第37話 みんなで創る未来

 真っ白になった実桜の頭の中では、琉青の言葉が鐘の音のように反響している。思考が凍りついてなにも考えられない。目を閉じて深呼吸をして、実桜はなんとか気持ちを落ち着けた。


「いま……恋人にしてくれって、神矢さんはわたしに言いましたよね? それって、それってまさか――」

「そのまさかだよ。俺はおまえのことが好きだ、おまえの恋人になりたいんだ」


「ええええーーっ!?」


 実桜の絶叫が格納庫に響き渡った。いっぺんに頭がのぼせて言葉が出ない。高鳴る心臓の音が自分でもはっきり聞き取れる。心臓がどんどん膨らんで、肋骨を突き破るんじゃないかと、思うほどの激しい鼓動だ。


「……分からないです。どうしてわたしなんですか? 可愛くて綺麗な人は他にもたくさんいるのに――どうして神矢さんは、わたしを好きになったんですか?」


 天地がひっくり返るほどの驚きで、琉青に尋ねた実桜の声は震えていた。容姿端麗な琉青は人気ナンバーワンを誇る、部隊の花形ドルフィンライダーだ。おまけに父親が航空幕僚長の超エリート男子である。まさかその琉青が恋人になりたいだなんて――実桜はすぐに信じられなかった。


「……俺だって最初はどうしてって戸惑ったさ。俺とおまえは同じ部隊の先輩後輩の関係だ。そうだったはずなのに――俺はいつの間にか1人の女性として、おまえを意識して見るようになっていたんだ」


 半信半疑の実桜を真っ直ぐに瞳に捉えて、琉青は言葉を続けた。


「おまえはいつも明るくて真っ直ぐで、純粋で頑張り屋で、部隊の誰よりもブルーインパルスを思っている。それだけじゃない。おまえは全力で俺と向き合って、からっぽだった俺の心を、優しさで満たして救ってくれた。そんな実桜の全部に――俺は真剣に恋をしたんだ。フラれる覚悟はできている。おまえの返事を聞かせてくれ」


 こんなに真剣な表情の琉青を、実桜はいままで一度も見たことがない。琉青の言葉は嘘ではなく、まぎれもない真実の想いなのだと実桜は確信する。そのとき実桜は、胸の奥にしまっていた想いが、殻を破って羽ばたくのを感じた。


「わたしも神矢さんのことが好き、大好きです。口が悪くて無愛想で、でも本当は優しい神矢さんに、わたしは憧れて恋をしました。神矢さんのラストアクロが終わったときに、告白しようと思っていたんです。きっとフラれるだろうなって思っていたのに、神矢さんはわたしを好きだって言ってくれた。だからわたし、すごく嬉しいです――」


 実桜が熱く潤んだ瞳で見上げると、琉青は歓喜の微笑みを浮かべていた。

 一歩踏み出した琉青は実桜を引き寄せると、割れやすい硝子細工のように、彼女を優しく抱き締める。実桜は甘えるように、琉青の胸に顔を埋めて、彼の心臓の鼓動に耳を傾けた。


「……まだ仕事中だから我慢しないとな。今夜、俺の部屋に来ないか? このまえ作ってくれた料理が美味かったからさ、また作ってほしいんだ」

「――はい。腕によりをかけて美味しいご飯を作りますね。あの……神矢さんには甘いデザートをお願いしてもいいですか?」

「ああ、任せておけ。……極上の甘いデザートを用意するよ」


 愛おしげに髪を撫でていた、琉青の大きな手が下りてきて、幸せの薔薇色に染まった実桜の頬を包みこむ。時間が経つのも忘れて、2人で熱く見つめ合っていると、急に外が騒がしくなった。


「よしっ! いまだ! ターゲット・ロックオン! フォックス・ツー!」


「きゃあっ!?」

「うわっ!?」


 実桜と琉青は驚きの声を上げた。どこかから声が聞こえたかと思うと、いきなり軽い爆発音がして、色とりどりの紙テープが飛んできたのだ。

 続くように紙吹雪が雨のように降り注いでくる。いったいなにが起こったのか分からない。紙テープと紙屑まみれになった2人は、しばらく呆然としていた。


 笑い声が聞こえたので、実桜と琉青は視線を動かした。すると武知2佐たちパイロットと、整備小隊の整備員たちが、格納庫の前に勢揃いしているではないか。

 武知2佐たちがクラッカーを手に持ち、整備員の1人が紙吹雪の入ったバケツを持っている。つまりすべて彼らの仕業ということだ。


「武知隊長! いきなりなにをするんで――」

「このリア充めっ! これでも食らえーいっ!」


 クラッカーから放たれた紙テープが、琉青の顔面に直撃する。また紙テープを浴びせられた琉青は言葉も出ない様子だ。ちなみに2回目の砲撃をお見舞いしたのは飯島1尉である。紙テープを昆布のように垂れ下げた琉青の姿に、みんなが大爆笑した。


「武知隊長、これはいったい――」


 実桜は事情を知るであろう武知2佐に尋ねてみる。武知2佐は子供の晴れ姿を喜んでいる親のような顔をしていた。


「俺たちからのお祝いだ。時間が足りなかったから、これくらいしかできなかったが。俺たちはな、おまえたち2人が恋人同士になるのを、首を長くして待っていたんだぞ」


「首を長くして待っていたって――それじゃあ皆さんは気づいていたんですか!?」


 実桜は武知2佐たちをぐるりと見回した。「見ていてもどかしかった」や「バレバレだったぞ」などと、口々にみんなが言ってきたので、実桜の顔は恥ずかしさのあまり、真っ赤に大爆発した。


「でも、その、わたしたちはお互いに告白しただけで……まだ結婚してませんよ」


 赤面したまま実桜は視線を動かした。実桜の視線の先には整備員たちがいて、【藤咲・神矢♥結婚おめでとう!】と書かれた、なんとも恥ずかしい横断幕が掲げられているのだ。

 琉青の反応が気になって、実桜は彼のほうに視線を変える。琉青は表情ひとつ変えずに、横断幕を見つめていた。


「――実桜。ちょっと左手を出してくれるか」

「えっ? ええ、分かりました……」


 実桜は戸惑いながら左手を差し出した。

 それにしても琉青は、いったいなにをするつもりなのだろう。不思議に思う実桜の前で、琉青が彼女の薬指に金色の紙テープを結びつける。薬指に結ばれた、テープの意味に気づいた実桜は、息を呑んで琉青を見上げた。


「悪いな、実桜。本当は俺の両親に紹介して、陽子さんに挨拶して、ちゃんと交際を続けてから、プロポーズするつもりだったんだけどな……。あんな横断幕を作られたら、もうここでプロポーズするしかないって思ったんだよ」


 実桜と視線を合わせた琉青は、嘆息すると申し訳なさそうに苦笑した。


「いまはこんな物しかないけれど、今度一緒にちゃんとした指輪を買いに行こう。だから――俺の花嫁になってほしい。俺は大好きな実桜と、いつか生まれてくる子供と一緒に、幸せな未来を作っていきたいんだ」


 琉青に求婚されたその瞬間、告白されたときよりも、さらに大きな幸福感が実桜を包みこんだ。

 あふれ続ける喜びは涙となって、実桜の瞳と頬を熱く濡らす。泣きたいほど嬉しいのだけれど、いまは泣いている場合じゃない。琉青が返事を待っているのだから。


「はい――! 喜んでプロポーズを受けます! わたしも琉青さんと、わたしたちの子供と一緒に、幸せな未来を作りたいです! わたしをあなたの花嫁にしてください!」


 実桜は泣き笑いながらプロポーズを受け入れた。琉青も瞳に歓喜の涙を滲ませている。実桜と琉青の喜びは、みんなにも伝播していき、割れるような大歓声と拍手が、抱き合う2人を祝福した。


「――よしっ! 神矢のプロポーズも無事に成功したことだし、今夜は居酒屋で2人の結婚の前祝いをするぞ! 参加できる者は仕事が終わったら、午後6時に正門前に集合だ! ただし最後まで気を抜くんじゃないぞ! 俺たちの展示飛行は、まだ終わってはいないんだからな!」


 武知2佐に賛同するように、みんなの鬨の声が響き渡った。みんなは歓声を上げながら、それぞれの持ち場へと走っていく。彼らが外に走っていく様子は、まるで目の前を竜巻が通り過ぎていくようである。武知2佐たちがいなくなったあと、実桜は苦笑を浮かべて、琉青に話しかけた。


「……まるで台風に遭ったみたいでしたね」


「――そうだな。いつも騒がしくて、近所のじいちゃんばあちゃんみたいにお節介で、でも仲間が困っていたり、悲しんで苦しんでいたら、全力を尽くして絶対に助けてくれる。だから俺は――そんなブルーインパルスのみんなが大好きだよ」


「はい。わたしもブルーインパルスのみんなが大好きです。今度はわたしたちがお節介になって、みんなを助ける番ですね」


 実桜と琉青の手が固く結ばれる。視線を合わせた実桜と琉青は、輝くような笑顔の花を満面に咲かせた。


「実桜! 俺たちも行くか!」

「はい! 琉青さん!」


 手をつないだ実桜と琉青は、みんなを追いかけて走り出す。琉青やみんなと一緒に創っていく未来は、きっと素晴らしいものになるだろう。気づけば実桜は笑っていて、彼女につられるように、琉青も爽やかな笑い声を上げていた。


 さながらオーケストラのように、明るい笑い声はひとつに重なり合う。そして実桜と琉青の笑い声は、風に乗って羽根のように舞い上がり、青く高く広がる空に吸いこまれていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

大空のブルーイレブン 蒼井 真昊 @momoiro_star

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ