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竹内結子さん死去 かつて本誌に明かした「人生楽しめばいいやと思うことにした」理由

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亡くなった竹内結子さん(c)朝日新聞社

亡くなった竹内結子さん(c)朝日新聞社

AERA2006年7月17日表紙を飾った竹内結子さん

AERA2006年7月17日表紙を飾った竹内結子さん

 俳優の竹内結子さんが都内の自宅で死去したことが27日、分かった。死因については警視庁が自殺とみて調べている。40歳だった。

【写真】「優しい気持ちで」 カメラマンの声かけに笑顔を見せた竹内結子さん

 竹内さんは埼玉県生まれ、1996年にドラマ「サイボーグ」で俳優としてデビューした。99年にはNHK朝の連続テレビ小説「あすか」で主人公を演じ、2001年放送のドラマ「白い影」の看護師訳でブレーク。02年のドラマ「ランチの女王」でも主演を務めた。その後も、映画「黄泉がえり」「いま、会いにゆきます」で日本アカデミー賞の優秀主演女優賞をそれぞれ受賞するなど、俳優としての地位を築いた。今年公開の映画「コンフィデンスマンJP -プリンセス編-」にも出演していた。

 プライベートでは、05年6月に「いま、会いにゆきます」で共演した中村獅童と結婚し、男児を出産。08年2月に離婚したが、19年2月、俳優の中林大樹と結婚し、今年1月には第2子となる男児を出産した。長男の学校行事にも頻繁に顔を出すなど、育児にも熱心だったという。

 アエラでは、2006年7月17日号で竹内さんに単独インタビューを実施。「笑顔の女王」として話題になった当時、その秘訣を「よく食べて、よく眠ること、あと、気にしないこと」と笑顔で語っていた。ここでは当時の記事を再掲する。

*  *  *
 寝る前に本を読む。

 「夢よりも、見たいものを確実に見られるから」

 ハードボイルドの空気感がすごく好き。高校時代、大沢在昌の『雪蛍』を読んでファンに。忙しくなって読書量は減ったと笑う。

 ドラマに映画に出ずっぱり、「笑顔の女王」だった。けなげで明るいイメージだが、近くで見ると、しっとりとした女らしさがにおいたつようだ。きらきらと潤んだ瞳、つややかな唇。暗いスタジオでライトを浴びると、顔の陰影がなまめかしい。「優しい気持ちで」とカメラマンが声をかけると、おなじみの笑顔がこぼれ出る。

 笑顔の秘訣は?と尋ねると、ちょっと考えて、こう答えた。

 「よく食べて、よく眠ること、あと、気にしないこと」

 食べることが好きで、芸能界に入らなければ、料理の専門学校に行こうとしていた。「本を見ないで好きなものを作れたらいいな」という発想だった。家にいるときは、三食とも自炊している。外食しておいしいものに出会うと、「あれ、おいしかったね」と、マネジャーとメールで情報交換をしながら作る。「和食がメーン」だが、中華やメキシコ料理にもはまった。

 眠る前の気分転換は、読書。ミステリーを読み始めて、朝まで読み明かしてしまったこともある。

 「今はページ数を決めて、楽しみを次の日に残しておくようにしている」

 楽天家だ。

 10代で芸能界に入った。年上の人ばかりの大人に囲まれ、「自分も合わせていかないといけない」と背伸びして自分を縛っていた。20歳になれば自分も成熟するかと思っていた。大人と子どもの、明確な境界があるかのように。

 「でも、成人しても何も変わらなかった。なんだこれは!」

 力が抜けた。人生を楽しめばいいやと思うことにし、生活も仕事も自分なりに楽しめるようになった。

 「役に影響されるタイプ」と自認する。「多少なりとも共感がもてないと、演じることは難しいので……」

 今後は、

 「新しいものに挑戦したい。毎回ちょっとでも違うものをやり、そのときそのときの、変わっていく自分を残せたらいい」

 と願う。

 「様子を見ながら、仕事とプライベートのどちらも楽しんでやっていきたい。どっちも大事にしたいから」

(ジャーナリスト・若林亜紀)

※2006年7月17日号を再掲

◇相談窓口
■日本いのちの電話連盟
・フリーダイヤル0120・783・556(毎月10日午前8時~翌日午前8時)
・ナビダイヤル0570・783・556


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