おしえて№420 投稿者 Tsuneさん |
稲荷神社と狐】 お稲荷さんのお使いは狐ということになっています。中にはお稲荷さん自体が狐の神様であると思っている人もあるようです。この関連については色々な説がありますが、幾つか紹介します。 稲荷の神と同体と考えられる御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、そこから狐が登場した。(「けつ」は狐の意味の古語。今でも狐を「けつね」と呼ぶ地方はありますね) (一番よく聞く説) 穀物を食べる野ネズミを狐が食べてくれるので、狐を穀物の守り神と考え、そこから結び付いた。 (実はこうだろう、とよく本に書いてある説) 伏見の地には秦氏が入ってくる以前に狩猟の民が山の神を信仰しており、その象徴が当初狼であったのが、いつか狐に変化して後からやってきた農耕の民たちの神と習合した。(梅原猛説) 参考URL:f-anecs http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/miya/inari.htm 「稲荷」とは本来五穀をつかさどる神である、倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)をさします。これがどうして狐と結びついたかは稲荷神社が全国にどのように広まったかをみればわかります。今回も長文になりそうです。 稲荷神社の頂点は伏見稲荷大社です。 縁起の詳しくは書きませんが、この大社は711年(和銅4年)に秦公伊呂具(ハタノキミイログ)が初めて社を創建したと伝えられています。祭神は、宇迦之御魂(ウカノミタマ)=下社→前出の倉稲魂神と同じ:佐田彦大神=中社:大宮能売(オオミヤノメ)大神=上社の三柱を主神とし相殿に田中大神と四大神(シノオオカミ)で五座をまつっています。 この伏見稲荷も隆盛荒廃と再興の歴史を経て現在に至っていますが、この課程で稲荷と狐が結びつくのです。稲荷信仰の全国的普及は主にこの伏見稲荷をはじめとする宗教家の解説や宣伝によるものですが、さらには東寺の真言密教の影響も受け、各地に中世以降広まって行きます。ここで、狐と結びつくポイントとなったのはこの宣伝よりもむしろ受け入れ側にありました。この受容の基盤となっていたのが「田の神およびその使女(ツカワシメ)を狐とする」信仰です。 各地でみられる狐塚は本来田の神の祭場であったとされ、稲荷(五穀をつかさどる神)=狐を同一視する観念も一般的でした。また、広めた側は神社の社家、真言宗の僧、民間の巫者、行者、祈祷師などが主で、病気や不幸の原因が狐の憑きものであると判断しそれを回復させるために稲荷をまつるよう指導する例もありました。他にも商業や漁業神としてもまつられるようになりますが、以上のような理由があったのです。 お稲荷さんと狐 神は眼に見えないが、神の遣わしたものは神のお使いとして眼に見ることが出来、それが神意を暗示するという思想はかなり古くからあったと思われ、神社にはそれぞれその祭神又は鎮座地等によって神の使者、つまり神使の言い伝えがある。 神使の主体は、鳥獣虫魚等いずれも動物である。稲荷神社の狐は、稲荷山に棲む狐からこれが神使とされたのであろうが、神名帳考証に「稲荷神社が俗に狐を以て神使と称するは、御気津(みけつ)の字を三狐に作れるか」とあるように、祭神名から生じたものらしい。 御気津は宇賀御魂(うかのみたま)神のことで、この神の別名タウメミケツが専女三狐(たうめみけつ)神と書かれ、この専女からさらに、狐は化けて出る女が連想された。稲荷五社の一である上社(命婦社)に祭る狐は、阿古町(命婦)・小薄(尾薄)・黒尾と名付けられ、狐があたかも稲荷神社の祭神のように錯覚するほど各地の稲荷神社でも、その境内に狐の像がみられる。 情報源:日本史小百科 1 神社/岡田米夫著/近藤出版社 稲荷と狐の関係について見つけましたのでそのまま引用します。稲荷の神と同体と考えられる御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、そこから狐が登場した。(「けつ」は狐の意味の古語。今でも狐を「けつね」と呼ぶ地方あり。一番よく聞く説)穀物を食べる野ネズミを狐が食べてくれるので、狐を穀物の守り神と考え、そこから結び付いた。(実はこうだろう、とよく本に書いてある説)伏見の地には秦氏が入ってくる以前に狩猟の民が山の神を信仰しており、その象徴が当初狼であったのが、いつか狐に変化して後からやってきた農耕の民たちの神と習合した。(梅原猛説)次には同じようなことが書かれています。 参考URL:神社と神道のホームページ http://www.jinja.or.jp/faq/answer/05-10.html 参考URL:tom's room http://www6.freeweb.ne.jp/diary/tom007/001/001/oinarisama.htm (他、上記かみっちさん参考URLも紹介していただいてます。(さちパパ)) 稲荷の成立はいろいろな説があるのですが、次のようなものもあります。まず、収穫を台無しにする水害などが起きないようにということから「堰止め」のための神社が田んぼなどに置かれるようになった。(川を堰止めて、水利を得るというのもある)(稲の豊作を祈ったので「稲荷」の名がついた) 「堰止め」との音の近さから「咳止め」ということで病気にもご利益があるとして、信仰を集めた。咳は、コンコンという事から、コンコンと鳴く狐が稲荷の遣いとされるようになった。 狐はその昔、農耕の神と考えられていて(ねずみを食べるから??)豊穣を祈願して祭られていたと記憶しています。 稲荷神社の主祭神は保食神、御食津神、大宜津比売神です。御食津神を三狐神、大宜津比売神を大狐姫と書いたこともあり、ここから稲荷神社を狐とくっつけてしまったようです。要は俗説に近い。結局、実態のよく解らないものより身近なもののほうが崇めやすいということでしょうか。 参考URL:割狐塚稲荷神社 http://www.inarijinja.com/yuisho.htm 稲荷の本地である荼枳尼天が狐霊の夜叉であるとされたこと、御饌津神を三狐神とと書き間違ったこと、狐が稲荷明神の使いと信じられるようになったことから、そうなったそうです~。 なんでも神社の使いらしいねえ。いわゆる「ぱしり」ってのかなぁ。 参考URL:日本瞥見記 http://tourism.rikkyo.ac.jp/yasujima/kikoubun/otiai/inari.html みてちょ。 参考URL: FFortune Anex ―精神世界総合サイト― http://www.nifty.ne.jp/forum/ffortune/anex/topic/inari.htm に詳しく載ってます。 狐は神ではなく使いだったんですね。 お稲荷さんのお使いは狐とされているからです。狐と犬は相性が悪いですから社に狛犬を入れることはなく守りも狐の担当なのです。 狐がいるのはお稲荷さんだけではないみたいですよ。下記のHPでは全国の神社にある狐がみれますよ。 参考URL:狛犬ネット http://komainu.net/ 広辞苑には御食津神(みけつかみ)を三狐神と付会して、稲荷の神の使とする俗信から狐の俗称とあります。 もともと稲荷信仰(この中に狐信仰が含まれる)は、伊奈利山(稲荷山)の山麓で農耕を行っていた人々がこの山をご神体として信仰していた。 昔から山の神は、春には山を下りて田の神になり、秋の稲刈りの季節には山に帰ると信じられていた。狐はその頃(古事記以前)、身近におり、ネズミをとってくれるので大切にされ親しまれていた。しだいに、山の神のお使いとみなされ、稲が実ると、狐の巣穴の前にお赤飯と初穂を供えた。 ※稲荷には、神道系と仏教系がある。仏教系の狐は本来はジャッカルだと 言われている。 |
スゴイです。こんなに諸説入り交じっているとは思いませんでしたね~。この紹介していただいたURLの多さが複雑さを物語ってます。 |
正答者の方々( 17名)です。ありがとうございます。 |
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