第48話 馬市は大型ペットの香り
翌朝ヘティーさんがレベッカさんと連れ立って迎えに来た。
馬市は朝から始まって、昼過ぎには良い馬はたいてい売れてしまうのが常なのだとか。そういった事情で、良い馬を手に入れる為には、朝一で行くのがベストとのこと。
さすがに朝6時に来るとは想定していなかったので、鏡の前でパントマイムするマリナに気付かなければ、部屋で8時くらいまではダラダラしていたかもしれん。目覚まし6時にセットしておいて助かった。
起きて屋敷のリビングに顔を出すと、2人はいつにない張り切りようで、「やはり馬はオスに限る」だの「戦場じゃあるまいしメスに決まってるでしょ」だの「馬蹄はミスリル製に限る」だの「馬鎧はどうしようか」だの「だから戦場じゃないって言ってるでしょー!?」だの、ずっとなにやら言い合っていた。
ホント、仲良いなこの2人。
その後、少し仕度に手間取ってしまい(いちおう馬に乗れる服がいいかと思い、ディアナとマリナにユニクロ服を着てくるように言ったら、ディアナがまた例の格好で来たので、マリナにコーディネイトさせたりなんだりしてたら遅くなった)、馬市の会場に到着したのが8時ちょっと前くらい。すでに市は始まっており、おそらく100頭は下らないであろう馬を中心とした家畜が並べられていた。
漠然と、馬……それも乗馬用のものだけが売られているのかと想像していたが、農耕馬や水牛、ロバやポニーなども売られている(俺の目には農耕馬も乗馬用の馬も同じに見えるし、ロバとポニーの違いもいまいちわからんのだが)。
特にロバ売り商人が30頭近いロバを連れていて、この世界のロバ需要に驚くばかりだ。
「ロバは馬よりもずっと安価ですし、乗用にも運搬にも使えて、飼育にも手間が掛かりませんからね。乳も飲めますし」
そうヘティーさんが説明してくれる。たしかに馬みたいに速く走れるのが売りなデカブツは、普通に生活してる分には無用の長物なのかも。日本の感覚だと、軽自動車とスポーツカーの違いみたいなもんか……?
ともあれ、今日の目的は馬だ。それも乗用の馬だ。ロバも可愛いけど、ロバに乗って移動なんてのは、いかにも締まらないからね。
でも、俺もディアナもマリナも馬も目利きなんてできないどころか、若馬か年寄りかすら判別できない。
なので、馬選びは基本的にヘティーさんとレベッカさんに任せることにした。
ディアナは「白いのがいいのです。白いのが」と言ってたが、黙殺した。白いの自体がほとんど売りに出てないし、ただでさえディアナは目立つのにさらに目立つ馬に乗ろうなんてチンドン屋じゃあるまいし、ご主人さまとしては到底許容できないのだ。
マリナは「マ、マリナはあれでいいのです。あれで十分です」と言って、ロバを指差したのでやはり黙殺した。
だが自分はいちおう「僕は黒いのがいいです」とだけレベッカさんに言っておいた。そんで黒王号とか名付けるんだ俺……。
馬市といえど、実際に乗用の馬を買う人はあまり多くないらしく、10時を回っても馬はまだ十分残っていた。値段は商人との交渉なので(なんせ値札が付いてるわけじゃない)わからないが、ロバとは比べ物にならない値段なのは確かだろう。
実際、ロバはよく売れている。30頭はいたはずのロバが気付いたら10頭程度になっているくらいだ。
へティーさんとレベッカさんは、まるで自分の馬を買うのかのように、夢中で一頭一頭吟味していた。へティーさんなんかはメイド服のまま試乗して、目立ちまくり、レベッカさんも「私も欲しくなっちゃったー」とかいいながら、あれこれ馬商人に質問している。
まさかここまで2人がハシャぐとは思わなかった……。いちおうディアナとマリナも馬に乗れる服着せてきたけど、まったくお呼びじゃないぜ。
まあ、ヘティーさんとレベッカさんはほとんどプロみたいなもんなんだろうし、任せちゃうのが正解だろうから問題ないんだけどな。
そして今、へティーさんとレベッカさんはある馬の前で相談中である。
「…………どう思う? ベッキー」
「そうねぇ……。ちょっと良すぎる気もするけど。でも、これだと予算は大丈夫なのへティー。ある程度は個人の裁量に任されてるって言ってたけど、限度ってものがあるんじゃないのー?」
「正直ちょっと厳しめではあるけれど……。でも馬は多少無理しても良いものを手に入れたほうがいいってことはわかっているはずでしょ」
「別にジローは戦場へ行くわけじゃないのよー?」
「それはそうだけど、商人だって危険がいっぱいよ。街道で盗賊に襲われた時なんかは足の良し悪しが確実に明暗を分けるのだし」
「盗賊に襲われたら足の差なんて瑣末事のような気もするけど」
「まあ怖い。騎士様は天職の効用でどれだけ自分が馬を上手に扱えているかわからないんだわ」
「て、天職は別に関係ないでしょー?」
「あるわよ。あなたが乗ればどんな駄馬も名馬になる。主人を守る為に盗賊どころか魔獣からでも逃げ延びるでしょうよ」
「……えっとー、…………馬ってそういうものなんじゃないの?」
「まったくベッキーはこれだもん。
そういう馬もいるけど、ちょっと驚かされただけで萎縮して動けなくなったり、制御不能になったりする子も多いのよ。そうじゃなきゃ軍馬として調教された馬が高値で取引される理由がないじゃないのよ」
「そっかー……。みんなそれで高い馬買ってたのねー……」
「いったいどうしてだと思ってたのよ」
「見栄かなー、なんて」
「もう」
2人の前には、同じ軍馬の種から生まれたという触れ込みの3頭の兄弟馬がおり、年齢は2歳半から3歳とのこと。
一頭は灰色の体に金のタテガミと尻尾、こいつは葦毛というやつらしく、そのうち体の色は白くなるらしい。
もう一頭は黒っぽい体(コゲ茶色かな)に黒いタテガミと尻尾。厳密には
最後の一頭は、これも灰色の体(一頭めのより濃い)に黒のタテガミと尻尾。これは
ちょうど良い馬が3頭売りにでているということで、ヘティーさん的にはこの子たちで決めたいようなのだが、どうも値段がかなりのもんらしい。
俺的には嬉しいけど(なんせ黒っぽいのもいるし!)、あんまり高いのを買ってもらうのはやはり多少の心苦しさがある。ていうか、ディアナのお導きのサポートってだけで、こんなに良くしてくれるなんて本当に大丈夫なのか不安だ。不安だし、不思議だ。
「ジロー様、今回の市の中ではこの子たちが最も良さそうです。血筋も良く、訓練も受けていますし、年齢的にも申し分ありません」
どうでしょうか? ということだが、当然異存ない。ただ金額的なことがね……。市で一番良い馬を3頭ともなると相当な金額になるんじゃ……。
「ほんの金貨20枚ですよ。これでもそれなりに割引きしてもらった金額ですが」
「20枚ですか……。あの、ほんとうに良いんですか?」
「問題ありません」
金貨20枚はつまり300万円である。馬が一頭で100万円くらい(しかも割引きしての値段)だということ。
いや、馬の値段つーか相場なんか知らないんだけどさ、けっこうするよなぁ……。でも考えてみたらペットショップに売ってる犬猫だって10万円以上はするんだから、良馬だったら高いのも当然ではあるのかな。むしろ安いくらい……?
オマケというか、セットというか、鞍やら手綱やらも付けてくれるらしいし、ヘティーさんが言うにはかなり「お買い得」なんだとか。
そういうわけで、結局そのままこの3頭を買ってもらうことに。サービスで手入れ用のブラシやら油やらも付けてくれた。
いやぁ、約束してあったことだとはいえ、こんなデカイ生き物を買ってもらうということ自体がファンタジーだよ!
馬をひきつれて街道を行く。
その最中ずっと俺とディアナとマリナはレベッカさんとヘティーさんから馬を飼う心得を聞いていた。
「馬の面倒はある程度は人に任せても構いませんが、最低でも毎日のブラッシングぐらいは自分でなさるのが良いかと思います。面倒は見ないで乗るだけ……では馬は主を主と認めない生き物ですので」
「そうね。馬は大事なパートナーだからねー。3人とも自分の子はしっかり面倒見なきゃだめよ?」
「はい。毎日の世話というと餌とブラッシングと厩舎の掃除と……あとなにがあるんでしょう」
「あと大事なのは放牧ね。うちの周りは人もほとんど来ないし、うちの子も放牧させてるから、あのへんで遊ばせれば問題ないわよ」
「放牧って、馬に自由に散歩? させるんですか? どこかへ行ってちゃったりとかは……」
「少し教えれば大丈夫よー。馬は頭いいんだから、勝手にいなくなったりしないわ」
「あと、餌なんかはどうしたらいいんでしょう」
「私は村で買ってて定期的に届けてもらってるから、ジローもそうすればいいわよ。干し草とか麦とかね。放牧中にもそのへんの野草食べてるから、餌に関してはそんなに心配いらないわよー」
「あと塩ですね。これは私が用意しておきます」
「それと、厩舎に藁を用意しなきゃね」
移動手段がないからと「馬がほしい!」と簡単に言ってしまったが、大型の動物を3頭も飼うってのは、当然といえば当然、簡単なことどころか十分に大変なことなのだった。
でもヘティーさんもレベッカさんもなんだか妙に楽しそうなんだよな。
「あの、2人とも馬好きなんですか?」
「好きですね」「好きだわ」
やっぱね。
◇◆◆◆◇
そのまま一度屋敷へ戻り、馬は厩舎へと入れる。
今度は餌と水桶、厩舎に敷くワラなんかをすぐに用意しなければならない為、すぐ近くの村へ向かった。
村の名前は……前にギルドで聞いた気がするが、忘れた。村といっても世帯数は100程もあるらしい。しかし、エリシェという都市に近い村としては小規模なのかもしれない。
村と聞いくと狭い場所に家屋が何件もある印象だが、ここではかなり広い範囲に家屋が点在していて、それらひっくるめての村なのだった。まあ、街道も街も近く治安的にも悪くないから、無理に集合して暮らす必要がないのかもしれない。
さて、せっかく行くのだから村でしようと思っていた他の用事も、いっしょに済ませてしまおうと思う。