第29話 過去を語る時


 銀粉を撒いたような冬の星座が輝く夜。お肉や野菜などの、食材が入ったレジ袋を持った実桜は、白い息を吐きながら、独り冬の夜道を歩いていた。

 実桜が向かっているのは基地の官舎だ。官舎に着いた実桜は、A棟3階の304号室に向かう。304号室のインターフォンを鳴らして待っていると、Vネックの長袖シャツとジーンズ姿の琉青が出て来た。


「――藤咲?」

「今晩は、神矢さん」


 実桜の来訪に琉青は驚いているようだ。けれど琉青は戸惑いつつも、実桜の挨拶にきちんと返事をしてくれた。


「こんな夜遅くにどうしたんだ?」


「みなさんのお陰で、わたしは最終検定に合格できました。それで――神矢さんにお礼がしたくて来たんです。お礼って言っても、たいしたことはできませんけど。迷惑じゃなかったら、夕食を作らせてもらってもいいですか? 材料は買ってきましたから大丈夫です。もしかして――もう食べちゃいました?」


「いや……迷惑じゃないし、夕飯はまだ食べてない。これから食べようと思っていたところだよ。そうだな――せっかくだしご馳走になるか。ああ、そうだ。そのまえに近くを散歩しないか?」


 断る理由はないので実桜は頷いた。実桜の荷物を預かった琉青は、いったん部屋に戻ると荷物を冷蔵庫に入れて、フライトジャンパーを羽織って出て来た。部屋に鍵をかけた琉青と一緒に、実桜は官舎をあとにした。


 前を歩く琉青はときどき振り返りながら、実桜が遅れないで来ているか確認している。実桜が隣を歩けば、琉青はいちいち振り返らずに済むと思う。だけれど実桜は、恋人じゃないからと、変な言い訳を自分にして、生まれたての鳥の雛のように、先を歩く琉青の後ろをついていった。


 やがて2人は工事車両と見学者用の駐車場に着いた。駐車場の奥には、見学用の展望台が置かれていて、敷地を進んだ2人は展望台に上がった。無限に広がる闇の中には、隊舎の明かりや格納庫の照明灯が、浮かび上がっていて、さながらその光景は、夜の海に映る星明かりのようだった。


「悪いな。寒い夜中に散歩に誘って」

「いえ、いいんです。わたしもいきなり押しかけましたから」

「そうだったな。それじゃあ、おあいこってことか」

「ふふっ。そうですね」


 実桜と琉青の笑い声が辺りに響き渡る。琉青とふたりきりになったとき、実桜はいつも緊張していた。それなのに――いまは違う。琉青と過ごす時間は穏やかで、まるで春の陽だまりにいるみたいに心地良かった。


「藤咲2佐となにかあったのかって、いつだったかおまえは俺に訊いたよな」

「えっ? えっと……はい、訊きました。確か――わたしが着隊したばかりのときでしたよね」

「ああ、そうだ。そのときおまえは、勝手に俺の5番機を磨いていたんだったな」

「ちょっともう神矢さんっ! それは言わないでくださいよ! わたしの黒歴史なんですから!」


 頬を膨らませて抗議する実桜に、琉青は肩を揺らしながら愉快そうに笑っている。しばらくすると、琉青は笑うのをやめて実桜を見つめた。


「気持ちの整理ができていないからまだ言えない。俺はそれを理由に答えなかった。でも――おまえと一緒に過ごすうちに、俺はようやく気持ちの整理ができたよ。だからいまここで、俺の過去と藤咲2佐との関係を話したい。長い話になるかもしれないけれど……聞いてくれるか?」


 実桜を見つめる琉青の眼差しには、力強い決意の光が宿っている。もしかしたら過去の話をするために、琉青は実桜を散歩に誘ったのかもしれない。


「――はい。聞かせてください」


 琉青は実桜に頷いたけれど、彼はすぐに話さなかった。きっといま琉青は頭の中で、話の起承転結をまとめているのだ。

 ややあって琉青がひとつに結んでいた唇をほどく。いまから始まるのが、あまりにも悲しい物語だということを、このとき実桜はまだ知らなかった。

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