党派間ゲバルトの経過と実態考その2、1980年以降 |
更新日/2018(平成30).9.6日
関連サイト 70年代前半期の諸闘争、70年代後半期の諸闘争、1980年代の諸闘争、1990年代の諸闘争、2000年代の諸闘争
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「党派間ゲバルトの経過と実態考その2、1980年以降」を確認しておく。後日、再推敲する。「内ゲバ - Wikipedia」、「ネットマガジン『新左翼大論争』第2号」、「新左翼内ゲバ事件」、「中核派対革マル派抗争略年表」他を参照する。 2012.10.22日再編集 れんだいこ拝 |
1980年 |
【解放派の革マル派テロ】 |
1.7 日、駒場の東大教養学部、北寮の一室で、寮生10人が懲罰委員会を開いていたが、反帝学評と見られる12、3人の学生が室内と廊下にいた計100人に殴りかかり、11人が負傷した。襲った学生は逃げたが、うち3人は逮捕された。大学の拠点化をめぐり、対立セクトの革マル派とにらみ合う反帝学評は、前年末、他大学の学生を呼ぶなどして、東大の一部を占拠し立てこもった。このことで、寮生から「不法占拠だ」との批判を浴び、反帝学評を懲罰にかけることとなった。 |
【解放派の革マル派テロ】 |
2.5日、文京区向ヶ丘のアパートで、この部屋の東大文学部4年の男性(当時24歳)が寝ていたところ、ヘルメットをかぶった4人組の男が窓ガラスを割って押し入ってきた。男性は鉄パイプで全身を殴られ重傷、一緒にいた女友達(当時21歳)も頭に大怪我を負った。男性は革マル派の集会に出たことがあった。 |
【解放派の革マル派テロ】 |
5.5日、千葉県安房の旅館「権兵衛」で、西洋史研究会の合宿中、「トミオカはいるか」と入ってきた6人の男におそわれ、助教授が死亡、学生2人が重傷、1人が軽傷。メンバーの17人に「トミオカ」という名字の人はおらず、また死亡した助教授も東大在学中に学生運動をしていたことはあったが、近頃はどのセクトにも繋がりを持っていなかった。革労協は「革マルの秘密メンバーを殲滅」という声明。 |
【中核派の革マル派テロ】 |
7.20日夜、練馬区高野台の路上で、豊島郵便局に勤める男性F(37歳)が、覆面の7、8人の男に鉄パイプで殴られ、28日に病院で死亡した。中核派の「革マルの活動家を殲滅した」という声明があった。 |
【中核派の革マル派テロ】 |
9月、動労中央本部教育宣伝部長・小谷昌幸氏がテロられ重傷。 |
【解放派関連】 |
9月、解放派が労対派と狭間派に分裂。 |
【中核派の革マル派テロ】 |
10.30日午前10時45分頃、中核派が、大田区南千束の区立洗足池図書館前の路上で、革マル派の5名(元千葉大生・渡辺28歳、元明大生・益田30歳、元東工大生・清水29歳、元明大生・深山29歳、東工大生の楠24歳)を襲撃し虐殺した。69年から続く内ゲバ事件で80人目の被害者。1度の内ゲバで5人が死亡というのは最多であった。襲ったのは7、8人のグループ。白ヘルに黒マスクで、作業着やジーンズなどを身に着けていた。彼らは警官が来る前に二台のトラック(盗難車)に分乗して逃走したという。 3派はそれぞれ、中核派は求殺隊、革マル派はジャック、革労協はプロレタリア突撃隊なる別働殺人部隊を組織していた。中核派は、「我が革命軍は…カクマルジャックの集団を捕捉し…壊滅的打撃を与えた」、「5人は3・14本多書記長殺害の下手人である。反革命革マル派に対しては、さらに第二、第三の”10・30”を敢行する」などと犯行を自認。翌年に中核派活動家が指名手配されたが時効が成立した。指名手配された男とその母親が、「えん罪だったのに潜伏生活を強いられた」と都に損害賠償を求める訴訟を起こし、2004.3月に東京地裁で300万円を支払いを命じる判決が下されたが、2005.10月の二審では一審を破棄、請求を棄却している。 |
【解放派関連】 |
10.30日、革労協が、10.31狭山集会の前段闘争で検察庁合同庁舎へ火炎放射器でゲリラ攻撃。 |
1981年 |
【解放派関連】 |
6月、革労協では77年に書記長を殺害されてから「徹底報復を主張する軍事路線の狭間嘉明らの学生活動家出身グループ「狭間派」と、大衆闘争・労働運動を重視する佐々木慶明率いる労働者グループ「反狭間派」(滝口弘人、高見圭司ら)が対立していたが、この頃分裂した。三里塚闘争で、狭間派は反対同盟・北原派を、労対派は反対同盟・熱田派を支援する。 |
【解放派の内ゲバ】 |
7.11日、革労協による7.11渋谷区本町内ゲバ殺人事件。 |
1982年 |
【解放派の革マル派テロ】 |
2.24日、革労協が革マル派1名を殺害。2.24荒川区南千住内ゲバ殺人事件 。 |
1984年 |
【中核派関連】 |
1984年に入ると、中核派による第四インターへの内ゲバ事件が全国的に起こる。これは成田空港反対同盟の分裂に関係するもので、中核派は反対同盟北原派ではなく熱田派を支援する第四インターを「脱落派」と決めつけて攻撃したものである。 |
【中核派関連】 |
9.19日、中核派が、自民党本部へ無人トラック攻撃。 |
【中核派関連】 |
11.27日、中核派が、時限発火装置で千葉県知事、浜田幸一代議士らの事務所攻撃。 |
1985年 |
【中核派の革マル派テロ】 |
2.5日午後2時過ぎ頃、和光大学構内で、革マル派活動家が中核派活動家を襲撃。竹竿・鉄パイプ等の凶器を用いて暴行を加え、中核派8人、革マル派1人が負傷した(和光大事件)。凶器集合準備・傷害などの罪で逮捕・起訴される。 |
1986年 |
【革マル派の中核派テロ】 | |
1.20日白昼、京都大学教養部構内でオルグ中だった中核派の全学連副委員長代行・福島慎一郎(25歳)が、待ち伏せしていた集団に鉄パイプで頭部を殴られ、脳挫傷等により死亡した。革マル派は「中核派『軍団』の敵対を完全に粉砕した」などと犯行を自認した。中核派の声明は次の通り。
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【中核派の革マル派テロ】 |
9.1日未明、中核派が、大阪、兵庫、埼玉の6ヶ所で、国鉄労組幹部宅を襲撃した。この同時多発襲撃事件で、革マル派且つ真国労大阪地本書記長・前田正明(37歳)が兵庫県伊丹市で就寝中を襲われ虐殺された。夫人も全身打撲の重傷を負った。他8人の組合幹部とその家族が重軽傷を負った。当時、国鉄では、「分割・民営化」を支持する真国労・勤労・鉄労・全施労と、これに反対する中核派の対立が続いていた。中核派は5月に襲撃を予告していた。9.2日、警察は中核派の関西拠点を殺人未遂容疑で家宅捜索し、犯行を認めるビラや鉄パイプを押収した。 |
1987年 |
【中核派の革マル派テロ】 |
2.23日、茨城県茎崎町の路上で、出勤途中の動労中央本部副委員長が、待ち伏せしていた白、青色ヘルメットの6人くらいの男に襲われ、鉄パイプ、バールなどで滅多打ちにされ両手両足骨折の重傷。中核派が犯行を自認。 |
【中核派の革マル派テロ】 |
5.18日、東京・武蔵野市内の駐車場で、動労拝島運転区渋い院長がJR武蔵境駅まで歩いて出勤中、ヘルメット姿の5、6人の男にハンマー、鉄パイプなどでおそわれ、両手両足骨折の重傷。翌日、中核派は「動労=カクマルへの正義の赤色テロである」と記載したビラを都内数カ所に巻き、犯行を自認。 |
【中核派の革マル派テロ】 |
8.29日、千葉県船橋市の路上で、東日本鉄道労連、・千葉支部副委員長が自転車で出勤途中、ヘルメット姿の数人の男で鉄パイプで襲われ、両手、両足、顎骨折の重傷。中核派が犯行を自認。 |
【解放派の革マル派テロ】 |
10.30日朝、ラッシュ時の赤羽駅構内で、出勤途中のJR東日本の職員が、鉄パイプやハンマーで襲われ、両足と頭蓋骨骨折などの重傷を負った。革労協狭間派は「反革命革マル…を徹底せん滅し、再起不可能状態を強制した…」などと犯行を自認。 |
1988年 |
【中核派の革マル派テロ】 |
3.3日、中核派が、群馬県渋川市で東日本旅客鉄道労組高崎地本委員長・動労高崎地本委員長・松下勝氏がテロられ死亡。自宅で就寝中、中核派の7、8人に襲われて死亡。 |
【革マル派の中核派テロ】 |
7.1日、京大教養学部構内で内ゲバ。中核派8人が負傷した。 |
【解放派の内ゲバ】 |
この頃から中核派と革マル派に関する党派ゲバルト事件自体が急速に減少する。それにかわって深刻になったのが革労協の内部抗争で、これは現在まで続き、10名以上の死亡者を出している。 |
1989年 |
【解放派の内ゲバ】 |
2.5日、永井派の元軍事指導部・辻美喜が狭間派によりリンチ殺害される、とある。警察は、「自己批判をせまられ、発作的に飛び降り自殺した」見解を発表。 |
【中核派の革マル派テロ】 |
2.28日、中核派が、茨城県那珂町の路上でJR東鉄労水戸地本組織部長を襲い死亡させた。 |
【解放派の内ゲバ】 |
6.25日、狭間派が、埼玉県川口市のアパートで、解放派狭間派の最高幹部№2の永井啓之(43歳)方に押し入り、永井を連れ去った。その後、茨城県牛久市の市道トンネルで、寝袋に入れられた永井の遺体が見つかった。殴られた跡があり、顔は判別できないほど膨れあがり、肋骨15本などが骨折する無惨な状態だった。 「反狭間派」と別れた同派は狭間・永井を中心に活動していたが、強硬な軍事路線をとる狭間と、大衆闘争で組織を拡大していこうとする永井との間で新たな対立が生まれ、永井は除名処分を受けていた。このことから当初から内ゲバによる殺人事件と見られた。 6.28日、革労協(狭間派)は都内で記者会見。内部抗争であることを認めた。「わが党、同盟によって昨年除名、その後敵前逃亡し、加重処分の対象となっていた永井が、永井をめぐる組織防衛上の課程で肉体的に変調をきたし、放したが、その後、マスコミ報道によると死亡した」。この事件は時効が成立している。 |
【中核派の革マル派テロ】 |
9.1日、中核派が大阪、兵庫、埼玉の6ヶ所で、国鉄労組幹部宅を襲撃。この同時多発襲撃事件で、革マル派且つ真国労大阪地本書記長・前田正明(37歳)を兵庫県伊丹市で就寝中を襲い乱打死亡させた。夫人にも全身打撲の重傷を負わせた。他8人の組合幹部とその家族が重軽傷を負った。 当時、国鉄では、「分割・民営化」を支持する真国労・勤労・鉄労・全施労と、これに反対する中核派の対立が続いていた。中核派は5月に襲撃を予告していた。9.2日、警察は中核派の関西拠点を殺人未遂容疑で家宅捜索し、犯行を認めるビラや鉄パイプを押収した。 |
【解放派の革マル派テロ】 |
10.30日朝、ラッシュ時の赤羽駅構内で、出勤途中のJR東日本の職員が、鉄パイプやハンマーで襲われ、両足と頭蓋骨骨折などの重傷を負った。革労協狭間派は「反革命革マル…を徹底せん滅し、再起不可能状態を強制した…」などと犯行を自認。 |
【解放派の内ゲバ】 |
11.7日、北海道帯広市の列車内で、狭間派の女性活動家が、包丁で腹を切って自殺するという事件が起きている。 |
【解放派関連】 |
11月、「永井殺害事件」から4ヵ月後、狭間派最高指導者・狭間嘉明が、「永井啓之殺人事件」容疑で逮捕される。警視庁公安部は、6年にも詐欺容疑で逮捕したが、永井幹部殺害事件の手掛かりを得ることはできなかった。内部対立が深刻化。 11.7日、北海道帯広市の列車内で、狭間派の女性活動家が、包丁で腹を切って自殺するという事件が起きている。 |
【解放派の革マル派テロ】 |
12.2日、解放派が、埼玉県大宮市の路上でJR総連総務部長を襲い、死亡させた。 |
1990年 |
【党派間ゲバルト死者数考】 |
6月現在、70年の海老原事件以来のゲバによる死者計83名。70-1、71-5、72-2、73-2、74-11、75-20、476-3、77-10、78-7、79-8、80-8、81-2、82-1、83-0、84-0、85-0、86-2、87-0、88-1、89-3。党派別の死者は中核派による革マル派殺害46名、解放派による革マル派殺害23名、革マル派による両派殺害15名、その他2名。但し、重傷負傷者数も調査されねばならない。 |
1991年 |
【革マル派の中核派テロ】 |
4月、革マル派が、中核派のけしば氏を襲撃。これに対する革マル派への報復テロ(91・5)。 |
【革マル派関連】 |
10月、革マル派の最高指導者・黒田寛一が、労対4人組(森、土門、朝倉、西条?)を批判、元全逓労働者土井(DI)を抜擢する。 |
1992年 |
【革マル派の内部抗争】 |
3月、革マル派が、沖縄教労高橋利雄拉致、後殺害。 |
【革マル派の内部抗争】 |
*月、革マル派の沖縄党トップ山里章,全駐労党トップ仲原忠義が脱退。 |
【革マル派の内部抗争】 |
7月、革マル派を脱退した沖縄党トップ山里章が拉致される。 |
1993年 |
【革マル派の内部抗争】 |
7月、拡大全国委員会で黒田議長が、賃プロ主義者DIを「粛清」。 |
1994年 |
【革マル派の内部抗争】 |
革マル派沖縄県委員会の高橋利雄の拉致・監禁・殺害、山里章の脱落・逃亡により、沖縄県で大きな勢力を誇った革マル派組織は壊滅的状況に陥る。 |
1995年 |
【革マル派関連】 |
10月-12月、JR労組幹部(鉄道友愛会議長)宅に電話盗聴。 |
【革マル派の内部抗争】 |
12月、革マル派を脱退し拉致されていた沖縄党トップ山里章が脱出生還する。 |
1996年 |
【革マル派関連】 |
2月、JR内部で活動する革マル派の実態を告発した『JRの妖怪』の著者である小林峻一の自宅から取材メモやフロッピーディスクなどを盗み出し、その情報をもとに、取材に応じた関係者に対して脅迫や嫌がらせを行う。これに対し、警察は革マル派非公然アジト「大和アジト」を家宅捜索。 |
【解放派の革マル派テロ】 |
5.14日午後9時頃、横浜市青葉区新石川の國學院大學たまプラーザキャンパス付近の路上で、革労協(挟間派)の十数人が、革マル派の国学院大生ら数人を鉄パイプで殴り、1人を殺害(革マル派活動家の元早稲田大学社会科学部自治会委員長)、6人に重傷を負わせた。 |
【革マル派関連】 |
8月、国鉄労働組合(国労)本部書記長(当時の企画部長)宅に不法侵入する事件を起こす。 |
【革マル派関連】 |
10月、議長・黒田が辞任し、後任議長に植田琢磨が就任。 |
1997年 |
【革マル派関連】 |
6月以降、神戸連続児童殺傷事件は冤罪だとする闘争に乗り出す(米国のCIAによる「謀略的権力犯罪」であると主張)。 |
【革マル派関連】 |
8月-10月、早稲田大学学生部長宅盗聴事件。これに対し、警察は革マル派活動家10人を指名手配。 |
【革マル派関連】 |
9月、神戸連続児童殺傷事件の被疑少年の精神鑑定を行った医師が勤務していた神戸市北区の兵庫県立光風病院に不法侵入し、警察・検事調書の写し等の事件記録のファイル9冊を盗み出す。また、盗聴器を仕掛けるため被疑少年の両親宅にも忍び込む。 |
1998年 |
【革マル派関連】 |
1月、革マル派非公然アジト「豊玉アジト」が摘発され、偽造した警察手帳や公安調査官証票などが押収される。 |
【革マル派関連】 |
4.9日、革マル派非公然アジト「浦安アジト」が摘発され、警察無線解読機器などが押収される。これにより、革マル派が警察無線の傍受を行っていた事が発覚する。 |
【革マル派関連】 |
11月、革マル派非公然アジト「厚木アジト」が摘発され、鉄パイプ・鉄棒入り竹刀・サバイバルナイフ・鉈・まきびし等の凶器が押収される。 |
1999年 |
【革マル派関連】 |
1月、革マル派非公然アジト「荒川アジト」が摘発され、指名手配中の1人を含む非公然活動家4人が逮捕される。また、偽造ナンバープレート・鉄パイプ・まきびし・携帯電話電波妨害用機材などが押収される。 |
【解放派関連】 |
5.6日、解放派は1980年に主流派の狭間派、反主流派の労対派に組織分裂(第一次分裂)、1988(昭和63).1月、主流派の狭間派、反主流派の永井派に組織分裂(第二次分裂)しているが、主流派の狭間派内で戦術方針をめぐって狭間派が主流派(中執系千木良派)と反主流派(明大系山茂派)に分裂する。 挟間派は89年6月25日の元革労協(挟間派)最高幹部内ゲバ殺人事件以降も、神奈川グループや関西グループの脱退などで分裂を繰り返していた。また最高幹部・挟間嘉明の健康悪化による指導力低下で、山田を中心とする学生グループと古参幹部を中心とする労働者グループで主導権争いが起こった。5.7日の東京地裁において双方が怒鳴りあうなど表面化していた。以後、主流派を「現代社派」(千木良派)、反主流派を「赤砦社派」(明大系山茂派)と表記する。 |
【解放派の内ゲバ】 | |
6.4日、「赤砦社派」が、東京・北区豊島の日本キリスト教団「王子北教会」礼拝堂で牧師と談話中の革労協(挟間派)・学生グループ「現代社派」の最高幹部・山田茂樹を鉄パイプのようなもので襲撃。山田は、右腕と両足を骨折、全身打撲という大けがを負った。 「現代社派」は次のように声明している。
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【解放派の内ゲバ】 |
7.2日、赤砦社派が、出勤途中だった現代社派の明大生協理事・長田佳比古(50、荻野)を襲撃虐殺する。 |
【解放派の内ゲバ】 |
7.21日、現代社派が、赤砦社派の相川一郎(中山)を襲い、相川氏は二日後に死亡。 7.22日、狭間派は、明大生田キャンパスに再度、全国動員公然ゲバ部隊を差し向け、構内の山田派に白昼の襲撃。狭間派の37名は凶準と建侵で構内に入った全員が検挙・起訴された。この大量逮捕がたたり、拠点の明治をはじめ山谷や福岡、九州大など「同派のシンボル」から狭間派が一掃され、山田派一色に塗り替えられることになった。 |
【革マル派関連】 |
10.23日、早稲田大学法学部教授宅盗聴事件の電気通信事業法違反容疑で、革マル派非公然アジト「札幌豊平アジト」が摘発され、携帯電話・カセットテープ・文書類などが押収される。また、アジトにいた革マル派非公然活動家の荒井政則が、免状不実記載の疑いで逮捕される。 |
【解放派の内ゲバ】 |
11.14日、赤砦社派が、福岡市城南区で現代社派幹部・安部利昭(当時50)を襲撃し虐殺する。 |
2000年 |
【解放派の内ゲバ】 |
2.8日、現代社派が、福岡県内の赤砦社を襲撃し、駐車場で九州大生の活動家・片岡知和(25、福井大生)を虐殺。 |
【解放派の内ゲバ】 |
2.9日、赤砦社派が、神奈川県のJR真鶴駅上りホームで、現代社派襲撃部隊のキャップ柿沼忠(48歳)を襲撃し虐殺、サブの女性が3人組の男に襲われ、停車していた伊東発東京行きの1普通電車に逃げ込む。2人は小田原駅で降ろされ病院に運ばれたが、男が右胸を刺され死亡、女の方も背中や腹を刺されて重傷を負った。5.60歳代と見られる逃げた3人組は真鶴駅の改札口を抜け、海の方向へ逃げて行った。3人とも大きなマスクをしていた。 |
【解放派の内ゲバ】 |
8.30日、現代社派が、JR鶯谷駅で赤砦社派の明治大学生協組合書記長・片山美恵子(48)を襲撃し虐殺。襲撃したメンバーはワゴン車で逃走した。 |
【解放派の内ゲバ】 |
12.10日、赤砦社派が、東京・清瀬市の路上で、現代社派の革労協総務委員・タクシー運転手の仲野茂樹(52)を襲撃虐殺。革労協狭間派の主流派と反主流派抗争で既に6人が死亡しており7人目の犠牲となった。 |
2001年 |
【革マル派関連】 |
4.7日、神奈川県横浜市青葉区新石川の國學院大學たまプラーザキャンパス構内で午後0時頃、同大学の学生自治会を事実上支配している革マル派の活動家ら数人が、サークルの勧誘をしていた同大学の男子学生を取り囲んで集団で暴行を加え、約10日間の軽傷を負わせた上、「なぶり殺しにしてやる」、「家に火をつけてやる」などと脅迫。これに対し、神奈川県警察は被疑者を指名手配して捜索を行う。 2001.12.23日~2002.3.21日、國學院大學たまプラーザキャンパス構内で発生した集団暴行事件の被疑者として、革マル派活動家の早水潤二・北條純・福本満および岡田貴行が、傷害と脅迫の疑いで相次いで神奈川県警察に逮捕される。 |
【解放派の内ゲバ】 |
5.16日、赤砦社派の4名が、千葉県八街市の飲食店駐車場で、現代派社の幹部・矢野義孝(49)を乗用車内から引きずり出し、ハンマーで頭などを殴打襲撃虐殺。8人目の死者となった。 |
【革マル派関連】 |
6月、革マル派非公然アジト「玉川アジト」が摘発され、非公然活動家2人が逮捕される。翌月、同アジトの名義人だった小学校教諭が犯人蔵匿罪で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
11月、革マル派非公然アジト「名古屋西アジト」が摘発され、活動家1人が有印私文書偽造・同行使罪等で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
12.26日、警視庁と北海道警が、革マル派非公然アジトの札幌市中央区のマンションなど北海道内11ヶ所を捜索。神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで指名手配されていた、革マル派非公然活動家の塩田明男ら3人の逃亡犯が、アジトに潜伏していたところを発見され、逮捕される。また、早稲田大学法学部教授宅盗聴事件の電気通信事業法違反容疑で指名手配されていた広田雅明も逮捕され、さらに現場にいた革マル派活動家・住井秀行が犯人蔵匿の現行犯で逮捕される。 |
2002年 |
【解放派の内ゲバ】 |
10.30日、現代社派が、JRうぐいす各駅南口で、赤砦社派の片山美恵子を襲撃し虐殺(享年48歳)。 |
2003年 |
【革マル派関連】 |
1.17日、革マル派非公然アジト「貫井アジト」が摘発され、フロッピーディスクなどが押収される。 |
【革マル派関連】 |
3.16日、「革マル派結成40周年・『共産党宣言』155周年記念革共同政治集会」を開催。議長・植田琢磨が「わが党組織建設の新たな段階を切りひらけ!革マル派結成40周年記念集会に際して」と題する記念講演を行う。 |
【革マル派関連】 |
4.24日、革マル派非公然アジト「弥生アジト」が摘発され、パソコン、フロッピーディスク、ビデオテープなどが押収される。 |
【革マル派関連】 |
6.20日、革マル派非公然アジト「福岡城南アジト」が摘発され、パソコン、フロッピーディスク、携帯電話などが押収される。 |
【革マル派関連】 |
7.6日、「弥生アジト」に在室していた活動家2人のうちの1人が、詐欺罪及び有印私文書偽造・同行使罪で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
9月-12月、早稲田大学法学部教授宅に対する電話盗聴事件などで指名手配されていた革マル派非公然活動家6人が、東京都千代田区で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
9.12日、「福岡城南アジト」の名義人だった小学校教諭が詐欺罪で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
10.31日、革マル派非公然アジト「沖縄アジト」が摘発され、フロッピーディスク、携帯電話などが押収される。 |
【解放派関連】 |
12月、狭間嘉明最高幹部が病死(享年55歳)。 |
2004年 |
【解放派の内ゲバ】 |
6.2日、現代社派が、東京・台東区三ノ輪の路上で、赤砦社派の撃され、全学連委員長・五十嵐章浩(31)、他に身元不明の2名が死亡。小山元全学連副委員長とその防衛役五十嵐氏の2名が出血多量などで即死。革労協の内内ゲバでは、すでに10人が死亡している。 |
2005年 |
【革マル派関連】 |
11.30日、神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の被疑者として指名手配されていた、革マル派非公然活動家幹部・竹内政行が警視庁に出頭し、窃盗と建造物侵入の容疑で逮捕される。 |
2006年 |
【革マル派関連】 |
1.6日、2005年10月26日に大阪経済大学で教職員に対する暴行したとして、革マル派の活動拠点となっていた大阪経済大学の自治会室や学生会室などを、大阪府警が家宅捜索。活動家8人を逮捕。 |
【解放派の内ゲバ】 |
3.28日、赤砦社内で大物・岸本修が死亡。赤砦社は死因を心臓麻痺としたが、全身にアザがあった。翌日、傷害致死の容疑で社内に家宅捜索が入る。 |
1.解放派=革命的労働者協会=現代社=狭間派 |
【革マル派関連】 |
6.26日、元議長・黒田寛一が埼玉県内の病院で死亡。享年78歳。 |
【革マル派関連】 |
12.4日、神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで窃盗や建造物侵入などの罪に問われていた、革マル派非公然活動家の塩田明男ら6人の被告人に対し、東京地方裁判所(大島隆明裁判長)が懲役5年~1年10ヶ月の実刑判決を言い渡す。 |
2008年 |
【革マル派関連】 |
2.8ー22日、革マル派活動家の宇田耕一郎が2007年9月24日に偽名でホテルに宿泊していた疑いで、警視庁と神奈川県警察は、有印私文書偽造・同行使などの容疑で、千葉県八千代市八千代台の団地の一室など、計4ヶ所の革マル派非公然アジトを家宅捜索。同派によって収集されていた警察関係者の人事異動記録や顔写真などを押収。同月18日には革マル派の拠点「解放社」の家宅捜索をおこない、22日に宇田を逮捕。 |
【革マル派関連】 |
12.17日、居所と運転免許証記載の「住所」が相違する事を奇貨として、2006年10月24日に免状等不実記載で神奈川県警察公安第三課に逮捕された鎌倉市在住の活動家について、横浜地方裁判所(三代川俊一郎裁判長)は「情報収集を目的とした“為にする”逮捕であり違法不要であった」として国家賠償法に基づく賠償を神奈川県に命じる。 |
2009年 |
【革マル派関連】 |
1.14日、神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで窃盗や建造物侵入などの罪に問われていた、革マル派非公然活動家幹部の竹内政行ら3人の被告人に対し、東京地方裁判所(戸倉三郎裁判長)が懲役2年6ヶ月の実刑判決を言い渡す。 |
【革マル派関連】 |
4.28日、大阪経済大学の革マル派学生活動家退学処分について、大阪地方裁判所が処分を無効とする判決。 |
2010年 |
【革マル派関連】 |
7.3日、他人名義でホテルに宿泊したとして、有印私文書偽造・同行使などの容疑で革マル派活動家1人を警視庁公安部が逮捕。 |
【革マル派関連】 |
7.26日、革マル派活動家に譲渡する目的で預金通帳をだまし取ったとして、詐欺容疑で奈良女子大学4年の革マル派活動家を奈良県警警備部が逮捕。 |
【革マル派関連】 |
革マル派は、警察のデジタル無線を傍受する技術を持っている。しかし、警察のデジタル無線はそのパスワードが定期的に変更されている。警察のデジタル無線を傍受するにはパスワードを知らなければ不可能である。とすれば、革マル派はパスワードを知ることができる立場に位置していることになる。即ち警察内部に革マル派メンバーがいる、又は警察と革マル派間に何らかの意思疎通がある、と云うことになる。 |
(私論.私見)