第26話 貴方がいてくれたから

 松島基地に帰る前日。遊びに行かないかと琉青に誘われた実桜は、基地の東側にある浜松広報館に足を運んでいた。琉青に誘われたとき、実桜はそれはもう驚いてしまい、明日は大荒れの天気になるのではないか――と思ったのである。


 浜松広報館はまたの名をエアーパークといい、目で見て体験して楽しむ、航空自衛隊のテーマパークである。戦闘機や装備品の展示をはじめ、シミュレーターや全天周シアターも設置されており、航空自衛隊のすべてを知ることができる展示施設として人気があるのだ。


「あっ――! 神矢さん! このキーホルダー見てください!」


 エアーパークの1階にあるグッズ販売店――ミュージアムショップ【つばさ】の前に来た実桜は、店頭に置かれている物を見て目を輝かせた。


「見てくださいって……珍しくもなんともない、ただのキーホルダーじゃないか」


「ただのキーホルダーじゃありません! これはですね! ここでしか売っていない超レア物なんです! だからいま買っておかないと絶対に後悔しますよ! えっと……友達のぶんと部隊のみんなのぶん。うーん、やっぱり母さんはお菓子のほうがいいかな――」


 あれもこれもと選んでいるうちに、気づけば実桜の買い物かごは、グッズやお菓子で山盛り状態になっていた。まさに世界遺産の富士山のような姿である。次々と物を積み上げていく実桜を、琉青は腕組みして静観していた。


 みんなに渡すお土産が、全部揃っているのを指差し確認して、実桜がレジカウンターに行こうとしたときだ。横から伸びてきた琉青の手が、実桜の持っていた買い物かごを取った。いきなり買い物かごを奪われて、実桜はきょとんと目を丸くした。


「俺が全部払ってやるよ。おまえは店の外で待ってろ」

「えっ!? そんなの悪いです! わたしの買い物なんですから自分で払います!」


 実桜は止めようとしたけれど、琉青はさっさとレジカウンターのほうに行ってしまった。商品の代金を払った琉青が戻って来て、実桜は彼からレジ袋を受け取る。恐れ多くて琉青の顔をまともに見られない。まるで殿様から刀を頂戴したような気分だった。


「買い物は済んだし、どこから見て回る? ――ってどうしたんだよその顔は。腹でも痛いのか?」


「わたし――やっぱり気が咎めます。半分でもいいから払わせてください。神矢さんは一緒に浜松に来てくれて、訓練にも付き合ってくれました。だからこれ以上、神矢さんに甘えるだなんてできません」


 実桜は琉青を見上げて言った。琉青はいつもの仏頂面で実桜を見下ろしている。しばらくすると琉青が、ひとつに結んでいた唇をほどいて、大きな溜め息をひとつ吐いた。


「まったく――おまえは真面目な奴だな。そんなんじゃあ俺が、おまえをエアーパークに誘った意味がなくなっちまうだろうが」


「えっ……?」


「欲しい物は全部買って飯も奢って、思いっきり遊んで、頑張ったおまえに息抜きさせるつもりで、エアーパークに連れて来たってのに、人の気持ちに水を差すようなことを言うんじゃねぇよ。……それにおまえを誘うのに、俺は結構勇気を出したんだぞ」


 唇をへの字に曲げた琉青が、拗ねたような表情を浮かべて実桜に見せる。まさか琉青がそこまで考えてくれていたなんて、実桜は夢にも思っていなかった。


「神矢さんのお気持ちは嬉しいですけれど――あっ、そうだ! 払ってもらった代わりに、わたしがお昼ご飯をご馳走します! それならわたしもすっきりしますし、神矢さんも得すると思いますよ!」


 実桜は両手を叩いて琉青に提案した。お互いに損なく得をする、良い提案だと思うのだけれど、果たして琉青は頷いてくれるだろうか――。実桜が緊張しながら待っていると、琉青はまたひとつ大きな溜め息を吐き出した。


「……分かった、分かったよ。おまえの言ったとおりにするよ。少しぐらい甘えればいいってのに――おまえを彼女にすると大変だな」

「えっ? 最後になにか言いましたか?」

「いや――別になんでもねぇよ。ほら! そうと決まったらさっさと行くぞ!」


 やや乱暴に実桜に言うと、琉青は先に歩いていった。絶対になにか言ったような気がするのだけれど、訊いても琉青は教えてくれないだろう。これ以上気にしていても仕方がない。琉青がせっかく誘ってくれたのだから、今日は思いきり楽しんで羽を伸ばそう。


 展示格納庫のフライトシミュレーターで競い合い、パイロットスーツを着て写真を撮ってもらい、展示資料館の膨大な資料に興奮して目を輝かせ、実桜と琉青はエアーパークの施設を回って楽しんだ。そして喫茶スカイラウンジ「Fuji」で昼食を済ませて、実桜と琉青は全天周シアターに向かった。


 係員にチケットを見せてシアタールームに入ると、すでに席のほとんどが埋まっていた。全天周シアターのイベントはとても人気があり、チケットもすぐに完売してしまうのだ。


 室内の照明が落とされて暗くなると、軽快な音楽が流れ始めた。正面の巨大モニターに映し出されたのは、パイロットがコクピットから見る空の映像だ。青空の映像を見た実桜は、胸に郷愁にも似た感情が湧き上がるのを感じた。


 チェンジオーバーターンやレターエイト、デルタロールとデルタループにボントンロールなど、実桜がよく知るブルーインパルスのアクロバットが、パイロットの視点で次々と行なわれていく。胸に湧き上がった思いは言葉に変わり、さながら滴る水のように、実桜の口からこぼれ落ちた。


「――神矢さん」

「ん? なんだ?」


「わたしのために、いろいろとありがとうございました。神矢さんがいなかったら――今頃わたしは部隊を辞めて、夢を放り出して逃げていたと思うんです。でも神矢さんの言葉で、わたしは飛べるようになってみせると決意することができた、恐怖を乗り越えることができた。神矢さんの熱い思いが――わたしの折れていた心の翼を治してくれたんです」


 モニターから外した視線を琉青に向けて、実桜は彼に感謝の思いを伝える。琉青はモニターに視線を向けたまま口を開いた。


「別に俺はなにもしてねぇよ。俺はただおまえの背中を押しただけさ。恐怖を乗り越えられたのも、空を飛べるようになったのも俺のお陰じゃない。おまえが自分自身の力で、心の翼を治して、未来を切り開いたんだ。――またおまえと一緒に空を飛べるようになって俺は嬉しいよ」


 実桜のほうを振り向いた琉青は、まるで春の日射しのように、穏やかで優しい微笑みを浮かべていた。琉青の言葉は彼の微笑みと同様に優しくて、実桜の心を震わせたのである。


(神矢さん、わたしも同じ気持ちです。またみんなと――神矢さんと一緒に飛べるようになって嬉しいです)


 言うにはなぜか恥ずかしくて、実桜は心の中で琉青に語りかける。琉青の横顔を見つめる実桜の心には、大地に撒かれた花の種が芽を出すように、いままでとは違う彼への感情が生まれていた。

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