闘的左翼にとって共通の、重大な阻害要因にすでになってしまっているのである。

 自らの戦線におけるこのような腐敗を確実に克服していかなければならない。内ゲバを非難し、それと自らが無縁であることを力説したところで、大衆からの絶対的孤立を実際に突破することはできないのである。 したがってわれわれは、内ゲバの現実を直視し、その一切の理論的根拠を摘出して批判し、われわれ自身ならびにこうした腐敗をのりこえていこうとする全ての党派を結集して、大衆を組織したたかいを構築し、戦闘的左翼の戦線から内ゲバ主義の根絶をはかっていかなければならない。そのように断固としてたたかわないで、自分の手を白いままに保つことで勝利をかくとくできるなどと期待してはならない。

 内ゲバ主義の根絶のためのたたかいは、しかしながら、まず明確にその一切の理論的根拠を切開し、粉砕することからはじめなければならない。ところでこの場合、内ゲバ――党派闘争における暴力行使を「理論的」に提起しているのは革マル派だけである。 こういうわけで次章は、革マル派の「チミツ」な内ゲバ理論を検討してみよう。

第二章 革マル派の「内ゲバ理論」批判

 「ひとたび血で手をけがしたものは、泥沼に転落していく。」とは、革マル派の中央学生組織委員会が、「解放」第一七四・一七六号に掲載した、海老原俊夫君の虐殺にあたって発表した論文の一節である。革マル派自身の運命をものがたる言葉としてのかぎりでは、けだし名言といわざるを得まい。それからわずか二年、革マル派自身が川口君を虐殺したときに、彼らは、「意図せぬ事態」について「自己批判」を発表したが、自分が泥沼に転落していくだろうとは心配しなかったようだ。

 ところで革マル派の諸君は、自らの内ゲバが、絶対に他の派の「自己目的的」暴力とはちがって、あくまでも目的意識的な行為であるから、彼らの暴力には荒廃がはいりこまないと主張している。 「いかなる組織(あるいは組織成員)が、いかなるもの(対象)にたいして、なんのために(目的)、どのように(手段および形態)、いかなる条件のもとで、暴力を行使するか、というように問題をたて、かつ実現すること――これが問題の核心なのである。」(「革命的暴力とは何か」二六二ページ)

 川口君の場合には、問題の「核心」はしたがって次のようになる。 「革マル派が、川口君という大衆的活動家にたいして、以後活動をやらせないために、リンチならびに殺人という方法で、殺すつもりではないのに死んでしまったという条件のもとで、殺した」ということになるわけだ。上の文節で主語は革マル派であり、述語は川口君を殺した、である。実際これは、「核心」である。ところが革マル派の自己批判は、この「核心」とはずれたところでなされる。

 「だが、この追求過程でわれわれの意図せぬ事態が現出した。川口君はショック的症状を突然おこし、死亡したのである」 という形で提起されている。革マル派が川口君を殺したのではなく、川口君がひとりでかってに死んだのである。こんなふうにしてこの「核心」は、どこかに置き捨てにされたわけである。つまり、このような「核心」の出し方というのは、結果次第で、どうにでも好きなように言いくるめられるのであって、人間のあらゆる行為を、形式的論理の枠組みで整理するにすぎないのである。「誰が、どこで、何を、なんのために、」などというのは、動物的知能の場合を除けば、人間誰しも、朝起きてから寝るまでやっていることなのである。問題は、この全体の正当性をなにによって判断するのか、ということにある。

 「目的と手段とは、『誰が、どこで、何を』の問題から切りはなすことは決してできない。いいかえれば、一般に、われわれもまたその一実態であるところの法則性の、われわれ自身による認識に媒介されて、『目的―手段』の体系が、われわれの内部に構成され、かつこれに規定されながらわれわれの実践は展開されるのであるからして、われわれの実践の前提・過程・結果のすべてに、われわれの意識性と組織性が貫徹されるのである。だからそこには、暴力行使の荒廃の入りこむ余地などはまったくないのである。」(同右)

 革マル派の諸君は、実に形式論理がお好きなようである。この長々とした文章の全体から、どうして、暴力行使の荒廃が入りこむ余地がないという結論が出て来るのか、誰かわかる人がいるだろうか。要するにちぢめて言ってしまえば、「われわれは意識的・組織的にやっているのだから、荒廃はしないのだ」ということなのだ。意識的.組織的にやっていれば荒廃しないで済むというのなら、スターリンやヒットラーは、もっともっと大規模に革マル派の先例をつくったことにならないだろうか。

 この、中学生のヘリクツに似た文章は、「俺は間違っていない、だから俺のやることも間違っているはずがない」とさけんでいるわけである。だが、間違っていないと断言しさえすれば実際に間違わないですむというほど世の中簡単ではないだろう。 革マル派の「内ゲバ理論」の「チミツさ」というのは、実際この程度のものなのである。なにしろ革マル派というのは、「理論の高さ」を誇りにしている党派である。彼らに礼を失しないためにも、もうすこし詳細につき合ってみることにしよう。その場合、彼らの方法にならって、われわれもまた彼らの、「普遍本質論」「特殊実体論」「個別現実論」の三段論法を採用することが、彼らに最大限の敬意をはらうためには、当を得たものであると思われる。

① 「普遍本質論」――政治の非合理
 「しかしながら現実政治は、そのように簡単に、一筋ナワにいくものではない。そこでは理論をこえでた、理論では割り切れない、非合理的な力関係――政治のダイナミックス――が強力に働くのだからである。現実政治が合理的に動くのであったならば、なんら問題はない。合理的になしとげられてゆくべきであるにもかかわらず、合理的には割り切れず、つねに非合理的なものがつきまとい、それがからみあってゆく。この現実政治のパラドックス、階級闘争における非合理的なモメント、敵対するもののあいだの非合理的な力関係――これが、政治のダイナミックスをなすのであって、これを本当に理解することなく、ただ文学青年的に割り切ったところに、革命家たらんとしたトロツキーがたんなる理論家となり、真の(レーニン的意味における)政治家たりえなかった根本的な理由があるのだ。」(「革命的マルクス主義とは何か」黒田寛一 四五ページ)

 「われわれは、革命的共産主義運動の現実的展開を、ただたんに理論の“純粋性”の名において、おくらせたり阻止したりしてはならない。われわれは、現実政治のダイナミックス――理論的正当性にもかかわらず、政治的実践においては敗北をよぎなくさせられる場合がしばしばありうるというこの政治運動のメカニズムの非合理的側面を決して忘れてはならない。……われわれの革命を実現するための組織戦術、統一戦線戦術が、右のような現実政治の弁証法にもとづいて展開されなければならないとするのが、われわれ革命的共産主義者の立場にほかならない。」(同右 五三ページ)

 革命的マルクス主義の名のもとに、黒田寛一がこの論文を書いたときに、彼の脳裏に浮んでいたものが「トロツキーの敗北」であっただろうことは疑う余地がない。理論的に正当なトロツキーがスターリンに敗北した真の理由はなにか、それはトロツキ-が「文学青年的」にものごとを割り切ろうとして「政治家」になれなかったのにくらべて、スターリンは、政治の「非合理的側面」に立脚して、あらゆる種類のマヌーバーや暴力を駆使してトロツキーを打ち破ってしまった、と彼はとらえたのである。そこで革命的共産主義者が本当に勝つためには、「何が正しいか」ということとは相対的に独自な「どうすれば勝てるか」という、多少とも「非合理な力」を身につけなければならないと考えたわけである。そしてこのような合理性と「非合理的側面」の統一としての「組織戦術」が構想されたわけなのである。

 スターリンの「非合理的側面」における勝利の秘密とは、むろん、その最大のものがゲー・ペー・ウーにあることは言うまでもない。トロツキーはゲーペーウーをもたなかった。そして敗北した。正しいだけでは駄目なのだ、ゲーベーウーをもたなければ……と彼は考えたのであろう。以後たしかに革マル派はゲーべーウーをつくりはじめた。

 革マル派の理論構築の作業は、合理性と非合理性の統一としての彼らの組織戦術をいかにして正当化するかという軸において、「チミツ化」されていくことになる。 だが、「非合理性」はいつまでたっても非合理であり、それ自体はなんとしても正当化され得ない。そこで正当化の作業は、この非合理な力それ自体を解明することにではなく、この非合理な力がなんのために奉仕するのかという場面での正当化へと問題は向うわけである。しかし、この点における作業を解明し、批判することは次節以降の課題である。ここではとりあえず、彼らの非合理的な出発点がどのようにきづかれたのかを明らかにし、批判することがわれわれの課題である。

 問題は二つの点にある。第一の点は、現実政治のダイナミックスにおける非合理的側面という規定についてである。黒田においては、政治においてはかならずしも理論においてとらえきれないものがあり、この「割り切れないもの」が非合理的側面として置かれる。理論でとらえきれないことが、即非合理であるという認識の仕方は、裏返して言えば、合理的なものは全て理論でとらえられるという認識から出発しているのであり、つまり、政治的観念論の特徴を典型的に示しているといえるのである。現実を理論がとらえうるか否かということと、現実が合理的であるか否かということは、明確に区別されなければならない。現実は合理的であるという主張は一つの条件づきではあるがマルクス主義の基本的立場である。その条件とは、「合理」=「理念」の実現としてとらえるということである。

 ところでこの「理念」=人間の社会的活動の無限の発展は、あらゆる限定=矛盾を通し、その格闘を通過し、外からの圧力=非合理的な力と見えるものを内にとりこみ、内化しつつ、人間の意識にとらえられ、実践の場に創出されていくのである。「非合理的」と見えるものと対決し、解明し、自らの生産的実践の場で自らのものへと獲得し、創造の内部に位置づける行為が「合理」なのである。理論は、この「とり込み」と「創造」の場で人間の意識的活動としてあらわれる。理論が現実をとらえきれないというのは、人間が外からの力として見えるものにたいしてまだ苦闘している段階にあることを表現しているのであって、その本質がどこまでも合理的なものであることを直感でとらえながら、自らの理論をうちきたえていかなければならないのである。

 ところが、本質的に完結した理論を保有している(そもそもそのようなこと自体があり得ないのだが)と錯覚している「理論家」は、自らの体系としての「理論」が現実の「理念」をすべてとらえうると思い込んでいるから、それと異なった現実に直面すると、現実の方を否定したくなるわけで、現実の「非合理的側面」などと主張する。つまり彼においては、彼の所有する「理論」と現実の「合理性」とが等置されているのである。彼においては「合理性」とは、「合理念性」ではなく「合理論性」なのである。非合理性を認める立場は一見すると「理論」の現実にたいする「気弱さ」のように見えるのだが、その実は、徹底的な「傲慢」であると言わなければならないのである。そしてこれこそ、黒田「理論」のもっともいちじるしい特色であり、その「宗教的性格」を示しているのである。
 
 こうした裏切られた文学青年の居直り的「非合理主義」が、「革命的共産主義者の立場」とされて、以後系統的に「発展」させられていくことになったのであり、まさにここに、革マル派のスターリンから輸入した「内ゲバ」の論理が、彼らの全ての「現実政治」をつらぬく「普遍本質論」として確立されているのである。

② 「特殊実体論」――「のりこえ」の論理
 さて、黒田の組織戦術論の「普遍本質論」としての「現実政治の非合理的側面」が、その実体的担い手としての組織戦術にどのように特殊化されていったのかを、われわれは次に見ていかねばならない。

 「すなわちまず、既成指導部、とくに社共両党によって歪曲されている今日の労働運動、ソコ存在する既成の大衆運動(P1)を左翼的あるいは革命的にのりこえていく(P1→P2)という実践的=場所的立場(=「のりこえの立場」)において、それ(1<運動上ののりこえ>)を実現していくためには、まずもって既成の運動(P1)をささえ規定している理論(他党派の戦術やイデオロギーとしてのEo)をわれわれがとらえ(E1――これはEoと媒介的に合致する)かつそれへの批判を通じてわれわれの独特な(あるいは独自な)闘争=組織戦術(E2)を提起し(P1……E1→E2)、そしてこれ(2<理論上ののりこえ>)を物質化する(E2……P2)ために組織的にたたかう(E2……O―・―・→P2)とともに、これらの闘いを通じて既成の大衆運動を実体的にささえている諸組織、直接的には社共両党(Oo)を革命的にする(Oo~~→O)ための党派闘争(3<組織上ののりこえ>)をかちぬく。」(「日本の反スターリン主義運動」2二八三~四ページ)

 「ところで、他党派の戦術やイデオロギーを批判し(2<理論上ののりこえ> )、他党派を革命的に解体するための組織活動を展開する(3<組織上ののりこえ>)ことを通じて、<運動上ののりこえ>(1)を実現するということは、他面からすれば、われわれの組織戦術を、たえず大衆運動の場面へ(O―・―・→Um)、また直接に他党派にたいして(O―・―・→Oo)貫徹する闘いが成功裡になされていることを意味する。この<組織上ののりこえ>をめぐってたたかっているわが同盟組織(O)が、他派の組織(Oo)にたいして、またそれが展開している大衆運動(P1)やその戦術およびイデオロギー(EoあるいはE1)にたいして決定的に対決している(O⇒P1・E)がゆえに<理論上ののりこえ>(E1→E2)を媒介として<運動上ののりこえ>(P1→P2)が現実的に可能となるのである。」(同右二八八四ページ)
 
 はじめの引用文で言っているのは次のことである。「既成の大衆運動をのりこえていくためには、まず、理論的にのりこえた戦術を提起してその実現のためにたたかうとともに、他党派を解体するためにたたかわなければならない。」 あとの方の引用文で言っていることは次のことである。 「既成の大衆運動をのりこえることができるのは、他党派を直接に解体する組織戦術を貫徹しているからである」 たったこれだけのことを言うために、なんで二つも三つも図を描いて、またこれだけの長々とした文章を書かなければならないのだろうか。革マル派の独自性というのは、このようなあたりまえのところにあるのではなくて、あたりまえでないところ、すなわち、こうした活動を、<運動上ののりこえ><理論上ののりこえ><組織上ののりこえ>などと分離した<のりこえ>を固定化し、それらを<組織上ののりこえ>に強調点をすえてくみたてるやり方である。 前の引用文では、運動上ののりこえが一応目的に立てられたうえ、理論上ののりこえと組織上ののりこえが手段として並列される。後の方の引用文では、組織上ののりこえが目的におかれていて、運動上ののりこえと理論上ののりこえがそれに従属させられている。すなわち、おのおのの<のりこえ>がそれぞれ独立したものとして分離・固定されたうえで、<組織上ののりこえ>が軸となってくみたてられてくるのである。しかもこの<組織上ののりこえ>では、他党派にたいする直接の解体、対決という側面が強調される。

 さてわれわれは、このような<のりこえの理論>をどのように理解すべきであろうか。まず第一に、この論理が現実的で物質的な行為ならびにその結果と、それをもたらそうとする主体的立場との明確な区別をあいまいにしているということである。<のりこえ>ということがなりたつためには、<のりこえようとする>意志が、さまざまな障害を実際に<のりこえる>行為のなかで、<のりこえた>という結果に到着するのでなければならない。こうした過程の全体を<のりこえ>という一つの言葉でくくってしまったからといって、<のりこえ>が成立する条件を明らかにしなければならない義務から解放されるわけではない。主観的な<のりこえ>と客観的な<のりこえ>とのちがいと関連を把握しなければならないという義務を免除されるわけではない。

 第二に、以上の観点からするとき、<理論上ののりこえ>を主観的な<のりこえ>とし、<運動上ののりこえ>を客観的な<のりこえ>と置いて、<組織上ののりこえ>をその過渡の場にすえなければならないということが明らかになってくる。したがって、この三つの<のりこえ>なるものは、各々独立に存在しているものではなくて、ひとつの<のりこえ>の三つの契機としてのみ実存するのであって、それらがばらばらに切りはなされて遂行されていくとした場合には、それらの<のりこえ>が、必然性=客観性を欠いたものとして構想されてとりくまれることになってしまうのである。その場合にはこれらの<のりこえ>の各々が、それぞれ主観的な行為としてだけうちたてられ、対象との本質的な関係に支えられないものになってしまうであろう。

 第三は、こうした分離され、固定された<のりこえ>のなかで、<組織上ののりこえ>が強調されている問題である。この場合、<組織上ののりこえ>は、運動とその場との有機的な関係をもって構想されていないから、他党派への「直接の対決、解体」という側面が、それ自体として浮び上ってくることになる。すなわち、党派が存在し、その方針と力を試す主体であり、場である大衆運動のなかから切り離された独特の場での「党派闘争」が追求され、その成否が逆に運動の場に還元されていくという形で、問題が逆立ちさせられるのである。

 第四に、<理論上ののりこえ>について言えば、他党派のイデオロギーと戦術という側面が、それを支えている大衆運動自身の段階や性質から切りはなされてとらえられざるを得なくなり、大衆運動のなかでの党派の方針をとりあげ批判するというよりも、党派のイデオロギーをまずとりあげそこからその結論を大衆運動のなかでの党派の方針の批判へと下降させて来るというやり方がとられることになる。これもまた逆立ちである。

 第五に、<運動上ののりこえ>に関してはつぎのような問題が出て来る。すなわち、大衆運動が党派によって規定されたものとしてとらえられ、その逆の面が見落される。大衆運動はそれを規定する党派によって本質的な限界を与えられているのだとされ、大衆運動の前進のためにはまずもって前提的に党派を組織上でのりこえることが先決であるとされるのである。大衆運動自身に内在する前進の可能性、契機が、自ら発展して力となって既成指導部をのりこえていくのだ、ということがとらえられず、大衆運動の発展はその指導部の「権力移動」という「実体論」でとらえられていくのである。

 つまり、結論的に言うと、この<のりこえの論理>には、大衆が登場せず、階級が登場しないのである。<のりこえる>主体は、彼らの革命的共産主義者なのであって、それが<のりこえる>ための場としてのみ、大衆と階級が存在する。だから彼らは、<運動上ののりこえ>という。運動自身がのりこえていくのではないのだ。

 われわれの組織建設においては、問題はこのような形では設定されない。われわれは、大衆の発展、階級闘争の発展の契機としてのみ党を実存させようとする。官僚と大衆との関係においては、ある特定の官僚が他の官僚を<のりこえ>るための場として大衆運動を利用するということが起りうる。だがわれわれと大衆との関係はそれとはちがう。大衆が官僚を<のりこえ>ていくその先頭にわれわれは位置しようとするのである。レーニンの党建設の現実もまたそうであった。ボルシェビキはソヴィエトの、つまり大衆自身の組織的自治の契機であり、媒体としての党だったのであり、その実質を喪失して、ソヴィエトが、そして党が大衆を対象として支配する機関へと変質していったときに、スターリニズムが成立していったのである。

 かくて<のりこえ>の論理は、官僚の組織建設の論理であることが明白である。こうした<のりこえ>の論理は、日本共産党がもっとも得意としている組織的実践と、始めから終りまで寸分違っていない。こんなところにはいささかの革命性も見ることができない。

 それゆえわれわれは、「普遍本質論」たる「政治の非合理」が、まさにこの<のりこえの論理>において駆使されざるを得ない「特殊実体論」的=組織戦術的根拠を理解することができる。大衆の必然的発展を媒介するという位置づけを欠落した<のりこえ>は、それぞれまったく主観的行為としてくみ立てられざるを得ないために、合理的に実現していく根拠を失なっており、その強行的突破のためには、非合理の力――すなわち大衆運動の必然的発展に依拠しない、外からの力が動員されざるを得なくなる。すなわち、<のりこえ>の論理は自らの内に「非合理」の論理を予定するのである。他党派への直接の対決・解体という主張は、このことの卒直な告白に他ならない。かくて「内ゲバ」の論理は、革マル派の組織戦術のなかで特殊実体論的に適用されたわけである。

③ 「個別現実論」――向自的な党派闘争
 さてそれではわれわれは、革マル派の「非合理」の「個別現実論」の段階、つまり彼らが今現に何をやっているのか、ということに「上向」して来ることにしよう。ここでもまず彼らの主張を聞いてみよう。

 「党派闘争の即自的形態(運動上ののりこえに従属した組織的のりこえを追求する場合)と向自的形態(組織的のりこえとしての組織的のりこえを追求する場合)との関係を、一面的にもっぱら前者を『本来的』なもの、後者を『特殊的』なものとしたり、また暴力的形態を伴うか否かということで両者を感覚的にふりわけることはできない。両者の関係はこうである。一般的な党派関係のもとでは、即自的な党派闘争が普遍的であり、向自的党派闘争は従属的・特殊的である。しかしいったん党派関係が異常なものへと変動した場合には逆に、向自的な党派闘争が普遍的となり、即自的な党派闘争は従属的・特殊的なものとなるのである。」 (「共産主義者」二九号 一〇二ページ)

 「われわれは一定の党派に対決しそれを解体するという党派闘争論的立場(O1←O)にたって、その党派を組織的に解体するために、党派的なイデオロギー的・組織的なたたかいを主要な手段としかつ適格な暴力の行使を補助的な手段とする。これがわれわれの党派闘争の主体的推進の本質規定である。かかるものとしてわれわれの党派闘争の指針は<目的―手段>の体系をなしているといえる。このようにわれわれは、主要な手段としてのイデオロギー的、組織的なたたかいとともに、このたたかいを促進していくものとしての暴力の行使をも補助的な手段として本質的に位置づけていることを看過してはならない。」(同右 一〇三ページ)

 かくてウジムシ・中核派や青ムシ・解放派などとは、向自的な党派闘争である。つまり組織的な解体を直接に追求するたたかいであるというわけである。 向自的な党派闘争が普遍的である段階とはどういう段階なのか。見つけ次第に襲え、という段階であり、下宿とか、事務所とか、街頭などで襲え、という段階である。 即時的な党派闘争における場合はどうなるか、学生大会でなぐるとか、学校に出て来たら襲うなどということである。 いずれにしても「適格な暴力の行使」は、「本質的に位置づけ」られているのである。

 ところでこれらの「チミツ」な「個別現実論」を、われわれは果してこれ以上批判する必要があるだろうか。たとえばわれわれは、「適格な暴力の行使」なるものがなぜ適格なのか、それは階級闘争のどのような利益、どのような原則的立場のもとで適格であるのかを質問しようとしても、その解答は、彼らのいかなる論文、いかなる説明のなかにも見出されないのである。それを本当に得ようとすれば、ずっと十五年もさかのぼって、黒田寛一の「非合理」の政治学にたどりついて来てやっと、なぜ彼らがいく度もいく度も「目的意識的・組織的」とか「適格な」とか「本質的な」とかのべても、これらの形式的説明以外に内容的な説明をなし得ないのかという理由がまずわかるのである。「非合理」なのであるから、内容上の説明を下し得るはずがないのである。次にわかるのはその動機である。正しいがゆえに勝利するのではなくて、正しくてかつ勝利しなければならないと考えるがゆえに、彼らは「非合理」の補助手段にたよるのである。
 
 昔あるところに、貪欲な小商人がいた。この男はすこしづつ小銭をためこんで資産をなし、いまではもうすこし手広くあきないをはじめたらどうだろうと考えた。 そこでこの商人は、買占めに手を出した。 ところが世の中はそうあまくない。せっかく買占めた品物が腐敗して、わがガッチリ屋は破産寸前に追い込まれた。そこへどうだろう、あちこちの商売がたきがのりこんで来て彼の市場を荒そうとしたのである。 商人は眼尻をつりあげて異常なる決意をかため、街中のゴロツキやナラズモノをやといあつめて集団をつくり、商売がたきの店や倉庫に放火、略奪、あげくのはてには家人の生命を奪うという行為に出た。 人々は驚きあきれ、なじった。 「お前は強盗、殺人犯だ。」 ところでこの男、肩をいからせて答えた。 「馬鹿言え、これはな、向自的な商売なのだ!」

第三章 革命的暴力か「内ゲバ主義」か

 その「理論」がまったくの形式論理にささえられた、官僚の組織論に他ならないことを見て来た。だがわれわれのなすべきことはこれで終らない。われわれはどのようにしてこの腐敗した現実を突破できるのかを明らかにしなければならないし、その任務を引き受けるわれわれの決意と方針を全ての労働者、人民の前に提起しなければならない。そのように問題を主体的に立てることによってはじめて、「新」左翼総体に失望して分散化し、あるいは人民戦線派への傾斜を深めつつある労働者、人民を、一定程度イデオロギー的につなぎとめ、人民戦線派をのりこえ国家権力との正面対決にむかって前進するための足がかりと拠点をつくりあげることができるのである。

 第一にわれわれは、武装と暴力の問題に関して原則的な立場をうち出さなければならない。今日までの破滅的な一揆主義と姑息な党派セクトの暴力によって、革命的暴力の概念があまりにもゆがんで伝えられてしまっている。われわれが革命的暴力という場合に、その日本における最も近い実例を見出そうとするならば、一九五九年~六〇年の三池労働者の武装である。この実例は、過去の日本労働運動が到達し得たもっとも組織され、もっとも大衆的で、しかももっとも徹底した武装自衛である。だが同時に忘れてならないことは、このとき三池労働者は、第一組合の徹底した民主主義的組織化に成功していたのだということである。すべての労働者が分ちがたく団結して自由に発言し、徹底的な職場討論によってひとつひとつの課題を大衆的に実現していった。そこでは、組合員の間のいかなる不平等や差別も自発的に解消し、さらに主婦や子供達までもふくめた団結がつくり出され、この第一組合の闘争共同体の周囲に、関連産業労働者や農漁民・商人などが結集して、ひとつの地域権力の様相をすら呈したのであった。三池争議は戦闘においてではなく裏切りによって敗北せられた。そのことについての解明は、しかし、ここでの課題ではない。ここでの課題は、この三池争議のなかに、われわれがつくり出そうとする革命的暴力の原型、萌芽を発見することである。

 革命的暴力とはプロレタリア階級が階級として行使する暴力である。それはまっすぐにブルジョア支配階級に向けられている。そこにはなんの疑いもあり得ない。だが、プロレタリア階級は、均質ではない。そのなかには遅れた部分も先進的な部分もいる。したがって戦闘はしばしば先進的なプロレタリアートと支配階級との間でよりきびしく戦端を開くことがある。その場合には、プロレタリアートの武装がもっとも先進的な少部分の武装から開始されることは、多かれ少なかれ避けられない。だがこの場合でも、この先進的なプロレタリアートによる先行的な武装闘争は、広汎な大衆にむけて国家の暴力的本質をあばき、いっそう多数の、いっそう強力な階級的武装へと道をきり開くためにのみあることを忘れてはならない。

 先進的な少部分による武装においても、またいっそう広汎な大衆の武装闘争が組織される場合においても、これらは、自らの権力、プロレタリア民主主義の自治組織の目的貫徹のための手段であることがつねに求められる。大衆のプロレタリア民主主義的権力組織不在のままで、単独の武装闘争が先行する場合には、まれな例外をのぞいて、圧倒的に優勢な敵の包囲によって殲滅されざるを得ない。キューバの特殊な一時期を普遍化してひとつの「革命論」に仕立て上げたドブレ主義が、その後のラテンアメリカ革命のなかで例外なくみじめな敗北に終ったことを想起しなければならない。

 革命的暴力はプロレタリアートの諸闘争のなかから武装自衛としてうまれる。はじめは個別的一時的経験として開始される武装自衛は、危機の普遍化のなかで恒常的な武装組織をつくり出し、蜂起を準備する。だが、武装自衛から生れた武装組織が蜂起を組織するためには、もうひとつの決定的な峠をこえなければならない。それは軍隊の解体であり、もっとも先進的な兵士集団の獲得である。このことに成功したときにはじめて、武装蜂起が日程に上るのである。

 このようにして革命的暴力は、蜂起にむけて自らを組織する。それははじめから終りまでプロレタリアート自身の政治闘争である。それは先進的少部分から圧倒的多数のプロレタリアートに波及する階級的権力闘争なのである。そして党は、まさにこの過程を、たたかいそのもののなかにあり、その担い手となって指導するのである。

 これが革命的暴力である。階級の外側に独自に党が武装するなどというのは、魚が陸で餌にありつこうとすることと同じなのである。それは一見強力なように見えても、権力の本格的な弾圧にさらされれば一夜にして崩壊してしまう。革命的暴力を、党の単独の問題として立ててはならない。そのような実例は、反革命の党派に見出すことはできても、プロレタリア革命の党派に見出すことは絶対にないのである。

 第二の問題は、党派闘争における暴力行使の横行という現実のなかで、われわれがどのようにしてこの革命的暴力を組織し、準備していくのか、ということである。 われわれは大衆の自衛武装を組織するという形で、党派のプロレタリア民主主義を圧殺しようとする非道な暴力を撃退するだろう。この点において、いかなる逡巡もあってはならない。プロレタリア民主主義にもとづく大衆闘争の組織にたいして、その外部から、暴力的に敵対しようとする党派は、その言葉と見せかけがどれほど社会主義を語ろうとも、その瞬間において支配階級の手先となるのである。かかる企図にたいしては、われわれは大衆の自衛武装の組織者となって、ためらうことなく撃破し、粉砕しなければならない。

 だが、直接党派としてのわれわれに向けられた暴力的敵対の場合に、それが小ブル的あせりと理論的誤謬にみちたプロレタリア運動内部の党派からしかけられた場合には、われわれは自らの存在を守るための最低限の防衛以外には報復を試みてはならない。われわれは彼らの土俵にはまらない。われわれに暴力的攻撃を企図しようとする党派は、われわれの忍耐強さをあてにすることができよう。だがわれわれはこの問題を、大衆闘争の場にもち込むだろう。そのとき彼らは、誰の支持もあてにすることができないのである。

 だが、いずれにせよわれわれは、自らの大衆運動の拠点において、革命的暴力の問題を不断に提起し、情勢がその核心にむかって煮つまっている現実を、大衆の意識に獲得させようとしてたたかわなければならない。日常の権力、ブルジョアジーとのたたかいのひとつひとつにおいて、われわれは武装自衛を大衆の常識とするための契機をつかみとり、組織しなければならない。ここにわれわれの武装にむけたたたかいの基本が置かれなければならない。このようにしてわれわれは、「新」左翼諸セクトが例外なく落ち込んでいる党派軍団主義を、大衆的にのりこえていかなければならない。  一九七三年十月



「革命的暴力と内部ゲバルト」――プロレタリア民主主義の創造をめざして――「内部ゲバルト」反対         織田進

 一、問題の提起

 学生運動を中心として新左翼諸党派間の党派闘争に、しばしば「暴力事件」が発生している。つい最近の事例をとって見ても、六六年九月社青同東京地本人会の協会派と解放派の暴力的衝突(協会派に対する解放派の集団テロ)、六七年十月羽田闘争前夜の中核派の解放派活動家に対する集団リンチ、六八年春のブントの分裂後、労働者革命派の指導各個人に対する統一派の再三にわたる「ベトナムばりの」拷問的テロ、六・一五闘争における中核派の「実力演壇占拠」と革マル派のそれへのなぐり込みならびに両者の激突、七月反帝全学連前の都学連大会および全学連大会における「集団決闘」的テロ、等々と枚挙にいとまがない。各拠点大学で、「主流派」的党派が「反主流派」的諸党派の日常活動の妨害や感情的対立の清算のために「弱小党派」に加える「ささやかなテロ」は、すでに慢性化している。早大における革マル派の「巧みなテロ」は、表面的な「大衆路線」を裏で補完するものとして、今日では意識的計画的な「戦術」の中に事実上位置づけられている。

 我々はこのような「内部ゲバルト」問題を、党派闘争にありがちな「行きすぎ」として、偶発的な事件として簡単に見過すことは、もはや許されないと考える。活動家の間の「笑い話」や「手柄話」でお茶をにごしてすませているには、すでにこの「内部ゲバルト」が、あまりにも日常的で、重大な、一つの政治的傾向として大衆の眼前に提起されているし、そして大衆がそれを通じて一定の見解を提起する判断の材料として政治の舞台に登場しているのである。

 しかしながら、すでに本格的な政治現象として存在しているこの「内部ゲバルト」問題に対し、それに主体的にかかわっている新左翼諸党派のどの一つも、いまだかって労働者学生大衆の前で自己の見解を発表したことはない。そのため、かかる「内部ゲバルト」によってひき起される、新左翼諸潮流にむけられた大衆の政治的不信や、諸党派自身の弱さを大胆に切開し、克服する努力は全く手をつけれないままで終っているのである。

 「内部ゲバルト」は、次のような政治効果を持つ現実の政治的行為である。

 第一に、諸党派の政治活動のエネルギーや時間、そして時には有能な活動家の健康を無意味に奪う。
 第二に、大衆と新左翼諸派との結合を妨げ、社民やスターリニズムの「反トロ」攻撃に絶好の口実を与える。
 第三に、敵権力の介入の手段、弾圧の武器として利用される。
 第四に、新左翼諸党派間の統一戦線、活発な相互批判と、反体制の諸闘争へむけての共同行動を妨げ、統一戦線のかわりに「陰謀」的ボス交が、闘う大衆の直接民主主義の内部で発展する理論闘争や組織的競争のかわりにヤクザ的な「縄張り争い」が支配する。

 こうした傾向は、社民とスターリニズムの官僚統制を突破して今広汎に流動し始めた大衆の左傾化を、七〇年代革命の主体勢力の構築のために共働して獲得すべき革命的統一戦線にとって、きわめて大きなマイナスである。もちろん事の正否はあまりにも明らかであるので、この問題について複雑で巨大な論文を書き、大論争を組織する必要があるなどとは我々も考えていない。必要なことはきわめて当然な「原則」を守りぬく実践的な努力である。我々がここで明らかにする見解は、その観点に立つものである。

 二、スターリニズムと「内部ゲバルト」

 問題の解明は、一九一七年ロシア革命とそれ以後の内戦の過程で行使された、ボルシェヴィキとメンシェヴィキ・エスエル・ブルジョア諸党派連合反革命との軍事的対決と、一九二七年以降スターリニスト官僚が、ボルシェヴィキの一世代全体を抹殺するために行使した暴力手段とを、峻別することから出発しなければならない。

 前者において我々は、プロレタリア的党派とプチブル的党派との対決は、結局バリケードで向い合う暴力的解決へと発展することを見るのである。プロレタリア内部の矛盾として先行する党派闘争を通じて、労働者党のあれこれの形態という仮面はひきはがされ、ブルジョア的本質とプロレタリア的本質との赤裸裸な対立が暴露される段階に到るや否や、内的な党派闘争は公然たる階級的対立へ止揚されて、もはや論争による解決という手段は軍事的対決による解決へと道を譲るのである。

 ロシア革命を闘いとったボルシェヴィキの闘争は、この意味での一つの典型である。ソヴィエト民主主義を徹底して利用し、少数派から多数派へと成長していく過程、いったんこの多数を掌握するや直ちに権力奪取へ向う過程、奪取した権力に対する態度を最終の基準として、全てのプロレタリア的、プチブル的党派がバリケードのどちら側に立つものであるかを最後的に明らかにさせること、そしてバリケードの向う側に位置する政治勢力とは、その外観がいかにエセ革命的言辞でかぎられていようとも、革命の暴力を通じて以外にはいかなる対話も彼等との間に存在し得ないことを明らかにすること。ここには、プロレタリア民主主義と党派闘争の関係の本質が事件の生きた弁証法によって明らかにされている。

 だが、後者=すなわちスターリニストの暴力は、このボルシェヴィキ的党派闘争とは全く逆に、革命的党派を抹殺するために用いられた。従って彼らは、プロレタリア民主主義を全面的に開花させるのではなく、それを抑圧し粉砕する手段として暴力に頼った。大衆の直接民主主義の内部での徹底した論争を通じて他党派と大衆の結合を断ち切り克服するのではなしに、こうした論争そのものを官僚的暴力手段によって打ち破ろうとしたのである。すなわち、ボルシェヴィキの暴力は大衆の暴力として登場し、スターリニストの暴力は官僚の暴力として存在した。この両者のちがいは、プロレタリア民主主義(ソヴィエト民主主義)に対してとる態度に集中的に表現されたのである。

 トロツキストをはじめとする革命的反対派にむけられたスターリニストの暴力的方法は、各国共産党に輸出された。そして各国スターリニストが反対派に対して官僚的暴力を行使して排除する過程は、同時に各国共産党がソ連スターリニスト党の海外出先機関へと変質していく過程となっていったのである。

 三、黒田寛一の「内部ゲバルト」

 日本の新左翼運動の内部に、「組織的・目的意識的」なゲバルトを持ち込んだ最初は、黒田寛一氏の指導するマル学同であった。彼らは、ブントその他の諸党派の理論的誤りは、すでに彼ら=マル学同の理論闘争を通じて完全に暴露され、証明されたと称し、それにもかかわらずこれらの諸党派が存在を続け、自治会権力等を掌握し続けているのは諸党派の不誠実によるものであり階級への犯罪であると断言した。かかる不誠実な犯罪者にはもはや言葉だけの批判では不十分であって、「鉄ケンによる自己批判要求」が必要だと考えたのである。そしてマル学同は、以後系統的にこの「内部ゲバルト」の行使者となり、その拠点早大は、もっぱら「軍事的支配」によって今日に到るまでマル学同(革マル)の拠点校たり続けている。

 しかし少し考えてみるだけで、この黒寛「理論」の誤りは容易にわかる。諸党派はもっぱら「理論的」に存在しているだけではなくて「物質的」にも存在している。諸党派の「小ブル性」は大衆の意識の小ブル性の反映であり、さまざまな後れた党派は大衆のさまざまな後れた意識が生み出したものである。だからこれらの「犯罪的諸党派」の克服は、大衆の意識と運動に働きかけることを通じてなされる以外にないのであり、「鉄ケンによる自己批判要求」がその手段として採用されるならば、まずもってこれら諸党派の客観的基盤である後れた、プチブル意識に毒されている大衆をひとりひとりなぐりとばすのでなければ何の役にも立たない。そしてこの珍奇な黒寛「理論」以外には、新左翼内の「内部ゲバルト」を正当化するどんな理論もいまだ出たことはない。

 四、今日の「内部ゲバルト」

 最近ひんぱつしている「内部ゲバルト」は、諸派の「思想」の弱さが、情勢に圧倒されたことの表現である。自己の思想性に十分な自信を持つ党派は、このようなこそくな手段には頼らないものである。我々はすでに「こうして“指導”の能力に欠けた諸党派が自己に有利なはずの革命的情勢のなかで、逆にその無能力をさらけ出し、そしてそれをぬいつくろおうとして極端なセクト主義におちいっていくというまことに皮肉な事態が出現する」(「世界革命」復刊第三号七ページ)とのべた。

 中核派は「激動の七ヵ月」間にわたりカンパニア主義の極左派として長期高原闘争を突っ走ってきた。その過程で彼らは自己の綱領的確信、戦略的展望を六〇年安保のブンド的水準に切り下げてしまった。彼らの戦闘的カンパニア主義は、情勢の全体を展望を持って理解し、新しい質の運動を作り出すことには決して成功していない。彼らの綱領的立場「反帝反スタ」と、現実の運動「カンパニア主義の極左派」とは今やまったく内的結合を欠いている。こうして「思想の破産」を予感する彼らは、内部から「市民主義」に反発する部分がうまれる危機と、思想的水準を高めつつある学生運動のなかで大衆的支持を失っていくすう勢との、二つの危機に直面している。そして彼らは、この危機ののり切りのために、組織の官僚的統制力を強め、他党派に対するセクト的対応を強めている。

 解放派は、安保後の改良主義の時代に、大衆のトロツキズム、新左翼への失望と改良主義党への傾斜のなかで、社民の“良心”として登場した。今日、彼らの存在は最も根底から動揺をはじめている。情勢にむけての意欲的な介入をなにひとつ組織できず、その党派性は、ただ他党派への反感を人為的にあおり立て、それへの反発としてしか維持できなくなっている。

 ブント=社学同は、ブント化した中核派に先を超されたため、ジリ賃傾向をたどって来たが、それを一挙的に克服せんとするあせりから、七回大会分裂をつくり出した。統一ブント系の「世界同時革命論、世界赤軍、世界党」の路線は、十分に討論されて熟した体系性を少しも持っていず、非常に粗雑な、間に合せ的なものである。それは六〇年ブントの自立帝国主義論と、第四インターの諸テーゼとの乱暴なつきまぜである。彼らにあっては、中核派に先をこされた危機感と、「追いつき追い込せ」というあせりとが、長期的展望の確立や革命党とその運動を創造していく着実で不断の前進の芽をつみとってしまっているように思われるのである。

 ML派は、旧ブントから毛沢東主義への無節操なのりうつりをやってのけた。かかる無節操は、運動のあらゆる段階でその理論的破産として暴露されざるを得ないし、それゆえ問題意識がますます高度化しつつある学生、労働者大衆からまじめに相手にされなくなってしまう。それをぬいつくろおうとすれば、結局運動と理論の質の高さではなしに、単に外見的に派手で強固にみえる戦術手段に頼らざるを得ないし、それは時には自暴自棄の水凖にまで転落するのである。中大学館で彼らが金品をリャク奪した事件は、新左翼の「内部ゲバルト」の新しい、いっそうフハイした質へのエスカレートである。かかる行為によって彼らは、自己の信奉すると称する「毛沢東の教え」=三大規律・八項注意にそむき、最も道徳的な教義から肝心の道徳性を去勢することによって、彼らの毛沢東主義の内実が単なる権威主義にすぎないことを告白したのである。

 以上見たように、今日の新左翼諸派の「内部ゲバルト」は、新たな情勢に直面した諸党派の政治的無能性、思想的弱さをぬいつくろおうとする手段以外の何物でもない。自己の党派と運動の内部で、自己の弱さを克服する原則的な分派闘争、思想闘争の代りに、自己の外に対決を人為的に作り出して、一時的な団結の強化を追い求めているのである。

 このような「内部ゲバルト」は、七〇年代革命へむけて大胆な飛躍と緊密な統一戦線によって、既成の左翼の官僚的統制から階級を解放し、反帝実力闘争の大衆的展開をかちとろうとする全ての新左翼運動にとって、はかりしれないマイナスを現につくり出している。

 五、我々の態度

 我々は、階級闘争の実践に検証された論争をプロレタリア民主主義内部の党派闘争の基本手段として確認するものである。我々はいわゆる「内部ゲバルト」が、かかる論争を発展させ、大衆を根底的に獲得する自覚過程では全く不必要で、妨害物であると考える。我々自身、そのようなこそくな手段に頼るべき何の理由も持ち合わせてはいない。我々は、我々の運動が他党派のゲバルト的手段によって、大衆運動に登場することを不当に制限された場合にのみ、対抗的防衛的暴力を行使する権利を留保するであろう。

 同時に我々は、かかる「内部ゲバルト」の行使者に対しては、全面的に大衆にむかって問題を明らかにし、彼らが孤立し、心から自己批判するのでなければ一瞬も自己の党派を維持できなくなるような、大衆の活発で積極的な政治的雰囲気を形成するために、闘うであろう。
          (一九六八・八・一〇)



「革命的暴力と内部ゲバルト」――プロレタリア民主主義の創造をめざして――

暴力一般とその行使について       酒井与七

 わが同盟ならびに国際主義共産学生同盟(学生インター)沖縄現闘団の同志とその事務所にたいするフロントの一団によるテロならびに破壊行為(二月二〇日)とこれにたいするフロントの「日本共産主義革命党」としてのわが同盟にたいする回答書についてわが中央政治局は彼らにたいする最後となるかもしれない警告の声明を発した。わが中央政治局のこの声明は、「日本共産主義革命党」の回答書にたいして直接に反論をくわえ、彼らの徒党的性格を暴露するものである。だが、わが同盟ならびに学生インター沖縄現闘団にたいするフロントのテロと破壊行為は、労働者階級ならびにその他一切の被抑圧諸人民の解放闘争における暴力一般ならびにその行使にかんする彼らの徹底した無思想を暴露しているのである。

 かって一九五四年代のアルジェリア解放闘争において同じアルジェリア人組織であるFLN(アルジェリア民族解放戦様)とMNA(アルジェリア民族運動)――FLNはアルジェリア武装独立戦争の中心的組織者であったし、後者のMNAは日和見主義的民族解放運動派として後には公然とド・ゴールに屈服した――の分派闘争と政治抗争が、在フランス・アルジェリア人のあいだでたがいにその活動家を拳銃とナイフで殺しあうテロの相互応酬にいたったこと――たとえば、この事実をわが「日本共産主義革命党」の「革命家」たちは知らないだろう。そして、西ヨーロッパにおけるわがインターナショナルの同志たちは、フランス帝国主義にたいして武装独立闘争を闘いぬくFLNと緊密に協力して準軍事活動をふくむ諸々の地下活動を展開したのであった。当時、西ヨーロッパにおけるわが第四インターナショナルの数的力は、わがフロント「革命家」「諸君の想像を絶するであろう程の極小数勢力であった。にもかかわらず、FLNの代表がわがインターナショナルの第五回世界大会(一九五七年一〇月)にオブザーバーとして出席したのである。

 今日、西ヨーロッパ全域における強固に組織された青年前衛の最先頭にたっているフランス共産主義者同盟(第四インターナショナル・フランス支部)の大衆的活動家組織としての前身JCR(革命的共産主義青年)のアラン・クリビーヌを中心とした指導的部分は、一九六〇年代初頭のアルジェリア支援闘争のなかから成長してきたのである。旧PCI(国際主義共産党、旧フランス支部)以来の老同志たちはフランス労働者階級の反ナチ・レジスタンスの武装闘争経験をくぐりぬけてきており、今日のフランス支部たるフランス共産主義者同盟を担っている若い同志たちは、アルジェリア人民のフランス帝国主義にたいする武装独立闘争の戦火をつうじて成長してきたのであった。それゆえ、このフランスのわが青年同志たちは、暴力一般とその行使にかんして徹底的に訓練されており、教育されている。

 この青年同志たちは大胆不敵なコマンドー(特別に選択された行動グループによる奇襲的攻撃)の能力をもっており、この点において毛派からアナーキスト、フランス型「革マル」派にいたる雑多なフランス「新」左翼はわが同志たちの足もとにもおよばない。フランスのわが同志たちはまた街頭におけるデモンストレーション、工場におけるストライキとピケット・ラインを諸々の襲撃から防衛する武装自衛の組織的能力を今日発展させつつある。これもまた階級闘争における暴力の問題の大衆的レベルにおける端緒的なあらわれであり、わが同志たちの暴力における組織的能力を前進させ、訓練する。だが、わが同志たちが階級闘争の戦場において多様に獲得しつつある暴力行使の組織的能力は、わがフロント「革命家」諸君のように徹底的に無政府的で・無思想で・徒党的なもの、それ故必然的に機会主義的・日和見主義的なものでは絶対にない。わが同志たちのコマンドーと街頭ならびに工場における組織的な暴力行使の能力は政治的な統制と規律が徹底的にゆきわたっているし、イデオロギー的思想教育が全面的にほどこされている。そこでは無思想と無政府徒党性と機会主義的日和見主義は一切許されない。このコマンドーと街頭ならびに工場における組織的な暴力行使の能力は、根本的に支配的国家と敵階級の暴力にたいして攻撃的なのであり、労働者階級を中心とする諸々の大衆運動そのもの、そしてこの大衆運動内部における一切の政治的諸傾向(“一切の政治的諸傾向”とはつまり共産党もふくむということをわがフロント「革命家」諸君はお忘れなく!)間の徹底した労働者民主主義を支配的国家と敵階級の暴力と挑発から無条件に防衛しぬくべく統制され教育されている。労働者階級を中心とする大衆運動内部の政治的諸傾向間の関係それ自体においてもまた相互間のテロと暴力的破壊行為にたいして「実力行使」をふくむ断固たる闘争を展開し、大衆運動内部における一切の政治的諸傾向間の労働者民主主義のために無条件に闘い献身しようとする。つまり労働者階級を中心とする大衆運動内部におけるいずれかの政治傾向が組織的テロと暴力行為によってこの大衆運動内部の労働者民主主義を破壊しようとするとき、わが同志たちの組織的な暴力行使の能力は、そのような徒党的集団から大衆運動内部における労働者民主主義を防衛するために配置される。そして勿論、自己の運動をあらゆるものから防衛するために配置される。

 昨年春、フランスの毛派の一グループがアルジェリア人の少年たちにたいして「フランス共産主義者同盟はユダヤ人に指導されている」と反ユダヤ主義に訴え、わが同志たちにたいするテロ行為を煽動した――アルジェリア人少年はパリ近郊バンサンの大学構内にナイフをもってあらわれた。わが同志たちは直ちに防衛の行動隊を組織し、この毛派のグループに重大な警告を発した。ウワサによれば、街頭ならびにコマンドーにおけるわが同志たちの特別行動隊の能力が抜群のものであることは、フランスの左翼内部では周知のことであるらしい。そして、この毛派グループはわが同志たちにこっそり詫びをいれたのである。 またある一派が、フランス教職員組合のわが同志をふくむ大衆的活動者会議の暴力的破壊を意図して襲ってきた――彼らは彼らが最初に手をだしたところで直ちに粉砕されてしまった。そして、以上いずれの場合においてもわが同志たちは追いうちをかけるほど無思想な機会主義者ではなかったし、また幸いにもその必要もないほどに弱体なグループであった。

 以上、アルジェリア武装独立闘争における「内部ゲバルト」からはじめて、フランスのわが同志たちの階級闘争における暴力行使について実践的立場を紹介してきた。そして、アルジェリアが一九六三年に独立を達成したとき、FLNとそれを中心とするアルジェリア臨時革命政府は、互いに軍隊を動員する巨大な「内部ゲバルト」によって一時引き裂かれたのであった。また、パレスチナ解放闘争において諸々の政治グループが同時に武装集団ででもあることは、今日、周知のことである。万が一にもこれらの政治諸グループが互いの見解の対立を「内部ゲバルト」によって「解決」しようとするようなことがあるならば、それは文字どおり大砲と機関銃とライフルを動員した殺しあいと暗殺の相互応酬になる。そしてこれが帝国主義とイスラエルをだけ利するであろうことは誰の目にも明らかである。内乱の情勢において対立する政治諸傾向にたいする「内部ゲバルト」は必然的に兇器とナイフを用いることになる。スターリニストは、一九三〇年代のスペインにおいてトロツキスト、ニセ・トロツキスト、急進的なアナーキスト、極左翼社会党員にたいして文字どおりこのような「内部ゲバルト」、つまり暗殺という手段に訴えた。そして、わがトロツキズムの歴史は、スターリニズムのテロルの犠牲のもとに闘いぬかれた歴史なのである。

 政治は必ず軍事に転化する。政治はまた真の意味で軍事に転化することなしには、その勝利を達成することができない。軍事は政治の延長であるが、また政治は軍事においてその極限かつ最高の形態をとる。それゆえ、軍事と暴力はわれわれにとってもっとも神聖な領域である。この領域に無思想・無政府・徒党根性・機会主義と日和見主義がはいりこむことをわれわれは絶対に許すことができない。この領域において要求されることは、断固たる規律、徹底的な秩序、中央集権化された責任の体系、最後まで考えぬかれた政治的目的意識性である。われわれは今日このことを徹底的に銘記しなければならない。

 今日、すくなくとも日本内部における大衆運動の政治情勢がいまだ軍事が決定的に主導する局面にはいっていないことは明らかである。大衆運動の今日の政治情勢を決定的に軍事主導局面としてとらえる一切の政治傾向にたいしてわれわれは断固として反対する。だが、この日本内部においても、一九六七――六九年一〇・一一月闘争を契機として、前進しようとする急進的大衆諸闘争は不可避的に国家権力と直接に衝突し対決せざるをえない局面がはじまっていることは完全に明らかである。急進的大衆闘争の現日本国家権力との公然かつ直接の衝突、対峙・対決――まさにこの戦線を労働者階級を中心にしていかに全人民化してゆくか、つまり労働者階級を中心とする全大衆を現国家権力との公然かつ直接の全般的対峙にむけて組織しぬこうとすることであり、そこに新しい急進的な政治的人民を築きあげようとすることである。このことが困難な課題であることは明白である。だが、三里塚、北富士農民の闘争はまさにこのこと以外にないこと、さもなくば急進主義運動そのもの改良主義と人民戦線への堕落以外にないことをしめしている。まさに以上の意味において日本内部においても大衆的権力闘争の局面が現にはじまっているとわれわれは考えている。

 そして、昨年一二月二〇日のコザ反米暴動以降の沖縄反軍事植民地闘争がまさに全島的に大衆的権力闘争の局面に突入していること、沖縄の諸闘争があらゆる意味において諸々の暴力的に組織された力どうしの闘いとなりつつあること――このことについてわれわれは本紙上において再三主張してきた。このような大衆的権力闘争を一つの局面全体にわたって徹底的に大衆的に闘いぬくことによって、そのことをつうじてはじめて大衆運動の情勢における軍事の主導性が形成されはじめてゆくだろう。まさにこのような見地にたつことによって、わが同盟第四回大会(一九七〇年八月)の「同盟建設」にかんする決議の次の一節を真に理解することができる―― 「革命および革命党建設の見地からするとき、来るべき一時期全体の人民的大衆運動とその諸闘争の性格は革命の勝利を直接に展望するものではなく、また同様に革命の党を直ちに建設することを直接の課題かつ日程にあげるものではない。ブルジョア日本における社会階級闘争の当面する政治的局面は、いまだそこまで成熟していない。ブルジョア日本における諸々の社会階級および社会階層は、いまだそれぞれ自分自身の即時的な自然発生性を徹底的に急進的に実現し闘いぬいてみなければならない。プロレタリアートを中心とする反帝国主義的諸階層が自らの即自的な性格を自然発生性のうちに急進的かつ徹底的に闘いぬくことなしには、革命の勝利、つまり自らの革命的政治権力樹立を直接の行動目標とする革命党を直接に建設しようとするわけにはいかない。革命を二度も三度も建設するわけにはいかない。――革命党そのものを直接に建設しはじめるということは、もはや絶対に敗北のありえない、ただ絶対的に勝利を展望する(つまり、敵支配権力の絶対的打倒と新しい革命的政治権力の樹立を展望する)革命の組織化にむけて最終的に着手することを意味する。かくして、革命の党建設に失敗し、革命に敗北することは、反革命の無条件の勝利せる血の乱舞=革命の前衛勢力の肉体的抹殺が貫徹されることを意味する――そのときはもはや革命は長期にわたって再起不能となる。われわれにとって革命党の組織化に着手することは、ただ以上の意味においてもはや勝利と敗北を絶体的にかけて革命の最後的な組織化にはいることを意味する。それゆえ、われわれは革命党をただの一度しか組織しようとしないし、またただの一度しか組織することができない。」(同盟理論機関誌「第四インターナショナル」第八号、八八頁)

 結局のところ一九六〇年代全体をつうじて形成されてきた、またその限りで左翼という名辞のうえに「新」と冠したわが日本「新」左翼なるものの全分派は、公然とか陰然とかは別にしてすべて「内部ゲバルト」主義の信奉者たちである。たまたまある分派がある特定の時点において「内部ゲバルト」主義を公然と主張しないとしても、そのことはたまたまこの分派が「内部ゲバルト」主義に思想的に、つまり原則として反対なのではなくて、彼らの本質的な機会主義と日和見主義によって一時こっそりとおおいかくしているにすぎない。そして幸いなことに、われわれは「トロツキー教条主義者」であるとこれらの日本「新」左翼の全党派から目されていること――つまりわれわれが「新」左翼ではなく、「老」左翼たることはこれらの諸君によってあまねく認められているのである。レーニン・トロツキーのボリシェヴィズムのイデオロギー的ならびに政治的伝統に「意固地なまでに」固執しようと決意するわれわれは、政治における暴力の最高かつ極限の形態を無条件に承認する徹底的な暴力革命主義者であるが故にこそ、腐敗、堕落した「暴力主義」の形態、つまり革命的イデオロギーという規律と秩序の最高形態を失った徒党化した「暴力主義」たる「内部ゲバルト」主義に断固として敵対する。

 レーニン死後、スターリニズムとの闘いをとおして、トロツキズムは、ボリシェヴィズムの政治的ならびにイデオロギー的成果と遺産の防衛を決意して歴史的に形成された。そしてスターリニズムにたいするこのトロツキズムの闘争は、スターリン派による暴力の徒党的な「内部ゲバルト」主義への堕落に抗して、暴力を真の革命的軍事としてよみがえらせ結実させようとする不断の闘いであった。わが日本「新」左翼なるものの全分派はこのことを理解することができないし、トロツキズムとその歴史を理解することなど彼らにとって絶対的な不可能事である。まことに彼らは哀れというべきである。彼らには救いがない。

 暴力をもっとも大規模に徒党化し墜落させたスターリニズムとその「内部ゲバルト」主義の歴史的先例がすでにあますとこなく証明しつくしているように、「内部ゲバルト」主義はプロレタリアートを中心とする全世界被抑圧諸人民の歴史的な革命の能力にたいする悲観と不信と絶望の度合いに厳密に比例して成立するのである。スターリンの「一国社会主義」と彼の「内部ゲバルト」主義は偶然の関係ではない。この関係はまさに必然なのであり、絶対に別ちがたい双生児なのである。

 黒田寛一という男をグロテスクな教祖としていただく「革マル」派がもっとも首尾一貫した「内部ゲバルト」主義者としてあるのは、まさに以上の意味において「哲学」的必然性なのである。何故ならこの教祖の「革マル主義哲学」なるものは、生身として日々生活する具体的な現存在としてのプロレタリアートを中心とする全世界被抑圧諸人民の現世における歴史的な革命の能力にたいする徹底した不信の観念を体系化したものだからである。その謎は教祖の著述『プロレタリア的人間の論理』においてまごうことなく開示されてある。彼らは自らを「反帝反スタ」主義者であると誤解している、だが彼らは「反スタ・反スタ」主義者なのである。現実の形而下の世界における彼らの政治的役割はスターリニズムをそのまま社会民主主義に移入・移植すること、あるいは社会民主主義の第三インターナショナルとスターリニズムにたいする積念の恨みを骨髄にまでもっていったものである。この意味で、この「反スタ・反スタ」主義者はスターリニズムの世界から一歩たりとも外に出ないし、それゆえ彼らはスターリニズムとともに没落し崩壊するのである。かくして、わが革命的共産主義者同盟・全国委員会(中核派)の現指導部は、かつて一度たりといえどもこの黒田「革マル主義哲学」のまやかしに幻想をもったことを深く恥じるべきである。まさにこの点にこれら諸君の決定的なつまづきがあった。わかりもしないくせに「哲学」などと口にすべきでなかったのだ。今日いくらかでも自らを左翼と意識するものにとって、トロツキズムを知らずして、「哲学」を論じうるとするならば、それはほとんど奇跡という他はない。それゆえ、この世にはびこるありとあらゆる「左翼哲学」なるものは、すべてこれまやかしと見なして大方誤ることはない。

 黒田寛一を教祖とする「車マル主義」の「内部ゲバルト」主義は、社会民主主義内部にむけてスターリニズムを直接に相続するものであった。そしてブント諸派から、今日「過激化」した旧構造改良諸分派にいたる日本「新」左翼主義諸グループの陰然・公然の「内部ゲバルト」主義をわれわれはどのように特徴づけるべきであろうか。彼らの「内部ゲバルト」主義は、彼らが「平和な日本」ですくすくと育ってきた文字どおりの平和の子であるということに由来している。この「内部ゲバルト」主義は徹底的に考えぬかれた末のものでないから、本来的に機会主義的で日和見主義的でカンパニア主義的であり、それゆえさして重症ではない。

 ブントと構造改良派――この二つの流れはかつて日本共産党内において一つの「社会主義革命」派を形成していた中年の兄と青年の弟であった。日本共産党社会主義革命派の血気盛んな青年(ブント)とすでに青年期の溌刺たるエネルギーを失った中年(構造改良派)は、かつて平和であった日本とその極度に平和主義的な大衆運動をまごうことなく体現しているのである。彼らもまた本質的に平和革命の分派なのであり、さして深刻に気にすることもなく「内部ゲバルト」主義の「風潮」に身をゆだねることができる。それゆえ、いま現にはじまっている大衆的権力闘争の局面に彼らは絶対に応えることができないし、この困難をましてゆく闘争の性格にたえる忍耐力とねばりを「平和の子」の必然性として彼らは絶対にもちあわせていない。一九七〇年の一〇~一一月闘争以降まず最初に彼らが互壊し没落していったのは、ただ理の当然というべきである。彼らは深く平和主義である度合に応じて機会主義的な「内部ゲバルト」主義者なのであり、今日の大衆的権力闘争局面の進展それ自体がほとんど自動的にこれらの諸傾向を一掃することを助けるだろう。

 かくして、先に引用したわが同盟第四回大会の決議は、引きつづいて次のように述べている―― 「この点において、日本“新”左翼分派、とりわけブント系諸傾向は何度でも“革命党”をつくろう派であり、失敗したらまたやりなおしたらいいじゃないか派であって、彼らはまったく改良主義的諸闘争の水準で“革命”について考えようとする。そして、わが“革マル”派は、革命党の建設は危険極まりないものであって、そんなものは絶対につくらない派である。つまり、彼らはこうして徹底的に社会民主主義中間左翼なのである。黒田寛一の“革マル”主義が平和な宣伝・洗脳活動をつうじて人民の多数派になるまでは、社会主義を絶対に断行すべきでないというわけである――一体どこまであの第二インターナショナル中央派に彼らは自らを似せてゆくつもりなのだろうといわねばならない。

 中核派は、この点においてブント派と革マル派の中間で動揺する。」(「第四インターナショナル」第八号、八八頁)

 南部朝鮮において労農人民は朴政権のむきだしの軍事警察支配と日々直面しており、彼らの諸闘争はすべて必ずこの軍事警察権力と対峙し、対決し、衝突することなしには展開きれない。南部朝鮮の労働者、農民、都市市民、学生、知識人たちはまさにこのようにして現に諸闘争を展開している。かくして、朝鮮・沖縄・日本「本土」をむすぶ三点は、いまや大衆的権力闘争がその全体性として形成される局面にはいりつつある。勿論、もっとも困難きわまりない闘争の諸条件を強制されているのが南部朝鮮であることはあきらかである。つづいて困難なのは沖縄労農人民の闘争の諸条件である。そして、南部朝鮮の労農人民にとって、少くとも現時点における日本内部の大衆的権力闘争の諸条件はまったくのところ極楽で階級闘争をやるようなものであるだろう。極東においていまや全体性として形成されはじめた大衆運動の情勢の大衆的権力闘争の局面、そして、この局面を統一的かつ系統的にいかに闘いぬこうとするのか。今日いやおうなしに提起されているのはこのことである。であるがゆえに、また、まさにこのような極東総体化する大衆的権力闘争という見地から、わが日本「新」左翼なるものの徹底的に腐敗・堕落した徒党的「内部ゲバルト」主義を照しださなければならない。

 「内部ゲバルト」主義は一面において平和な大衆諸闘争の時代からうけついだゼイタク品であった。あるいはまた、一九五〇年代のように平和主義と改良主義のうちにも労働者階級を中心とする大衆運動が全体として前進しているかぎり、平和主義的で改良主義的な大衆運動の趨勢的なヘゲモニーが全体としての大衆運動の各部分におよび統制する。だが、総評・社会党構造の運動としてあった一九五〇年代以来の平和主義と改良主義の大衆運動は、一九五七~六〇年を転機として衰退にむかい、一九六四~六五年において決定的な行きづまりとなった。かくしてまたベトナム革命を根幹として一九六七年以来の新しい急進主義運動の大衆的形成がはじまったのだが、平和な大衆諸闘争の申し子としての「内部ゲバルト」主義は、まさに旧来の平和主義と改良主義運動の行きづまりから新しい急進主義運動の大衆的形成への転換期に発生したものであった。それは旧来の平和主義と改良主義の運動が大衆運動の各部分にたいする全般的な政治ヘゲモニー・統制力・吸引力を喪失し、青年の急進主義的エネルギーと未定形で平和主義的形態がいわば即物的に、それゆえ無政府的に噴出していった過程を一面において反映するものであったということができる。自己自身の即物的で直接的な急進的エネルギーの強行的な実現過程において、この新しい急進主義のエネルギーはこれに規律と秩序をあたえるイデオロギーと系統的で組織的な表現の形式を獲得しえなかった。だが、急進主義的エネルギーがいまだ平和主義を根本的に払拭できないがゆえの自然発生的「内部ゲバルト」主義が日本「新」左翼を称する全分派をとらえたかぎりにおいて、これらの諸分派を政治グループという観点からみるとき、そこには日本「新」左翼の徹底的なイデオロギー的無能と底しれない思想的堕落が表現されているのである。

 だが、いずれにしても今日すでに明白に大衆的権力闘争として新しい急進主義運動が闘いぬかなければならないとき、これらの徹底的に無思想かつ堕落した徒党的「内部ゲバルト」主義は全面的な障害物になってきている。沖縄全軍労の闘争において、アメリカ帝国主義の銃剣の壁、琉球政府警察機動隊、右翼暴力団日思会と徹底的に対決しぬく闘争の前進を真に志ざそうとするとき、また三里塚の闘争を機動隊の壁に抗して前進させようとするとき、どうして「内部ゲバルト」主義の余地がありえようか。諸々の急進主義大衆闘争において、権力の重圧の壁に密集してあたる隊伍の緊密化と強化こそが問題なのであり、急進主義諸傾向間の統一戦線は急進主義大衆運動の統一戦線として今こそその真の意味が問われているのである。

 われわれは、一九六七年羽田闘争以来さまざまな紆余曲折をへて今日にいたっている急進主義諸分派間の統一戦線を陰然・公然の「内部ゲバルト」主義者の「統一戦線」から、まさに大衆的権力闘争の局面を徹底的に闘いぬこうとする急進主義大衆運動の真の統一戦線として確立するためにいまこそ真剣な努力がはらわれるべきである。わが急進主義大衆運動の統一戦線から徒党主義を一掃するための闘いを開始しなければならない。

 そしてまた「内部ゲバルト」でしか分派闘争ができないと信じこんでいるおそまつ極まりない「革命家」諸君に次のことを忠告しておきたい。すなわち、大衆諸闘争の情勢が平和主義的であればある程に、たしかに諸君たちの「革命」的「新」理論の「正しさ」を実証するのにあまりに手間ひまかかり、ついに一ぱつぶんなぐってでもわが「革命」的「新」理論を注入しその覇権をうちたててやろうとの誘惑に抗することは諸君ら「革命家」たちには至難の業だろう。だが、幸いにもいまや大衆諸闘争の情勢はそのきびしさを日々深めてゆくであろう大衆的権力闘争の局面にはいってきている。このような諸闘争の諸条件は、自己の「革命」的「新」理論を確信するわが「革命家」諸君には幸いこのうえないのだ――何故なら、あらゆる「新」理論と「革命」的方針は現実の諸闘争によって一瞬にして、数日にして、あるいは少くとも数月にしてその「正しさ」を容易に証明することができるのだ。諸君たちはいますみやかな「勝利」を約束されているのだ――「内部ゲバルト」に精を出す手間ひまもおしまれようというものである。

 わが急進主義大衆運動の統一戦線は、自然発生的「内部ゲバルト」主義を一掃するために断固たる闘いを開始しなければならない。そして、われわれは「仏の四トロ」と称されている。大いに結構。そして、ほとけ様以上にチェー・カー(ロシア一〇月権力の反破壊活動の政治警察委員会)の長官にふさわしいものはない。このほとけ様はまた、自ら真にチェー・カーにふさわしい実力をそなえるべく、目的意識的闘いを開始するだろう。(一九七一年三月二一日)「世界革命」紙一九七一年四月五日第二三二号ょり所収――



「革命的暴力と内部ゲバルト」――プロレタリア民主主義の創造をめざして――

日本「新」左翼「内部ゲバルト主義」は「官僚の政治学」への堕落である

 党派闘争における暴力=「内部ゲバルト」に関するわれわれの立場についてはすでに二度にわたって本紙上に表明してきた(六八年、七一年)。今日、日本「新」左翼どうしの「内ゲバ」は、最悪の質・形態・規模に達し、このままでは、過激派をつぶすのに直接手を下す必要はないのではないか、という期待を、公安警察諸君にいだかせてしまうほどだ。

 これは、日本「新」左翼の今日の腐敗と衰退の一現象であり、その克服は、あれこれの安直な離合集散によってなされるべきではなく、目先の利害にとらわれない、徹底的に原則的な立場――レーニンとトロツキーの伝統に復帰することによってしかなされない。本論文は、日本「新」左翼の腐敗と衰退を、原則的立場から突破するわれわれのイデオロギー闘争の、はじめである。さらにこの後ひき続いて、堕落の特徴的な諸傾向への批判の諸論文を、掲載するであろう。

●日本「新」左翼「内ゲバ」の激化

 日本「新」左翼の「内ゲバ」がたがいに破壊し合っているのは、生まれたばかりの急進的大衆運動にとりついている死にぞこないの国民平和主義の幻想、すべての「新」左翼諸派が例外なく平等に分け持ちかつぎまわっているその幻想の体系である。アジア革命につき動かされ、国家の崩壊のきざしを感じ取った急進的な肉体と、頑固に頭脳を支配しつづけている一国的な平和主義との抜きさしならない対立のために彼らは自分の勝利を確信することができず、いらだちを隠すことが出来ない。そのいらだちが、勝利を邪魔していると見てとれるもっとも手近なものの頭上へ、ゲバ棒と化してふりおろされる。このとき彼らは「他」党派を粉砕したつもりになり勝利に近づき得たと瞬間感じるのだが、せせら笑っているのが国家権力であり、断ち切られたものが人民とのきずなであり、「粉砕」されたのは自分をその一部分とする同じ幻想の体系の一角であったのだということに気づかないふりをしとおせるには、かなりの意識の苦労が必要なのである。こうした不自然な苦労を長時間つづけることによって、彼らの正常な人民的感性はすりへらされ、歴史と人民の政治生活からまったくきりはなされた独特の思考方法、価値感がつくり出され、さらに、その特別な価値が通用する特別な集団の世界が産み出される。そうなればそれはすでに「宗教」であり、骨化した幻想のむくろを祭壇にまつり、他派の首をいけにえにささげる儀式としての「内ゲバ」が大手をふってまかり通るのである。このようなものが、今日すでに現実になっているいくつかの党派のあり方であり、またいくつかの党派の明日の姿である。

●「内ゲバ」がもたらす損害

 「内ゲバ」がもたらして来た具体的な損害を見積もるためには、ひとは、セクト的な党派利害の目先のソロバン勘定をはなれなければならない。いま新しく生れつつある人民大衆の急進化――国家権力との直接の対決の多方面からのめばえを、反帝国主義の統一戦線と、その真只中での革命党建設へおしすすめるべき現在の局面全体の、帝国主義と被抑圧人民、帝国主義ブルジョアジーとプロレタリアートの対決のバランス・シートにのせてみなければならない。

 「内ゲバ」がもたらす第一の直接の損害は、活動家の肉体がこうむる物理的な打撃と、その脅威のために活動家が余儀なくされる不活動状態であり、その結果組織がこうむる組織活動の制限である。こうした直接的な打撃を一つの党派が受けることは対立する党派にとっては「利益」であると考えるような堕落した近視眼が、諸党派を「内ゲバ」の誘惑にかりたてている。

 だが、革命的党派はなんのために党派闘争をおこなうのか? 社民やスターリニストとの党派闘争においてさえ、その影響下にある活動的労働者を獲得することが、われわれの意図の大きな一部分である。まして、なんの物質的特権にしばりつけられているわけでもない「新」左翼諸派の多くの活動家達は、この激動の情勢の展開のなかで、くりかえし自らの思想的限界につきあたって自己批判を強制され、革命派に移行する可能性を多分に持っているのであり、彼らの立ち遅れがはなはだしければそれだけ、彼らが自ら破産を自覚するようにしてやる必要がある。このための最良の方法は、彼らを大衆運動のなかに引き込み、彼らの思想と方針をそこで十分に展開させることである。大衆運動自体のなかで自らの果す反動的な役割を思い知らされることほど、活動家と党派にとって手痛い批判はないのであり、そのようにして自らの限界を自覚するのであれば、彼らが成長し革命的立場に移行する可能性もまた増大するのである。

 だから、自らの正しさを確信する党派であればあるほど、反対者に発言させる自信と要求をもつのが当然である。だが、沈黙を強いることによっては、何が生れるであろうか? 対立する党派に沈黙を強制し、活動家を襲撃し、肉体的機能を傷つけ破壊し、生命までをも奪ってしまう今日の「内ゲバ」は、未来の同盟者、未来の同志を破壊しているのであり、さまざまな矛盾や対立をはらみながらも幾多の試錬を経て、相互批判―自己批判を通じて巨大な革命党建設へ向かって結集すべき潜在的革命派=第三潮流の可能性と戦闘力を破壊しているのである。これほどにあからさまな自殺行為があるだろうか?

 損害の第二は主体的な問題である。それは「内ゲバ」を行使する側の堕落である。人民にはたらきかけて影響力を拡大し誤まった政治的傾向をのりこえるたたかいは、骨のおれる作業であり時間もかかる。それよりは、誤まった方針を流布している党派の指導者や活動家のところへ出かけていって、一発くらわし二度と大衆の前に姿をあらわさないと約束させることができれば、なるほど手軽にかたがつく。こうした誘惑に一度負ければ、骨のおれる原則的活動は馬鹿らしくなり、「一発くらわす」ことが度重なって、やがて組織の体質になってしまうものだ。だが、こうした誘惑に身をまかせる党派は、簡単な事実を見落している。「一発くらわされた方も、だまってはいないだろう」ということを。

 動は反動を呼び、テロは報復テロをまねく。組織のエネルギーがますます多くこの「内ゲバ・エスカレーター」に吸収され、大衆運動に投じるエネルギーが切り上げられ、原則的な党派闘争を通じるよりも、はるかに骨のおれる、しかも不健康な「活動」に明け暮れるようになるのは必至である。そのあげく、誰でももうひとつの単純な真理に気がつく。「内ゲバではどんな党派もつぶせない」―と。空しく消耗した自らに残されたものは、原則的大衆運動―組織活動に堪えられなくなってしまった堕落した体質だけである。こうして彼は最後に、決定的な結論に必ずたどりつく。「内ゲバでつぶれるのは結局自分の方だ」と。

 「内ゲバ」がもたらす第三の、本質的な損害は、「新」左翼総体の人民からの孤立である。ここで「内ゲバ」は、国家権力に客観的に奉仕している。人民は「内ゲバ」を支持しない。人民は真に革命的な党派は、国家権力とのたたかいではいかに非妥協的であっても、大衆運動のなかでは最も忍耐強く労働者民主主義を大切にするものであることをよく知っているのである。

 息子や娘を国家によって傷つけられ、捕えられ、殺された親達は多くの場合革命運動を支持し、国家に対する憎しみを燃やしている。だが「内ゲバ」で傷つき、殺された者達の場合はどうか。彼らの肉親達はほんの少数の例外を除いては運動そのものを不信し、さらにあるものは反革命の予備軍に加わる。百万言を費やしてみても、この流れをくいとめることはできない。無知でもなんでもない人民は、運動の堕落と頽廃を見抜くのである。

 「内ゲバ」の当事者達と直接関わりのない広汎な人民総体にとっても、事情は同じである。史上いかなる革命党派においても、「私闘の禁止」、論争における野蛮な行為の禁止は常識的な規律であり、それは人民に道徳的に尊敬されないような「指導者」は一日も存続し得ないというごくあたりまえの事情によっている。

 そして今日「新」左翼の「内ゲバ」は、人民に語るどんな内容ももたず、ただ嫌悪だけを誘いながら、あきもせずくりかえされている。そうしたときに国家は宣言する。「過激派は人殺しだ。彼らは国民の生活とはまったく無関係な自分の利益のためだけに闘争をやっているのだ。暴力団と少しもちがわない縄張り争いで殺し合いをやっているのがその証拠だ。彼らを刑務所に入れろ!」 人民はすこしも国家を信頼しているわけではないが、内ゲバの曲生息味なくりかえしは、彼らを国家の側に追いやるために役に立つ。そしてさらに「内ゲバ」は、ファシストのためにも道を掃き清めている。「過激派は殺せばよいのだ!!」という宣伝にとって、「過激派」どうしの殺し合いほど雄弁な説得材料はないではないか。「内ゲバ」が起るたびに心から喜び、拍手を送ってくれるのは、まちがいなく帝国主義者であり、国家であり、ファシストたちなのだ。

 「内ゲバ」は、「新」左翼諸派の人民的活動の領域をせばめる。それは当事者たる党派だけではなく、総体の支持を失わせる。そのことによって、大衆運動のなかでの党派闘争の展開がますます少なくなり、各派はいっそう「内ゲバ」にたよる。これは悪循環である。すでに学生運動は、典型的にこの悪循環のなかにはいっている。大学のキャンパスに登場するためにはゲバ棒を持っていかなければならないという状況が広くある。機動隊の壁をつき破るためではなく、対立的な諸派の攻撃から自衛し、打ち勝つためにである。学生大衆は、こういった武装集団の格闘が一通りすんだあとで、勝利者の手から、うやうやしくビラを受け取るのである。このような構造のなかから、どうやって生々とした大衆運動が創造されるであろうか。はげしい論争と、さまざまな試行錯誤を大胆に保障する運動の民主主義なしに、誤ちをおそれず自分の頭で考え、国家権力との戦闘に非妥協的に出陣できるエネルギーでみちた、未来の職業革命家たる多彩な活動家群をつくり出す大衆的学生運動が、どうして生まれるはずがあろうか。自らを人民から孤立させ、そのことによって国家権力とファシズムのこめに客観的に奉仕することこそ「内ゲバ」がもたらす本質的な損害なのである。

●「内ゲバ」の限界

 「内ゲバ」の損害のことばかり言っているが、とある諸君は言うかもしれない、「内ゲバ」のプラス面はどうなのだ、と。「内ゲバが反革命的な、日和見主義的な党派に打撃を与える一つの手段であることはみとめるべきではないか」こう主張する諸君がたぶんいるだろう。

 なるほど、それでは聞こう、「反革命的な、日和見的な党派」はなぜ発生したのか、それはその指導者・理論家たるA氏やB先生のおかげなのであるか。諸君の目ではそう見えるというのなら、われわれは「マルクス・レーニン」の眼鏡で視力を矯正するようにおすすめする。「マルクス・レーニン」の視点からは、「反革命的な、日和見的な党派」の存在の根拠が、すなわち思想の基礎たる諸階級の運動様式が見えるはずである。歴史と情勢に規定された人民の社会的な関係、この関係がつくり出す人民のさまざまな利害と意識のぶつかりあい、そしてこのぶつかりあいのなかで生産される政治的意識の諸々の体系化が、諸「党派」なのであって、その逆ではないのだ。

 もし諸君が、「反革命的な、日和見的な党派」を本当に退治したいと思うのなら、「反革命的で、日和見的な」政治意識の発生の根源である人民の保守的な運動を、「革命的で戦闘的な」人民の運動によって解体し、吸収する以外にはない。そしてそのためには「内ゲバ」は百害あって無益だ。この人民の保守主義が残存し運動をつづけるかぎり、諸君がいくつの「反革命的で、日和見的な党派」を退治しても、あとからいくらでもできあがるので、くたびれてたおれるのは諸君の方だ。

 「しかし、そういう大衆的な基礎をもった党派は別にして、なんの根拠もないただ反革命的で、日和見的な党派もあるのだ」とさらに諸君は言うだろうか。それではわれわれの答えはこうだ。どんな党派にもその人民的基礎があり、ぜんぜん幽霊的な党派にも、そういう幽霊が存在できるというのが人民の政治性の一つの表現なのだが、またもしそれほど人民と無縁な党派であるなら、なんの影響力も行使できないのであり、少なくとも「反革命的」にはなりえないのだから、そっとしておいて勝手に日和らせてやれば良いではないか。

 「しかし、党派は人民の政治性のたんなる反映ではなくそれを意識的に生産もするのだ。だから大衆運動そのものとは区別された党派闘争の領域が必要だ」と、また別の諸君がさけんでいる。よろしい、まことに結構だ、党派は人民の――階級闘争の結果であるとともに原因であり、産物であるとともに生産者なのだ。そこでどうなるか。党派は自分の望むとおりに階級を、人民を導くことができることになるか。そうはならない!「存在が意識を決める」のである。労働者階級が、被抑圧人民が、情勢と歴史に規定されて持っている革命的可能性、人民の表面的な生活の裏側に潜んでいる反帝国主義的な闘争への決起の可能性これを自覚させ、ひき出すこと、このまだ形をとっていない内容に形式を与えること、怒りを闘争に変えること、闘争を一つの革命に組織すること、これが党派の任務であり、できる最大限なのだ。「階級闘争の産物であり、生産者である」というのはこういうことだ。だから、階級から、人民の生活の現場から「独立」して党派の建設をおしすすめることなどできるわけがない。人民の政治運動、大衆運動からはなれたところで「党派闘争」を展開できる道理がない。

 「党派闘争を大衆運動と結合して展開するのは当然だ。だが内ゲバは、大衆にむけて、党派対立を鮮明にし、日和見主義的な党派の反革命性を弾劾することによって大衆を真に革命的な立場に獲得するための一手段なのだ」――これは「目的意識的」な「内ゲバ」主義者の主張である。

 だが、すこし注意深い人なら誰でも、反対のことがわかるはずである。「内ゲバ」は党派対立をあいまいにさせ、「党派の反革命性の弾劾」から大衆の目をそらしてしまうということを。大衆は逆に、物理的な格闘に眼をうぱわれ、誰が強いとか、どの党派がひどいとかそういった次元の判断しか得ることができない。それは別に大衆が無知だからではない。「内ゲバ」自体が、そういう内容しか表現しないからだ。対立を鮮明にさせるためなら十回の「内ゲバ」よりも一回の大衆的な討論集会の方が、日和見主義者の弾劾のためなら、百本のゲバ棒よりも十個の大衆的な自己批判要求決議の方が、はるかに有効ではなかろうか。「目的意識的」でありさえすればどんな手段でも使えるといったものではないのだ。手段は目的を内包しているのだ。包丁で釘を打つことはできず、金鎚で豆腐を切るわけにもいかない。「革命的暴力」は権力とそのおやとい人共にむけられるのであって、日和見主義的な大衆やその代弁者をおどかして革命的にさせる手段にはつかえないのだ。「目的意識」は目的にふさわしい手段を発見し、創り出すことにあるはずだ。結局この点でも、「内ゲバ」が何の役にも立たないことは自明ではないか?

 「自明ではないぞ!」とさけぶ声が「革マル派」の方角から聞こえてくる。「自らの破産がわれわれによってすでに完全にバクロされ、階級闘争の腐敗要因・障害以外のなにものでもないことがあきらかにされている堕落したセクトが、それにもかかわらず不潔な政治技術にたよって大衆運動や組織にしがみつこうなどとしている場合には、めざわりであるから、物理的につまみ出してやればよいのだ。ウジムシは棒でたたきつぶす以外にない!」

 だがわれわれは、冷ややかに笑って「革マル派の方角」にささやかな注意をうながそう。「バクロされ」「明らかにされ」たというのは誰にとってのことなのか、と。もし「革マル派の方角」にいる諸君達自身にとって、のことであるならば、諸君達の任務は、諸君達がいま到達したその「理解」を、大衆運動のなかで「バクロ」し、「あきらか」にすることである。またもしすでに大衆のなかで十分に「バクロ」され「あきらか」になり、大衆と諸君達が「理解」をともにしているのであれば、諸君達の任務は、運動によってのりこえられているそのような用済みのセクトにかかわりあうことをきっぱりとやめて、新しい任務にたずさわることである。いずれにしても「棒」は帝国主義者を「たたきつぶす」ためにしまっておくがよい。やることはほかにたくさんあるはずだ。

 「そうはいうけどな、裏切り分派をぶっとばさなければ腹がおさまらない。やつらをたたきのめすのはスカッとする。大衆運動は大衆運動でまじめにやればいいのだ」このほがらかな声はたぶん「ブンド」の方角からだろう。案外これが本音なのではなかろうか、とわれわれは考える。あんがいこういう軽い気持で、ブンド的「内ゲバ」は始まったのではあるまいか。

 だが、本当に「腹」をおさめ、「スカッ」とするのは、革命が勝利する時でいいではないか。そのときには全人民的に「スカッ」とするのだし、それが待てないようでは革命運動はつづかないぜ。それに、軽い気持ではじめたものでも、いまはもう他のことが考えられないほどにひどくなってしまい、大衆運動もできないほどだ。もうおしまいにしようや。そうわれわれは言って、「ブンドの方角」にいる諸君達の肩をやさしくたたきたい、と思うのである。

●「内ゲバ」の歴史的性格

 「内ゲバ」を最も系統的・徹底的に党内闘争―党派闘争に導入したのはスターリンであった。彼はロシア革命を担ったボルシュヴィキの一世代全体を、暗殺、処刑、強制収容所によって文字通りに殲滅した。これはスターリンの「政治反革命」―ソヴィエト政権の担い手を、一世代のボルシェヴィキ・カードルから、特権官僚層に置きかえる「奪権闘争」であった。

 スターリンの「奪権」が完成するまでには、長い党内分派闘争の期間があった。党がレーニン・トロツキーの指導下にあった内戦時代とそれに続く数年は、論争の質と深さにおいて、もっとも激しい分派闘争の時代であった。だが、大量の武装したプロレタリアートと農民が国中にあふれていたこの期間、分派闘争を暴力で解決するような思考方法は、レーニン・トロツキーとボルシェヴィキにとっておよそ思いつくこともできない卑怯で野蛮な下劣さの表現であった。一九二二年秋のジョルジア(TAMO2註:現代的表記では、「グルジア」か?)問題・そこではスターリン的「内ゲバ」が党内闘争でほんのささやかに、スターリンの忠実な部下オルジョニキーゼの「乱暴」という個人的な形ではじめて顔を見せたのだが―に対してレーニンが示した激怒は、オルジョニキーゼの除名、スターリンの書記長解任の提案として厳しく突き出され、やがて反官僚主義、反スターリンの「レーニン最後の闘い」の導火線ともなったのである。

 暴力による圧迫で論争を「かたづける」やり方は、ボルシェヴィキとは無縁であった。それはスターリンを頭目にいただく官僚達の特有の方法であった。官僚は論争を大衆からかくし、何が行なわれているかを知らせず、自らの真の政治的立場を大衆にただの一度も宣言することなく、「奪権」を成功させた。彼らは彼らの「奪潅闘争」を、純粋の「内ゲバ」として遂行しぬくことによってはじめて勝利を得たのである。あるいは逆に、彼ら自身が「内ゲバ」によってきたえられ、自らの官僚としての本質を自覚していったのだと言ってもよい。

 だがこの過程は、ロシア労働者国家が直面した深刻な危機を、ヨーロッパ革命として切り拓くことのできなかった世界プロレタリアートの未成熟――その集中的表現としてのヨーロッパ諸国の共産党の未成熟に助けられてはじめて可能であった。そしてこの点において、レーニン・トロツキーの党の時代的限界を見なければならない。だが、日本の歴史浅い「新」左翼達は、スターリンの秘密を「主体的」に解明しようとして、トロツキーの「弱さ」をあれこれと「発見」したつもりになり、得意がっている。「反帝・反スターリン主義戦略」なるものが、その一例である。この人達は、なぜトロツキーは、もっと「徹底的」にスターリンと、最初から闘わなかったのか、という「批判的気分」で共通している。たとえばスターリンがゲーペーウーをつかうなら、トロツキーも断乎としてこれに武力をも含めて対決すべきであったのだ、などと歴史を飛びこえて夢想するのである。なるほど今日の日本「新」左翼「内ゲバ」主義者が二〇~三〇年代のロシアにいたならば、さっそく「左翼ゲーペーウー」を組織して対抗しようとするだろう。ただそれはスターリンのゲーペーウーの一万分の一ほどの実力ももちえないにちがいないが。

 トロツキーとボルシェヴィキは、もちろんそうしなかった。彼らが不屈にやり続けたのは、党員に訴え、大衆に訴えることであった。スターリンは「内ゲバ」に訴え、トロツキーは原則的な党内闘争に訴えた。間に合うように大衆が組織される以前に、彼らは根こそぎにされ、殲滅された。

 トロツキーは正しかったか? 然り! 百度も然りだ! スターリンと官僚共は、ついにトロツキーとボルシェヴィキを、政治的に葬むり去ることができなかった。スターリニストは、自らの歴史的犯罪を正当化するどんなにささいな口実をも、トロツキーとボルシェヴィキからひき出すことはできなかった。彼らは暴露されていく自らの罪業におびえつづけて死ぬほかにはないのだ。

 だがトロツキーとボルシェヴィキの原則的党内闘争・党派闘争こそが、ロシア革命の神髄を防衛して今日の世界に伝え、ロシア労働者国家の防衛のために全世界人民・ロシア人民を最後の一線で支え、ボルシェヴィキ・レーニン主義の真の権威を守りぬいたのである。まさにこのような闘争を闘いぬいてはじめて、トロツキーと第四インターナショナルは、次のように呼びかける権利を得たのである。「党と国家は変質した。それはもはやプロレタリア前衛のものではない。それはすでに特権官僚に占拠されている。新しい共産党を組織せよ! 武器を手に、官僚を打倒せよ! 権力を奪還せよ!」 暴力は、この立場のもとでスターリニストにむけられる。だが、断じて「内ゲバ」などではなく、武装した大衆の権力闘争――政治革命として。

 「内ゲバ」は、党派闘争における特権官僚の手段である。特権官僚――それは運動の指導を物質的特権のために掌握する者達である。大衆的エネルギーの後退と、運動の基盤の後進性、そして運動の停滞=中間的固定化がそれを生み出す。危機を大衆の革命的創意に依拠して突破する立場を採ることのできない労働者運動の官僚指導部が、大衆の革命的批判を予防し、反対派をあらかじめ鎮圧するために、労働者民主主義を圧殺し、反対派的批判的傾向を暴力で抑圧する――これが、単純な個人的暴力とは区別された、手段としての「内ゲバ」の歴史的性格である。レーニンがオルジョニキーゼの個人的「乱暴」を見すごしにせず、厳罰をもってのぞむべきだとしたのは、スターリンの官僚主義的指導と結びついて「偶発」したこの行為が、やがてその歴史的本質を体系的に展開するに到る危険を革命家の直感で察知したからにちがいないのだ。 われわれもまた、このようなきびしさをもつのに、もちすぎるということはない情勢にいる。

●「内ゲバ」を正当化する理論

 「内ゲバ」を正当化する理論的根拠は、つねに社会ファシズム論である。社会ファシズム論――革命かファシズムかの息づまるような選択をつきつけられた三〇年代ドイツの最初の二~三年間の危機に劇的な形で示されたスターリン主義の裏切りの路線、大衆の革命的エネルギーをまったく信頼せず、官僚的命令とセクト主義的最後通謀をもって、統一戦線とソヴィエト権力にむけた真の党派闘争に置きかえる「社会ファシズム論」は、世界プロレタリア革命にたいする体系的不信の理論化たる「一国社会主義論」の極「左」的革命戦略論として登場した。そしてこの大衆の革命的エネルギーへの官僚的不信が、プロレタリアートの独自の権力闘争が日程に上るときには、ブルジョアジーへの屈服を強いる「人民戦線論」として右翼的に転化する。すなわち「社会ファシズム論」は「人民戦線論」と同根の裏返しにすぎず、「一国社会主義」の戦略論にほかならない。究極のところそれらはただ、特権官僚の利益にだけ奉仕する。

 一国平和主義の空気を吸って育ち、スターリン主義との闘争で深く「相互浸透」してしまった日本「新」左翼は、彼ら自身決して「物質的特権」にありついたわけでは未だないのに、その発想と体質はあまりに深く官僚的であり、その思想は本質的に一国平和主義である。彼らの一国主義は、本物の革命とはどういうものであるかを豊かに見せつづけてくれるアジア人民の闘いに、彼らの眼が開かれることをかたくなに拒んでいる。そして彼らは、自分のせまい四つの島の中で、頭の中で考えられる最高に革命的な姿に似せてみようとする。だがそれはせいぜい、五〇年代の日共――最悪の極「左」冒険主義でしかない。かくて彼ら「新」左翼は、統一戦線といえばべったり追随すること、党派闘争といえば「内ゲバ」のことというように、スターリニズムの政治路線を忠実にひきついでいる。「名誉」なことに日本「新」左翼は、この十年来、「社会ファシズム論」を綱領そのものにまつりあげた党派まで持っている。「反帝・反スターリン主義」の諸党派がそれである。

 「社会ファシズム論」が、どれほど馬鹿らしい理論なのか、トロツキーに聞いてみよう。(※注意)「ある牛売りが、牛を屠殺場へ連れていった。屠殺者がナイフをもってやってきた。『隊を組んで、おれたちの角でこの屠殺者をつき刺してやろうじやないか』と一頭の牛が提案した。 『しかし、おれたちを棍棒でなぐりながらここに連れてくる牛売りより、この屠殺者の方が、いったいどうして悪いのか?』と、マヌイルスキーの寄宿舎で政治教育を受けた他の牛が答えた。『いや、牛売りの方は、あとでかたをつけられる』 『だめだ』と、原則を守ろうとする牛たちは答えた。『おまえは左の方から敵をかばっている。おまえ自身が社会的屠殺者だ!」 こうして牛たちは、隊を組むのを拒んだ」 (「次は何か」より)

 これは三〇年代のドイツの話であった。今日の日本「新」左翼では事情は少し違っている。牛たちは、自分を屠殺場に連れていくのが他の牛だと思っている。そこで牛たちは、おたがいに猛烈な突き合いをはじめる。屠殺者がやってきて、うれしげにつぶやく。「ナイフは、つかわなくても済みそうだな……。」

 革マル派は、日本「新」左翼「内ゲバ」主義の創始者である。いま彼らは、「ブクロ派」の「最後的絶滅」を呼号している。「解放」新年号によるとこの党派闘争は、「党派闘争の向自的形態」であって「大衆運動の組織化に従属した党派的闘い」ではなく、「わが同盟がブクロ派組織そのものに直接対決し、それを解体する」のだそうである。そのためには、「とりわけ狂乱化しているブクロ派などとの関係においては……特殊的組織戦術の貫徹、なかんずく一定時点における的確な暴力の行使は効果的な一手段(大目的=ブクロ派解体=にとっては一補助手段)となりうる。」というのである。

 さてそれでは、なぜ「的確な暴力の行使」が効果的なのか、というとそれは書いてないのである。諸君の常識に待つということか。あるいは「とりわけ狂乱化している」というあたりで、説明したつもりなのであろうか。そもそも革マル派が、なぜ「内ゲバ」 が効果的なのか、といった説明をやったことは一度もないのである。彼らは彼らの「内ゲバ」が「目的意識的」であるとか、目的と手段の関係がどうだとか、そういう論理のこねまわしで、この説明の代りになると思っているのだ。

 彼らは党派の、活動家の存在をその思想、理論によっておしはかる「理論主義」派である。だがその「理論」の「絶滅」のためには党派・活動家の肉体を攻撃するのである。みごとにさかさまだ。それで十年間やってきたのである。革マル派のおかげで健康な肉体を奪われた青年達は、どれほど多いか想像できないほどだ。だが、革マル派のおかげで、この地上から姿を消した思想などは、ひとつもないのである。党派にしても、革マル派のおかげでつぶされた党派などひとつもありはしない。「新」左翼諸派が、自らの破産で自らつぶれていっているおかげで、革マル派が若干拾いものをしたということはありうるが。

 革マル派にとっても「内ゲバ」は一度も効果的であったためしはないのだ。だからすこしも目的意識的ではない。ところが彼らは、彼らの「暴力の行使」は、きわめて目的意識的な革命的暴力だ、と主張している。 「いかなる組織が、いかなるものにたいして、なんのために、どのように、いかなる条件のもとで暴力を行使するか、というように問題をたて、かつ実現する」――これが目的意識的なのだそうである。小学校の教科書に、新聞記事の書き方は、五W一Hでやらねばならぬ、と書いてあるのを覚えているだろうか。「いつ、誰が、なにを、なんのために、どこで、どのように」――これが五W一Hである。大体革マル派の諸君の目的意識性と似てはいないだろうか。この程度のことをはっきりさせることが目的意識性の貫徹だというのであれば、人々は、朝から夜まですべて目的意識にみちているというべきだろう。

 レーニン主義の目的意識性とはこういう水準ではない。プロレタリア大衆の自然発生的意識の内側にひそむ革命的エネルギーと政治性を、どのようにしてひき出し、自覚した政治闘争へ、権力にむけた闘いへ組織するのか、これが党の目的意識性の核心であり、すべての行動が、この目的意識の実現としてつらぬかれているかどうかが問われるのである。このことになんの効果もないような「目的意識的行動」なるものは、ただ形だけの、論理だけの「目的意識性」 にすぎない。それとも「大衆運動の組織化に従属しない」「党派闘争の向目的形態」に熱中できるような党派にとっては、レーニン主義とは全く無縁な、こういう形式的目的意識性を満たすことこそが、彼らの「目的」そのものなのであろうか。

 中核派の諸君は、革マル派を反革命そのものだとし、K=K連合。(機動隊=革マル連合)粉砕を通じて七〇年代闘争の内乱的発展をかちとると主張している。この立場によれば、革マル派との武闘は「内ゲバ」ではないのであって、権力との対決の一環だということになる。われわれは中核派との統一戦線―統一闘争を断固として追求してきたし、今日においてもそうである点にかわりはない。なぜなら日本人民の反帝的な急進主義をもっとも強く代表して来たのが、ほかならぬ中核派であったし、多くの「新」左翼諸派が、弾圧の激化のなかで、急進的な反帝闘争の戦線から召還してしまった今日でもいぜんとしてその事情は変ってはいないからである。

 それにもかかわらず、K=K連合粉砕路線は、われわれの絶対に支持し得ない点である。むしろ、この路線のもとで突き進むならば、中核派が相対的に領導して来た日本人民の急進的な政治意識と闘争から、最終的に離反をまねくであろうことを、われわれは強く忠告すべきであると考えている。

 なぜか?
 第一に、革マル派は反革命ではない。革マル派は、一つの日和見主義的でセクト的な政治傾向である。彼らは独自の理論体系をもっており、その忠実な実現のため日々を闘争している。革マル派との党派闘争は、われわれが前進していて彼らが介入しえない大衆闘争の戦線とその経験を武器とし、彼らが強力でわれわれが立ち遅れている大衆運動の分野のなかに、どのようにして原則的に介入できるのかを真剣に考えることからはじめられなければならないのだ。

 第二に、革マル派と国家権力とは結合してはいない。国家権力が革マル派の「穏健さ」に期待をかけるということはありうるし、そのために情報をながす等々ということもあるかもしれない。だがそれはせいぜい、国家が党派対立を利用するということであり、そのことに無自覚な党派が無原則的な党派闘争をしかけている、というにすぎない。革マル派といえども用済みになれば無慈悲な弾圧の対象になる以外にはないのである。

 第三に、K=K連合粉砕路線では、人民の政治的要求の実現とその革命化のためにたたかう前衛の責務を果すことができない。人民と国家権力の全国的対決の焦点に前衛としての任務を引き受け、果し切ること、こうしたことの成果としての人民的影響力の拡大が、機動隊との直接の対決の場合にも革マル派との党派闘争のためにも最大の武器となるのである。

 最後に、中核派と革マル派の今日の連続的武闘は、「内ゲバ」であるということ、だから革マル派との対決を大衆運動に優先させることは、必然的に大衆に対する官僚的最後通謀であって、孤立を招かざるを得ない。中核派の諸君は、自らが今日までに展開してきた「内ゲバ」主義の思想的自己批判を深めるべきであり、そのことによってはじめて、革マル派の無原則的な「内ゲバ」攻撃を大衆的に撃退する原点を獲得しうるのである。

 解放派=革命的労働者協会は、その機関紙「解放」八七号に論文を発表し、「内ゲバ」と党派闘争に関する見解を表明している。「党派闘争は、全大衆の前に帝国主義への如何なる闘いをめぐってなのかを明らかにし、全大衆自身の問題の発展として闘う事を明らかにする。」「彼ら(中核派)は全く無原則的に『殺せ』などという事を指導部が平気で口にする。……それは彼等が、革マル派と同じように、一人の人間を『イデオロギーを荷負って歩いている人形』としてしか扱わないからなのだ。別の形で言えば一人一人の人民の矛盾を、社会の根本的矛盾の中にしっかりと位置付けきっていないからなのだ。要するに、血と肉をもった一人一人のかけがえのない人間としてみていないからなのだ。」「レーニンの活動をその革命的リアリズムを、『勝利のためには手段を選ばない』というふうに理解するのは、全く馬鹿げた事だ。レーニンほど当時のマルクス主義の中で、一つ一つの問題に原則を貫こうとして苦闘した人間はいない。」「我々の党派闘争は……まさに階級的真実と、階級闘争を明らかにし、推進する形で、従って目からの一切の活動は、そのプロレタリア大衆の目に顕証される形を促進しつつ行なう。」

 以上の引用は、解放派の「内ゲバ」についての多分に自己批判的な(彼らはそうは認めないかもしれないが)一定の鮮明さをもった見解の表明と受けとってよいのではなかろうか。労働者民主々義と原則的な党派闘争への復帰、「内ゲバ」主義からの袂別をふくんでいる限りにおいて、われわれはこの見解を支持する。そして諸君は、隊友反戦の活動家に加えたリンチのことも「総括」してほしいものである。あれが「全大衆の前に帝国主義への如何なる闘いをめぐって」だったのかどうかを……。

●われわれの立場

 われわれはいかなる場合にせよ「内ゲバ」に反対する。
 第一の理由は、暴力の本性に根ざしている。暴力は徹底的に強制の手段であり、プロレタリア階級を革命に組織する手段は、どんな意味でも「強制」ではありえない。労働者階級の暴力は、厳格に敵階級にむかって、ただ帝国主義支配階級とその権力にむかってだけ行使されなければならない。それゆえ党派闘争もまた、労働者民主々義の擁護・発展と不可分である。「内ゲバ」は、労働者民主々義への敵対であり、前衛たらんとする者がせっせと自分の墓穴を掘る行為なのだ。

 第二には、階級的暴力が、階級内部の腐敗分子の処断と、これまで階級内部の党派として存在してきたものの打倒の手段に使われるような局面が到来することは必然的である。それは公然たる内乱・権力闘争の局面であり、この時には、それらの暴力の行使は、「内ゲバ」としてではなく、権力につこうとする階級の大衆的決定にもとづく、革命の軍事活動として展開されるのである。「内ゲバ」は革命の軍事を、セクトの利己的な暴力と混同する反動的な役割を果すのである。

 第三に、「内ゲバ」にわれわれが暴力的に対抗する場合は、一点自衛のためであり、それもせまい党派利害の自衛ではなく、大衆闘争の労働者民主々義の自衛のたたかいとしてである。

 これがわれわれの原則的立場であり、マルクス・レーニン主義の原則的立場である。だが、現実の日本「新」左翼運動のこの点における無原則性は、あまりにも深く、日常化している。彼等の「官僚の政治学」に毒された頭脳のなかに、こうした原則的主張を貫徹させるのは、なみたいていのことではないように見える。イデオロギー批判の活動を通じるだけでは、彼らがすでにはまり込み身動きのとれなくなってしまっている底無しの泥沼から救い出すことは、たしかに不可能に近い。

 新しい大衆運動の高揚が「新」左翼運動の堂々めぐりする「内ゲバ」の世界を外からぶちこわし、彼らの消耗した眼を大衆へ、人民へ、国家権力へむけ直すように強制するだろう。この新しい大衆運動は学生運動の分野だけからではつくれない。日本「新」左翼が頭をぶつけ、頭のほうがこわれてしまった壁は、学生運動が孤立して対決した国家の壁であった。深くアジアの人民、極東の人民の一部分となるべく組織された、日本の全人民的な反帝国主義闘争の爆発を見るまでは、彼らの疲れきった小さな心臓に、豊かなエネルギーと包容力は再生しないのである。

 「内ゲバ」主義一般の克服は、永久的世界革命の勝利に負っている。なぜなら、「内ゲバ」主義の克服とは、特権官僚と官僚主義打倒の闘いの一翼に他ならないのである。官僚と官僚主義が結局永久革命の過程における労働者運動のはれものにすぎないと同様に、「内ゲバ」主義もまた、労働者運動の健康な発展によってのみ根治することのできるはれもののうみである。そしてこの観点からみれば、スターリニストの全世界的な、執拗な迫害を生きのび、六〇年代後半以降全世界の反帝闘争の中で確実に推進力としてはたらきはじめたトロツキズム=第四インターナショナルの存在こそ、「内ゲバ」主義の限界と究極的な無効性を実証しているではないか。今日東欧諸国はもとより、ソ連労働者国家内部にもトロツキーの復権が、着実に前進する反官僚闘争がはじまっているのだ。
 労働者・青年諸君!
 一番遠い道は自分自身の堕落につながる道だ。
 われわれは近い道を堂々と通って、革命に挑戦しつづけようではないか。

          「世界革命」紙一九七二年三月一日第二六三号所収


※赤色土竜党よりの注意 この論文を含む内ゲバ関係緒論文には明かに差別的な表現がみられます。上記論文が引用するトロツキー「社会ファシズム論」にも屠業労働者に対する偏見を助長させるような表現があります。これらは差別に対する当時までの第四インター派の限界であったと認められますが、歴史的政治文書として、修正することなくここに掲載します。



「革命的暴力と内部ゲバルト」――プロレタリア民主主義の創造をめざして――

連合赤軍とわれわれの立場

 テロリズムに反対し、人民による自衛隊兵士の獲得にむかって前進しよう

●連合赤軍とわれわれの立場

 連合赤軍の内ゲバ殺人事件、森、永田、吉野らによって主導された残虐な内ゲバのために、今日までに明らかにされたところによれば十四人の死者が出た。山田、寺岡らをはじめとする、これら今は語るべき言葉も肉体も失ってしまった戦士達にたいして、われわれ第四インターナショナル日本支部は心からの哀悼の意を表明する。彼らはもはや“誤りを改める”ことも出来ない。人民のたたかいのなかで、彼らが短い間に深くおちていってしまっていた安直なテロリズムの幻想から醒め、プロレタリア・人民の大衆闘争の鉄火で自らの思想と精神をきたえ直し、真実の革命戦士へと生まれ変わることは出来ない。

 われわれはかってのべた。 革命に向う「一番近い道は原則の道」であり、「一番遠い道は自分自身の堕落につながる道」であると。(本紙二月二一日号「日本『新』左翼『内部ゲバルト主義』は『官僚の政治学』への堕落である」)

 彼ら十四人の死者達は、たしかにもっとも遠いところへ行ってしまったし、このことは、今権力の手中に逃げ込んだ生き残りの連合赤軍活動家の場合にも同じことである。人民の革命の世界、輝やかしい世界永久革命の世界は、もはや彼らの手のとどかないところにある。しかもそれは、主要に、彼らが自らはまり込んでいった、革命運動史上類例をみない程みじめな堕落の、閉じられた泥沼の世界からついに這い上る能力をもたなかった故である。死者達もまた自らの死に責任があるのだ。

 われわれはいっそう心をこめて死者達の両親、家族、恋人達にむかってこの哀悼を表明する。たたかいの犠牲者は、つねに必ずしも権力の銃弾に倒れるとはかぎらない。国家と人民のきびしく緊張した対決関係のなかでは、弱い精神が薄弱な政治性にしか支えられていないときには、自壊することによって闘争の生活を中断してしまう。このようにして倒れたもの達もまた、本質的には権力による犠牲者である。だから彼らの果されなかった目的と怒りを受けつぎ、真に有効で、革命的な手段によって最後の結論にまで突き進むことは、彼らの自壊をのりこえるわれわれの責務である。

 連合赤軍の内ゲバ殺人は、この意味では悲劇である。日本「新」左翼の総体にとって、これは他人事ではない。自らの運動や思想のこれまで見て見ぬふりをし、深く考えることを放棄してきた、最も腐敗した体質を、この事実はするどくえぐり出して見せた。 われわれはこの悲劇を嘲笑しない。自らの思想は、こうした連合赤軍の小ブル急進主義とは無縁であり、連合赤軍のような愚はおかさない、われわれには“思想”があるから、内ゲバをやる場合にももっとうまくやる、などとうそぶいている党派、こういう党派をこそわれわれは、腹の底から嘲笑するであろう。

 革マル派は、あさま山荘“銃撃戦”の直後、これは“武装蜂起主義者の末路である”と居丈高な記者会見を行なった。中核派もまた同じようなものであると、ブルジョア世論に告発までしてみせた。彼らはこういったのだ。連合赤軍だけではないぞ、中核派もだぞ、と。誰にたいしての告発だったのだろうか。ブルジョア・マスコミを通じる告発は、ブルジョア世論とブルジョア国家権力にたいする弾圧要請以外のものでありうるだろうか。ここでもまた革マル派は、原則的な党派闘争を放棄した。

 だがこのことは必然である。内ゲバ主義者が最後にたどりつくものは、国家権力の介入への要請であり、もう一方では連合赤軍のように、内ゲバを殺人にまでレベルアップすることである。そしてこの二つのことがらは同じものである。内ゲバ殺人は、党派が国家権力を代行することである。原則的党派闘争の放棄――それは実は、党派闘争そのものを放棄することなのである。

 革マル派の諸君は、連合赤軍内ゲバ殺人の事実を直視するが良い。続々と堀り出されてきた残虐な遺体、彼らを恐怖と狂気のうちに死に追いやった苦痛、そして今獄中にある生き残りのものたちが一瞬も平安のなかにいることを許さない悔恨の懊悩、いかなる拷問にもまさる自責の地獄を思い見るが良い。これがすべての内ゲバ主義者の末路だ。これが諸君がスターリンから受けつぎ、日本共産党から“学んだ”内ゲバ主義の結論なのだ。諸君はこれでもまだ真実の自己批判を、避けようとするのか。

 「この『銃』の物神化と内部におけるリンチ・殺人。『反帝反スタ哲学』の物神化とその内部ゲバルト主義――このそれぞれにおいて両者は切っても切れない必然的な一体性をもっている」(「声明・連合赤軍について」本紙三月二一日号)。われわれは、同じ穴の反対の入口から顔をのぞかせて自分の尻を嘲笑する革マル派のような立場に対して絶縁する必要があるだけではなく、連合赤軍のあさま山荘“銃撃戦”をふもとの方から仰ぎ見て、はるかな“羨望・憧憬の念”(最首悟、日本読書新聞三月十三日号)をひけらかしている自己否定派ノンセクト主義者の立場とも、絶対に無縁である。

 諸君は一体、あさま山荘に立てこもった連合赤軍が、なにひとつとして自らの政治的主張を提起せず、人民に訴える大義を示さず、ただまちがったハンターのようにしかふるまわなかったことが、実は絶対的逃避行(それは人民的闘争からの逃避行にすぎない)の終局に他ならなかったことに、すこしも気づかなかったのか。それ程に諸君自身の感性が、人民の生活し闘争する世界から遠くへだたってしまっているのか。

 銃は何も語らないのだ。銃を通じて語るのは、自らの意志を最後の二者択一にしぼりあげた、銃を手にする人民自身なのだ。金嬉老氏の銃は語った。彼は実に多くのことを、日本と朝鮮の歴史の本質を、もっとも凝縮した形で語ったのだ。彼が銃を通じて真実を語り日本人民の全てに訴えた時、責任を問われるべきであったのは、同じ言葉を彼と同じ立場で語ることができない日本人民、いぜんとして極東帝国主義がつくりあげて来た抑圧・差別の構造のうえに、一国的繁栄の安逸をむさぼっている日本人民の総体であった。東京タワーに決起した富村順一氏が手にしたナイフもまた多くの真実を語った。彼は本土と沖縄の真実を明らかにした。

 だが、連合赤軍の銃は、どれ程多くの弾丸を発射したとしても、何も語らなかった。いやむしろ、国家権力に語らせた。連合赤軍に代って国家が語ったのである。今回の事件ほどに“国民”の支持と激励が警視庁に寄せられたことはかってなかったという。だから連合赤軍が、たとえ主観的であるにせよ、革命と人民の解放をめざしていたのであるなら、彼らの銃は彼ら自身を否定したのである。ここに、およそ自己否定派ノンセクトが、彼らの“憧憬の念”を禁じえない根拠がある。なるほど、最首悟氏ら自己否定のチャンピオン達も、いつの日か、銃を手に入れて自分自身の純粋な否定を語りえたならば、本望というものであろう。

 だがわれわれの方には、諸君に提案するもっと良い自己否定法が用意してある。象牙の塔たる東大――およそ日本人民の下層の大衆を抑圧し管理する技術と監督と官僚をしか生まず、そこで開発される学問の成果が、ことごとく帝国主義日本のアジア人民への敵対の武器にしかならないような帝国主義大学の内部で、いつまで諸君はシコシコと偽りの作業を続けるのか、諸君の外部には、闘争し、闘おうとし、闘争し続けようとする下層人民の世界が、国境を超えて広がっているのだ。帝国主義者から餌をもらうのはすぐにやめよ。諸君らは結局、待遇に不満をもらして吠えている番犬達だ。外に出よ。本質的に帝国主義の“知的”中枢たる東大のような機構は、人民と共に外から破壊すれば良いのだ。それだけが今のところ不平をもらす番犬にすぎない諸君達の、いますぐにでも出来る自己否定のやり方だ。

 だが諸君にはその勇気がない。だから諸君は、玉砕を夢見る。夢見るだけなのだ。そしてあさま山荘“銃撃戦”につづいて、内ゲバ殺人の事実が明るみに出て、冷い風が吹きはじめると、諸君はもとの常識面にもどって沈黙を守る。まったく、自己否定とは自己保身の偽装にすぎないのだということが、こうして天下に明らかになる。

 われわれは、諸君の世界とは、きっぱりと無縁である。連合赤軍の事件は、完全にひとつながりである。彼らが真岡市で猟銃店を襲い、銀行を収奪し、綱領を不問にして“軍”の野合を遂げ、山岳アジトに逃げ込み、仲間を殺し、あさま山荘“銃撃戦”を展開し、逮捕され、権力に屈服して自供するに到るこの過程全部がひとつながりである。この中のどれかを支持し、どれかを支持しないなどということは、はじめから成りたたないのだ。

 人民と党、歴史と綱領、大衆闘争と革命のための、ねばり強くラディカルな追求を、ほんの一合目ものぼり切らないうちにあきらめて、自分自身の恐怖に追いつめられ、人民的闘争の世界――この唯一の革命の世界から逃避して、自らと権力の非生産的な“闘争”で生命を消耗させた彼らの、大衆と自分自身に対する小児病的な不信は、日本「新」左翼運動の今日の水準の冷酷な表現である。この悲劇にたいしては、したがって日本「新」左翼のすべてが責任を分ち持たねばならず、とりわけ、わが同盟は日本急進主義大衆運動の先頭に立ちつづけ、しかもその小児病的水準からの脱却を最も強く自覚し意図してきただけに、こうした堕落の傾向との闘いをするどくやりぬくうえで、力およばなかったことをもっともきびしく批判されなければならない。

 損害は重大である。このことについては、前号の声明ですでにのべているが、日本階級闘争の革命的潮流にとっては、平静な時代には十年かかってもとりかえすことができないほどの深刻な打撃が加えられたのである。権力から受ける打撃よりも、自分の内部から発生する腐敗によって、いっそう深い打撃を革命は受けるのだ。

 損害を軽視することはできない。ブンドの諸派や連合赤軍の残存活動家、そしてその他の諸派はこの厳しい損害に気づく能力をもってはいない。だがわれわれは自覚していなければならない。そして極東・アジア人民の闘争の発展にどこまでも依拠して、この打撃をとり返さねばならない。

 人民の闘争は、連合赤軍の事件にもかかわらず、いっそうするどく大胆に発展するだろう。むしろそれらは、ますます自主的で、ラディカルな形態を自ら創りあげていくであろう。このことに関してはいかなる悲観主義も不必要である。だが問題は、闘争の総体にではなく、その前衛にとって深刻なのである。大衆の“新”左翼に対する不信と警戒が強まり、前衛的諸党派と人民的闘争のきってもきれない関係をきずきあげることの困難が増すであろう。

 それ故われわれは、連合赤軍の悲劇から、どれだけ多くの教訓をわが日本「新」左翼諸党派と活動家が学びとり、自らの闘いの迷い込んではならない袋小路を避けて通る標識にし得るかを、徹底的に明らかにし、討論し、血と肉にしなければならないのである。死者達にたいするわれわれのとむらいは、そのようにしてなされるであろう。これだけが、彼らの二重に“非業”な死を無駄にしないための努力であるだろう。“銃撃戦支持”などと浮かれているもの達こそ、今はすでに犠牲者の墓標の群に加わった十四名の戦士達を、冒涜しているのである。

 生き残り、権力の手中にある連合赤軍の活動家達にたいしては、われわれのとるべき態度は次のようである。彼ら全員は、国家にたいしては無罪である。国家と人民との関係の中で、彼らが有罪であるとすれば人民に対してである。国家は彼らを裁くいかなる権利も持たない。国家は十四名の死者を、“厄介払いができた”と喜んでいることはあっても、悲しんでいるわけではない。ある警察官僚は、“自業自得さ”と吐きすてた。この点では表彰したいほどなのだ。そしてまたそのゆえに、彼らは人民にたいして有罪なのである。

 国家が裁き、有罪を宣する真の意図は、“過激派”総体に政治的打撃を加えるためであり、部分的には、死傷した権力の身内の復讐のためである。だから彼らは、国家の法廷では絶対に無罪であり、むしろこの悲劇の客観的・本質的な原因であり、加害者たる国家権力こそが有罪なのである。

 だが、他方人民の法廷においては、彼らは有罪である。彼らのうち、多くのものにとっては、深刻な誤りとして自らの力と人民の闘争の支援によって克服する道が開かれなければならない。だが、指導部に関しては、この“闘争”総体を企画し、指導し、実践させた中枢的指導部に関しては、問題はすでに“誤り”の領域をこえ、犯罪の水準にある。彼らは、階級闘争と革命にたいして犯罪をおかしたのである。十四名の若き戦士と、今獄中にある多くの戦士を、意識的に殺戮し、権力に売り渡し、そして革命的潮流の総体を決定的に傷つけた。これは階級闘争史上に残る犯罪であり、権力をとったプロレタリアートにたいしておこなわれたスターリニストの犯罪に比すべき、権力奪取にむかってまさに闘いつつあるプロレタリア・人民の内部でその団結を破壊した重大な犯罪である。

 われわれはこの犯罪は、“誤り”は誤りとして卒直に認め、克服する、などとすませる程度のものではないと主張する。彼らは権力をとった人民、権力組織をつくりあげた人民によって改めて裁かれ、罰せられなければならない。したがってわれわれのとるべき態度は、第一に、彼ら連合赤軍の活動家全員を奪還することであり、第二に、彼ら総体にたいして人民にむけた自己批判を要求することであり、第三に、その意識的指導部にたいしては、権力樹立のもとでの人民裁判において、改めて有罪が宣せられなければならないのである。

 もちろん今日の階級闘争の力関係のもとでは、以上の立場は、文字通りに実現できない。だが、以上の原則は、連合赤軍の最後の一人が権力とのたたかいを望むかぎり続けられなければならない法廷闘争に参加する全ての人々によって、確認され、記憶されなければならない原則である。

 われわれはこの原則のもとでのみ、救援闘争に参加する。救援闘争は容易ではない。だがわれわれは流れに抗さねばならない。そして流れに抗するもののためには、しっかりした足場が必要なのだ。この問題に関する全ての真実と見解を、闘争する人民に知らせ、討論し、理解を獲得しよう。まずこの任務を果すことから、われわれははじめなければならない。

 最後に、この問題はすべて、赤軍派ならびに京浜安保共闘の組織の責任に属することをわれわれは主張する。この二党派にとって、かれらが引続き階級闘争に参加しようとするのであれば、党派としての根底的な自己批判が、全人民にたいして提出されなければならない。連合赤軍の指導部のおかした犯罪は、この二党派の綱領的路線の帰結である。だから自己批判は、綱領的自己批判でなければならない。そしてそれがなし得ないのであれば、諸君はよろしく自らの組織を葬むるべきである。この点についてあいまいな態度をとるいかなる党派をも、人民は再び闘争の戦線に迎え入れようとはしないであろう。

●連合赤軍の逃避行

 連合赤軍の無数の誤りの根元は彼らが現に行なってきた逃避行を“戦争”=軍事的行為であると思いちがえたことにあった。この誤解にもとづけば、彼らの集団は“軍隊”であり、彼らはその兵士であることになる。そこで彼らは、内部の規律は命令と服従の二つの規範で構成される軍律であると考えた。なにしろ軍律なのだ! 死刑があってあたり前ではないか。どんな罪が死刑に値いするか。敵前逃亡、敵に対する内通の恐れ、命令の不充分な遂行、同志にたいするブルジョア的あまえ、その他……。敵と対特する軍隊であるからには、自由分散的な政治討論をやっている暇はない。ただ理解することが重要。指導部の提起した理論の水準が多少低くとも、それはしかたがない。なにしろ戦争なのだから……。

 だが本当にそれは“戦争”だったのだろうか。彼らは本当に“軍隊”だったのだろうか。戦争は国家の政治の一分野であり、国民の政治的行為であることを明らかにしたのは、もう百五十年前のクラウゼヴィッツ将軍にはじまる。戦争は異なった手段をもってする政治の継続である、と彼は言った。だが誤解してはならない。彼の言った政治とは、諸党派の政治活動一般などを指してはいない。それは国家の行為としての政治であり、まったく厳密にそうである。このことは革命の立場においても受け入れられて来た。クラウゼヴィッツのブルジョア国家が、プロレタリア独裁の権力へ、ブルジョア国家の国民が、権力をになうべきプロレタリア・人民へと置きかえられたうえで……。

 権力をめぐる闘争、敵権力を打倒し自己の権力を樹立することなしに、“戦争”を行なうことはできない。内戦であれ外戦であれ、同じことである。武装蜂起に関しても問題は同じである。合法・非合法の二重権力状況、したがってプロレタリア・人民の権力機関をつくることなしには、武装蜂起を準備し、組織することができない。これは革命史の第一番の教訓である。

 連合赤軍の“国家”はどこにあったか、その“国民”はどこにいたか。どこにもなかった。これでは“戦争”にも“武装蜂起”にもなり得ようはずがない。ゲリラ戦なら連合赤軍にも出来たのであろうか。だがゲリラ戦もまた戦争の一領域である。ゲリラ戦にとってもその主体、国家と国民が、とりわけ国民が必要なのである。ゲリラ戦=不正規兵の戦闘方式は、国民総武装=国民総戦闘の一形式である。

 党が武装することはある。ヨーロッパの革命的情勢の中で、大衆の武装にさきがけた党の公然、非公然の武装は幾度も立ちあらわれた。だがそれは、党の公然たる政治的活動、大衆運動をブルジョアジーと国家の傭兵による襲撃、ファシストの私兵の闘争破壊から自衛するための手段であった。党が、党の自衛組織をもって、国家権力の直接の打倒を企てたり、まして“戦争”を遂行しようなどという“理論”が、マルクス主義の陣営でまじめに議論された歴史はないのである。

 それは何故か。 敗北するからである。勝利が絶対に不可能だからである。戦争は敵を殲滅することであって、それ以下ではない。戦争を宣言することは、敵を殲滅し得なければ自らが殲滅されることを覚悟することである。二重権力と人民の武装、敵軍事力の解体なしに、党の自衛組織だけで国家権力を打倒できるなどという夢想が、マルクス主義者にまじめにとり上げられたことがなかったのは、この故である。

 われわれはこれらのことを、毛沢東を例にして説明することができる。毛沢東は言う。「共産党員の一人ひとりが『鉄砲から政権がうまれる』という真理を理解すべきである。」 同時にまた言う。「革命戦争は大衆の戦争であり戦争をするには大衆を動員する以外になく、戦争をするには大衆に依拠する以外にない。」 連合赤軍の諸君が意図した“戦争”、“武装蜂起”は、国家=権力の問題も、国民=人民大衆の問題も不在なのであり、したがって戦争でも、武装蜂起でもなかったのである。

 それ故もちろん、彼らの集団が自らに課した“軍律”なるものもまったく意味を失ってしまった。戦争する兵士なのだからと思い込んで自らに納得せしめて来たきびしい“軍律”が、あとからあとからくずれていき、それを立て直すためにいっそう陰惨な報復手段に頼るようになったのも、彼らの運動の前提があまりにも非現実的であることに、彼らの意識の半分ではいつも気づかざるを得なかったために他ならない。
 この問題に関しても毛沢東の言葉を聞こう。

 「あらゆる軍事行動の指導原則は、できるかぎり自己の力を保存し、敵の力を消滅するという基本原則に基づいている。」 連合赤軍の“軍律”は、敵の力を少しも損わないで、自己の力をできるかぎり消滅させたのであった。これはもはや、目的意識的な軍事行動であるとは言い得ない。

 それでは一体、連合赤軍の行動は全体として何だったのであろうか。 答えは明白である。彼らが戦争とか、蜂起とかの言葉で意図したのは、単なる個人的テロルであり、彼らの思想はテロリズムにすぎなかったのである。

 テロリズムであるが故に、彼らは大衆を必要としなかったのであり、逆に大衆を恐れて山へ逃げたのである。テロリズムであったが故に多数の戦闘力を必要としなかったのであり、強固な意志を持った数人が残れば良かったのだ。だが不幸なことには、彼らは自らがテロリズムを実行しているのだと思わず、革命戦争を遂行しようとしているのだと意識していた。衝動と存在のテロリズム化と意識の表側で自覚していたマルクス主義とは、永遠に和解しない。このことが内部の犠牲がさらに拡大していく原因になった。テロリズムとマルクス主義の見分けがつかなくなった頭では、もはやこの矛盾は解決できなかった。彼らが仲間に加えたリンチの想像を絶する残虐さこそ、彼ら自身がおちいり、自らうすうす気づかざるを得ないためにいっそういら立ちを増していた矛盾の反映なのである。彼らの行動は、したがって、まったく悲劇的な誤解のつみ重ねであった。だからわれわれはここでテロリズムと革命的軍事行動の原則的区別について、もう一度明らかにしておかなければならない。

●テロリズム反対

 二〇世紀が生んだ最大の天才的軍事組織者であり、最大の革命家の一人であったトロツキーは、テロリズムについて次のように言っ
ている。 「手段はただその結果のみによって正当化され得る。だが今度は結果が正当化される必要がある。プロレタリアートの歴史的利益を表現するマルクス主義の見地からは、結果はもしそれが自然に対する人間の力の増大と人に対する人の力の廃棄へと導くならば正当化される。

 『しからばわれわれは、この結果を得るためには何ごとでも許されると理解すべきである』と俗物は皮肉に要求し、かれが何も理解しなかったことを示す。真に人類の解放へと導くものが許される、とわれわれは答える。」 「主体的な動機の問題ではなくて客観的効果の問題がわれわれにとって決定的意義をもっている。所与の手段は真に目標に導く能力をもっているか。個人的テロルに関しては、理論も経験も共にそうではないという証言をもっている。テロリストに対してわれわれは言う。大衆にとって代ることは不可能である。ただ大衆運動においてのみ諸君は諸君の英雄主義のための適切な表現を見出し得る、と。」

 あらゆるテロリズムの共通の特徴は、大衆に、大衆運動にとって代ろうとすることである。だがこうした試みは、大衆の解放のためにはすこしも役に立たない。連合赤軍の諸君も、なかなか銃や爆弾を手にしようとしない日本人民にとって代ろうとした。そのあげくがどうなったか、万人周知のとおりである。

 何故か。
 「労働者の解放はただ労働者自身によってのみ達せられ得る。それ故、大衆をあざむき、敗北を勝利として、友人を敵としていつわり、労働者の指導者を買収し、伝説をデッチ上げ偽造裁判をやる。一言でいえば、スターリニスト達がやっていることをやるより以上に大きな犯罪はない。これらの手段はただ一つの結果、歴史によってすでに有罪を宣告された徒党の支配を長びかせることにのみ役立ち得る。しかしそれらは大衆を解放するには役立ち得ない。」

 テロリズムはスターリニズムと同じ基盤――大衆に対する不信のうえに立っている。そして連合赤軍のやったことは、これまでにスターリニストがやってきたことの小心なためにいっそう陰惨になった模倣にすぎない。テロリズムは誰でもはじめることができる。分裂してめちゃくちゃになったブンドの残党や、それを見て“党派不信”などを賢しげに気取っているノンセクト活動家などが、気の合った同志ではじめようとすれば、いつでもはじめられる。安直さは、テロリズムの“魅力”のひとつである。

 そしてその分だけ、階級闘争に対する無責任が補っている。安直にテロを行ない、安直に逃亡し、逮捕されればやすやすと自供し、他人をまきぞえにする。こういうのが今日の、ノンセクト・テロリズム路線の特徴なのである。ツァーリに抗した往年のロシア・テロリスト達の厳格な自己批判と規律は薬にしたくても見当らない。

 われわれはテロリズムに反対し彼らが階級闘争から一刻も早くいなくなるように努力しなければならない。こういう手合いは、帝国主義に根底から打撃を与えようとする人民の闘争にとって、邪魔であるだけではなく害をなす。 もちろんわれわれは、テロ一般を否定しない。「内乱の条件下では、個々の抑圧者の暗殺は個人的テロルの行動であることをやめるだろう。」(トロツキー)われわれは、蜂起から革命戦争への道に、大衆を組織すべくたたかうであろう。そのときテロは、組織的に展開されて「舞台を降りようとしない反動的階級にたいしては、効果的」な武器になるだろう。 いまはまだその条件下にないことは、テロが個人的テロルとしてしか組織され得ないことを見ても明らかだ。だとすれば、そのような条件をつくり出すことこそ、いまの課題であって、ほかにはあり得ないのである。

●われわれの“軍事的”闘争

 われわれは、軍事的闘争という大そうな名前を冠したテロリズムに反対し、その最も悲惨な実例として連合赤軍をとらえた。だがこのことは、われわれが今日、軍事問題の領域に意識的な闘争の戦線をきずかなくても良いと主張していることになるだろうか。

 革マル派や解放派の諸君は、軍事問題はまだとり上げる時期ではない、と考えている。ただ、内ゲバは別である、と。だがわれわれに関して言えば、軍事問題を闘争の課題に設定することを、くり返し主張し、実践して来た。ただそのやり方と問題の方向が、連合赤軍の諸君やノンセクト・テロリスト達とはおおいにちがっているだけである。

 現在、極東帝国主義の矛盾は、日本帝国主義の軍事政策=四次防と人民の対決に集中的にあらわれはじめている。その中心点は、沖縄派兵であり、本土において沖縄闘争と結合する拠点は、立川基地移駐の問題である。四次防をめぐり、帝国主義軍隊としての本質を暴露しはじめた日本自衛隊にたいする人民の反対闘争が、いま広汎に、拠点的に燃えあがりはじめている。そして沖縄派兵に関しては、緒戦においてすでに、国家は重大な後退を強いられている。

 この燃えあがる大衆運動は、日本帝国主義の軍事権力にぐさりとつきささっている。ここにわれわれの“軍事問題”の突破口が切り開かれている。われわれと人民の“軍事的闘争”は、ここから開始されていくべきである。四次防をめぐる人民的反対闘争のなかに、われわれは、反戦兵士の獲得という課題を提起し、になうであろう。帝国主義軍隊に反撥し、警戒する人民にむかって、自衛隊兵士と人民の一大交流を呼びかけるであろう。このようにしてわれわれは、帝国主義軍事力解体のための長期戦の、第一歩を踏み出すことを決意している。

 銃を手にした連合赤軍の自称兵士達の“たたかい”は、結局警察の壁をつらぬくことさえできず、自衛隊兵士とは対面することもできなかった。敵軍と出会う前に壊滅してしまうような“軍”は、あわれである。われわれは、未だ銃を手にはしないが、紙と言葉の弾丸を、それも大量の弾丸をもって自衛隊兵士のところへ出かけていくだろう。それは兵士の生命を傷つけないが思想と心に働きかけるであろう。

 帝国主義の軍事政策に反対する闘争、兵士と人民の交流を通じて軍隊に工作する闘争、それが今日のわれわれの“軍事的闘争”である。これはたんに、われわれの闘争ではない。なによりも大衆の闘争である。この闘争を通じて、大衆は、軍隊を知り、意識する。軍隊の本当の任務が何であるかを把握し、軍隊の強さと弱さをつかむ。このようにして大衆は、未来の革命戦争の準備のために、不可欠な第一段を踏むのである。

 だが、軍をつくるという課題はどうなるか、と聞く人がいる。われわれのこたえはこうだ。いまわれわれは、軍をつくらない。軍は権力の中枢部分である。軍をつくるためのたたかいは、いまは、権力をつくろうとするたたかいにつつまれて存在しているのである。しかし同時に、われわれは将来の軍事綱領と軍事指導能力のため、可能な努力をかさねなければならない。軍事問題を学び、軍事情勢を分析し、大衆運動の軍事的側面を研究するであろう。帝国主義軍隊の内部に存在する有能なカードルを、将来の赤軍将校たるべく、獲得しようとつとめるであろう。われわれはこういうふうに、軍をつくるという課題の意識的準備をはじめるであろう。兵士に関して言えば、兵士はいまだ募らない。兵士の素材は、闘争する大衆である。闘争するプロレタリア・人民が、自らの権力を樹立するに到るとき、彼らは最も優秀な英雄的な兵士として、社会主義共和国の軍事的任務につくだろう。

 これがわれわれと人民の“軍事的闘争”である。連合赤軍の“軍事的闘争”とはだいぶ異っていることはたしかである。連合赤軍の“軍事的闘争”はすでに終ってしまった。しかも完全な敗北として終ってしまった。“捕虜”にされた兵士達は、はやくも“敵国”に帰順しつつある。 だがわれわれの闘争はと言えばはじまったばかりであり、しかもその規模は、戦後日本階級闘争史上、未曽有の広がりを示しはじめている。

 諸君! どちらの道に希望と確信をもてるか、まったく明らかではなかろうか。くり返して言おう。一国的な平和主義のなかで、いまのところずっぽりと首まで埋まっている日本のプロレタリア・人民を、戦争と革命の問題に引き寄せること、そのためには彼らの平和主義をもエネルギーとして、軍隊と直面させ、その獲得におもむかせること、これが問題の核心なのである。

 日本の人民の平和主義は、真に根深いものである。このことは、連合赤軍の事件自身によって証明された。彼らはひとたび銃を手にするや、銃に支配されてしまい、何かどえらいことができると思い込んでしまった。しかし、彼らが巨大な労苦をつみ、人民から徹底的に孤立してまで手に入れた一〇丁か二〇丁の銃によってなしとげたことは、自分の頭を粉砕することだけだったのである。 平和主義的大衆と帝国主義軍隊自衛隊の、戦後二〇年間にわたる“隔離された共存”の関係を、どのようにして打ちこわすのか、われわれの軍事的課題の現在の核心は、このように存在している。すべての先進的活動家の全智全能を、この核心に集中しなければならない。これは腰を据えてとりくむべき課題なのである。

●ボルシェヴィズムに復帰せよ

 連合赤軍に反対するキャンペーンが、あれ狂っている。こうした時期には、このキャンペーンに参加することは、いともたやすいことである。だが、真実の教訓を、真剣な批判を通じて獲得しようとしないで、超然として見せることも、同様にたやすいことである。日本共産党は、連合赤軍を“毛沢東盲従分子”として指弾し、ブルジョア世論におもねりながら、ソ連共産党と口裏を合わせ、革命中国に引き寄せられていく日本人民の流れに棹をさす口実にしようとしている。

 だがこれは狂気の沙汰である。このデマゴギーは、やがて重く罰せられるであろう。毛沢東は、現存する最も偉大な革命家の一人である。彼の思想と指導にどれ程の誤りがあろうと、われわれが毛沢東から学びとるものはあまりにも多い。連合赤軍の破滅は、毛沢東への追従の故ではなく、その反対である。京浜安保共闘の指導者達は、毛沢東方才を口で叫びながら、毛沢東のたたかいも思想も、ほんの少しでも理解しなかった。毛沢東は徹底的な大衆路線主義者であった。彼らは、毛沢東に学んだ故にではなく、毛沢東に逆らったために破滅したのである。

 諸君! 連合赤軍の悲劇は、人民の大衆闘争の発展とエネルギーを不信したために起こった。だが見てみようではないか。闘争は発展しているのだ。自衛隊派兵を撃退しつつある沖縄の人民の闘争。不屈な、まったく不屈な三里塚農民、北富士、砂川、そして全国の反基地闘争をたたかう人民。とどまるところを知らず拡大する反「公害」闘争。そして組織・未組織プロレタリアートの不満と怒りは、充電されつつある。他方で帝国主義者が、すこしでも強められた証拠でもあるか。社民やスターリニストの大衆的支持が、すこしでも本物になったという兆候があるか。

 闘争がすぐに勝利する展望こそないが、われわれの革命的前途は開けており、人民の闘争する世界に向ってのびている。この道を歩むことが必要なのである。“過激派”対警察という対決構造から脱して、帝国主義とプロレタリアート人民の対決構造のなかへ大胆に転進しなければならない。われわれがこのことに成功すれば“追いつめられている”というおそれとか“ここらで一発やらなければもう終りだ”というようなあせりは姿を消し、たたかいはこれからなのだという確信があふれてくるだろう。

 われわれは、本紙が獄中にいる連合赤軍の活動家の手もとにとどくことを願う。彼らと、すべての「新」左翼的活動家に、われわれ自身のためにトロツキーの次の言葉をおくる。トロツキーはこれを、彼の息子がスターリンの魔手にかかって死の病床にあったときに書いた。 「大衆は、もちろん、決して欠点がないことはない。大衆の理想化はわれわれにとって無縁である。われわれは種々の条件下で、種々の段階で、その上最大の政治的虚脱においてかれらを見た。われわれはかれらの強い側面と弱い側面とを観察した。かれらの強い側面――決断、自己犠牲、英雄主義――は常に革命的昂揚の時代にそのもっとも明白な表現を見出した。この時期の間、ボルシェヴィキは大衆をひきいた。その後被抑圧者の弱い側面、異質性、文化の不足、世界観の偏狭が前面に出て来た時、異なった歴史的局面が浮かび出た。緊張に疲れた大衆は、幻滅に陥り、自信を失った――そして新しい貴族政治への道を開いた。この時代にはボリシェヴィキ(「トロツキスト」)は自己が大衆から、孤立しているのを見出した。実際にわれわれは二つのかかる大きな歴史的循環を経験した。一八七九~一九〇五年、高潮の数年、一九〇七~一三年、退潮の数年、一九一七~二三年、歴史上未曽有の高揚の時期、最後に、今日でさえ終っていない、新しい反動期。これらの無限の諸事件において『トロツキスト』は歴史のリズム、すなわち、階級闘争の弁証法を学んだ。かれらはまた、かれらの主体的計画と綱領をこの客観的リズムにいかに従属させるべきか、ということを学んだ。しかもある程度まで成功的に学んだようである。かれらは歴史の諸法則が個々人の好みに依存せず、かれら自身の道徳的基準に従わないという事実にたいして絶望に陥らないことを学んだ。かれらは自分の個人的好みを歴史の法則に従属させることを学んだ。かれらは、もし敵の力が歴史的発展の必要と矛盾しているならば、もっとも強力な敵によっても驚かされはしないということを学んだ。かれらはいかにして新しい歴史的高潮が他の岸へかれらをもたらすであろうということを深く確信して、流れに抗して泳ぐべきかということを知っている。すべてのものがこの岸に達するわけではなかろう。多くのものはたおれるであろう。しかし公然と眼を開いて強い意志を持ってこの運動に参加すること――ただこれのみが理性ある人に最高の道徳的満足を与えることができる。」(トロツキー「かれらの道徳とわれわれの道徳」一九三八年二月一六日)。

 人民と党と革命のために、レーニン・トロツキーとボルシェヴイキから学び、その伝統に復帰しようではないか。

          ――一九七二年三月二七日――     「世界革命」紙一九七二年四月一日第二六七号所収



「革命的暴力と内部ゲバルト」――プロレタリア民主主義の創造をめざして――

相模原における中核・革マルの内ゲバは利敵行為である

 ≪九月四日、ベトナム侵略戦争に動員されるアメリカ軍の戦車と兵員輸送車の搬出を阻止する闘争が展開されている相模原において、中核派と革マル派がゲバルトで衝突した。われわれはこの内ゲバをとりあげて徹底的に非難するものである。この内ゲバはいかに強弁しようとも一点の弁解の余地もない利敵行為であり、戦車を阻止する闘争への敵対であり、闘争にはかり知れぬ損失をおよぼす暴挙であるといわなければならない。

 われわれはすでにくりかえしくりかえし、われわれの機関紙『世界革命』紙上で「内ゲバ絶対反対」という原則を主張してきた。このなかで内ゲバにたいする基本的問題点はほとんどすべて論じつくしてきているといえる。しかし事態はいっそう悪化するばかりである。「内ゲバの論理」はますます純化されてしまっている。中核派と革マル派の間の憎悪と恐怖の感情はいっそうたかめられてきている。

 われわれにとっての根本問題は「内ゲバの論理」の純化と両派間の対立関係が大衆闘争に重大な損害をもたらしていることにある。内ゲバのおこす波紋は決して内ゲバをおこなった当事者間のみにとどまるものではない。それは大衆闘争に大きな損失と混乱をもたらさずにはおかない。それゆえ、われわれは、内ゲバをやっている党派に対して内ゲバ反対と説教する立場ではなく、大衆運動を防衛する立場から、くりかえし内ゲバを可惜なく批判しなければならないのである。

●相模原闘争は政治情勢の焦点である

 相模原の内ゲバの反動的性格をバクロするためには、この内ゲバが発生した相模原闘争が現在の政治情勢の中で、どのような政治的意義をもつものであるかを明確にすることからはじめなければならない。なぜなら、内ゲバの論理に対する原則的な批判は多くはくりかえしにすぎなくなるが、現実の政治情勢と大衆闘争の諸関係のなかで具体的に内ゲバの役割りをバクロすることによってわれわれはその本質を生き生きととらえることができる。

 ノースピア、相模原における戦車の搬出入阻止闘争は、アメリカ帝国主義に「不意打ち」をくらわせた。この「不意打ち」はアメリカ帝国主義と日本帝国主義にたいして手痛い、深刻な打撃をあたえた。アメリカ帝国主義は戦車と兵員輸送車のストップによって、確実にベトナムの地上戦に損害をこうむっている。

 アメリカ帝国主義が「使い勝手」に使用してきた日本の軍事施設に対して、大衆のたちあがりはその機能を重要な部分においてマヒさせた。これぱあきらかにアメリカ帝国主義にとって予想外の打撃であった。彼らはベトナム侵略戦争の戦術プランに一定の修正を強制されたのである。

 日本帝国主義にとっては相模原闘争はいっそう手痛い打撃であり、それは混乱と困惑と動揺として拡大している。相模原闘争の大衆的もりあがりは、「日中平和共存」「日本列島改造論」を柱として、自民党支配の継続と安定と強化を使命とする田中自民党政府に痛打をあびせたのである。

 ハワイ会談によってニクソンと安保体制の持続を約し「日中平和共存」への安定したヘゲモニーをとろうとした田中政府に対して相模原闘争は足もとからそのヘゲモニーをぐらつかせた。そして田中自民党政府の矛盾をもっともあからさまに、すなわち安保体制の矛盾としてもっともあからさまに全人民のまえにバクロしたのである。それゆえノースピア、相模原の大衆の決起は、決してエピソード的なものではない。それはいまおこりつつある政治情勢の転換の本質的で根底的な矛盾の所在をしめすものである。それゆえこのような大衆の決起は情勢の転換の本質に対応するものであり普遍性をかくとくしているのである。

 したがってこのような情勢の焦点として相模原闘争をとらえるならば、われわれのこの闘争における任務は、戦術的イニシャチブと政治的ヘゲモニーの結合された指導性として提起されていることはあきらかであろう。

●内ゲバは革命的少数派のイニシアチブを破壊する

 ノースピア、相模原に戦車の搬出を阻止しようとして結集してきた大衆は戦闘的で急進的である。しかしその圧倒的部分は組織されておらず、規律と統制を保って敵権力への有効で効果的な闘争を集中する力としては弱い。しかしこの戦闘的大衆は、社会党や共産党が自民党と裏でこっそり取引きし妥協することを激しく憎悪し拒否する。すなわち、伝統的政治指導部にたいしてはほとんど期待もしていなければ信頼もしておらず、むしろ、裏切りへの警戒心が支配的である。

 このような状況下にあっては、革命的少数派の任務は大きいと同時に、イニシアチブの発揮も大きな可能性をもっている。すなわち登場した闘う大衆は、社会党、共産党の伝統的指導部の権威にしたがうのではなくて、だれがもっとも終始一貫して、断乎として戦車を阻止する闘争をやるのか、だれがいちばん有効で効果的な戦車阻止の戦術を考え、大衆をそこへ動員するのか、それを注意深くみているのである。すなわちわれわれはここで闘う大衆にテストされるのである。

 国内法に反している戦車の搬出入はみとめない、というところからはじまった大衆の怒りは、M48戦車がベトナム侵略戦争に動員されている兵器であることによって、単なる国内法違反の水準から、安保条約とベトナム侵略反対へと急速にその政治意識はたかめられた。このような発展は、革命的少数派のイニシアチブの範囲をより拡大させずにはおかない。闘う大衆はベトナム侵略反対によっていっそう断乎たる搬出阻止の立場をかためるのである。そして、伝統的指導部が敵権力との対決を回避するのをみてとり、革命的少数派に注目する。

 中核派の革マル派の内ゲバはこの局面において演じられた。闘う大衆の目前において、社会党、共産党を闘わない、裏切る、妥協すると非難していた反対派が、機動隊にむかうときよりもいっそう戦闘的に、憎悪をむきだしにして、内ゲバを展開したのである。闘う大衆は「機動隊にむかわないで、なんで仲間同志でケンカするのか」と叫んだ。大衆のこの反応は健康であり、正当である。われわれは、内ゲバを大衆闘争の利益を防衛する立場から全面的に批判しなければならない。

●敵権力は内ゲバを徹底的に利用した

 中核派と革マル派の内ゲバはまるでそのシナリオを敵権力が準備したのではないかと思われるほど敵権力はこの事態を徹底的に利用した。日を追って増大する大衆とその戦闘性のたかまりのうえに、すっかり追いつめられていた敵権力は、内ゲバを利用してまきかえしをはかった。敵権力はまず内ゲバによって消耗した戦闘力をいっそう分散させ、遠心化させるために弾圧をつよめてきた。そして社会党幹部におどしをかけ、政治的妥協工作にひきだした。社会党や共産党は内ゲバを政治的妥協の口実に利用したのである。そしてさらに内ゲバは闘う大衆と戦闘的少数派とのあいだに不信と亀裂をもたらしたのである。

 われわれは相模原闘争のすべてが内ゲバによって左右されたとは考えない。われわれはそのようにデマゴギッシュに問題はたてない。この内ゲバの本質的反動性をあきらかにするためつぎのように問題をたてる。内ゲバは戦車を阻止する闘争に利益をもたらしたのか、損害をもたらしたのか。内ゲバ以降の客観的情勢の推移は、はっきりと内ゲバの犯罪的な役割りをあまりにもはっきりとかたっている。

●内ゲバによってだれが「得」をし、だれが「損」をしたのか

 今回の中核派と革マル派の内ゲバほど日本の「新」左翼の腐敗と堕落を典型的にしめしたものはない。両派が現在においてこのようにしてしか存在できないということは、救い難い絶望的な袋小路の中に入りこんだことをしめしているとしかいいようがないのである。今回の内ゲバによって結局のところだれが得をし、だれが損をしたのであろうか。

 アメリカ帝国主義は内ゲバによって利益を受けた。アメリカ帝国主義は闘う大衆によって直接に包囲されてしまった戦術上の不利な局面から、政治的交渉という場所に事態をうつしかえることによって、不利な局面を転換させたのである。内ゲバはアメリカ帝国主義に息づくヒマを与えたのである。

 日本帝国主義とその田中政府も得をした。闘う大衆によって追いつめられた事態から、社会党との妥協によって、当面の事態を回避しようとする戦術の選択ができるようになったのである。すなわち自民党は一年後よりもっと先に相模原の機能を縮少させる約束によって、今日の危機から脱出しようとするのである。

 ベトナム革命にとって、何百日後の基地機能の縮少が役に立つであろうか。まさにいま戦車をベトナムの戦場へ送り出させないことが決定的なことである。相模原の闘う大衆は自民党と社会党による何百日後かの約束ではなく、いま戦車を搬出させないことを問題にしているのである。

 内ゲバによって損害をこおむったのは、ベトナム、インドシナの人民である。そして、その戦車を阻止する闘争を通じてベトナム、インドシナ人民への支援と連帯を強めようとしている日本の闘う人民の闘争に損害を与えたのである。内ゲバは利敵行為であった。

●中核派と革マル派はほんとうに戦車の搬出を阻止しようとしているか

 われわれのこのような断定は決して中傷やこじつけではない。中核派と革マル派の理論の論理的帰結なのである。すなわち、中核派にとっては「反革命=カクマル」をせん滅することがベトナムへの戦車の搬出を阻止することより優先する任務なのであり、革マル派にとっては「左翼スターリニズム=ブクロ派」を粉砕することがベトナムへの戦車の搬出を阻止することより優先する任務なのである。

 内ゲバのあったあとの中核派の『前進』第六〇〇号を見ればわれわれは具体的にこのことを知ることができる。特大の見出しはすべて「反革命、KK連合、カクマル」に「勝利」したことがならべられているが、ベトナム侵略に動員される戦車を阻止する闘争は背後におしやられている。これはたまたま革マルとの内ゲバがあったことによるものであろうか。そうではない。それは中核派の理論、戦略、路線からみちびかれる当然の政治的傾向によるものである。革マル派の機関紙『解放』は内ゲバのあとの号が未だ発行されていないが、われわれはその紙面がどのようなものであるかを想像す
ることは難くない。

●内ゲバは悪無限の袋小路からぬけでられない

 われわれはくりかえし、内ゲバがもたらす、若く戦闘的で献身的な活動家の死や負傷が、革命運動に大きな損失であることを訴えてきた。 相模原における内ゲバは中核派と革マル派が七〇〇名から八〇〇名という大きな大衆的規模によってなされたがために、一〇〇名以上の負傷者が出たといわれている。これらの負傷したメンバーはいずれも組織の戦闘力を中心的に構成している青年たちであろう。これらのメンバーの負傷は直接に組織の戦闘力を弱めずにはおかないであろう。内ゲバはかならずこのような損失を強制する。そして、即物的で物理的な損失とともに、政治的な損失もともなうのである。

 相模原の闘う大衆は内ゲバをおこしたセクトを信頼するであろうか。ほんとうに戦車を阻止しようと真剣に考える人々ほど、内ゲバを演じたセクトを不信の眼でみるであろう。

 さらに内ゲバは神奈川における労働運動と青年運動のなかで、中核派と革マル派への批判的傾向を強めるであろう。このように総体として内ゲバの当事者にとって、内ゲバがもたらした政治的、組織的マイナスはあきらかである。しかし、内ゲバの論理からすれば、多大な犠牲をはらってでも、内ゲバは組織にとって「成果」をもたらすものとして、とらえられている。

 内ゲバによって組織への求心力、集中力はたかまり、メンバーの忠誠心はいっそう強くなる。この現象はあたかも組織の力量が増大したかのように錯覚させる。こうして内ゲバの論理はそれ自体が組織を維持していく目的に転化する。かくして内ゲバの「成果」はいっそう内ゲバの論理を純化し、いっそう大衆運動から分断孤立することによって、内ゲバの論理のひとり歩きがはじまる。

 内ゲバは「敵対する」セクトの打倒を目的としている。そのために、相手セクトの組織とその構成員に物理的打撃を与え、そのことによって恐怖心をつのらせ、相手セクトの戦闘意志をマヒさせることが追求される。このマヒ状態が続けば内ゲバの論理に支配されているセクトは崩壊解体される。

 したがって内ゲバにはふたつの特性が随伴して表れる。ひとつは相手セクトへのデマゴギーのエスカレーションである。ふたつは相手セクトの恐怖心をつのらせる戦術のエスカレーションである。このふたつのエスカレーションによって内ゲバの論理に支配される党派はお互いに悪無限の敵対関係にたつ。この敵対関係からは悲惨な結果以外になにものもうまれない。

●手段は目的に規定される

 黒田寛一によって「体系化」された「反帝・反スターリニズム」の戦略と組織論は、内ゲバの論理をもっとも意識化させている。それゆえ、革マル組織はもっとも完成された水準において内ゲバの論理を体現した組織である。われわれはこの組織と内ゲバの次元において対抗しようとしたら、かならず「敗北」するのである。

 内ゲバの論理とその実践をマヒさせ、解体する可能性はただ大衆闘争のみがもっている。大衆闘争の昂揚という光をうけたとき、内ゲバというモグラは地中にもぐりこまねばならない。

 相手セクトを日常的に恐怖心で支配するために内ゲバは「汚ない戦術」がエスカレートする。ワナをかけ、奇襲し、多数が少数をなぶる。 「汚ない戦術」のエスカレートにともなって、目的が手段を合理化する法則を利用して、内ゲバの目的をいっそうデマゴギーでかざりたてねばならない。「ものすごい犯罪的なセクト」にたいしては、とちれる手段の制限はなくなる。「反革命」の相手セクトにたいしてはあらゆる手段が正当化されてくる。これは内ゲバの論理の必然的帰結である。

 『前進』六〇〇号によれば九月四日の内ゲバは革マル派による「待ち伏せ襲撃」によってもたらされたそうである。ベトナム解放軍はジャングルのなかでアメリカ侵略軍に対して「待ち伏せ襲撃」をして大きな戦果をあげている。このベトナム解放軍の「待ち伏せ」は卑劣で汚ない戦術であろうか? 否である。もし事実であるとすれば革マル派「待ち伏せ襲撃」は卑劣で汚ない戦術であろうか? 然りである。このちがいは闘争の目的によって規定されてくる。内ゲバはどのような手段、戦術であろうとも、決してその正当性はもちえないのである。

 われわれが中核派と革マル派の衝突を内ゲバと呼ぶと、双方ともかならず「これは内ゲバではない」という非難をうけるのであるが、このようにいういい方こそ内ゲバの論理の表現にほかならない。中核派、革マル派ともが同じ革命的共産主義者同盟という組織名を名のり、同じ「共産主義者」というタイトルの機関誌をもち、同じ「反帝・反スターリニズム」の戦略スローガンをかかげ、十年まえは同一の組織を構成していたふたつの政治グループの対立が内ゲバではなくて、お互いに革命と反革命の対立であるという見解をうけいれることはわれわれにはとうてい不可能なことである。

●内ゲバはスターリニズムそのものである

 一九六三年の中核派と革マル派の分裂以来、相互のセクトは相手セクトへの政治的規定をしだいに強めてきた。そして今日、この相互の相手セクトにたいする基本的規定はきわめて単純化されて定式化されている。中核派によれば革マル派は反革命であり、反革命の中心に実在しており、したがって敵権力と革マルとの連合勢力にたいしては中核派は内乱的、内戦的な二重の対峙関係にたつのである。すなわち中核派は、権力にたいしては内乱を、革マル派にたいしては内戦をもってたたかわねばならないのであり、内乱と内戦を結ぶものが蜂起にほかならない。したがって革マル派との闘争はわれわれがいうように内ゲバではなくて、反革命勢力との内戦的関係になるのである。

 いっぽう革マル派によれば中核派は左翼スターリニズムである。スターリニズムは帝国主義と同時に打倒せねばならない戦略上の対象であり、革命を妨害しているスターリニストはまず何よりも先に優先して打倒しなければならないのである。それゆえ中核派は「反帝・反スターリニズム」戦略のなかで最優先に打倒すべき対象となる。

 このような中核派と革マル派による相互の規定にいたる論理はまさにスターリニズムそのものにほかならない。内部ゲバルトの思想は党派闘争におけるスターリニズムである。それは反対派を抹殺し官僚的専制支配を是認する思想である。反対派を抹殺するために、反対派にたいして最上級の極悪のレッテルがはられることとなる。中核派と革マル派がお互いに投げつける悪罵は、党派闘争ではなくて、反対派抹殺の思想から生まれてくる。

 中核派と革マル派にはボルシェビキ・レーニン主義の分派闘争の論理は通用しない。そもそも内ゲバの論理は分派をみとめない。分派の否認はいっさいの反対派の否認にみちびかれる。自己の党派内での分派闘争をみとめない党派がなぜ反対諸党派の存在をみとめることができるであろうか。 内ゲバの論理、それはスターリニズムの組織論にほかならない。

●われわれは現実から出発する。中核派・革マル派は観念から出発する

 われわれが戦略、戦術、組織を現実の諸関係から出発させて考えるのにたいして、中核派や革マル派は彼らの観念から出発する。われわれは政治的諸潮流のはたしている役割を、その現実的な関係のなかにおいてとらえようとする。中核派や革マル派は彼らの観念の世界にあるものに現実をあてはめていく。彼らにとって重要なことは現実ではなくて、彼らがいだいている観念の世界である。

 われわれは現に全世界で闘われている人民の革命闘争のうえにきたるべき世界を展望する。しかし「反帝・反スターリニズム」派は帝国主義とスターリニズムが世界を分割支配しており、この世界の止揚は、反帝・反スタの「革マル革命」や「中核革命」によってしか不可能であると信じている。現実の人民の闘争はゼロの価値しかなく、ただ、「反帝・反スタ」にしたがうときにのみ価値が付与される。

 ベトナム、インドシナ革命は現実の革命と帝国主義反革命との力関係に大きな転換をもたらす革命的闘争である。しかし、ベトナム革命は中核派や革マル派の観念の世界においては本質的な意義はもっていない。むしろ、ベトナム革命は彼らの観念の世界をおびやかすものである。ベトナム革命の勝利は彼らの不倶戴天の敵、「スターリニズム」を強めてしまうのだから。

 現実から出発することは大衆を信頼することである。観念から出発することは大衆を信じないことである。観念の世界からみれば、大衆は素材にしかすぎない。「反帝・反スタ」の観念王国から見るとき、大衆は絶対に正しいりっぱな闘争をやれるものではない。中核派や革マル派の息のかからない大衆の闘争は一文の値打ちもない。

 ロシア革命の孤立性と後進性のなかでスターリニズムは徹底した大衆への不信にもとづいて、専制的ボナパルチズムの支配をつづけた。黒田寛一の「哲学」はこのスターリニズムを打倒するためにはスターリニズムと同じ方法しかありえないという結論に到達し、これを定式化した。それが一国主義的、小ブル平和主義的に矮小化された日本の「反帝・反スターリニズム」にほかならない。もし、ノースピア、相模原に結集した大衆を信頼するならば、内ゲバは避けねばならないし、避けられたであろう。大衆は闘争に損害しかもたらさない「仲間」への襲撃を決して許さないであろう。

●内ゲバを糾弾し、戦車阻止の闘争へ

 相模原闘争は社会党の妥協や、市長の妥協の余地をいっそうせばめ、大衆の怒りはたかまり、敵をおいつめている。社会党は闘争をよびかけながら、闘う大衆が本気で戦車を阻止しようとするとき、妥協の路線に転換し、裏切りを「勝利」であるとうそぶいている。

 共産党ははじめから、大衆の急進化を妨害し、戦車を実力で阻止しようとする大衆闘争に敵対している。闘う大衆が登場したときのこのような既成指導部の政治的破産とヘゲモニーの喪失にたいして、われわれは闘う大衆のまん中にあって、戦術的イニシアチブをとるとともに政治的ヘゲモニーへ挑戦しなければならないのである。

 それは、戦術的突破によってのみ情勢を展開しようとする戦術急進主義から、われわれを決定的に飛躍させることを意味する。そしてまさに、内ゲバ的次元の党派闘争から、統一戦線戦術による党派闘争の課題がわれわれに提起されているのである。
          一九七二年九月二〇日




「革命的暴力と内部ゲバルト」
――プロレタリア民主主義の創造をめざして――

<あとがきにかえて>革マル派の反動的な目的

 われわれはまだ、一つの点で、読者諸君の問題意識にこたえていないのではないかと懸念する。すなわち、何故このような腐敗が、普遍化しているのか、ということである。われわれは、「新」左翼の内ゲバ主義の元凶は、革マル派であると考えている。それゆえ、その問題意識にこたえるためには、なによりもまず、何故革マル派がこのような政治的行為を自らの日常性として今日実行するに至ったのかという点を解明することが必要であると考えるのである。われわれはここで、あとがきにかえて、その点を若干明らかにしてみたいと思う。

 革マル派の政治的実践の性格をどのように規定すべきであろうか。彼らの「綱領」は、彼ら自身をどのような階級的位置に立たせているのだろうか。そしてその結果として彼らは、今日の大衆運動の発展のなかで、どのような矛盾をかかえこみ、どこへ向って押し流されようとしているのだろうか。

 革マル派の政治的位置は、民同反対派である。彼らは、たしかに「反帝・反スターリン主義」の綱領をかかげている。たしかに、日本共産党に反対するセクトではある。しかし、彼らが「反帝・反スターリン主義」をかかげることによって日本共産党に反対するということは、けっして、日本共産党の活動家と大衆を獲得して解体するためではない。彼らの「綱領」は純化された最後通牒主義であって、日本共産党の内部と政治的実践に食いつき、その矛盾を促進し、その崩壊をもたらすためにはなんの力ももっていない。「反帝・反スターリン主義」の綱領が、日本共産党の今日の政策とその歴史的裏切りを説得力をもって暴露するという方向のためにいかなる役割も果し得ないのは、三〇年代のドイツ共産党が「社会民主党はファシズムの穏健な、したがってより危険な翼である」として主要打撃を社民党へと規定したことが、危機を増大させていたドイツ社民党を崩壊させる点ではなんの役割も果さず、かえってドイツ労働者階級の分裂を決定的なものとして、ヒットラーの奪権に貢献していったことと同じである。

 われわれはここで、読者諸君の注目を促したいのは、この立場が、歴史的な民同左派とその議会的表現たる旧左派社会党の綱領的性格と同じものであるということにある。旧左社の思想的源流たる山川均は、第三勢力論を提起して、旧革同の「平和勢力論」に対抗した。旧革同の「平和勢力論」は、世界を二重権力としてとらえ、自らを反帝勢力に位置づけたのであるが、山川均は、「社会主義への日本の道」を提起して、自らを、帝国主義と労働者国家の対決の谷間に置こうとしたのである。日本の「反帝・反スターリン主義」の元祖は、普通に言われているように黒田寛一ではなくて、実に山川均その人だったのである。

 こうして革マル派は、民同の左翼(?)反対派として自己を成長させようとする一貫した政治的実践が網領的に位置づけられる。人が他人の力を奪うためには、同じ土俵を設定しなければならない。革マル派は民同の土俵にはいりこむことによって、そこからしか力を吸収できない位置に、自らを置いたのである。

 ところで今日、民同は総体として大衆の急進化から置き去りにされつつあり、大衆と民同の溝は深まりつつある。そのもっとも端緒的な表現が、六七年~七〇年の青年の急進化であり、第二の表現が三里塚を先頭とした列島改造、公害、基地に反対する全国住民・農漁民闘争の高揚であり、第三の表現が今日はじまりつつある組合労働者の下からの叛乱の拡大である。このどれひとつにたいしても、民同は弱まりつつある権威を防衛するための官僚的統制手段以外の何物ももってはいない。こうして民同と大衆との関係は、前者が右に、後者が左に大きくずれてしまっている。この矛盾に依拠してその「躍進」をかりとってきたのが日本共産党であった。共産党は民主連合政府を提起して、急進化する大衆の共通の問題意識である政府・権力への怒りと、新たな政府への希求を右から組織した。

 だが、民同とその政治的代弁者たる社会党は、一貫した、説得力のある政府展望を提起することができない。このため、この党とこの勢力は、労働組合運動においても共産党の急速な浸触をうけているのである。

 ところでわが革マル派は、この点において民同よりも断固とした民同派である。彼らは政府の問題などははるか彼岸にある問題だと考えている。そしてもっぱら民同の力を弱めそこから自分の勢力を拡大し補給する活動だけに努力を集中している。

 こうして、わが革マル派もろとも民同総体が大衆の右翼に位置するという状況がつくり出されるに至ったのである。革マル派の現在の最良の競争相手は社会主義協会である。社会主義協会は最後の民同として登場しており、それ故に民同派全体から頼りにされて援助を受け、それなりに勢力を拡大しているのだが、彼らと革マル派のちがいがどこにあるかといえば、彼らが労働者を「社会主義の魂」で組織していこうとするのにたいして、革マル派が「プロレタリア的人間の論理――魂」で組織していこうとするという「区別」があるだけである。そして両者とも、今日実際に労働者・人民が、現実の問題意識の核心に据えている政府・権力問題については、こうした「魂の組織化」が終ってからの話だと考える点では、まったく同一である。

 革マル派が協会派との分派闘争に必死になり、独特の民同内部抗争に血道をあげているあいだに、たたかう大衆は全体としてこれらの全てを超えていこうとしている。労働者大衆のそのような急進化、自主的で多様な戦闘化の傾向は、革マル派を解決のできない矛盾のなかにひきずり込んでしまう。革マル派は民同勢力との共通の土俵を持つ。そこでは彼らは、目標――民同型ヘゲモニー――は手のとどくところにあるように見える。だが他方で大衆が、こうした民同型ヘゲモニー自体を見捨てようとしている現実は、彼らの「目標」が無意味なものに終る危険性を感じさせる。これは、重大な危険である。革マル派はこうした大衆の左傾化、戦闘化をつなぎとめ、引きとめることができない。なぜなら、革マル派は広汎な、全人民的な急進的なたたかいにおいてほとんどなにひとつ共有する闘争の場を持ち得ず、いくつかの公労協労働組合のなかにしか彼らの闘争の拠点をきずいて来なかったのであり、民同との共通の土俵は持っていても、急進化する人民大衆との共通の土俵を持ってはいないからである。

 かくて革マル派は、人民の急進化を反映し、あるいは領導していると彼らが考える傾向・党派にたいして、「直接の解体」=すなわち内ゲバの暴力を向けることになる。中核派にたいし、早大の諸党派にたいし、解放派にたいして、彼らは「目的意識的・組織的」な暴力をふりむける。このようにして彼らは、彼らが多数派として、指導部として労働者大衆の頭上に登場するその日まで、大衆の一切の戦闘化、左傾化があってはならないという彼らの願望を表明しているのである。

 したがってわれわれは、はっきりと次のように断定することができる。革マル派の内ゲバは、大衆の戦闘化、急進化を阻止しようとする反動的目的につらぬかれており、スターリニズムのゲー・ペー・ウーとまったく同じ政治的意図に導かれており、ただこの点においてのみ「目的意識的」なのである、と。

 革マル派のこのような目的は、しかしかならず失敗する。なぜなら彼らは、ひとつの根本的な誤解「党派が大衆の政治性を決定する」という観念論的な誤謬にもとづいて彼らの目的を立てているからである。

 中核派その他の諸セクトをいくら攻撃したからといって、大衆の戦闘化、左傾化を阻止することはできないのである。だが、中核派やその他の諸セクトが、革マル派の内ゲバの「論理」にひきずり込まれ、同じ論理と同じ土俵のなかでたたかおうとしているかぎりにおいて、これらの近視眼的諸セクトを、急進的人民大衆からきりはなすことには成功するかもしれない。そして、その結果、いくつかのセクトがつぶれていくかもしれない。大衆はこのようなセクト、革マル派との内ゲバの抗争で己れの真の任務を忘却していくようなひよわなセクトを見捨てるだろう。革マル派の反動的な目的が達成されないことは確実である。そして革マル派との内ゲバの抗争に明けくれして、階級闘争の本来の任務を放棄するような諸セクトが衰退することもまた確実である。大衆と共に真の勝利に到達できる党派は、今日の全人民的な急進的諸闘争の先頭に立って、そこに労働者権力樹立へ向けた拠点と戦線をきづきあげることに組織的・政治的任務を集中させながら、その成果に依拠して原則的な党派闘争を遂行することができるような党派だけである。第四インターナショナルは、まさにこのような党派としての自己を鍛えようとするものである。 この論文集は、われわれのそのような目的のために発行された。

   一九七三年一〇月

           日本革命的共産主義者同盟第四インターナショナル日本支部中央政治局



「かけはし」1999.2.15号より
共同行動の原則と「内ゲバ」主義について

 対立する党派間や、大衆運動内部の意見の異なった人びとに行使される暴力=「内部ゲバルト」(内ゲバ)は、左翼運動、とりわけ日本の左翼運動に対してどれほど大きな害毒を流したかは、いまでは労働運動や市民運動にたずさわる人びとのほとんどにとって常識となっている。

 1980年代以来現在まで、労働組合、市民運動、個人、そして私たちをふくむ左翼諸党派が参加する共同行動が、反戦・平和、反天皇制などさまざまの課題で積み重ねられてきた。今日では新ガイドライン安保にもとづく戦争協力法案に反対するために、こうした闘いが現に繰り広げられている。私たちはその運動を前進させるために積極的な関わりを行ってきたと自負している。

 この共同行動の経験の中で、当然のこととして確認されてきた一つの原則がある。それは「意見の相違を暴力によって解決しない」というものであり、そうした暴力を行使したり、またそれを正当化するグループに対しては共同行動の対象とはしない、という原則である。しかし大衆運動の中でこの原則が定着するまでには、ねばり強い論議が必要だった。「党派間の内ゲバは良いことではないが、それは自分たちに関係のない党派と党派の問題であり、どっちもどっちであってそうした問題にかかずりあいたくない。自分たちに火の粉がかからない限り、少しぐらい大目に見てもいいじゃないか」といった風潮が存在していたからである。

 しかし「内ゲバ」の思想と実践は、たんに「対立党派」間の抗争にとどまるものではない。そうした暴力を行使する党派が大衆運動を暴力によって支配し、自らの党派の「主導権」を強要していくことで、自主的・批判的に思考し活動する人びとを運動から遠ざけ、運動そのものを破壊することになるのは明らかであった。多くの人びとに開かれた自主的な共同行動の発展にとっては、「内ゲバ」を実際に行ったり、それを少しでも「大目に見る」考え方がまったく相いれないものであることは、実際の経験を通じて共通のものになっていったのである。

 「内ゲバ」に反対するということは、決して意見の違いを棚上げにして「みんな仲良く、いっしょにやろう」ということではない。その逆である。大衆運動には意見の対立がつきものである。そしてその対立を生き生きとした論争として発展させることによって、運動は前進する。しかし内ゲバ主義は生き生きとした論争を暴力で圧殺するものである。論争を発展させ、その論争の中で問われている課題を深め、大衆運動を理論的にも新しい次元に発展させて、広がりを作りだしていくことを「内ゲバ」は妨げてしまうのである。

 こうした大衆運動上の原則は、くりかえし再確認されなければならない。私たちは、一つひとつの共同行動の中で、その点を運営の前提的な原則として繰り返し意思一致してきた。しかし今日、沖縄闘争や新ガイドライン反対闘争などの大衆運動の中で、「内ゲバ」を行使し、多くの活動家やその周囲の人びとを殺害したり負傷させた党派が、自らの主張を隠したり、過去を隠蔽したり、「今は内ゲバなどやっていません」などと称して、笑顔を振りまきながら「共同闘争」を求めて来る事態が広がっている。

 そして彼らの実態を知ってはいても「過去の行きがかりなどもういいではないか。党派間の対立を持ち込むな」ということで、彼らの欺瞞的な「大同団結」の呼びかけに、安易に乗ってしまう「善意」の人たちも存在する。かつては「内ゲバ批判」を共通の原理として承認する共同行動に関わりながら、意識的に新しい共闘の対象を内ゲバ党派に求めるグループすら存在する。

 私たちは、「内ゲバ党派を共同行動の対象とはしない」という主張を逆に「かたくなな排除の論理」であるかのように語ってしまうことは、誤りであると改めて明確に主張する。中核派は、自分たちの内ゲバ・テロリズムが「正義の暴力」であるという主張に依然として固執している。この点では革マル派も同様である。

 中核派による暴力の行使は、彼らが「ファシスト=現代のナチス」と規定する革マルに対するものだけではない。現に、三里塚闘争をめぐって私たちに対して行ったテロ襲撃に居直り続けている。この点は私たちが絶対にあいまいにできない事柄である。それは繰り返し述べるが、決して「セクト間抗争」の利害によるものではなく、大衆運動自身の防衛と発展にかかわる原則的な課題なのである。

 もちろん、こうした「内ゲバ」主義者たちが、市民運動の共同行動に食い込んでくる背景には、彼ら自身が単独で自分たちだけのセクト主義的「大衆運動」を組織できなくなったということや、「内ゲバ」を統制し、彼らに反省をうながすだけの、力ある大衆運動が全体として後退してきた、という問題があるだろう。またこの間、党派の力量の低下によって内ゲバの件数が減少し、それが運動全体にもたらす害悪が実感されにくくなっているという要素もあるに違いない。

 だが大衆運動の力が後退してきた現在であればこそ、この後退の一因をなしてきた内ゲバ主義に対する「容認」はあってはならないのである。それは民衆運動の抵抗・批判の力の源泉であるモラルを堕落させることにつながるからである。

 ここでもう一度、三里塚闘争をめぐった私たちの同志や熱田派反対同盟の支持者に対するテロと恫喝について思い起こす必要がある。1982年12月、三里塚芝山連合空港反対同盟は、政府公団による二期工事の攻撃に対する闘いを全国で組織していくために二期工事予定地の「大地共有運動」=一坪共有運動を決定した。しかしその直後から、中核派はこの運動を「土地ころがし」「公団への土地売り渡し」「カネもうけ」だという誹謗中傷を繰り広げ、ついに三里塚反対同盟の分裂を引き起したのである。

 その後も中核派は熱田派反対同盟とその支援が行った一坪共有運動に対して執拗な敵対を繰り返し、共有者の職場や自宅にまで「説得」と称して乗り込み、文字通りの脅迫を行った。そしてついに熱田派反対同盟の支援勢力の中心であった私たちを「反革命」「公団・日帝権力の手先」とまで規定して、1984年の1月と7月に私たちの仲間8人の居宅などを襲い、頭蓋骨骨折、両手足骨折などの重傷を負わせるに至ったのである。うち一人の仲間は、この襲撃によって片足を切断せざるをえなかった。

 このテロ襲撃を、中核派は「やむにやまれぬ正義の闘い」などと正当化し居直り続けた。襲撃に際して私たちの仲間から奪った手紙や文書を私たちの活動家の実名入りで機関紙上に公表し、警察による弾圧の材料を与えるということまで彼らは敢えて行った。さらに幾つかの大衆的運動団体に対しても中核派は暴力によって分裂策動を仕掛けたのである。

 私たちは、この中核派による非道なテロに対決し、大衆運動のすべての分野で内ゲバ主義を一掃することを呼びかけるとともに、テロによる反撃や報復を行わないことをきっぱりと宣言した。中核派のテロ襲撃に対して、多くの人びとが共同声明を発して批判した。こうした批判にもかかわらず、中核派は、熱田派反対同盟を「脱落派」と呼び続けて「一掃」の対象とし、自らの行為を正当化し続けている。

 しかし、このテロ襲撃の唯一の口実であった一坪共有運動に対して、中核派は昨年来その機関紙である「前進」や「週刊三里塚」で、突然なんの説明もないままにその評価を180度変えてしまった。かつては「公団への土地売り渡し」であり「カネもうけの手段」とされていた一坪共有運動は、今や二期阻止のための積極的な闘争手段として評価されている。そして厚顔無恥にもかつては脅迫やテロの対象だった一坪共有者に対して「その権利を絶対に守り抜くことは人民の正義であり、三里塚闘争の勝利のために不可欠である」という驚くべき「訴え」まで発するようになった。彼らは、かつての犯罪行為に対しては沈黙し、居直りをきめこんだまま、そのような「転換」を行ったのである。

 彼らの「路線転換」はまったくの御都合主義で、突然「再転換」し、内ゲバを行使する可能性を大いにふくんだものである。今日、彼らが一坪共有運動に対する敵対と内ゲバ襲撃を「停止」しているのは、さしあたりその方が得策だからである。それ以上では決してない。

 内ゲバ主義の暴力は、ちょっとしたはずみから生じたこずきあいというレベルを越えて、革マル、中核、革労協などの「新左翼」党派にとっては、「革命戦略」にまで位置づけられる目的意識的・計画的な殺人・テロ行為になった。1970年代に頂点に達した党派相互の内ゲバは、報復が報復を呼ぶという典型的な、しかし左翼運動には決してあってはならない堕落の構造に陥り、今日にいたるまで三ケタに上る活動家の生命を奪い、それを数倍する負傷者を出し、さらにそれをはるかに上回る人びとを絶望のあまり運動から遠ざけることになった。内ゲバに関与してきた党派は、いまでもおたがいを「ファシスト」「権力の走狗」と罵倒し、テロ襲撃や殺人を合理化している。

 左翼の運動の中で、異なった意見の持ち主を「人民の敵」「反革命」と断罪し、内ゲバを大規模かつ体系的に行使した元凶はロシア革命とソビエト連邦をさん奪したスターリンであった。そして、このスターリンの支配体制の下で内ゲバ的テロは国家規模で展開されるとともに、各国のスターリニスト・共産党官僚も、自らの権威をおびやかす反対派への暴力をエスカレートしていった。それは革命運動や大衆運動を破壊し、ブルジョア支配階級の弾圧に絶好の口実を与えるものとなった。社会民主主義に「主要打撃」を集中し、労働者統一戦線を拒否したスターリニストの犯罪的誤りは、直接にナチスによる政権奪取を助けるものとなった。

 トロツキーと左翼反対派、そして第四インターナショナルの闘いは、こうしたスターリニストの内ゲバ主義と対決し、運動内部の民主主義を一貫して防衛しようとする困難な闘いでもあった。そしてそうした闘いの結果として、トロツキーその人もまた第二次大戦のさなかの1940年に亡命の地でスターリンの放ったテロリストの手によって虐殺されることになった。

 日本新左翼の内ゲバは、「スターリニズムを超える」という看板を掲げていたその主張が、根本のところでスターリニズムと同質の大衆運動に対する官僚主義的支配と統制にとりつかれていたことをはっきりと示すものであった。革マル派や中核派はそれを最も極端に実践してきた。中核派はそれを「大衆運動における革共同の独裁的指導」という驚くべき言葉で表現してきた。

 私たちは、ラディカルな青年・学生運動が全国で燃え広がった1968年の当時から、こうした日本新左翼の内ゲバ主義を一貫して批判し、運動内部の民主主義の防衛を主張して闘ってきた。当初、そうした私たちの主張は、十分に理解されたわけではなかった。「暴力的党派闘争」を当然のこととする風潮が、新左翼系の活動家の中にも蔓延していたからである。むしろ、私たちの立場は新左翼の多くからは「党派闘争における日和見主義」とさえ見られることさえあったのである。しかし、連合赤軍の悲惨な「内部粛清」や、内ゲバ「戦争」の悪無限的なエスカレートの中で、「内部ゲバルト主義」がどれほどの頽廃をもたらすかが自覚されることを通じて、「内ゲバ反対」の原則は次第に多くの活動家の中でも共有されていくことになった。

 しかし、その原則がどれだけ運動の大義に思想的に立脚したものであるかは疑わしい場合も見られる。自分たちがかかわっている大衆運動の場で、とりあえず暴力が行使されなければそれでいい、というところにとどまっている人びとがその例である。「大同団結」や「大きな共闘の枠組みが必要」という理由にかこつけて、自らの行った内ゲバ・テロを反省する気配も見せない党派への融和的な態度をとることは、大衆運動の困難な局面においてはなおさら危険さの度合いを増すのである。「意見の相違を暴力によって解決」しようとした行為を依然として正当化するグループに対して「共同行動の対象としない」という原則は、運動が困難なこの状況からこそ大衆運動自身を防衛し、発展させる上であらためて決定的に重要な意味を持っているのだ。

 豊かで活気に満ちた大衆運動の再生のために、統一行動の原則を守り、発展させよう。 (1999年2月)


『検証内ゲバ PART2』刊行記念シンポ       かけはし2003.4.28号より
内ゲバ主義一掃の闘いと現在

左翼運動再生へ避けて通れない課題

 今年一月に社会批評社から『検証内ゲバ PART2』(いいだもも・蔵田計成/編著)が刊行された。一昨年十一月に刊行された『検証内ゲバ』(いいだもも、生田あい、栗木安延、来栖宗孝、小西誠)の続編である。

 本紙は『検証内ゲバ』について、蝉丸氏の投稿(01年12月17日号)や、同書の意義と限界を指摘した論文(02年2月4日号、高島義一「日本の大衆運動を破壊した『内ゲバ戦争』の主体的要因は解明されたか」)を掲載するとともに、昨年二月、同書の刊行を記念したシンポジウムにも参加し、「内ゲバ主義」を克服するために闘ってきたわれわれ自身の闘いの意味について積極的に主張した。

 また『検証内ゲバ』に掲載された論文の筆者らを中心にして昨年一年間をかけて行われた第二期「『検証内ゲバ』共同研究会」の中で、私は、自分自身の体験もふくめて第四インター派が取り組んできた内ゲバ主義克服のための闘いの意味について報告した。同研究会の諸報告をまとめて今回刊行された『検証内ゲバ PART2』の中には、その時のレポートをもとにした私の文章も入っている(国富建治「第四インター派の『内ゲバ』主義との闘い」)。

 四月六日には、東京・中野勤労福祉会館で『検証内ゲバ PART2』刊行記念シンポジウムが開催され、約七十人が参加した。同書に文章を掲載した関係上、私もパネリストの一人としてこの日のシンポジウムに参加した。

 「内ゲバはすでに過去のもの」という意識が一部に存在する一方、日本の大衆運動の低迷状況は、内ゲバが重大な要因の一つであるという認識も次第に広がりつつある。とりわけ昨年十二月に、中核派を批判してきた元中核派の活動家である白井朗氏、角田富夫氏がテロ襲撃を受けるという事件が起こったことは、改めて「内ゲバ主義の一掃」が日本の左翼運動の再生にとって絶対に避けて通れない課題であるということを浮き彫りにした(白井、角田両氏への襲撃糾弾については本紙03年1月20日号参照)。

 さらに米英のイラク侵略戦争に反対する運動が日本でも若い人びとを中心にして拡大している状況だからこそ、改めて「内ゲバ主義」という負の遺産をえぐりだし、その克服を今日的テーマにしていくことが必要であるということも、同シンポ実行委員会の共通の確認事項であった。

パネリストの主張と問題提起から

 シンポジウムは編著者の一人である蔵田計成氏の開会あいさつから始まった。蔵田氏は「現実にはさまざまな暴力が存在する中で『内ゲバ廃絶』の論理を作り上げ、内ゲバの実践的克服に向けた論議を開始するスタートラインを築こう」と訴えた。

 パネリストは小西誠(軍事・社会批評)、渡辺一衛(「思想の科学」研究会)、足立正生(映画監督)、私、樋口篤三(日本労働ペンクラブ)の五人。小西氏は「暴力」を「手段」以上のものにまで「発展」させ、階級闘争を「絶対戦争」の論理にまで「飛躍」させた中核派・本多延嘉の「暴力論」「戦争論」を批判するとともに、今日の先進資本主義国の革命論を構想する場合、権力に対しても「暴力の行使」をきわめて厳格な「正当防衛権の行使」に限定しないかぎり社会運動は大衆に対する説得力を持ちえない、と主張した。

 渡辺氏は故春日庄次郎氏などの「現代民主主義研究会」を中心にした「内ゲバ問題懇談会」の一九七〇年代初頭の活動を紹介するとともに、「内ゲバを止めることの困難さ」を強調し、日本の新左翼が国際的なつながりにおいて「自立」していた分だけ、「外」からの批判を受け入れにくい体質を持っていたのではないか、と提起した。

 足立氏は「日本赤軍を立ち上げた一人」としての立場から、パレスチナにおいて大規模に展開された解放闘争勢力内部の「内ゲバ」について言及し、「革命戦争路線」が人民を巻き込んだ「対立勢力の抹殺」にまで行き着く論理を持っていた、と語った。

 私は、フィリピンにおけるスターリニスト共産党(シソン派)の批判勢力に対する「暗殺」テロが今日のフィリピン左翼にとってきわめて困難な状況を作りだしていることを述べて、「内ゲバ」が今日においても深刻な国際的問題であることを訴えるとともに、第四インターが日本で展開した内ゲバ主義の克服・一掃に向けた闘いの意味や、内ゲバ党派を大衆的共同行動の対象としない原則を確認し、彼らを大衆運動の中で包囲していくことの必要性について強調した。

 樋口氏は、自らの共産党体験、六〇年代後半の反戦青年委員会の闘いの中で中核派が持っていた大衆的「権威」が「内ゲバ」を通して急速に失われていったこと、昨年のフランス大統領選でトロツキスト二派が一〇%強を獲得し、スターリニスト共産党の三倍以上の得票で彼らの深刻な危機を作りだしたことなどを紹介するとともに、スターリニストとは区別されたキューバ革命の今日的意義についても訴えた。

 討論の中では、「内ゲバ犠牲者の遺族」の悲しみに触れることをぬきにした政治的主張には限界があるのではないか、という意見や、「内ゲバの問題は左翼の宿弊であり、無謬論に立つ独善的な左翼の体質では内ゲバはなくならない」という意見も出た。私は「内ゲバは決して左翼党派の宿命ということはできない。一九一七年までのロシア革命運動の中でボルシェビキとメンシェビキの対立・闘争にもかかわらず、党派闘争における肉体的・物理的暴力の行使は存在しなかった。内ゲバ主義の問題はスターリニズム支配との関連でとらえなければならない」と訴えた。

悔い改めることができない人々

 ところでこの討論の中で、もう一つのテーマとなったのはブント(SENKI派)の内ゲバ主義の問題についてであった。これは『検証内ゲバPART2』の中で、元戦旗・共産同の小林義也氏が「市民運動を装うSENKI派にも息づく内ゲバ主義」と題する文章を寄せたことに対し、その内容に関してSENKI派の前田浩喜氏が編著者に向けた「公開質問状」を出して批判したことに関わっている。シンポジウムでは、数名のSENKI派の中心的活動家が参加して、小林氏などとの論争になった。

 SENKI派の主張は、「内ゲバ主義というレッテル貼りの不当性」を強調するものであったが、ここではかつての生田あい氏への「内ゲバ襲撃」(この件については『検証内ゲバ』の生田氏の文章参照)をふくめて自らの行動と、その結果責任に対する総括がSENKI派に欠けていることは明白ではないか。

 また彼らは発言の中で、当時の戦旗派が一九八三年の中核派の三里塚一坪共有化運動に対する不当きわまるセクト的介入と「内ゲバ宣言」に対して、彼らも強力に主張していた一坪共有化運動の推進を放棄したことを「内ゲバ回避」という名目で改めて正当化した。 ここであらためて繰り返す必要もないが、「内ゲバ党派」の暴力的恫喝に対して自らの主張を引っ込めることは、「内ゲバ主義反対」に全面的に対立する「内ゲバ主義への屈服」にほかならない。この点もふくめて、ぜひ考え直してほしいものである。

 かつてわれわれの「内ゲバ主義反対」の立場は、日本の新左翼運動の中でまったく孤立した「右翼日和見主義」と見られていた。今日、大衆運動の中「内ゲバ」が果たす否定的役割は明白なものとなっており、「内ゲバ」党派は自らの姿を隠すことに躍起となっている。しかしそのことは「内ゲバ主義」の害悪が決して過去の話となったことを意味しない。その思想的・運動的な総括と克服は、今後の大衆運動の展望を切り開く上で不可欠の課題であり続けている。それは日々の共同行動の中で具体的に問題となっている。

 シンポジウムは最後に「内ゲバ廃絶のための私たちの提案」を提起した。「内ゲバ反対」を言葉の上では承認しながらも、現実には「内ゲバ」を容認する考え方もいまだに根強いものがある。スターリニズムに抗してプロレタリア民主主義の思想を防衛してきたトロツキーの闘いを継承しようとしてきたわれわれは、「内ゲバ主義の一掃」を思想的にも運動的にもつらぬいていくためのいっそうの積極的貢献を果たしていく必要がある。
  (4月13日 国富建治)                                     





(私論.私見)