286話 王都への移送と事変
王都モルテールン別邸。
モルテールン領にある本宅の屋敷は改装に改装を重ねて立派になっているが、こちらの別邸は質素な一軒家である。庭も花壇が僅かに有るかどうかの小さいものだし、屋敷の部屋数も片手で足りるというこじんまりとしたもの。
とても、今を時めく国家の重鎮モルテールン子爵が住むとは思えない。
元々は大貴族が愛人を囲うのに使っていた家であり、目立たないように建てられていたのだが、その飾り気のなさが生粋の軍人たるカセロールの好みに合って購入することになったものである。
そう、カセロールは英雄と呼ばれてはいるものの好みは渋い。
元々贅沢などとは縁遠い貧乏騎士爵家の生まれであるし、魔法を授かってからも、実家は本家筋の連中に虐げられ、その実家の中でも跡を継がない男子ということでこき使われていた。常に抑圧の中で育ったため、どうにも高級品に囲まれた生活が肌に合わないのだ。立身出世を果たした後も貧しい領地で一生懸命だったし、金を湯水のように使うことに対して長年培った感覚が嫌悪感を示すのだ。貧乏性ともいう。
勿論、貴族として最低限の見栄は保つようにしているのだが、それにしたところで嫌々やっているようなところがある。
愛する妻や可愛い子供達、或いは孫たちに囲まれながら程ほどに、偶に贅沢を楽しむぐらいで良いではないか。
カセロールの偽らざる気持ちではあるが、これについては家族も賛意を示している。
穏やかで落ち着いた生活とは、カセロールにとって欲してやまない、憧れの生活だ。
そう、特に最近強く憧れるようになった、夢のような生活である。
「お前は、落ち着くという言葉を知らないのか?」
モルテールン子爵家当主は、またも息子が持ち込んだ問題について頭を抱える。
救国の英雄と祭り上げられ、元々平穏とは縁遠かったカセロールであるが、ペイスが生まれてからこの方、尚更落ち着いた生活が遠のいてしまったと肩を落とす。
我が息子ながら、もう少しぐらい、落ち着いて欲しい。まだ大龍討伐の騒動から数か月ほど。一年も経ってないのだ。あれほどの大騒動の後、五年や十年ぐらい大人しくしていても誰も文句は言わないぞと、父親は息子の頭をぐりぐりと乱暴に撫でた。
「知っていますよ。僕としては平穏で豊かな、心落ち着く生活を望んでいます」
父親の手荒い愛情表現に、不満そうなペイス。
自分だってトラブルの起きない日常というのは望んでいることだと主張する。
「その割に、騒動事を持ち込んできたようだが」
ひとしきり、八つ当たり気味に息子を撫でたところで落ち着きを取り戻したカセロールが、椅子に座る。
ペイスもカセロールの目の前にある椅子に座り、報告を続けた。
「騒動事になるとは限りません。むしろ騒動にしないために、こうして相談に上がったのです」
「物は言いようだな」
「事実を言っていますので」
「それで……これは何だ?」
カセロールの目の前には、一見すると金属の鉱石と思えるような塊が置かれていた。
形こそ丸みを帯びた楕円の球形、所謂楕円体のようなものであるが、ぱっと見るだけでも鈍色に光る金属光沢が分かる。
形からはどうにも、あるものを想起させる。カセロールは嫌な予感を覚えつつ、ペイスに未知の物体の正体を聞く。
「卵です」
やはり、と言うべきなのだろうか。
質感はともかく、形から言えば明らかに卵と思われる形をしていたのだ。その答え自体は予想していた。
問題は、この卵がどんな生物の卵なのか。
カセロールの淡い期待。そう、本当に淡く儚い期待としては、この未知の物体が、新進気鋭の芸術家辺りが作り出した新作の芸術作品であり、何の変哲もないありふれた金属から作られた卵のレプリカだというもの。
勿論、カセロールとしてもそんな淡い期待をするだけ無駄だと分かっている。むしろ、こんなものをわざわざペイスが秘密裡に持ち込む点で、答えなど大よそ見当がついているのだ。
それでも、期待せずにはいられない程度には、予想しているものが突拍子も無さすぎる。
「こんな大きな卵、何の卵だ? 聞くまでもない気がするが、一応確認しておく」
「大龍の卵、と思われます」
やはり、であった。
僅かな希望は無残にも打ち砕かれた。
大龍を討伐したというだけでも大騒動であり、現在進行形で後始末や余波によるトラブルが頻発している中。それに油を盛大に撒いて火を点け、風まで煽りそうなほどの事件である。
「……本当に、頭が痛い」
「お察しします」
ペイスとしても、カセロールには同情する。
元々下級貴族の傍系として育ち、苦労しながら貴族としての立ち居振る舞いを身に着けたカセロールには、貴族社会の社交は苦手分野。気疲れすることである。
それが、大龍のこともあってここ最近は連日連夜社交界に呼ばれ、主役になっていたのだ。
いい加減、心労で倒れても不思議は無い。
「詳しく話しなさい。まず、これはどこでどうやって見つかった?」
それでも気丈に、父親然として、また一家の当主として、問題に対処するべく背筋を伸ばすカセロール。
幸いと言って良いのか、まだ問題としては対処のしようもあることだ。ペイスによる情報封鎖も行われていて、ここに大龍の卵があるということは身内以外に知られていない。
正しく対処するのであれば、まだ問題を芽のうちに摘める可能性はあるのだ。
対応を間違えない為に正確な報告が要ると、続きを促す父親。
「詳細はここにまとめてありますが、掻い摘んで話せば、大龍の体内から掻きだして、肥料にでもしようと脇に置いていた排泄物の中から見つかったのです。ソキホロ所長の所見では、どうやら卵のようであると」
「間違いないのか」
排泄物の中から見つかったというのなら、未消化物の可能性もある。
大龍が、少なくとも人間を食うことははっきりしているのだが、それ以外に普段何を食べていたのかは未知数。
食べたものを消化した成れの果てが目の前の物体である可能性もあるはずだ。
「大龍の生態などは皆目分からないので、推測の域を出ることは無いでしょう。しかし、蜥蜴と類似する器官が多くあることから、総排泄腔が大龍にも有る可能性は高く、仮に排泄器官と生殖器官が繋がっていたのなら、排泄物に卵が混じっていてもおかしくないだろうと考えます」
「ふむ、なるほどな」
勿論、ペイスは未消化物である可能性を否定しない。というより、謎が多すぎて否定する材料がない。
「付け加えて言うなら、当初は見た目と硬さから鉱物の可能性を考えていましたが、どうあっても既存の鉱物とは一致しないという意見もあります。これはソキホロ氏が専門家として断言したことです」
鉱物についてかなり詳しい知見を持つ専門の研究者が、それも国内最高峰の王立研究所で働いていた一流の専門家が、自分の専門性に賭けて断言した以上、これはもう確定事項として扱うべきことなのだろう。
本来、未知のものを調べる時、それが何であるかを調べるよりは、それが何か“でない”ことを調べる方が難しい。
仮に、一枚の絵を見せられたとする。自分の知っている絵を見せられて、ああ、これはピカソの絵だね、と断言することは容易い。単純な知識の話だ。
しかし、知らない絵を見せられて、ピカソの絵で無いことを断言するのはどうだろうか。ピカソの作品を網羅しているか、或いはピカソのタッチや癖を熟知し、科学的調査ぐらいはしておかねば、ピカソの絵でないことは断言できないだろう。未発表作と思われるものが発見されて、それが本当にピカソが描いたものか調べろと言われて、半端な知識で断言できるはずも無いだろう。
ソキホロ所長は、鉱物についての熟知をもって、また色々な確認作業を経た上で、見知らぬ物体が“鉱物でない”ことを断言して見せた。
これはこれで、相当に凄いことである。
「あとついでながら、大龍の生態について研究所が試料を入手して調査中とのことです。今は目ぼしい研究室がこぞって試料を奪い合っている段階だそうですので、近々もう少し詳しいことが判明すると思われます」
モルテールン家は、龍の頭蓋骨や幾つかの素材については王家に献上している。元々領地貴族は収益の一定割合を王家に上納する義務もあるわけで、大龍の件でもそれに倣ったのだ。
ちなみに、その褒美として色々と提示されたのだが、その全てをカセロールは断っている。
王都に大きな屋敷を貰う必要も無いし、王家の血筋のお姫様を側室として迎える必要も無いし、お金も有り余るほど稼いでいると断ったし、国宝の下賜なども持て余すからと断った。
唯一、ペイスがたっての願いとして求めた褒美は、王立研究所からの機密情報と、大龍についての研究結果の無償譲渡。
王家がタダで手に入れた大龍の素材。頭蓋骨は防腐処理の上でデカデカと飾られることにはなるのだが、他にも多くの素材があり、これらの一部は研究機関に下賜されることになった。
今まで謎に包まれ、伝説上の存在ともされていた大龍の生態について、研究者ならば知りたいと思うのが当然だろう。
大龍の生態についての知見は生物学的に見過ごせないし、下手な金属以上に堅い鱗を調べるのは素材系の学問にとって必須事項だ。鱗を人工的に再現できるようになれば、神王国はあらゆる武器を防ぐ無敵の盾すら手に出来る。
魔法系の学問も、大龍の持つ特性を再現したがるだろう。建築系の学問でも大龍素材は明らかに役に立つと分かっている新建材だし、果ては服飾系でもドラゴンデザインはホットなトレンドである。
これらの各研究室での研究結果。本来であれば出資者である王家が情報を独占することも可能なのだが、そこは強かな知恵袋のあるモルテールン家だ。大龍に関わることという条件付きながら、隠すことなく全てを知ることが出来るように交渉した。
形のある即物的なお宝や利益より、形のない情報や知識といったものを欲する。
この意味が分かる人間は、モルテールン家の先見の明に感心したという。
「ふむ、ならば情報が揃うまで待つというのも一つの手だが……気が進まんな」
「何故です?」
「不確定要素が多すぎるからだ。今、当家に向けられる監視の目は空前絶後と言っていい。こうしてお前と話していることも、すぐに多くの人間の知ることとなるだろう」
「そうですね」
「卵の件を、いつまでも隠し通せると考えるのは、希望的観測が過ぎると思わないか?」
「それはその通りだと思います」
目下、モルテールン家に対する諜報活動は熾烈を極めている。
モルテールン家別邸で働く使用人は五人程だった。今は急遽増やして二十人程になっている。元々身元の確かな人間しか雇っていなかったのだが、彼ら、彼女らに対する工作に、国家予算並みの金が動いているといえばその凄さも分かるだろう。
王都の治安維持を預かるカドレチェク公爵が、平民の庭師を守るためだけに一個小隊を動かして護衛しているレベルである。洒落になっていない。
龍の卵の情報も、どこまで隠し続けられるか未知数。いずれバレると思っていた方が良いだろう。
ならば、いっそバレる前に公表することを考えるべきではないか。
カセロールは、そう判断する。
「王家へ献上するのが一番だな」
「やはり?」
「こんなもの、うちで抱え込んでどうする。元々予想していなかったこと。当面、金儲けを考える必要も無い以上、面倒ごとは上に被せてしまうに限る」
「ですが……」
「何だ、気に入らないか?」
面倒なことを抱え込むのは御免だというカセロールの意見に、ペイスはどうにも素直に頷く気配を見せない。
「正直に言うと、勿体ないです」
「勿体ない?」
「だって、もう今後手に入らないかもしれない卵ですよ?」
「そうだな」
ペイスの眼が、段々と怪しく、据わり始める。
我が息子の異常さをよく知る父親は、この上なく嫌な予感を覚え始めた。
「なら、どんな味がするのか、知りたいじゃないですか!!」
ダン、と立ち上がり、勢いよく宣言するペイス。
気色ばみ、語気を荒げ、全身一杯を使って自己主張を始めた。
これだ。これがあるから、ペイスは問題児なのだ。
「世界中でここにしかない卵!! これを使えば、もしかすると今までにない最高のスイーツが作れるかもしれないじゃないですか!!」
「はあ」
暴走を始めた息子に、溜息をつくカセロール。
「タルトに使って良し、ケーキに使って良し、焼き菓子に使って良し、プリンにだって使えます。そうだ、どうせイレギュラーなものです。元々なかったことにして、こっそり食べてしまいましょう!! それが良い!! 今からぶっ壊してしまえば、全ての問題は解決です。美味しい話で一石二鳥!!」
「そんなわけあるか、バカ息子!!」
賑やかな親子のやり取り。
結局、王家に献上するのが一番ではないかと結論が出るのだが、幸いなことに、いや不幸なことに、この日の親子の会談は無駄になる。
卵が、盗まれてしまうという事件が起きたのだ。