「党派間ゲバルトの経過と実態考」その1、1979年まで

 更新日/2018(平成30).9.6日

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 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「党派間ゲバルトの経過と実態」を確認しておく。後日、再推敲する。「内ゲバ - Wikipedia」、ネットマガジン『新左翼大論争』第2号」、新左翼内ゲバ事件」、「中核派対革マル派抗争略年表」他を参照する。
 
矢沢和彦氏は、「革命的暴力か内ゲバ主義か」論文の「第一章 革命的前衛の緊急の任務―『新』左翼の腐敗を突破せよ―」の中で、次のように述べている。
 「いま『新』左翼セクト相互の襲撃、リンチ、計画的な傷害、そして殺人があいついでいる。革マル派、中核派、解放派などが相互に『ウジムシ』、『青ムシ』、『反革命カクマル』、『宗派』などと呼び合い、殲滅を宣言し、スパイを放ち謀略をはりめぐらし、機関紙上でその『戦果』を大々的に宣伝し、おのおのもはや『全滅寸前の敵』を『最後の一匹まで掃討する』決意を恥しげもなく披瀝しあっている。『新』左翼に心情的共感をいだいて期待をつないで来た労働者・人民諸君も、度重なるこの醜態にすっかり落胆している。この醜態はすでに『若気の誤ち』を通りこしている」。

 しかし、史実は、矢沢氏の提言は彼らには届かなかった。「検証内ゲバ」は、そのメンタル論理を簡略に次のように明らかにしている。
 「(中核派、革マル派などの)内ゲバは、双方とも思想・信念に基づく闘いであり、内ゲバの当事者である活動家達には、離脱する自由も、内ゲバに加わらない自由もあった。にも関わらず、多くの活動家たちは、『内ゲバ』にそれぞれの党派の未来、革命運動の未来を賭けて闘っていった。内ゲバの死者たちは、自らの信念に基づいて弊れていったのだ」。

 2012.10.22日再編集 れんだいこ拝


【「党派間ゲバルト」概観】
 中核派対革マル派の「党派間ゲバルト」の経過は、立花氏の著書「中核VS革マル」の巻末資料に詳しい。社青同解放派対革マル派の「党派間ゲバルト」の経過の資料は手元にないので分からない。云える事は、「70年安保闘争」目前に向自化して以降十余年行き着くところまで行き着き、互いに相当なダメージを負ったということだろう。

 興味深いことは、中核派が直情突破型で、革マル派が策略複線型とでも表現できるようなゲバルトの行使の仕方が違うところである。その結果として死者が出た場合の対応にも違いがあるように思われる。中核派の場合は、当初はノーコメント、次第に開き直り、遂には報復であり戦果を誇るという具合に変遷している。革マル派の場合には、即応でコメントと意義付けが為され、但し死者の発生についてはゲバルト以外の理由付け例えば手当てが遅れたとか他の病気を併発したとかの論で糊塗することが多い。その他、中核派は「党派間ゲバルト」のジハード性についての大衆的宣伝はさほどではなく、革マル派の場合にはかなり重視してこれを行うという差が見られる。その他、敵対党派の活動家・支持者に対する嫌がらせ電話等のナーバス作戦は革マル派の専売特許のような観がある。「誤爆」は双方かなり発生させているが、その対応差については分からない。

 智謀については全く互角で、互いが最終的解体を何度も確認しているにも関わらず生き延びてきているところ辺り、党派としての底力を感じさせる。党派外の者が傍から意見を云うのが憚られるほどに、当事者にとっては抜き差しならないほどに定向進化させており、凄まじい「戦争」であったことは確かである。法治国家の間隙を縫うようにして、秘術を尽くした経過が記録されている。れんだいこも安直なコメントは差し控えさせて貰う。

【「党派間ゲバルト」被害資料】
 「党派間ゲバルト」の原点は、社青同解放派対革マル派の怨恨から始まることが案外知られていない。時は1969年、早大キャンパスに於ける両派の「監禁テロ」事件により「党派間ゲバルト」の火蓋が切って降ろされた。続いて、中核派対革マル派の抗争も激化し、70年安保闘争直前に戦端が開かれた。この両派の抗争の根は深い。そもそも60年安保闘争後のブントの分裂と、革共同の吸収、その後の再分裂から説き起こさねばならない。しかし、それは別章に譲ることとして、1970.8.4日の中核派による革マル派の東教大生・海老原俊夫氏のリンチ死から追うことにする。この事件から説き起こすことは、中核派にとってやや分が悪いことではあろうが、「リンチ死」というエポックを為したのがこの事件であったという画期性とここから両派の向自的な抗争が堰を切ったように始められたという意味で、やはりここに打ったてを据えることにする。

 1969年

【革マル派の社青同解放派テロ】 
 5月、早大全共闘を主導する政経学部を拠点とする社青同解放派と革マル派が抗争し、相互に監禁リンチ事件を発生させている。結果的に早大社青同解放派はキャンパスから放逐されることになった。この時テロられた解放派の数名は重度の身体障害者となっていると聞く。以降早大キャンパスには、革マル派の日常的パトロール隊の監視により、社青同解放派はむろんのこと敵対党派は一歩も構内へ入れないという事態が続いていくことになる。

 1970年

【中核派の革マル派テロ】
 8.4日、革マル派の活動家・東教大生・海老原俊夫氏の死体が発見される。中核派のリンチ・テロで殺害されたことが判明。中核派は事件に沈黙した。革マル派は怒りを爆発させ報復を宣言。(「海老原俊夫君虐殺」事件考

【革マル派の中核派テロ】 
 8.14日、革マル派が、法政大に侵入襲撃し、中核派学生を捕捉、十数人に陰湿なテロ。その時のテロが陰湿酸鼻なものであった。

 「海老原事件」以後、中核派拠点大学に対して革マル派の報復が全国大学で激化し、この中でいわゆる集団戦が大学構内や街頭・駅構内で展開され、中核派は、拠点大学から次々に撤退していった。革マル派は怒りを爆発させ報復を宣言。

【革マル派関連】
 梅本克己氏の内ゲバ論(「何を革命するのか-党派の論理と革命の論理」70年9月、朝日ジャーナル)が発表されている。「内ゲバの底をさぐっていけばそこにはかならず特権意識につきまとわれた『前衛意識』があり、大衆蔑視の思想がある」、「その大衆蔑視が自己絶対化に、そして他者の否定につながる」、「何が階級的であるかということも党派の論理によって決定」、「自己解体の論理の必要」(「何か」所収)等々と書かれている。

 1971年

【革マル派関連】
 3月、革マル派は、「革命的暴力とは何か?」(全学連中央執行委員会情宣部編集、こぶし書房)を出版し、同派の党派間ゲバルト理論を打ち出した。「海老原虐殺問題との対決を契機とした《党派闘争の論理と倫理》についての真摯な省察とあくことなき追求の集大成」と評している。

 主な内容(目次から引用)は次の通り。 「海老原虐殺をめぐる日本左翼戦線」として、 Ⅰ・虐殺糾弾 満身の怒りをこめて 革共同・革マル派、殺人者集団ブクロ派を殲滅せよ-全学連、労働戦線から放逐せよ-東京反戦、沖縄マルクス主義者同盟からの弔電、東京教育大学友人一同の弔電。 Ⅱ・党派闘争貫徹のために 断固とした組織的反撃を-全学連・洞田勉、ブクロ=中核派を革命的に解体せよ-革共同・中央学生組織委員会、虐殺者集団を免罪する梅本克己-小島正臣 。Ⅲ・党派闘争と暴力 何を革命するのか-梅本克己、海老原虐殺問題をめぐって-朝倉文夫・高知聡、「梅本克己氏に聞く」 党派闘争はいかになすべきか 虐殺と反撃は同列におけないが 革マル派は自己を絶対化? キリストになれとは言いたくないが・・、現代ソ連邦と社会主義の問題。 Ⅳ・政治と暴力-高知聡 前進社への最初の抗議、わが饒舌家の醜悪な本質、梅本克己における自己解体の現実、政治暴力論ノート、海老原事件をめぐる<政治>と<文学>。Ⅴ・「新左翼」の退廃と知識人 海老原虐殺問題をめぐって-高橋和巳・高知聡、中途半端な「自己解体」=高橋和巳の場合-狩本青蔵。Ⅵ・知識人の反応 A 第一次アンケート、深まる思想的退廃-早稲田大学新聞・編集部、B 第二次アンケート、新たな思想的営為のために-早稲田大学新聞・編集部。Ⅶ・海老原虐殺の意味 環境・自己を変革する活動とは何か-大久保そりや

【革マル派関連】
 6.18-19日、沖縄で、日共系の沖縄人民党と革マル派が衝突し、真相が定かではないが、革マル派によれば民青による琉球大学男子寮襲撃によるもので、「琉球大生の革マル派活動家・町田宗秀虐殺事件」が発生した。埴谷雄高、対馬忠行、高知聴ら9氏が「日共スターリン主義者に対する抗議と糾弾のための思想戦線統一を訴える共同声明」を発表し抗議している。

 これについて筆者はかく思う。この事件は筆者の学生運動現役の頃の事件であり、革マル派が早大本部キャンパスで、日共糾弾の大々的集会を開催した。対するに、民青同は事件の概要を伝えることが遅れ、暫く何のことか分からず困惑したことを記憶している。

【中核派の革マル派テロ】
 10.20日、中核派が、革マル派の活動家・美術学院院生・水山敏美を横浜国大富士見寮で虐殺、他東工大生と教育大生の数名が重傷した。次のような背景があった。横浜国大は元々中核派の拠点校だったが、革マル派が横浜国大富士見寮に他大学の革マル派学生を含めて泊まり込んでいた。この頃、中核派が武闘路線の為に学生の学外活動が多くなり、その手薄に乗じて革マル派が勢力を伸張し始めていた。10.20日当日は臨時学生大会を開催し、中核派執行部を追い出す手はずになっていた。そのぶち壊しを狙っての中核派の襲撃であった。

 これに対し、革マル派は「革マル恐怖症-殺人狂乱患者に落ちぶれたブクロ派を絶滅せよ」と題した「中核派絶滅宣言」を発表し、予告通リ攻勢にでることになる。次のように述べている。
 「〝本来の戦線〟において『革マル派の時代』をめざして着実に闘っている我が同盟にとって、既に生命のつきたブクロ派などは、もはやとるに足らぬ対象でしかない。とはいえ、彼らが左翼としての最低の一線を踏み外し、反革マル殺人狂乱患者に落ちぶれたかぎり、我々は革命的左翼としての己の責任にかけて彼らを絶滅する以外にない。むしろここに至っては、一切の怯ダは犯罪的でさえあるのだ。今やブクロ派絶滅の党派闘争を一切の手段と形態と方法を駆使しながら、断固として押し進めなければならない」。

【革マル派の中核派テロ】
 10.20日、水山君事件のあった夕刻、革マル派が、中核派の拠点、池袋の前進社に向かって火炎瓶攻撃を行う。

【革マル派の中核派テロ】
 10.23日、革マル派が、首都圏の中核派拠点大学に対する一斉テロ攻撃。

【革マル派の中核派テロ】
 11.1日、革マル派が、中核派の長谷川英憲杉並区議事務所を攻撃。

【革マル派の中核派テロ】
 11.8日、革マル派が、京都大学前でビラ配りをしていた中核派20名を襲撃。同夕刻、前進社関西支社を攻撃。

【革マル派の中核派テロ】
 12.3日、革マル派関西共闘会議は、大阪経済大学学生会館において、大学の授業料値上げ問題をめぐる闘争の戦術会議を開催し、「関西大学でステッカーとビラ貼りをする。中核派の攻撃に備えて突撃隊を編成する」と決定した。翌4日未明、革マル派30名は会館を出発し、電車で関西大学に向かった。途中大学裏の児童公園で自動車に積んできた武器を受け取り、一部のものが大学構内でステッカー貼りを開始した。

 12.4日未明、革マル派30名が会館を出発し、電車で関西大学に向かった。途中大学裏の児童公園で自動車に積んできた武器を受け取り、一部のものが大阪の吹田市千里の関西大千里山学舎構内でステッカー貼りを開始した。午前6時頃、法文学舎を占拠していた中核派が革マル派部隊を発見。中核派15名が革マル派を襲撃。待ち構えていた革マル派の突撃隊が鉄パイプで反撃し、中核派側が逃走。逃げ遅れた中核派副委員長の辻敏明(京大、22歳)、正田三郎(同志社大、23歳)が滅多打ちにされて死亡。学内に革マル派のビラが貼り出された事から、革マル派によるゲバルト殺人と判明した。これが関西で初めての党派間ゲバルト殺人となった。  

 中核派は、これを12.4反革命と規定し、報復として「無条件且つ全面的に宣戦布告、カクマルに対する全面的殲滅戦争」を宣言。この時までの対応について、「十二・四反革命以前のたたかいは、70年闘争の爆発に追いつめられたカクマル派が時と所を選ばずにやりたい放題の襲撃をかけてきたことにたいする、われわれのやむにやまれぬ正義の反撃としてあった。それはまさに必要不可欠な反撃であった」と「戦略的防御段階の報復戦」と規定している。

【革マル派の中核派テロ】
 12.15日、革マル派が、中核派の三重県委員長・武藤一郎が三重市でビラ配り中に襲撃、虐殺する。この時、革マル派は、病院の医者のコメントを引いて「これは持病の結核と風邪により、急性肺炎を起こして死んだ」と声明。その他、この時期に中核派の三人の政治局員が革マル派のテロにあう。   

 この間中核派は為す術を持たない風であった。中核派はこの頃から革マル派をカクマルと呼ぶようになり、権力と一体となって中核派掃討戦に乗り出している「K=K連合」と認識し始めた。こうして、両派の後に引くに引けないテロ戦が開始されていくことになった。

 1972年

【中核派関連】
 1.5日付け「解放」が「首ねっこ急所論」を述べる。中核派が、これこそ「K=K連合自認論」と批判する。 

【革マル派の中核派テロ】
 1.15日、革マル派が、中核派幹部の陶山健一政治局員をテロ。正月休みで郷里に帰っているところを家族の面前で鉄パイプで殴打する。

【革マル派の中核派テロ】
 2.5日、革マル派が、中核派系の沖縄大学自治会室を襲撃し、中核派活動家3名をテロ。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 2.25日、代々木公園会戦。革マル派が、代々木公園で中核派と集団戦となり圧勝する。

【革マル派と社青同解放派が衝突、党派間戦争に突入する】

 3.30日、大阪地評青年協集会の場で、解放派と革マル派との衝突がおこり、集会が一時的に混乱した。4.28日、沖縄、東京、大阪で労学業会が持たれたが、大阪集会で解放派と革マル派との衝突が発生。この中で革マル派系の木下氏が死亡するという事件が発生。この事件より、解放派と革マル派の党派間戦争に突入した。


【中核派と革マル派の集団会戦】
 9.4日、反戦相模原闘争が主催されたが、この時中核派と革マル派がゲバルト会戦している。中核派が圧勝した。

【革マル派の中核派テロ】
 9.25日、革マル派が、慶応大学日吉校舎で、50名の中核派を包囲し叩きのめす。翌26日、大阪の地下鉄我孫子駅で、中核は40名を襲撃。

【革マル派の中核派テロ】
 10.25日、革マル派が、東西で中核派襲撃。

【革マル派の中核派テロ】
 11.9日、早大で革マル派による「川口大三郎君リンチ殺害事件」が発生。中核派シンパとみなされ、革マル派によるリンチ事件であることが判明した。革マル派は、事件に対し、概要「追及過程での意図せぬ事態でショック症状により死亡したものであるが、党派闘争の原則から実質的にはみ出す行為に走ったといわざるを得ない。一部の未熟な部分によって起こった事態であり、率直な自己批判を行う」と表明したが、余計に怒りを呼んだ。「川口大三郎君リンチ殺害事件」は革マル派の汚点となった。早大で凄まじい革マル派批判闘争が始まった。積年の恨みつらみが一挙に吹き出始め、革マル派は拠点早稲田で追い詰められていった。(「川口大三郎君虐殺」事件考」)

 1973年

【革マル派の川口君事件追及派テロ】
 7.4日、革マル派が、池袋の中核派アジト四ヵ所を襲撃。

【社青同解放派と革マル派の神奈川大での集団会戦、革マル派のレポ2名が殲滅される】
 9.14日未明、反帝学評(青解派)100名が、神奈川横須賀での空母ミッドウェー母港化阻止集会に参加すべく、拠点校の神奈川大3号館と宮面寮に泊まっていたところへ、9.15日午前1時45分頃、覆面姿の革マル派150名が鉄パイプで乱入し、乱闘で双方で21名が負傷した。この乱闘の最中、反帝学評(青解派)がレンタカーで動向視察していた革マル派2名を捕まえ、鉄パイプで滅多打ちにして殺害し、現場から5km離れた浄水場裏に遺棄した。午前10時30分、保土ヶ谷区川島町の横浜市水道局西谷浄水場裏の小道で、金築寛(東大、23歳)と清水徹志(元国際基督教大生、24歳)の死体が見つかった。この事件はそれまで中核派と革マル派の間だけで行われていた内ゲバ殺人に、社青同解放派も参加する契機となった。革マル派は中核派と社青同解放派の2セクトと抗争を引き受けていくことになる。

【革マル派の川口君事件追及派テロ】
 9.16日、革マル派30名が、中央区日本橋の三越本店屋上で、川口事件を追及する反革マル派を鉄パイプで襲い8名が逮捕された。屋上には一般客500人がいた。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 9.17日、鶯谷駅会戦戦。国鉄鶯谷駅ホームで、京浜東北線南行き電車に乗ってきた中核派150名が降り、上野公園口の改札口近くへ向かったところ、上野公園口から革マル派50名が乱入、乱闘となり、5名が逮捕された。

【中核派が報復線開始】
 9.21日、中核派が、東京外語大で、ビラまき中の革マル派学生を襲撃殲滅する。これが、中核派の革マル派への報復戦の本格的開始となった。中核派が「戦略的対峙段階」突入を宣言。以降、中核派と革マル派の「党派戦争」が激化する。 ネットマガジン『新左翼大論争』第2号によると、「清水序文」で、概要「73年9・21以来の中核派の対革マル派赤色テロは件数で436戦闘、完全殲滅43人、そのうち75年3・14以後の革マル派の死亡は31人」と主張しているとのことである。これに対し、革マル派の中核派テロ攻撃の死者(73年以降の)は、74年9月全逓の高橋氏、76年2月静岡大の2人、反戦世話人の橋本秀次郎氏ら約9人とのことである。解放派との「党派戦争」も含めれば、死亡者は100人以上ということになる。

【中核派の革マル派テロ】
 9.25日、中核派が、千葉大で、革マル派学生2名を襲撃殲滅する。

【中核派の革マル派テロ】
 9.26日、中核派が、東京教育大学生寮で、革マル派の東京教育大指導部2名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 10.1日、中核派が、革マル派の大阪市立大指導部2名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 10.1日、中核派が、東京北区路上で、革マル派の埼玉大最高指導部1名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 10.2日、中核派が、革マル派の横浜国大で3名を殲滅。うち2名重傷。東邦大で3名殲滅、うち2名重傷。大阪経済大で1名殲滅。関西の最高指導部1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 10.6日、中核派が、東京の小田急経堂駅で、革マル派政治局員・土門肇を撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 10.8日、中核派が、国際基督教大で革マル派の2名、東京工業大で2名を殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 10.8日、革マル派が、「前進」を印刷中の毎夕新聞社を襲撃。

【革マル派の中核派テロ】
 10.9日、革マル派が、国学院大で20数名の中核派襲撃を撃退。

【中核派の革マル派テロ】
 10.13日、中核派が、革マル派の大東文化大指導部の2名、大阪産業大で10数名を粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 10.18日、中核派が、革マル派の関西地方委員会キャップの楠徹を自宅付近で殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 10.19日、中核派が、革マル派の大阪一立大キャップ片村をアジト付近で殲滅。千葉大で10数名を粉砕、1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 10.19日、革マル派が、沖縄で中核派の4名を殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 10.20日、革マル派約170名が、東京、横浜、大阪、京都の中核派拠点12ヶ所を一斉襲撃(「ミッドウェイ作戦」)。中核派の小野正春に鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 10.21日、中核派が、革マル派の横浜国大生1名を自宅付近で襲撃殲滅。上智大生1名を自宅付近で襲撃殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 10.22日、中核派が、革マル派の国学院大自治会執行委員の女子活動家をバールで襲撃。

【中核派の革マル派テロ】
 10.23日、中核派が、宮崎大で革マル派の1名を襲撃殲滅する。

【革マル派の中核派テロ】
 10.31日、革マル派が、中核派の北海道最高指導部の橋間泰作に鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 11.2日、中核派が、法政大で革マル派の秘密同盟員1名を授業中の教室で殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 11.4日、中核派が、革マル派の大阪市立大中心人物の藤田を殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 11.4日、革マル派が、関西前進社前で中核派の1名に鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 11.5日、中核派が、革マル派の大阪経済大2部の中心メンバー碓井を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 11.6日、中核派が、革マル派の下関市立大でキャップ山本を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 11.7日、中核派が、革マル派の佐賀大指導部の野口を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 11.12日、中核派が、立命館大で革マル派の1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 11.12日、革マル派の早大最高幹部・田中、佐竹が自己批判。

【中核派の革マル派テロ】
 11.15日、中核派が、早稲田大アジト襲撃、国学院大指導部1名を立川市の下宿付近で殲滅。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 11.16日、大阪西梅田地下街で集団会戦。中核派は「壊滅的勝利」、革マル派は「根底的壊滅勝利」を主張。

【中核派の革マル派テロ】
 11.16日、中核派が、革マル派系のこぶし書房を襲撃、幹部1名を撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 11.17日、中核派が、革マル派の東洋大生3名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 11.18日、中核派が、革マル派の琉球大生2名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 11.19日、中核派が、革マル派書記長・朝倉を自宅で殲滅。国学院大生1名、信州大生1名。大阪市立大生1名。神戸大生1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 11.20日、中核派が、革マル派の名古屋大生1名。

【革マル派の中核派テロ】
 11.20日、革マル派が、中核派の突撃隊長江頭に大阪門真市内の下宿で鉄槌。

【革マル派の中核派テロ】
 11.21日、革マル派が、九州前進社を襲撃。

【中核派の革マル派テロ】
 11.22日、中核派が、竜谷大で革マル派の1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 11.23日、革マル派が、大阪の堂島地下街で中核派4名に鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 11.24日、中核派が、革マル派の沖縄突撃隊長殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 11.29日、中核派が、革マル派の沖縄国際大自治会室を襲撃、2名殲滅。東京工業大生1名を解放社付近で鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 12月、中核派が第二次大攻勢。

【革マル派の中核派テロ】
 12.1日、革マル派が、中核派関西最高幹部の山本を大阪の前進社付近で鉄槌。

【革マル派の中核派テロ】
 12.2日、革マル派が、沖縄の高級ホテルで、結婚式を終えた新郎に鉄槌(誤爆)。那覇市で軍事中枢部門6名に鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 12.3日、中核派が、革マル派の沖縄最高幹部を撃沈5ヶ月の重傷。

【中核派の革マル派テロ】
 12.5日、中核派が、革マル派の宮城農業短大寮を襲撃。10数名粉砕、指導部1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.6日、中核派が、革マル派の専修大指導部1名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.7日、中核派が、革マル派の愛知大豊橋生、下関市立大生各1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 12.7日、革マル派が、大阪の地下鉄本町駅ホームで中核派の2名に鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 12.8日、中核派が、革マル派の鹿児島大生、一ツ橋大生各1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.9日、中核派が、革マル派の岐阜大最高指導部1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 12.9日、東京で襲撃してきた軍団20名粉砕、5名重傷。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 12.9日、革マル派が、東京目黒本町の公園で、襲撃してきた中核派を粉砕、5名が重傷。

【中核派の革マル派テロ】
 12.10日、中核派が、革マル派の近畿大呉生1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.11日、中核派が、革マル派の東北福祉大生1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.12日、中核派が、革マル派の東北福祉大指導部1名、国学院大1名を殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 12.14日、革マル派が、中核派の長谷川英憲を東京荻窪の喫茶店で鉄槌。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 12.15日、東神奈川会戦。中核派は「一瞬で粉砕」、革マル派は「鉄槌」と主張。

【中核派の革マル派テロ】
 12.18日、中核派が、革マル派の立教大生1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.20日、中核派が、革マル派の秋田経済大中心人物2名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.21日、中核派が、革マル派の熊本商大キャップ1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 12.21日、革マル派が、神奈川県座間市で中核派の4名を先制粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 12.23日、東京駅会戦。中核派は「歴史的大勝利」、革マル派は「一挙に突撃、次々鉄槌」と主張。

【中核派の革マル派テロ】
 12.23日、中核派が、革マル派の国学院生1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.25日、中核派が、革マル派の山形大生2名を撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 12.26日、中核派が、関西解放社で革マル派の2名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 12.26日、革マル派が、東京の喫茶店で中核派軍団長に鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 12.29日、中核派が、革マル派の国学院生1名、千葉大幹部1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.30日、中核派が、革マル派の琉球大生1名を殲滅、東大中心メンバーを再起不能殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.31日、中核派が、革マル派の岐阜大生1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 12.31日、革マル派が、中核派の沖縄軍団粉砕。

 1974年

 1974年、革マル派は「党派闘争勝利宣言」を出し、それ以後の中核派などの内ゲバについて、「権力の謀略」という説を打ち出した。この頃までは、革マル派の相対的優位が続いていたが、押されぎみであった中核派が次第に攻勢に転じ始める。この年、内ゲバで6名死亡、297名重軽傷を負う。(「別章2」に記す)
【中核派の革マル派テロ】
 1.1日、中核派が、革マル派の南山大突撃隊長、琉球大生、相模工業大生各1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.2日、中核派が、革マル派の埼玉大指導部1名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.5日、中核派が、革マル派の九州議長を殲滅。学習院大生1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.7日、中核派が、革マル派の専修大生1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.9日、中核派が、革マル派の早稲田大生1名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.10日、中核派が、革マル派の琉球大中心メンバーを殲滅。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 1.13日、中核派が、革マル派と沖縄集団会戦。

【革マル派の中核派テロ】
 1.14日、中核派の指導者本多氏ら破防法被告団が、主任弁護人井上正治氏らと打合せ会を開いている席上、革マル派が襲撃し、本多、藤原慶久東京地区反戦世話人、青木忠元全学連書記長、松尾真全学連委員長等々がテロられ9名重体。(「別章2」に記す)

【中核派の革マル派テロ】
 1.15日、中核派が、革マル派の九州地方委員会議長・吉川文夫を襲撃、瀕死の重傷を負わす。

【革マル派の中核派テロ】
 1.17日、革マル派が、毎夕新聞社襲撃鉄槌。前進の発行をストップさせる。

【中核派の革マル派テロ】
 1.18日、中核派が、革マル派の南山大キャップ殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.19日、中核派が、革マル派の相模原の労働者1名殲滅、黒田寛一邸放火。

【革マル派の中核派テロ】
 1.19日、革マル派が、大阪市立大の寮で中核派1名鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 1.20日、中核派が、革マル派の早稲田大生1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.24日、中核派が、横浜国立大学経済学部校舎の食堂で革マル派の神奈川大生・矢崎知二(24歳)を虐殺。

【中核派の革マル派テロ】
 1.24日、中核派が、世田谷区内でも引越し中の革マル派の東大生・宮山隆(21歳)、四宮俊治(21歳)を虐殺す。

【革マル派の中核派テロ】
 1.30日、中央区銀座のコージーコーナーで、革マル派20名が、1階入口左のボックス席でコーヒーを飲んでいた中核派6名を襲撃した。「東京銀座で海老原君事件下手人7人鉄槌」。

【中核派の革マル派テロ】
 1.31日、中核派が、革マル派の早稲田大生3名殲滅。1名重傷。

【中核派の革マル派テロ】
 2.1日、中核派が、革マル派の早稲田大生1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 2.1日、教育労働者2名鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 2.4日、中核派が、革マル派の12・22襲撃軍事責任者を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.7日、狭山闘争集会集団戦(解放同盟、動労組合員に暴行)。

【中核派の革マル派テロ】
 2.8日、中核派が、琉球大学教養学部教室における誤認内ゲバ殺人事件を起こす。中核派が、琉球大学で授業中の教室に乱入し、比嘉照邦を虐殺(革マル6人目の死者となる)。(琉球大自治会長安室を襲撃。応戦した琉球大生が死亡、ともある)

【中核派の革マル派テロ】
 2.9日、中核派が、革マル派の大東文化大1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.10日、中核派が、革マル派の近畿大工学部キャップ殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.14日、中核派が、動労の革マル派と抗争する。

【革マル派の中核派テロ】
 2.16日、革マル派が、中核派の最高指導者を粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 2.21日、革マル派が、中核派の最高幹部を撃沈。

【革マル派の中核派テロ】
 2.22日、革マル派が、中核派の関西前進社最高指導部粉砕。

【革マル派関連】
 2.24日、ニセビラ事件(中核赤軍)。

【革マル派の中核派テロ】
 3.6日、革マル派が、中核派の政治局員を鉄槌。

【革マル派の中核派テロ】
 3.7日、革マル派が、中核派の泉北反戦代表鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 3.12日、中核派が、革マル派の大阪市立大生1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.22日、中核派が、革マル派の国学院生1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3月、中核派が、革マル派の解放発行責任者・難波力二、堀内利昭を襲撃。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 4.3日、法政大会戦。中核派は「圧倒的勝利」、革マル派は「勝利宣言」を主張。

【革マル派の中核派テロ】
 4.3日、革マル派が、横浜で中核派の教労4名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.4日、革マル派が九州で襲撃。中核派が逆襲。
【中核派対革マル派の集団会戦】
 4.6日、日比谷公園での全共闘1500名の集会に500名の革マル派が乱入。竹竿や投石による乱闘となり、両派30名が負傷。

【中核派の革マル派テロ】
 4.6日、中核派が、革マル派の神戸学院大生1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.6日、革マル派が、中核派の広島大生1名撃沈。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 4.8日、広島大入学式集団戦。中核派は「鉄槌」、革マル派は「粉砕」を主張。

【革マル派関連】
 4.15日、革マル派が、機関紙「解放」で、は中核派に対して「党派闘争勝利宣言」を出す。中核派はこれを「戦争終結願望」、「平和へのむき出しの願望」と論評。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 4.15日、中核派が、革マル派の国学院大構内で全部隊粉砕、殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.15日、革マル派が、関西地方委社会党員を京都で殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.17日、中核派が、革マル派の東京工業大生2名が正門でビラまき中を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.18日、中核派が、独協大でのビラまき中の革マル派の2名を殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.18日、革マル派が、中核派の法政大ビラまき防衛隊20名に鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 4.23日、早稲田大集団戦。中核派は「殲滅」、革マル派は「鉄槌、糾弾」を主張。

【中核派の革マル派テロ】
 4.23日、中核派が、ビラまき中の革マル派5名を鉄槌、2名制裁、法政大で早稲田大生制裁。

【中核派の革マル派テロ】
 4.23日、中核派が、大阪経済大で革マル派の2名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.24日、中核派が、革マル派の山口大キャップ殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.26日、中核派が、横浜駅で革マル派3名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.27日、中核派が、横浜駅で革マル派の横浜院大キャップ殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.28日、革マル派が、中核派の病院反戦キャップ鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 4.30日、中核派が、横浜駅で革マル派の南山大社研キャップ殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 5.1日、革マル派が、中核派の神奈川・金沢地区の拠点粉砕。沖縄大学生会長撃沈

【革マル派の中核派テロ】
 5.4日、革マル派が、中核派の矢崎殺害下手人鉄槌。東京南部地区委員長鉄槌

【革マル派の中核派テロ】
 5.7日、革マル派が、中核派の神奈川県委員長鉄槌。

【社青同解放派の革マル派テロ】
 5.7日、社青同解放派が、革マル派の拠点・早大第一学生会館を襲撃。

【革マル派の中核派テロ】
 5.8日、矢崎殺害指導者粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 5.8日、革マル派が、中核派の東大襲撃部隊撃滅、9名粉砕うち5名を完全殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.11日、中核派が、革マル派の九州教労鹿島を護衛とともに撃沈。東北福祉大集会準備の4名粉砕、1名徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.13日、中核派が、革マル派の九州全逓労働者2名、教労8名粉砕。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 5.13日、革マル派40名が、長さ1.5メートルの4段継ぎ手パイプを手にして千代田区九段の法政大裏の新見付交差点で中核派50名を襲撃した(第1次法政大会戦)。中核派がバールを手に応戦、15分間乱闘となり、市ヶ谷駅まで1キロにわたり殴り合いながら移動した。25名が重傷、中核派系団体の幹部で墨田区役所職員の前迫勝士(38歳、革共同東京東武地区委員長)が死亡。中核派は5人目の死者となった。他に25人が重傷。逮捕者は中核派15名、革マル派11名だった。 革マル派は、「法政大会戦に革マル派全学連が大勝利」と発表した。

【中核派の革マル派テロ】
 5.14日、中核派が、広島大で革マル派の北海道大生制裁。

【中核派の革マル派テロ】
 5.15日、中核派が、革マル派の学生戦線最高指導部・千葉大最高指導部2名鉄槌。大阪産業大で1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.20日、中核派が、革マル派の学習院大でキャップ6名殲滅、国学院大3名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.21日、中核派が、革マル派の関東学院大1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.22日、中核派が、革マル派の大阪産業大で3名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 5.24日、革マル派が、中核派の前進社襲撃、粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 5.26日、革マル派が、中核派の横浜前進社、タイプ作業所襲撃。責任者粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 5.30日、中核派が、革マル派の政治組織局員撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 6.7日、中核派が、大阪産業大の革マル派シンパの一般学生・小野正裕を虐殺する。(大阪産業大学軍事責任者・小野武司がアパートで中核派の襲撃を受けて死亡、ともある。革マル派7人目の死者)

【革マル派の中核派テロ】
 6.7日、革マル派が、中核派の京都前進社責任者ら4名粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 6.11日、革マル派が、中核派の東京南部地区代表者代行鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 6.15日、中核派が、革マル派の専修大生15名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 6.19日、中核派が、革マル派の和光大キャップほか7名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 6.20日、中核派が、革マル派の機関紙「解放」を印刷していた東京商工を襲撃、5名殲滅。愛知大指導部1名を殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 6.23日、革マル派が、中核派の前進社沖縄支局襲撃14名粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 6.25日、革マル派が、中核派の東京地区キャップ粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 6.26日、千代田区富士見町の法大構内で中核派と革マル派約100名が鉄パイプ、旗竿で乱闘。機動隊が導入され、97名が逮捕された。中核派62名、革マル派34名、セクト不明1名が逮捕された。負傷者24名。負傷者は機動隊に保護された。法政大は昼から休講となった。中核派は「大勝利」と主張。
 「法大会戦(74年6・26)」転載。 
 革マルによる襲撃と大学支配」 

 風化させないために、事実を知ってもらうために、一つの会戦(!)を掘り起こそう。個人テロ戦に対して集団戦を会戦と称していた。有名な会戦に俺も参戦していたH大6.26会戦というのがあった。H大構内で起こった200人規模の大集団戦である。その当時すでに□◯派の脅威は猛威をふるっていて、ただの学内集会すらまともに開くことすら命がけであった。全国のほとんどの大学は□◯×派に制圧され、数少ない当方の拠点大学は幾度となく襲撃されていた。多くの死傷者も出している。早稲田、東大、東工大、専大、国学院、横国大、北は北大から南は沖大までほとんどの大学を制圧されていたといっていい。大学だけではない。国鉄、全逓、教労、自治労、..労働戦線ですら□◯派の支配は猛威をふるっていたといってもいい。信じられないだろうけれど、本当の話である。例の国鉄分割の時も当時の中曽根が切り札にしボス交でとりまとめた相手こそ日共ではなくD労のマツザキであった。この人物こそ□◯派の副議長である。当時の影響力を物語っている。
革マルによる下宿・アパートへの襲撃との対峙。そしてスパイ
 **派の学生カツドーカは大学に登録してある下宿やアパートをすべて引き払っていて友人のところを泊まりあるいたり、2.3ヶ月ごとにアパートを代えたりしながら□◯派の牽敵活動をかいくぐっていた。□◯派はインフと称して数百人規模でスパイ活動もどきをしていたし、先日権力にアジトが摘発されてあきらかになったけれど、盗聴活動などはけたはずれの規模で行っていた。警察無線のデジタル暗号を解読していたというので権力がやっきになってようやく検挙したらしいけれど、これも聞いた話によると警察内部にかなりのそれもかなり幹部クラスに□◯派のスパイが入っていたようだ。東大は□◯派の拠点校の一つであった。警察に組織的にもぐりこませていたとするならば十分ありえることだ。「加入戦術」というのは□◯派の公然たる戦術でもある。この辺もどっかオームに似ている?!オーバーに恐れていたのではなくて事実、何百件とアパートで寝込みを襲撃されている。俺などもアパートのドアは冷蔵庫などでバリケードをつくり、ふとんに鉄パイプを抱いて寝た記憶がある。両手両足には竹とガムテープで作ったプロテクターをつけていた。
命がけの大学戦争
 で、学内集会であるけれど、のこのこと大学に歩いていってたらその途中で襲撃されてしまう。帰りもまたしかり。したがってそのころはもう、60年代にみられたような(「いちご白書」にみられたような)ある種、牧歌的な風景などみじんもない。大学に入るのすら命がけである。例えばこうだ。前の晩、3人ずつぐらいで各所に分宿する。朝4じに起床し、決められた結集点に集合する。結集点はいくつかある。そこで幌付きトラックにのりこむ。そのなかでヘルメットと竹ざおで「武装」する。鉄パイプでないのはその時点で権力に遭遇した時「凶器準備集合罪」に問われないようにするためだ。そして大学近くの公園で各所からきたトラックが集合し、そこから全員が隊列を組んで大学に向うのだ。大きい集会であれば、50人から80人くらいであろうか。この部隊は先発隊であって、いわば集会防衛隊である。そうやって防衛隊が学内に陣取った後でもう少し大衆的なレベルの参加者らが合流するのである。
α隊と糾察(求殺??)の実相
 ***一部で有名になった”糾察隊”というのはこの集会防衛隊から派生した部隊のことであって、この言葉にはいろんな誤解がある。「公安調書」などは、「糾察隊」が「軍」そのものであるかの記述があるが水準が低いのかアホなのか笑ってしまう。ノンセクトのなかにもそう理解している人もいてこれもこれも低水準。
この頃、集会がしょっちゅう襲撃されるのでα(アルファ)という集会防衛隊を作った。これは軍組織でもなんでもない。集会参加者はβ(ベータ)、防衛隊はα、それだけのこと。だから「○×大は、αを○人出せ」とか指示を出してその集会の都度、急造した隊編成なのだ。「求殺隊」なんて笑かすなよ。集会場の周辺を見回りしてスパイとか襲撃部隊とかを摘発しようとして動いていただけのこと。α(防衛隊)とは別に攻撃隊を配置したこともあったけどね。こっちの方が本来の誤解された意味の方だね。まあ、ただαは軍隊的行動を要求されたので本来の軍から指導を仰いでいたのはたしかだけれどもね。このα隊が、他派や一般学生らから反発を買ったのも事実。だって実際、一般人の荷物検査をしたり、(武器=Pを持ってないか)服装チェックをしたりしたわけだから。警察なみだよね(だから-警察と区別して-人民糾察隊と言った-正式名称ではないと思う-αの組織化をまかされたキャップクラスが勝手に命名したようだ)。αは、ただの活動家クラスの若い学生や労働者が多かった。だから実直だし使命感に燃えていたし硬直でもあったわけで、一般民衆にはまずい対応もいっぱいあったと思う。それは指揮官クラスの指導のつたなさの問題でもあるんだよね。 
6・26法大会戦の当日の現場
 6.26当日もそのようにしてH大構内に60人ぐらいで登場したのだ。実はこの日は背水の陣でゴリゴリのメンバーを総動員していた。ガクレンのイインチョウHもいたし、マルガクドーのイインチョウのFもいた。SOB議長O氏すらいたのだ。なぜかと言うと、その1週間前のサンリズカ支援集会を襲撃されて大敗北を喫していたのだ。こっちが100人に対し、それ以上の数ではさみ打にされこてんぱんにやられている。1人の死者も出した。重傷は数しれない。その当日、俺は党本部にいたけれど、夕方になって血だらけになってみんなもどってきていた。
H大といえば**派の最大拠点である。そこを襲撃され惨敗したとあっては立つ瀬もない。たいしてダメージを受けていないぞ、という姿勢を内外になんとしてもアピールし党内外の動揺を払拭しなければならない。そうした政治判断における1週間も経たないうちの大動員であった。なりふりかまわぬ召集だったわけだ。逆に敵もそんな早い再襲撃もきついだろう、という読みもあったのではないか。召集したメンツにそれがあらわれているように思う。
【注】 一週間」前。74年5月13日、前迫勝士が虐殺=戦死。
【注】学連委員長H氏。堀内氏のこと。マル学同委員長F、藤田氏(後述)。SOB議長O氏???
再度の襲撃。1時間以上の死闘
しかし、それは甘い読みであった。敵はより以上の強力な布陣を敷いていたのだ。我々は部隊を校庭に布陣し、学内の検索隊を何隊か出した。数分して検索隊が戻ってきて「異常なし!」という報告があった。だが、その時である。正面の69年館の中でなにか白いものがうごめいていた。すぐにそれはヘルメットがゆれたものとわかった。誰かが「Yだ!」と叫んだ。一斉にこっちの部隊が建物に殺到し衝突が始まった。それがそれから1時間以上におよぶ壮絶な死闘のはじまりであった。
 発見が一瞬こちら側が早かった分さいわいしたのだろう。敵が建物からでてこないうちに殺到したおかげで緒戦の激突はこちらが押していた。(もしもであるけれど、発見が遅れて敵に奇襲をかけられていたならば、もっと悲惨な結果になっていたであろう。)喊声をあげて突っ込んだ部隊は竹ざおで69年館のドアとガラスをぶちやぶり敵に猛然と襲い掛かった。だが敵の数は半端ではなかった。倍(百以上)はいたであろう。「斥候は何を見てきたんだ!」とおれは思った。
 竹竿VS鉄パイプ
しかも竹ざおと鉄パイプではやはり勝負にならない。ばしっ、ばしっ、と竹がたたきおられてしまう。がつん、がつん、とヘルヘットが陥没してしまう。10数分でずるずると押し出されて校庭が主戦場になってしまった。総勢2百人規模で校庭いっぱいにひろがって白兵戦が展開されている。まさしく斬り合いであった。
何人かが血まめれになって地べたに倒れている。敵は長めのパイプと短かめのパイプの2種類の役目の人間がいて訓練された部隊であろうことはすぐわかった。(当時□◯派にはJACという襲撃の特殊部隊がいてテロのプロといってもいい組織があった。)「こいつらがJACか」と思った。おれはJACに遭遇したのはこの時がはじめてであった。頭上からヘル越しに1発くらってクラッとなった。グシャとヘルが割れた。さらに左手に一発くらった。幸運にも時計にあたって壊れてそれが幸いした。それでも左手のダメージは大きくてその後ずっとしびれて握力がほとんどなくなった。
こんな白兵戦になると竹ざおなど何の役にもたたない。突いたって当たりはしない。さおのまん中を両手にもって右、左と鉄パイプの嵐を振払うのがせいいっぱいであった。そのうちこっちの部隊のうち20人くらいが押されて正門の外にだされてしまった。いよいよやばいかなと思った時、助っ人が出てきた。学生会館に泊まり込んでいたこっちの部隊5.6人が鉄パイプをもってでてきたのだ。それでまた押したり押されたりの均衡状態になった。
というより双方疲れてきたのであろう。みんな竹ざおをふりおろせない程、疲弊していた。一瞬不思議なにらみあい状態が続いていた。後ろの方でSOB(カクキョウドーガクセイソシキイインカイ)議長の「隊列つくれ!かたまれ!」という声が聞こえていた。(かたまってどうするんだ、とおれは思ったけれど、彼はJACの怖さを生身で知っている人間である。勝てる相手ではないと思っていたのであろう。)
戦闘再開
その間をぬっておれは使い物にならなくなった竹ざおの替わりをさがしに後ろへさがった。
本館の柱の影で鉄パイプをもってふるえているW大の仲間をみつけた。「何やってんだ、こんなとこで!」そいつは先輩であったけれど、おれはついどなってしまいその鉄パイプをよこどった。これでおれはようやくまともに戦えると思った。そこからおれは鉄パイプを手にして意気あがりなんとも無謀なことをしたのだ。にらみあって横を向いている□◯派の部隊に真横からたったひとりで突っ込んだのだ。Pをふりかざす瞬間大声を上げた。「ナロ~!」ひとりの右肩にぐさっと一撃。とってかえして顔面に二撃。だがそのとたんに3人ほどにかこまれて猛然と反撃された。
だがそれが合図になってにらみ合いから一転、戦闘がはじまった。おれは敵の陣地からなんとかのがれて部隊に復帰した。それから俺は二人ほどやりあい鉄ついをくらわせただろうか。こっちの人間も何人か地べたに倒されている。倒されているのに助けるひまなどないのだ。足元にも敵がすごい量の血をふいてねころがっている。「こいつ死んだのか。」と一瞬考えたりしている自分の妙な冷静さが不思議であった。
 学館に逃げ込み
 10数分続いた後だろうか。むこうは徐々に隊列を整えて上回る数で扇型にじりじりと追い詰めてきた。「あいつだ、あいつをやれ!」という声が敵の隊列から聞こえてきた。なんだ、おれを差しているではないか。その一瞬、4.5人がこっちに殺到してきた。ワーッ、とボコボコにされてたえられなくなって学館の方へ逃げた。ところがそれがまた合図になってわが方の部隊が一斉に学館にむかって逃走したのである。全員が学館に逃げ込んだ。敵はそれ以上追ってこなかった。中ではマルガクドーイインチョウのF氏が、入り口にバリケード築け、と指示を出していた。
 結末
たたかいは終わったのだ。全員疲れきり、血まみれの服をまとい、ある者は折られた手足をだらりとさせてうずくまっていた。そしてその一時間後くらいに機動隊が入り当方は全員逮捕された。襲撃した□◯派は逃走している。幸いにも死者は出なかったが、双方あわせて数十人の重傷者を出した。 
 勝てはしなかったけれど互角に戦った。それまで常勝のプロ軍団JACは初めて手痛い傷を負ったのである。JAC神話が崩壊した日であろうか。こんな会戦が何十回となく全国であったのだ。立教で横国大で慶応大で、あるいは相模原とか新橋駅構内とかで、...。
 何故?なぜこんな集団(革マル派)を生み出したのか??
 (なぜこんな戦争が起こったのか、なぜ□◯派のような集団を生み出したのか、もっとはっきりと明らかにすべきである。もっと言えば、連赤、クメールルージュ、そもそものスターリン。キヨーサンシュギ運動のなかからなぜこのような部分を輩出してしまったのか、をはっきりさせないかぎり未来の青年を決してマルクス主義で引っ張っていくことはできない。おれはこの戦争の正当性を主張できる。当事者としてその事情を知っているかぎりにおいて、戦うしかなかったし、戦わなければやられていたし、もし我々が戦わずに□◯派の天下になっていたとしたらそれこそおぞましい。しかし何も知らない若者に対してマルクス主義運動がなぜそうような部分を生み出すのか、と説得するはっきりとした論拠を俺は持ちえていない。みななぜ口をつぐんでしまっているのか。もちろんそれはいまだに□○派のテロがこわいという面は十分にあるが。)

【中核派の革マル派テロ】
 6.26日、中核派が、革マル派のキングアジトを襲撃4名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 6.30日、中核派が、革マル派の印刷所ホヲトク襲撃編集局員鉄槌。

【革マル派関連】
 7.1日付け「解放」で、革マル派は、革労協に対して「党派闘争勝利宣言」を出す。中核派及び革労協に対して無条件降伏を呼びかけた。

【中核派の革マル派テロ】
 7.4日、中核派が、革マル派の解放の運搬車を粉砕、炎上。

【中核派の革マル派テロ】
 7.5日、中核派が、革マル派の秋田経済大マル研議長殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 7.11日、中核派が、革マル派の国学院大生を下宿先で襲撃、数名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 7.13日、神戸駅会戦。30名粉砕、5名徹底殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 7.13日、襲撃指令中の中核派調査隊キャップ倉石庸が革マル派に反撃される。革マル派が、奪取した権力「柳田」との密通メモを公表、とある。

【革マル派の中核派テロ】
 7.14日、東京中部地区2名に鉄槌。

【革マル派の中核派テロ】
 7.16日、上野駅での全学連大会岐路を狙った襲撃を粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 7.20日、中核派が、東京目黒区で東京大田区の教師を殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 7.20日、沖縄レポ隊長を粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 7.25日、中核派が、革マル派の東京都職員(襲撃隊長)を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 7.26日、中核派が、沖縄で革マル派の18名壊滅、1名重体、2名重傷。

【中核派の革マル派テロ】

 7.29日、中核派が、革マル派の全学連本部創造社を襲撃、4名殲滅。マサカリが初めて使用される、とある。大阪弁天町駅でビラまき中殲滅、1名重体。


【革マル派の中核派テロ】
 7.31日、革マル派が、中核派の沖縄の救対責任者ら2名粉砕。

【革マル派関連】
 革マル派は、勝利宣言後の中核派、革労協の反攻に対して、7.29日付「解放」(第324号)で、自陣の損害(死傷者)について、「権力の謀略論」を主張し始める。次のように述べている。
 概要「1974年の6月に,わが同盟がブクロ=中核派との党派闘争に最後的な勝利をおさめたその直後から,国家権力は従来とは異なった形態における革命的左翼破壊の攻撃を開始してきた。すなわち、既に左翼党派としては崩壊し死滅したブクロ=中核派や社青同・解放派を、その指導部内におくり込んだスパイ分子をつうじて操りながら、『内ゲバ』を装った謀略をしかけることによって革命的左翼を破壊する」(「党派闘争論」~こぶし書房)。 

【中核派関連】
 8月、中核派が「戦略的総反攻」を打ち出す。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 8.3日、日比谷交差点会戦。中核派が、反戦集会からの帰途にあった早大革マル派の隊列を襲撃する。JAC(革マル)100名うち5名重傷。

【中核派の革マル派テロ】
 8.4日、中核派が九州の革マル派の学生を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 8.5日、中核派が九州の革マル派の関西解放社、大阪天王寺区を襲撃占拠する。福岡のJAC新アジトを襲撃、8名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 8.7日、革マル派が、中核派の関西最高指導部に鉄槌。

【革マル派の中核派テロ】
 8.10日、革マル派が、中核派の中央救対責任者鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 8.13日、中核派が、革マル派の広島県委員長ら2名撃沈。

【革マル派の中核派テロ】
 8.13日、革マル派が、中核派の神奈川救対最高責任者鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 8.15日、中核派が、革マル派の早稲田大社会学部自治会2名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 8.16日、革マル派が、中核派の東京中部地区3名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 8.24日、中核派が、革マル派の日大生の下宿を襲撃する。日本大JACアジト爆砕、日大指導部2名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 8.25日、中核派が、革マル派の横浜市立大生を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 8.26日、第2次十日間戦争。東洋大生1名殲滅。

【中核派関連】
 8.27日、前進社第2ビル完成。

【中核派の革マル派テロ】
 8.27日、愛知大女子学生殲滅。北大講師誤爆。

【中核派の革マル派テロ】
 8.29日、近鉄名古屋駅ホーム会戦。中核派は「殲滅」、革マル派は「壊滅」主張。

【革マル派の中核派テロ】
 8.31日、革マル派が、中核派の前進社神奈川支社襲撃20名粉砕。中核派は、逆襲して1名重傷、2名重体殲滅を主張。

【中核派の革マル派テロ】
 9.1日、広島市のアジト襲撃。中国地方委議長他2名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 9.3日、革マル派が、東京で中核派の2名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 9.5日、中核減が、在日朝鮮人・徐ひろ子を誤爆襲撃。「十日開戦争」と称する中核派の襲撃は、8・27北海道大学附属放射線技師学校講師、8・27愛大農構の女子学生、8・31佐賀大など誤爆に終始とある。

【革マル派の中核派テロ】
 9.6日、革マル派が、中核派の関西兵団20名粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 9.7日、革マル派が、中核派の東京北部地区1名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 9.9日、中核派が、革マル派の北福祉女子大生2名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 9.10日、革マル派が、東京で中核派反戦(中央武装勢力隊員)を襲撃、郵便局員が6日後に死亡。中核派6人目の死者となる。

【革マル派の中核派テロ】
 9.11日、革マル派が、東京渋谷で中核派1名粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 9.14日、革マル派が、中核派の国学院大襲撃のためのレポを摘発し鉄槌。

【革マル派の中核派テロ】
 9.16日、革マル派が、中核派の前進社政治局員1名鉄槌。

【革マル派の中核派テロ】
 9.17日、革マル派が、中核派の沖縄キャップと防衛隊粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 9.18日、革マル派が、中核派の東京中部地区突撃隊員粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 9.19日、中核派が、革マル派のこぶし書房襲撃2名粉砕。東京飯田橋で男女2名誤爆。

【革マル派の中核派テロ】
 9.19日、革マル派が、中核派の東京北部地区突撃隊員を粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 9.20日、中核派が、革マル派の大阪経済大JAC20名粉砕、うち3名重傷。

【革マル派の中核派テロ】
 9.21日、革マル派が、梅田で中核派の4名粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 9.22日、革マル派が、中核派の前進社襲撃4名粉砕。

【中核派関連】
 革マル派の中核派労働者へのテロで中核派が等価報復を宣言。「産別戦争」が激化する。  

【中核派の革マル派テロ】
 9.23日、中核派が、革マル派の全学連委員長・前川健ら2名を襲撃、完全殲滅する。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 9.24日、革マル派が、守口市で中核派の「関西上京団」3名を襲撃。1人は2週間後死亡(大阪市立大生)、中核派7人目の死者となる。中核派は、同派の労働者を襲撃した革マル派に対し、「無差別報復テロ」を実行すると記者会見で宣言した。

【中核派の革マル派テロ】

 9.26日、中核派が、革マル派の高崎経済大生1名徹底殲滅。


【中核派の革マル派テロ】
 9.29日、中核派が、革マル派の全学連委員長・前川健ら2名を襲撃、完全殲滅する。

【革マル派の中核派テロ】
 9.30日、革マル派が、中核派の大阪教労粉砕。関西沖縄青年委キャップ粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 10.1日、中核派が、革マル派の広島県委員長他3名壊滅的鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 10.3日、中核派が、革マル派反戦の郵便局員・全逓荏原支部書記長・山崎洋一を虐殺する(全逓幹部完全殲滅)。革マル派8人目の死者となる。

【中核派の革マル派テロ】
 10.7日、中核派が、川崎市内で革マル派の日大最高幹部を徹底殲滅。北海道幹部1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 10.8日、中核派が、革マル派のJAC関西部隊20名を大阪道頓堀で殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 10.11日、革マル派が、集会帰りの中核派を襲撃。労働者1人が死亡。

【中核派の革マル派テロ】

 10.12日、中核派が、革マル派の近畿大工学部1名殲滅。


【革マル派の中核派テロ】
 10.13日、革マル派が、中核派の静岡大自治会3名粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 10.15日、革マル派が集会帰りの中核派を襲撃。国学院大で中核派労働者1名粉砕。中核派8人目の死者となる。

【中核派の革マル派テロ】

 10.17日、中核派が、広島で革マル派の革命的労働者を襲撃する。2名殲滅(POB/SOB)。


【中核派の革マル派テロ】

 10.19日、中核派が、革マル派の機関紙「解放」を印刷していた秋田印刷(板橋区)を契約解除の翌日に襲撃する、とある。


【革マル派の中核派テロ】
 10.21日、革マル派が、中核派の東大生1名鉄槌

【中核派の革マル派テロ】

 10.25日、中核派が、大阪の革マル派の戦闘的労働者(関西労働者組織委員長)を襲撃、4ヶ月の重傷、とある。


【革マル派の中核派テロ】
 10.26日、革マル派が、中核派の神奈川キャップ粉砕。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 10.31日、革マル派が、中核派の東海中核20名を東名高速上で粉砕。中核派は反撃して撃退を主張。

【中核派対革マル派の集団会戦】

 11.1日、尼崎会戦。10名粉砕、1名重傷、1名殲滅。


【中核派の革マル派テロ】

 11.2日、中核派が、革マル派の関西JAC1名を大阪で撃沈。


【中核派対革マル派の集団会戦】

 11.6日、中核派が、国学院大構内で革マル派と会戦。4名殲滅。


【中核派の革マル派テロ】

 11.7日、中核派が、革マル派の秋田経済大生1名殲滅。


【中核派の革マル派テロ】

 11.8日、中核派が、愛知大学名古屋校舎で革マル派系社研部室を襲撃し、東海JAC指導部5名を殲滅、女子学生が重傷。


【革マル派の中核派テロ】
 11.9日、革マル派が、中核派の前進社兵庫支局襲撃。6名粉砕、3名重体、3名重傷。

【中核派の革マル派テロ】

 11.12日、中核派が、革マル派の宮崎県委員長を徹底殲滅。


【中核派の革マル派テロ】

 11.15日、中核派が、革マル派の横浜市立大生と東京外語大生を襲撃する。立教大1名殲滅。渡邊ちか子殲滅。


【革マル派の中核派テロ】
 11.16日、革マル派が、中核派の元新宿区役所員、全逓南部地区支部書記、両粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 11.17日、革マル派が、中核派の東京中部地区元全逓中郵鉄槌。

【革マル派の中核派テロ】
 11.18日、革マル派が、中核派の東京中部地区救殺隊員(科学技術庁職員)鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】

 11.21日、関西大会戦。中核派が5名殲滅、革マル派は「70名粉砕、最高責任者鉄槌」と主張。


【中核派の革マル派テロ】

 11.24日、中核派が、革マル派の広島産別防衛隊長殲滅。


【革マル派の中核派テロ】
 11.25日、革マル派が、中核派の杉並革新連盟常任是粉砕。

【中核派の革マル派テロ】

 11.27日、中核派が、福岡で革マル派学生を襲撃、九州JAC4名殲滅創造社キャップ撃沈。


【革マル派の中核派テロ】
 11.27日、革マル派が、中核派の前進社襲撃。

【中核派の革マル派テロ】

 11.29日、中核派が、革マル派のSOB幹部金沢大で殲滅(権力が女子学生を襲撃)。


【中核派の革マル派テロ】
 12.1日、中核派が、革マル派の関西秘密最高指令本部など3ヶ所を同時襲撃。幹部12名が襲われ、革共同関西地方委員・松浦博(元高校教員)が死亡(革マル派9人目の死者)、4名重体。和光大情報収集メンバー殲滅。

【中核派の革マル派テロ】

 12.2日、中核派が、鹿児島大生を襲撃、九州JAC10名殲滅。


【中核派関連】

 12.2日、中核派が、第2次産別戦争開始宣言。


【中核派の革マル派テロ】

 12.2日、中核派が、革マル派の東京都職員殲滅。


【革マル派の中核派テロ】
 12.2日、革マル派が、中核派の法政大3名鉄槌

【革マル派の中核派テロ】
 12.3日、革マル派が、中核派の情報科学技術担当鉄槌

【中核派の革マル派テロ】

 12.7日、中核派が、大阪の革マル派労働者三名を自宅で襲い、重傷を負わす。


【中核派の革マル派テロ】

 12.7日、中核派が、革マル派の帯広畜産大殲滅。


【中核派の革マル派テロ】

 12.8日、中核派が、革マル派の関西最高指導部3名殲滅。


【中核派の革マル派テロ】

 12.10日、中核派が、革マル派の集会粉砕各所で計9名殲滅。


【解放派の革マル派テロ】
 12.11日、解放派が、上智大正門前で全学連学生二名を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】

 12.12日、中核派が、革マル派の集会粉砕各所で計9名殲滅。


【中核派の革マル派テロ】
 12.12日、中核派が、革マル派の全逓労働者を広島で殲滅。 

【中核派の革マル派テロ】
 12.16日未明、中核派が都内3ヶ所のマンションで革マル派を襲撃。革マル派の極秘最高本部を襲撃、全学連委員長代行らを徹底殲滅。早稲田大指導部5名殲滅。早大指導センターを爆砕。

【中核派の革マル派テロ】
 12.18日、中核派が、革マル派の広島県委員長を殲滅。 

【中核派の革マル派テロ】
 12.19日、中核派が、革マル派の広島県自治労ナンバー2を殲滅、関西情報本部襲撃6名殲滅。 

【中核派の革マル派テロ】
 12.20日、中核派が、革マル派の全逓高輪支部の労働者を襲撃する。全逓南部地区中堅幹部を鉄槌。6ヶ月の重傷。

【中核派の革マル派テロ】
 12.23日、中核派が、革マル派の愛知教育大生殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.25日、中核派が、革マル派の山口大キャップ殲滅(中核派内部粛清説)。

【中核派の革マル派テロ】
 12.26日、中核派が、革マル派の広島自治労ナンバー3を車ごと殲滅。全逓1名徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.27日、中核派が、革マル派の広島県委員を殲滅重傷。3回目。

【中核派の革マル派テロ】
 12.31日、中核派が、革マル派の全逓労働者を徹底殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 革マル派が、中核派の政治局員・北小路敏、陶山健一を襲撃し、重傷を負わせる。

【革マル派関連】
 物理的攻撃だけでなく、「ナーバス作戦」と称して相手方に襲撃を予告したり、犬、鶏の生首等を送り届けるなどの心理作戦も展開されている。  

 この年、ゲバルトで6名死亡、297名が重軽傷を負う。 

 1975年

【中核派の革マル派テロ】
 1.1日、中核派が、熊本各所で革マル派殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.2日、中核派が、革マル派の金沢大生1名徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.5日、中核派が、革マル派の関西全逓キャップ防衛隊5名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 1.12日、革マル派が、中核派の九州の学生官僚を粉砕

【中核派の革マル派テロ】
 1.7日、中核派が、革マル派の九州全逓幹部4名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 1.9日、中核派が、革マル派の北海学園大生1名殲滅。(新宿でホステスを誤爆)

【中核派の革マル派テロ】
 1.11日、中核派が、革マル派の大田区の西南ブロック軍団本部を襲撃幹部を殲滅。広島自治労殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.12日、中核派が、革マル派のスパイ1名殲滅。九州解放社3名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 1.5日、革マル派が、中核派の大阪中央郵便局員反撃2名徹底粉砕

【中核派の革マル派テロ】
 1.16日、中核派が、革マル派のJAC中枢撃沈重傷、新潟大生徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.17日、中核派が、革マル派の福岡でJAC5名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.21日、中核派が、革マル派の大阪市港区路上で早大JACを徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.22日、中核派が、革マル派の広島自治労1名徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.23日、中核派が、革マル派の札幌医大最高幹部を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.24日、中核派が、革マル派の九州学院大キャップを殲滅(目黒で誤爆)。

【革マル派の中核派テロ】
 1.25日、革マル派が、中核派の関西襲撃隊員を尼崎で粉砕

【中核派の革マル派テロ】
 1.27日、中核派が、革マル派の神奈川JACの富士通社員を大阪で殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.30日、中核派が、革マル派の広島教労1名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.31日、中核派が、革マル派の関西自治労2名殲滅(産別革マル総殲滅戦)。

【中核派の革マル派テロ】
 2.1日、中核派が、革マル派の都職労1名殲滅(千葉で誤爆)。

【中核派の革マル派テロ】
 2.4日、中核派が、革マル派の中央SOB潜入オルグ1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 2.5日、革マル派が、中核派の杉並革新連盟を襲撃20名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 2.6日、中核派が、革マル派の全逓下谷郵便局員を殲滅。神奈川県最高幹部を撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 2.8日、中核派が、革マル派の全逓仙台キャップ3名を徹底殲滅。東海自治労最高責任者を徹底殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 2.9日、革マル派が、中核派の軍団指導者他1名を粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 2.10日、中核派が、革マル派の1名殲滅、元全学連委員長を鉄槌、都営交通最高幹部殲滅。西南軍団本拠爆砕。全学連書記長ら2名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.15日、中核派が、革マル派の全逓仙台1名粉砕、金属労働者を大阪で殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.17日、中核派が、革マル派のJAC中部千葉ブロック軍団幹部を殲滅。金沢大JAC隊長ら5名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.19日、中核派が、革マル派の北海道大幹部・都職幹部殲滅。

【革マル派関連】
 2.19日、革マル派が、前進、ニセ号外事件。

【革マル派の中核派テロ】
 2.20日、革マル派が、中核派のレポ1名を東京品川で粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 2.21日、革マル派が、中核派の都職労、横浜市営交通労働者を撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 2.25日、中核派が、革マル派の浜市従業員組合最高幹部防衛隊8名粉砕、1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.26日、中核派が、革マル派の鹿児島県委員長、教労幹部撃沈。横浜・静岡で各殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.28日、中核派が、革マル派の全逓東部幹部、京都大生秘密同盟員殲滅。九州JACら4名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.4日、中核派が、革マル派の教労千葉1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 3.4日、革マル派が、中核派の自治体労働者に鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 3.6日、革命マル派の機関紙「解放」の発行責任者・難波力こと堀内利昭(36歳)が、東京渋谷区内の日通航空新宿支店路上で中核派のテロにより虐殺される。革マル派10人目の死者となる。秋田経済大キャップ他1名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.7日、中核派が、革マル派の九州JAC4名殲滅2名重体。

【革マル派の中核派テロ】
 3.8日、革マル派が、中核派の広島で1名鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 3.10日、中核派が、革マル派の全逓担当オルグ1名殲滅。全金東海労組1名殲滅、都職労他1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 3.11日、革マル派が、中核派の都職反戦議長を制裁。

【中核派の革マル派テロ】
 3.11日、中核派が、革マル派の横浜水道局女性幹部1名殲滅。九州JAC5名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.12日、中核派が、革マル派の関西教労中心人物を徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.13日、中核派が、革マル派の東交幹部殲滅。

【革マル派の中核派テロ、中核派最高指導者・本多延嘉書記長虐殺】
 3.14日午前6時過ぎ、埼玉県川口市にあるアパートで、中核派最高指導者本多延嘉書記長(41歳)が革マル派にテロられ、斧、ハンマー、鉄パイプなどで全身をメッタ打ちにされ殺害された(中核派9人目の死者)。中核派の主張によると、傷のほとんどは手斧によるもので、即死に近い状態での虐殺であった。革マル派は、「解放」(3.24日付)で次のように宣言、犯行を認めた。
 概要「今朝、わが全学連の革命戦士は、反革命スパイ集団・ブクロ=中核派の頭目・書記長本多延嘉を、川口市内の隠れ家において捕捉し、これにプロレタリアートの怒りをこめた階級的鉄槌を振り下ろした。これは、産別戦争と称して、無差別無制限のテロを労働者に加えるという、世界革命史上、前古未曾有の反革命集団に対して振り下ろした怒りの鉄槌であります。我々の同志難波力が襲撃されたことへの報復であり、権力と癒着している中核へのみせしめでもある。殺害を目的としたものではなかった。わが全学連戦士の燃えたぎる階級的怒りが鉄槌の一振り一振りに於いて表現されたことの結果として死亡ということになった」。

 中核派の怒りは凄まじく、3日後、「革マル派一人残らずの完全殲滅、復讐の全面戦争への突入」を宣言した。警視庁は19日に専従員配置を決定したが、報復は続いた。革マル派は「一方的テロ停止宣言」。しかし内ゲバを完全にやめたわけではなく、また中核派側の攻撃はおさまらず、死者は増えていくばかりとなる。この年だけで15人もの革マル派活動家が殺害された。


【革マル派の中核派テロ】
 3.14日、革マル派が、中核派の京大生1名鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 3.15日、中核派が、革マル派の宮崎県委員長を殲滅。全身骨折の重体。

【中核派の革マル派テロ】
 3.18日、中核派が、革マル派の全逓鶴見郵便局オルグ殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 3.18日、革マル派が、中核派の北大生1名撃沈。

【革マル派の中核派テロ】
 3.19日、革マル派が、豊中で中核派の1名鉄槌

【中核派の革マル派テロ】
 3.20日、中核派が、荒川区の全逓東部アジトを襲撃。郵便局員2名(岡本良治、25歳)(中島章、28歳)が虐殺された。革マル派11~12人目の死者となる。元信州大キャップを殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.24日、中核派が、革マル派の全逓東部アジト爆砕。

【中核派の革マル派テロ】
 3.25日、中核派が、革マル派の中央からの送り込みJAC8名粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 3.25日、革マル派が、中核派の九州前進社襲撃4名撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 3.26日、中核派が、革マル派の全逓重要幹部殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 3.26日、革マル派が、中核派の九州教労委キャップ制裁。

【中核派の革マル派テロ】
 3.27日、中核派が、革マル派の川崎市役所職員・西田はるみを襲撃し虐殺する。初めての女性犠牲者(革マル派は13人目の死者)。川崎市役所では約40人の反戦系労働者がおり、内訳として半分が中核派、6人が革マル派、残りが他セクトだったという。富士通社員を電車内で殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.27日、中核派が、革マル派の広島県職員を殲滅。

【革マル派関連】
 3.28日、革マル派は、中核派に対し一方的に「内ゲバ停止宣言」(3.28声明)を発表。「敵対派との激烈な党派闘争に圧倒的な勝利をかちとった。残る任務は小ブル雑派の残務整理のみ」と高言している。

 しかし、中核派の怒りは凄まじく、「復讐の全面戦争への突入、全面無制限戦争」を宣言し、直後から革マル派の「革マル派一人残らずの完全殲滅」を開始した。

 これに対し、革マル派は「権力の謀略論」を強め、概要「(以後の中核派、革労協による攻撃に対し、)権力が、瓦解した中核派、革労協にテコ入れして、わが派に対する盲動を活用し最後的に双方を一掃しようとするものである」との見解を披瀝している。その後、この論法をエスカレートさせて、「ブクロ派(中核派)と青解派(革労協)は,自己組織の政治的延命をもくろんで国家権力の懐ふかくとびこみ,権力内謀略グループに助けをもとめた。このふたつの集団を権力の走狗にしたてあげた権力内謀略グループは,彼らを謀略追認役者としてあやつりつつわが革命的左翼の組織を破壊するための攻撃をくりかえし兇行してきた」、「(中核派や革労協が)明白に反革命として権力の走狗へと転落した以上、それらとの闘争はもはや党派闘争ではなく,対権力の闘いの一環となる」(昭和50年3月機関誌「共産主義者」)と捉え,両派との党派闘争を国家権力と対決する階級闘争の一環とみなすようになり、今日に至っている。

【中核派の革マル派テロ】
 3.29日、中核派が、革マル派の千葉県職員産別キャップを徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.31日、中核派が、革マル派の関西全逓都島郵便局支部書記長を徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.1日、中核派が、東京・墨田区の喫茶店で、千葉県委員長・船崎新を襲撃し虐殺する(革マル派14人目の死者)。

【中核派の革マル派テロ】
 4.5日、中核派が、革マル派の九州キングの新キャップを殲滅。広島県教労最後の県委員を撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 4.6日、中核派が、金沢で、革マル派の北陸JAC幹部を殲滅。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 4.6日、日比谷公園での全共闘1500名の集会に500名の革マル派が乱入。竹竿や投石による乱闘となり、両派30名が負傷。

【中核派の革マル派テロ】
 4.8日、中核派が、革マル派の名古屋で東海自治労を殲滅1ヶ月の重傷。

【中核派の革マル派テロ】
 4.9日、中核派が、革マル派の鹿児島教労2名を殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.11日、革マル派が、中核派のレポ1名鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 4.12日、中核派が、革マル派の京王電鉄労働者ナンバー2を徹底殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.13日、革マル派が、中核派の立命館大生1名鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 4.15日、中核派が、革マル派の仙台産別サブキャップを殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.16日、中核派が、大阪で革マル派の関西教労中枢を殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.17日、革マル派が、中核派の東海襲撃隊員鉄槌。福岡NHK職員鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 4.21日、中核派が、革マル派の静岡教労1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.22日、中核派が、革マル派の秘密印刷所襲撃解放社最高責任者殲滅。東京で都職労1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.23日、革マル派が、中核派の救殺隊長ら3人鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 4.25日、 中核派が、広島市内の喫茶店で白昼、県職労書記の山浦陸夫が四人組に襲撃される(中国地方委議長殲滅)。襲撃過程の写真が新聞に公表される 。

【中核派の革マル派テロ】
 4.26日、中核派が、革マル派政治局員ら2名(解放社事務局員・芦野豊(32歳)、早大生・鈴木和弘(23歳))を新宿区西新宿の喫茶店で襲撃し虐殺。(解放社責任者・JAC隊長完全殲滅革マル15~16人目死者) 。慶応病院職員殲滅、関西全逓最高幹部殲滅。

【中核派関連】
 4.27日、杉並区議会選挙。

【中核派の革マル派テロ】
 4.27日、中核派が、革マル派の中央送り込み九州JAC隊長殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.28日、中核派が、革マル派の神奈川湖北教労1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.1日、中核派が、革マル派の富士通社員2名・千葉大最後の支柱を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.7日、中核派が、鹿児島県内の革マル派アジトを襲撃し3名殲滅。革マル派の教労キャップ・高校教諭の竹原寿を虐殺。革マル派17人目の死者となる。

【中核派の革マル派テロ】
 5.12日、中核派が、革マル派の日大JAC隊長撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 5.13日、中核派が、法政大で革マル派のレポ1名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 5.14日、中核派が、革マル派の金沢大5・15上京団集会襲撃5名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.16日、中核派が、革マル派の日本油脂サブキャップ殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.19日、中核派が、法政大で革マル派のJAC60名の襲撃に逆襲。法政大川崎分校でビラまき中4名殲滅、隊長徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.20日、中核派が、革マル派の横浜国立大JAC1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.21日、中核派が、革マル派の江戸川区役所職員を殲滅。全学連関西共闘議長ら3名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.22日、中核派が、革マル派の全逓西北地区重要幹部殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.28日、中核派が、法政大で革マル派のJAC100名の襲撃を爆砕。神奈川JAC最高幹部ら2名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.31日、中核派が、東京で集会帰りの革マル派20名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 6.3日、中核派が、革マル派の横浜国立大1名、西南ブロック最高幹部ら3名撃沈。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 6.4日、中核派が、大阪市立大教養学部前で、革マル派35名の集会中、鉄パイプを持って10数名が乱入、革マル派の元大阪経大2部革マル派副委員長・碓井規義(25歳)、藤井陽一、米田真章の3名が死亡した。革マル派18~20人目の死者となった。4名が重傷。逮捕者は5名、うち女性4名だった。

【中核派の革マル派テロ】
 6.7日、中核派が、大阪産業大の革マル派シンパの一般学生(軍事責任者ともある)・小野正裕(武司)を虐殺、とある。浜国立大生を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 6.10日、中核派が、東大で革マル派の東京大幹部を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 6.18日、中核派が、大阪経済大自治会書記長を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 6.18日、中核派が、革マル派の法政大会戦JAC60名を完全粉砕。千葉大最高幹部ら1名を徹底殲滅。中国地方委を徹底殲滅。大阪経済JAC幹部4名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 6.19日、中核派が、東京・品川区の路上で、革マル派の郵便局員全逓労働者・蒲田藤盛(22歳)を衆人環視の下で虐殺。革マル派21人目の死者となる。

【中核派の革マル派テロ】
 6.20日、中核派が、横浜国立大で革マル派のJAC8名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 6.21日、中核派が、東京・品川区の路上で、革マル派の郵便局員全逓労働者・蒲田藤盛(22歳)を衆人環視の下で虐殺。革マル派21人目の死者となる。

【中核派の革マル派テロ】
 6.24日、中核派が、革マル派の解放社を襲撃。

【革マル派の解放派テロ】
 6.24日、革マル派が、静岡県伊東市内にある歌手・加藤登紀子の別荘に泊まって武闘訓練をしていたとみられる反帝学評を襲撃。元九大生の石井真作(26歳)が死亡、9名が重軽傷。加藤夫妻は「無関係」と記者会見を開いた。正午、革マル派の上位組織の解放社が「防衛のために反撃した」と声明。

【中核派の革マル派テロ】
 6.26日、中核派が、革マル派の横浜国立大サブキャップを徹底殲滅。愛知大でビラまき中東海JAC10名粉砕、1名殲滅。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 6.26日、法大構内でヘルメット姿の両派約100名が鉄パイプ、旗竿で乱闘。機動隊が導入され、97名が逮捕された。負傷者は機動隊に保護された。

【革マル派関連】
 6.27日、「革共同両派への提言-内ゲバ終結を訴える」(「6・27提言」)による内ゲバの停止声明が出される。埴谷雄高、対馬忠行、藤本進治、色川大吉、井上光晴、もののべながおきら12名の発起人、11名の賛同人による。革マル派の随伴文化人高知聡氏の働きかけが大きかった。革マル派は声明「左翼知識人諸氏の決起を評価し権力の暴虐に共に闘うことを訴える」を発表、 前向きだったのに対して、中核派は「100%拒否」を声明。 「検証内ゲバ」は次のように記している。(「別章2」に記す)
 「この提言に対し、革マル派は一部については不満を述べるものの、『我々の巨大な勝利を画するもの』と大きく評価し、一大キャンペーンに乗り出した。だが中核派は『怒りを込めてきっばりと拒否する』として、提言を弾劾する声明を発表した」。

【中核派の革マル派テロ】
 6.28日、中核派が、革マル派の東京西南JAC4名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 6.30日、中核派が、東京外語大でビラまき中応援の革マル派のJAC20名撃破。3名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 7.1日、東京・北区の東京外国語大学の1号館1階廊下で、革マル派の学生が、女性1人を含む数人の学生に囲まれ、鉄パイプで殴られ、全治1か月の怪我を負った。襲撃した男女は生協門から逃走した。置きビラ中の東京西南JAC1名殲滅。大阪市立大で40名粉砕。関西JAC殲滅。

【革マル派関連】
 7.2日、中核派を殺人罪で告訴・告発。同日、革マル派は声明「左翼知識人諸氏の決起を評価し権力の暴虐に共に闘うことを訴える」を発表。

【中核派の革マル派テロ】
 7.3日、港区芝公園の区営グラウンドで野球をしていた都営地下鉄車掌(当時28歳)が、突然4人組の男に鉄パイプでメッタ打ちにされ重傷を負う(東交幹部を殲滅)。この車掌は革マル派のシンパで、現場に残された鉄パイプは中核派のものだった。

【中核派の革マル派テロ】
 7.4日、中核派が、革マル派の国学院大JAC幹部ら3名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 7.5日、千代田区神田駿河台の中央大学二号館前中庭で、学生2人がビラを配っていたところ、鉄パイプを持った8名に殴られた。この乱闘で、ビラ配付の1人が頭を殴られ重態(中央大で中央大JAC隊長を徹底殲滅)。襲ったグループは全員スーツ姿だった。金沢大JAC幹部3名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 7.8日、中核派が、革マル派の広島で中央JAC2名殲滅。1名重体。

【中核派対革マル派の集団会戦】
  7.9日、千代田区紀尾井町の上智大学構内で、革マル派系の学生約30名が機関紙を配ったり演説をしていたところ、約15名が鉄パイプで殴りかかった。この乱闘で3人が重軽傷を負った。中核派は「上智大で中部千葉ブロック軍団の15名粉砕2名殲滅」、革マル派は「智大で襲撃隊7名粉砕3名鉄槌」と主張。大阪教労他2名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 7.11日、中核派が、革マル派の科学技術省職員を殲滅。3ヶ月の重傷。

【革マル派の解放派テロ】
 7.11日午後0時10分頃、早稲田大戦争。新宿区西早稲田の早稲田大学の13号館(生協)と14号館(社会科学部)の通路付近で、学生と見られる3名人が負傷して倒れているのが発見され病院に運ばれた。1人が意識不明の重態。目撃者の話によると、鉄パイプを持ったグループがあらわれ、乱闘をおこない逃走したという。さらにこの直後、10号館付近でも学生同士の乱闘事件が発生している。警視庁公安部と戸塚署は革マル派による中核派襲撃と断定した。革マル派は「襲撃部隊30名を先制的粉砕」と主張。

【中核派の革マル派テロ】
 7.14日、中核派が、革マル派の全学連大会帰路の国学院大ゲバ隊長ら4名を撃沈。東海教労委議長撃沈。

 7.15日午前8時20分頃、東京・小金井市本町の小金井公会堂2階ドア付近に、茶色の紙に包まれた不審物があるのを用務員の女性が見つけ、出勤してきた責任者に知らせた。通報を受けた小金井署員が駆けつけ、不審物を公会堂南側の空地に移し、警視庁爆弾処理班に出動を要請、様子を見ていたところ9時23分に爆発した。付近には鉄クギなどが飛んだが、怪我人は出なかった。公会堂では、この日の朝に革マル派全学連の第38回全国大会が開かれることになっており、爆弾の時限装置はこの時間にセットされていたらしい。内ゲバに爆発物が使われたのは初めてだった。
【中核派の革マル派テロ】
 7.17日、中核派が、革マル派の広島県委員長を4度目の殲滅。

【中核派対革マル派の集団会戦】
 7.17日、新橋大会戦。中核派と革マル派が新橋駅ホームで会戦。皇太子夫妻の沖縄訪問に反対して国電蒲田駅周辺で集会・デモを行なっていた革マル派、中核派の約200人が、新橋駅山手線内回りホームで衝突。投石などを行い、同駅を通る京浜東北線など各線がストップした。この衝突で革マル派の立命館大経済学部の甲斐栄一郎(20歳)が死亡、革マル22人目の死者となる。44名が重軽傷。321名(うち女性53名)が逮捕される。

 中核派の機関紙「前進744号」は、「空前の大勝利、カクマル反革命本隊350名を完全にせん滅、ついに爆発した中核派魂」という見出しで「ファシストの墓場と化す駅構内」、「JACを死の谷」へ等々と報じている。玉川信明編著「内ゲバに見る警備公安警察の犯罪」は次のように記している。
 「全学連の仲間を大量逮捕し全学連を組織的に壊滅させることを目的として、警察権力が一から十まで周到に計画し、瀕死のウジ虫=中核派や、さらには右翼・ヤクザゴロツキ分子などを総動員しつつ、大がかりに仕組んだ空前の大謀略」。

【革マル派関連】
 7.21日、埴谷雄高氏らが「革共同両派への提言」に続いて再提言「殺しを止めよ」が出される。

【中核派の革マル派テロ】
 .22日、静岡県下田市の路上を歩いていた東京・昭島市の小学校職員の男性(当時34歳)が、3人組に鉄パイプで襲われ、重傷を負った。この男性は研修旅行中で、以前にも内ゲバ事件で襲われたことがあった(教労幹部を徹底殲滅。3ヶ月の重傷)。電通社員を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 9.4日、中核派が、 横須賀で爆弾製造中に自爆、近隣住民を巻き込み5名が死亡する。

【中核派の革マル派テロ】
 9.12日、中核派が、革マル派の国学院大生21歳を虐殺。

【中核派の革マル派テロ】
 10.8日、中核派が、革マル派の立正大生・秋本雅治(21歳) を虐殺。

【中核派の革マル派テロ】
 10.27日、中核派が、革マル派の東大生・梅田順彦(22歳) を虐殺。

【革マル派の中核派テロ】
 10.27日、 革マル派が千葉県下の中核派「中央武装勢力」の調査=出撃拠点四方所を一挙に壊滅し、入手した資料を暴露する。

【中核派の革マル派テロ】
 12.14日、中核派が、革マル派の金沢大生・関谷隆(25歳)を虐殺。

【革マル派の中核派テロ】
 12.14日、 革マル派が中核派「中央武装勢力」官僚・大島忠一らを捕捉し極秘資料を入手。翌15日に台東区入谷の調査=出撃拠点を摘発。スト権スト最中の全逓労働者襲撃計画が判明。

 1976年

 1.13日、 横浜国立大から下校途中の学生が襲撃され、一時間後には横浜市立大構内で学生が集われる。前者は一遇間後に中核派が、後者は青解派が追認。
【中核派の革マル派テロ】
 2.6日、中核派が、 革マル派の大東文化大生を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 2.12日、中核派が、 革マル派の都教組南多摩支部組合員を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 2.13日、中核派が、 革マル派の三菱原子力工業の労働者を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 2.26日、中核派が、広島で 革マル派の女性自治体労働者を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 2.28 日、中核派が、仙台市の郵政アパートの革マル派の郵便局員方に侵入、寝室で寝ていた郵便局員、妻、長男(当時2歳)を鉄パイプで殴り、重軽傷を負わせた。あらかじめフキンの電話線を切断し、折りたたみ式ハシゴでベランダから侵入していた。

【中核派の革マル派テロ】
 3.4日、中核派が、革マル派の全金大阪地本書記を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 3.11日、中核派が、革マル派の愛知県教育労者を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 3.12日、中核派が、革マル派の東京国分寺市職員を襲撃する。

【解放派の革マル派テロ】
 3.19日、解放派が、総評青年協集会で青解派が動労青年部を武装襲撃。

【解放派の革マル派テロ】
 5.21日、解放派が、大東文化大文連本部を襲撃し、学生4名が負傷(うち一名は一時危焉)。

【解放派の革マル派テロ】
 5.29日、解放派が、福岡教育大で集会中の学生を襲撃。

【中核派の革マル派テロ】
 6.3日、中核派が、大阪守口市で学生2名を襲撃。

【解放派の革マル派テロ】
 6.3日、解放派が、上智大で情宣中の学生15名を襲撃。

【中核派の革マル派テロ】
 6.11日、中核派が、世田各区内の路上で横国大にむかう全学連学生の車を襲撃。

【中核派の革マル派テロ】
 12.5日、山口県防府市で、中核派による革マル派襲撃事件(以下,「山口県防府市内襲撃事件」という)が発生している。革マル派は、「犯人は山口県警の現職警察官」と宣伝し、大々的に「権力謀略論」を展開している。

 1977年

【革マル派関連】
 1.6日、千葉県下の江戸川で革マル派活動家の日大生・水本潔氏が水死体で発見されている。革マル派はこれを「権力による謀殺、死体スリカエ事件」(以下「水本事件」という)と大々的に喧伝している。(「革マル派系活動家・水本潔(日本大学生)変死事件考」)

【革マル派の解放派テロ、革労協(解放派)最高指導者・中原一虐殺】
 2.11日、革労協(解放派)書記局長で解放派筆頭総務委員の「中原一」こと笠原正義が、茨城県取手駅付近で車に乗っていたところを、乗用車に挟み撃ちにされ、革マル派6名に鉄パイプで頭などをメッタ打ちにされて死亡した。
 
 革マル派のコメントは次の通り。
 「革労協の最高責任者である中原一に対して、革命的鉄ついを下した。これはあくまでも、われわれ労働者、学生への彼らの反階級的な襲撃を未然に防ぐための防衛的闘いである」。

 革マル派の機関紙「解放」(77.2.21日付け)は次のように報じている。
 「中原一派の盲動を未然に粉砕」の見出しで、「『人殺し、助けてくれ』という消え入りそうな萎えきった声がお前の最後の言葉となった」。

 最高指導者を殺された社青同解放派の怒りは凄まじく、「2.11反革命をとおして、わが革労協と反革命革マル派とは、彼我いずれかの絶滅をもってのみ決着のつく不可逆的な『戦争』関係に突入した」と声明し、中核派をも凌ぐ対革マル派戦争の全面に踊り出て、中核派に代わって「対革マル」の前線に立つことになった。

【解放派の革マル派テロ】
 4.15日、埼玉県戸田市の機関紙印刷所を出発した革マル派のワゴン車が浦和市内の新興住宅街で襲撃され、中に閉じ込められたままガソリンで放火され、政治局員・藤原隆義(34歳)ら4名人が焼死した。解放派の革マル派反撃テロ第一弾となった。革マル派のワゴン車は鉄板や金網が張られた装甲車のようなものだったが、走行中に前方の空き地に停まっていた大型トラックが進路をふさぐように飛び出してきて、さらに後方から追尾していた幌付トラックが追突し、2台に挟まれるように停車した。車から飛び出してきたヘルメットに覆面姿の約10人は、鉄パイプやツルハシでワゴン車を乱打し、ドアを変形させて中から開けられないようにしてからガソリンを流し込んで放火した。車が炎上するのを確認した犯人は、幌付トラックの後方にあった車で逃走した。車中の革マル派構成員4人は全員焼死した。犯人の作業衣や凶器などは翌日に市内の荒川土手で、逃走に使った車は朝霞市内の路上で17日夜に発見された。4.16日、革マル派は事件の存在を明らかにし、死亡した構成員の氏名を公表した。

  4.17日、革労協活動家が犯行声明を出す。成田空港問題の集会で犯行を自認するビラを配布している。
 「革マル政治局員藤原隆義ら4人を打倒!2.11中原同志暗殺に対する怒りの革命的テロル炸裂!更に、すさまじい革命的テロルの猛攻を黒田ら反革命頭目の頭上に」。

 9.12日、革マル派の国学院大サークル員・田中玲彦が自宅付近で虐殺される。中核派が追認。
 10.8日、革マル派の立正大生・秋本雅治が大学構内で火炎ビンを用いた青解派によって虐殺される。
 10.27日、革マル派が千葉県下の中核派「中央武装勢力」の調査=出撃拠点四方所を一挙に壊滅し、入手した資料を暴露。
 10.27日、革マル派の東大生梅田順彦が駒場構内で虐殺される、青解派が追認。
 1978年

【解放派の革マル派テロ】
 解放派は、「2.11反革命一周年決戦へ全党全軍総決起」をうたう。

【解放派の革マル派テロ】
 1.27日、解放派は、勝田市.水戸市などの茨城県下で同時多発的に革マル派3名を殺害、3名に重症を負わせた。

 9.2-3日、中核派が大阪、神戸、岡山、鳥取で同時多発ゲリラ。
 9月、動労中央本部教育宣伝部長・小谷昌幸氏がテロられ重傷。
 1978年以降、党派間ゲバは中核、解放両派の革マル派への熾烈な復讐戦として、一方的に、革マル派の死者が増加する。が、81年以降、次第にそれも減少の方向に向かってきた。それまでの死者の合計80人のうち中核派による革マル派の殺害43名、解放派の革マル派殺害22名、革マル派の中核、解放両派殺害14名、その他1名である。

 1979年

【解放派の革マル派テロ】
 1.27日、勝田市、水戸市など茨城県下で革マル派3名を殺害し、3名に重傷を負わせた。

 4.11日、革マル派280名と革労協260名が、総評主催の「全国青年労働者層決起集会」会場でゲバルト。

【解放派の革マル派テロ】
 11.16日午後7時10分頃、新宿区愛住町の外苑東通り路上で、若い男2名が10数人のグループに取り囲まれ、大型ハンマーや鉄パイプで全身メッタ打ちにされ、1人が死亡、もう1人も翌日病院で亡くなった。襲ったグループはトラックで逃走、トラックは2km離れた新宿6丁目(丸の内線四谷3丁目)に乗り捨てられていた。これは10月に横浜市内で盗まれた車両だった。死亡したのは横浜国大教育学部・佐藤修平(26歳)、北大生・小林智(26歳)、所持品などから革マル派の活動家と判明した。

【革マル派の解放派テロ】
 11.21日、革マル派による3件の内ゲバ事件があった。午前4時40分頃、藤沢市大鋸のアパートで、学生2人が黒ヘルをかぶった11人の男に襲われ大怪我。寝こみを襲われたもので、逃げようとして下着姿のまま階段や庭先に倒れていた。また同じ時刻、平塚市南原で、8人の男がはしごをかけてビルに侵入し、中にいた人をメッタ打ちにした。そして午前7時過ぎ、八王子市椚田町でも2人が重傷を負う事件があった。この一連の事件で、革マル派は「革労協の軍事アジトを摘発した」という声明を出した。




(私論.私見)