第27話 自分の力を信じて空を飛べ

 浜松基地から松島基地に戻った実桜は、すぐに訓練には参加しなかった。恐怖を克服したとはいえ、実桜はまだ一度も本物のT‐4に乗っていない。なのでまず実桜は、簡単な操縦で感覚を取り戻した。そして武知2佐と朝倉3佐に操縦を見てもらい、2人の許可をもらってから実桜は、最終検定フライトに向けた飛行訓練に参加したのである。


『藤咲! いまのスローロール、12秒かかっていたぞ! もう1回やり直しだ!』

『はいっ! 了解です!』


 後席に乗る江波1尉が実桜に指示を出した。操縦桿を倒した実桜は機体を旋回させて、もう一度スローロールを開始する。再挑戦したスローロールは、5回目でやっと成功したけれど、今度は他の課目で厳しい指導を受けたのだった。


 実桜を指導する声は厳しいけれど、江波1尉は決して怒鳴ることはしなかった。それはなぜかというと、自分がきつく怒鳴れば実桜の操縦に乱れが出てしまい、自機や僚機を危険に陥らせてしまうからである。


 ブルーインパルスは編隊飛行を中心とする部隊。毎回同じメンバーで飛行するので、パイロット同士の信頼関係が、なによりも重要視される。それゆえに先輩の物言いひとつで、お互いの信頼関係に亀裂が入り、訓練や展示飛行に悪影響を及ぼしてしまうのだ。


 江波1尉の指導は空だけでは終わらなかった。江波1尉はアクロバットのビデオ映像とT‐4の模型を使い、実桜に自分の技術を教えてくれたのだ。江波1尉の熱い思いを、実桜は真摯に受け留めて、限られた時間のなか懸命に、洋上アクロ訓練と飛行場訓練に励んだのだった。


 そしてついに最終検定フライトの日がやってきた。検定資格を持つ朝倉3佐を後席に乗せて、実桜は武知2佐たちと第1区分課目のアクロバットを飛ぶ。それが最終検定フライトの内容だ。

 検定の内容自体は、いつもの訓練と変わりないのだけれど、なにしろ緊張感が半端ではない。なのでブリーフィングが終わったあとも、実桜はガチガチに緊張していた。


「そんなに緊張するなよ! いつもの訓練だと思えば楽勝だって!」

「藤咲さん。緊張したときは、人の字を手のひらに書いて、飲みこむ真似をすると、落ち着くらしいですよ」

「フライトのまえにイメージトレーニングをしてみたらどうだ? 少しは緊張がほぐれると思うぞ」


 緊張する実桜に江波1尉たちがアドバイスしてきた。気持ちは嬉しいけれど、彼らがくれたアドバイスは、まったく効果がないと実桜は知っている。なぜなら実桜は、彼らに言われるまえに、それらをすべて実行したからだ。


 いつもの訓練と同じだと言い聞かせたし、イメージトレーニングもやった。手のひらに人の字を書いて、飲みこむおまじないも、人目を忍んでトイレでやった。結果は効果覿面ではなく、それどころかなんの効果もなかったのである。


「……全部試してみましたけどだめでした。みなさんは検定フライトに合格しているから、余裕たっぷりに言えるんですよ! ブルーインパルスの最終検定は初めてだから、緊張するのは仕方がないことなんです!」


「まったく情けない弟子だなー。ほら! 神矢もなにか言ってやれ!」


 江波1尉に背中を押されて、琉青が実桜のところにやって来る。明るく微笑んだ琉青は、実桜の肩に手を置いた。


「大丈夫だよ。おまえは恐怖を克服することができたんだ。俺が側についているから、おまえはなにも心配しなくていい。ここまで来られた自分の力を信じて、全力で飛べばいいんだ」


「――はい。神矢さんが言ったら、なんだか合格できるような気がしてきました」


 実桜は琉青に微笑み返した。琉青に気を遣って言ったわけではない。実際に合格できる自信が、実桜の胸に湧きはじめていたのだ。微笑みを交わす2人を、武知2佐たちは目を丸くして見ていた。


「おいおい……みんな見たか? 航空祭で子供に大泣きされた神矢が笑ったぞ。このまえは藤咲を浜松に行かせてくれって頭を下げてきたし、これじゃあ心臓がいくつあっても足りないな」


 武知2佐が驚き混じりに言うと、みんなは笑いながら頷いた。一方でからかわれた琉青は憮然としている。唇を曲げて憮然とする琉青をなだめると、武知2佐は実桜のほうを向いた。


「藤咲。最終検定フライトは、おまえが一人前のドルフィンライダーになるための最後の試練だ。嬉しいこと、楽しいこと、辛いことをたくさん経験して、おまえは大きく成長できたと俺は思っている。神矢が言ったとおり、自分の力を信じて空を飛べ。大きく成長できたおまえなら、必ず試練を乗り越えられるだろう」


 武知2佐の言葉は実桜の胸に強く響き渡り、残っていた緊張と不安の残滓を消し去った。

 みんなと一緒なら恐れるものはなにもない。みんなにもらった勇気の火を心に灯して、実桜は最後の試練の舞台へと歩んでいった。

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