「自分」でいること、楽しんでますか俳優 三浦春馬

そこを乗り越えられたのは具体的に何かこの作品に出たから、とか特別なきっかけがあったわけではないのですが、とにかく周りのたくさんの人に支えていただきました。

それでなんとか乗り越えて、20歳になってから仕事に対する熱意だったり、やる気だったりが増えていきました。そのことを自分自身、感じることができた。それを感じている自分が楽しくなりました。

僕の同級生は今みんな就職をしていて、時々「春馬、俺つらいんだよ。正直俺やめたい!」と相談されることもあります。ああ、やっぱりみんなそうなんだなと思いました。

そんなときに僕は言います。「でもね、それ越えなきゃだめなんだよ」と。

僕の場合、壁のようなものを越えてから、見えてくるものが明らかに違いました。やりたいことがあるのだったらなおさら、壁のようなものを一度越えるということを経験しないと次に進めない。それを僕は身をもって知りました。

「それを越えなきゃ」と言ったときに、悩んでいる友達が「やっぱりそうだよね」と返してくれたら「これならもう大丈夫」と思いますね。誰でも、忙しさやいろいろなものに負けそうになって落ち込んで「よくわからなくなった、逃げたい!」となるかもしれません。でもそこからさらに頑張る、というところまでいかないとだめなんだと、僕は思っています。

メイク:MIZUHO(vitamins)/スタイリスト:池田尚輝

※次回は11月27日(水)に掲載予定です。

『永遠の0』 百田尚樹の同名ベストセラー小説を『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズを手がけてきた山崎貴監督が映画化。司法試験に落ち、進路に迷う佐伯健太郎は、祖母の葬儀で初めて祖父・賢一郎と血のつながりがないことを知らされる。健太郎はフリーライターの姉の取材を手伝い、特攻で戦死した実祖父宮部久蔵の生涯を調べるため、祖父の元戦友たちを訪ねていく。彼らによると祖父、宮部久蔵は天才的な零戦操縦士だったのに、なぜか「海軍一の臆病者」といわれていた。宮部が残した「謎」を解いていくと、驚くべき“真実”が……。2013年12月21日(土) 全国東宝系でロードショー。 
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読者からのコメント
まーさ 20代女性 神奈川県
辛いことを乗り越えた現在。 今の春馬くんがいるのは様々な困難を乗り越えてきたからということがよくわかりました。 春馬くんがそんな表情を見せずにがんばっていることがすばらしいと思います。 これからもご活躍する姿を全力で応援します!
saya 10代以下女性 神奈川県
春馬くんの言葉には毎回救われていますが今回の記事を読ませて頂いて、また春馬くんに救われた気がします。私も今春馬くんが役者を辞めようとした年齢の19歳で専門学校に通っています。正直毎日辛くて何度も何度も辞めたいと思い泣くことが多いです。壁のようなものを一度も越えるということを経験しないと次に進めない。それを越えなきゃ。この春馬くんの言葉を見て、私も越えられる!自分で選んだ道を最後まで諦めずに頑張ろ!絶対出来る!と考えさせられ大丈夫できる、と強く思いました。春馬くんは私たちファンにとって憧れの存在で、尊敬できて、辛いことを乗り越え役者を続けてきてくれた。こんな素晴らしい役者を好きになれてとっても誇りに思えます。私も三浦春馬くんのような素晴らしい社会人になれるよう精一杯頑張ります!春馬くんいつもいつもありがとう!
さらこ 30代女性 埼玉県
三浦春馬さん、いつも応援しています。 とても落ち着いた考えで、優しさがあふれていて、年下ですがいつも尊敬して見習っています。 ダイレクトメッセージ始まりとても嬉しいです。 毎回楽しみに拝見させていただきます。 寒くなりますが風邪にお気をつけて下さいね。
はる 40代女性 岐阜県
いつも、春馬くんの笑顔に勇気と元気をいただいています。 今回の映画『永遠の0』も、新ドラマ『僕のいた時間』もとても難しい役だと思います。いろんな表現のできる春馬くんは、難しい役もこなせる天性の持ち主、そして努力家だと思います。 来年公開の映画、『真夜中の五分前』では中国語で撮影。とても、楽しみにしています。これからもがんばってください。
もんもん 30代女性 山梨県
私もそうでした。20代の時に、仕事から逃げたいと思っていろんな人に相談して、乗り越えられたのはきっと皆の支えがあったから。甘えだとわかっていても辛い事ってありますよね。そんな時はアドバイスをもらいたくて話しているのではなく、ただ「聞いてくれる存在」が欲しかっただけだったりして。私は、今は相談される側に回る事が多いのですが、ただそばにいて話を聞いてあげるだけで、自然と自分の道をみつけて解消していくことが多いのかな、と、思います。春馬君が気づけたこと、とても大きいと思います。これからもブログ楽しみにしています。応援しています!
小倉摯門 60代男性 東京都
非常に深みのあるよいお話でした。三浦さんの貴重な構えが、日本の次世代や次々世代をリードするべき若者たちにとってよく生きるための指針になるとよいですね。「壁のようなものを一度越える経験」を古くから「成功体験」と呼び、それがないと「次に進めない」だけではなく、道を間違えることにもなる。そこには覚悟も挑戦心もいるのだが、今の日本では多くの身分高い人達や前世代人にはそれらが欠けていて、優れた成功体験の前例が少ない。その結果、政治が迷走し経済がへたれている。尚更、三浦節の素晴らしさが際立ちます。
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三浦春馬です。

僕は4歳のころ、この世界に入りました。親が応募した(子役の)オーディションを受けたら受かっちゃった、というのが始まりです。初めて出演したのは7歳のとき、「あぐり」(NHKの連続テレビ小説)という作品のエキストラでした。

そのころは純粋に楽しかった。土日だったか、日曜日だけだったのか忘れましたが、レッスンや仕事のある週末はいつも楽しかったことを覚えています。

プロになってやっていこう、と思ったのは自分が成長してから、高校入学のときかな。僕は地元が茨城なんですが、高校から寮のある東京の学校に入りました。

母親には反対されました。僕は一人っ子ですし「行かないで、茨城からでも東京は通えるじゃない、今までもそうしてきたじゃない」という気持ちが母親にはあったのです。でも僕はそれまで電車で通っていて、学業と仕事を両立するのは無理だと思ったんです。

親元を離れるという選択をしたことは、その時期僕にはこれしかない、と思ったから。一人で頑張っていきたいと思った。そう決めて堀越に入学しました。

それでも、20歳になるまでは不安定でした。少し忙しいだけで逃げ出したい、と思ったこともありました。実は、僕は19歳のころ、役者をやめたい、と思ったことがあります。

今まで感じたことのない忙しさに出合ってしまったんです。今思えば自分の仕事をこなす要領が悪かっただけで、今同じことをやれといわれたら、大変だとは思うけど全然こなしちゃうと思う。そのときは甘えていたんですね。社会人として、というか、大人になりきれていない自分がいました。

そこを乗り越えられたのは具体的に何かこの作品に出たから、とか特別なきっかけがあったわけではないのですが、とにかく周りのたくさんの人に支えていただきました。

それでなんとか乗り越えて、20歳になってから仕事に対する熱意だったり、やる気だったりが増えていきました。そのことを自分自身、感じることができた。それを感じている自分が楽しくなりました。

僕の同級生は今みんな就職をしていて、時々「春馬、俺つらいんだよ。正直俺やめたい!」と相談されることもあります。ああ、やっぱりみんなそうなんだなと思いました。

そんなときに僕は言います。「でもね、それ越えなきゃだめなんだよ」と。

僕の場合、壁のようなものを越えてから、見えてくるものが明らかに違いました。やりたいことがあるのだったらなおさら、壁のようなものを一度越えるということを経験しないと次に進めない。それを僕は身をもって知りました。

「それを越えなきゃ」と言ったときに、悩んでいる友達が「やっぱりそうだよね」と返してくれたら「これならもう大丈夫」と思いますね。誰でも、忙しさやいろいろなものに負けそうになって落ち込んで「よくわからなくなった、逃げたい!」となるかもしれません。でもそこからさらに頑張る、というところまでいかないとだめなんだと、僕は思っています。

メイク:MIZUHO(vitamins)/スタイリスト:池田尚輝

※次回は11月27日(水)に掲載予定です。

 

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三浦春馬です。

僕は4歳のころ、この世界に入りました。親が応募した(子役の)オーディションを受けたら受かっちゃった、というのが始まりです。初めて出演したのは7歳のとき、「あぐり」(NHKの連続テレビ小説)という作品のエキストラでした。

そのころは純粋に楽しかった。土日だったか、日曜日だけだったのか忘れましたが、レッスンや仕事のある週末はいつも楽しかったことを覚えています。

プロになってやっていこう、と思ったのは自分が成長してから、高校入学のときかな。僕は地元が茨城なんですが、高校から寮のある東京の学校に入りました。

母親には反対されました。僕は一人っ子ですし「行かないで、茨城からでも東京は通えるじゃない、今までもそうしてきたじゃない」という気持ちが母親にはあったのです。でも僕はそれまで電車で通っていて、学業と仕事を両立するのは無理だと思ったんです。

親元を離れるという選択をしたことは、その時期僕にはこれしかない、と思ったから。一人で頑張っていきたいと思った。そう決めて堀越に入学しました。

それでも、20歳になるまでは不安定でした。少し忙しいだけで逃げ出したい、と思ったこともありました。実は、僕は19歳のころ、役者をやめたい、と思ったことがあります。

今まで感じたことのない忙しさに出合ってしまったんです。今思えば自分の仕事をこなす要領が悪かっただけで、今同じことをやれといわれたら、大変だとは思うけど全然こなしちゃうと思う。そのときは甘えていたんですね。社会人として、というか、大人になりきれていない自分がいました。

そこを乗り越えられたのは具体的に何かこの作品に出たから、とか特別なきっかけがあったわけではないのですが、とにかく周りのたくさんの人に支えていただきました。

それでなんとか乗り越えて、20歳になってから仕事に対する熱意だったり、やる気だったりが増えていきました。そのことを自分自身、感じることができた。それを感じている自分が楽しくなりました。

僕の同級生は今みんな就職をしていて、時々「春馬、俺つらいんだよ。正直俺やめたい!」と相談されることもあります。ああ、やっぱりみんなそうなんだなと思いました。

そんなときに僕は言います。「でもね、それ越えなきゃだめなんだよ」と。

僕の場合、壁のようなものを越えてから、見えてくるものが明らかに違いました。やりたいことがあるのだったらなおさら、壁のようなものを一度越えるということを経験しないと次に進めない。それを僕は身をもって知りました。

「それを越えなきゃ」と言ったときに、悩んでいる友達が「やっぱりそうだよね」と返してくれたら「これならもう大丈夫」と思いますね。誰でも、忙しさやいろいろなものに負けそうになって落ち込んで「よくわからなくなった、逃げたい!」となるかもしれません。でもそこからさらに頑張る、というところまでいかないとだめなんだと、僕は思っています。

メイク:MIZUHO(vitamins)/スタイリスト:池田尚輝

※次回は11月27日(水)に掲載予定です。

 

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