第15話 夢を追いかけて
「ここが救命装備室です。わたしたちパイロットは、この部屋で装備を着けるんですよ」
拓海にブルーミュージアムを案内した実桜と琉青は、次に案内する場所の救命装備室にいた。拓海は室内の写真を撮りながら、ヘルメットや酸素マスクなどの装備を、興味津々といった様子で眺めている。自衛官の実桜には見慣れた物だけれど、一般人の拓海には珍しく見えるのだろう。
「よかったら着けてみますか?」
「えっ!? いいんですか!? ありがとうございます!」
実桜が提案してみると、拓海は嬉しそうに目を輝かせた。拓海は琉青と体型が同じみたいだから、彼の装備がぴったり合いそうだ。
貸してもいいかと訊くと琉青は頷いた。実桜に手伝ってもらって、救命胴衣と耐Gスーツを身に着けた拓海は、着心地を確かめるように身体を動かした。
「思っていたよりも重いですね。それにこれ――耐Gスーツって、思いきり強く巻くんですね。息が苦しくなりそうだ」
「頭に流れている血液が、脚のほうに流れてしまうと、パイロットはブラックアウト――失神してしまいます。それを防ぐために、下半身に耐Gスーツをきつく巻くんですよ」
代わりに琉青が説明したので実桜は驚いた。朝倉3佐に実桜のサポートを任されたとき、琉青は露骨に嫌そうな顔をしていた。それなのに――いったいどういう風の吹き回しなのだろうか。
「なんなら俺の後ろに乗ってみますか? ブルーのアクロバットのすごさを、嫌というほど教えてあげますよ。――ただし素人相手でも手を抜くつもりはありませんが」
まるで挑発しているように琉青は拓海に言った。それに拓海を見る琉青の双眸には、強い光が瞬いている。理由は分からないけれど、もしかしたら琉青は、拓海に敵対心と闘争心を抱いてのではないか――。実桜にはそんなふうに見えた。
「お誘いは嬉しいですけれど、みっともない姿を見せちゃいそうなので、またの機会にします。神矢さんはこのあと訓練があるんでしたよね? それなら装具を返さないと。貴重なお話しが聞けてよかったです」
拓海が丁寧に断ると、琉青は呆気にとられたような顔になった。相手に喧嘩をふっかけたのに、まったく気づかれなかったような感じだろうか。拓海が外した装備を着けた琉青は、彼に一礼すると足早に出て行った。琉青が出て行ったあと拓海は苦笑を浮かべた。
「……まいったな。どうやら僕は、神矢さんに嫌われてるみたいですね」
「そんなことないですよ。だってわたし、吉野さんのことが好きですもの」
「ええーーっ!?」
いきなり拓海が驚きの声を上げた。よく見ると拓海の頬は、桜桃みたいな色に染まっている。それに彼は激しく動揺しているようだ。なぜだろうと考えた実桜は、いまさっき自分の言ったことが、拓海を誤解させてしまったのだと気づいた。
「あっ、あのっ! 好きとはいっても、異性に対する好きじゃなくて、それとは別の好きなんです! だから吉野さんに言った好きは、友達とか家族とかに言う、好きだって思ってください!」
「でっ――ですよね! 変に勘違いしてしまってすみません!」
慌てて実桜が訂正すると、拓海は安堵したようだけれど、どことなく落胆したようにも見えた。気まずくなりかけたのを、ぎこちない笑顔でごまかして、実桜は拓海を連れて救命装備室をあとにした。
救命装備室の次に実桜が向かったのは隊舎の屋上だ。鉄の扉を開けて屋上に出ると、そこにはスタジアムのような観覧席が並んでいる。観光や見学で基地を訪れた人たちは、見晴らしのいいこの場所から、ブルーインパルスの訓練風景を見られるのだ。席に座ってしばらく待っていると、武知2佐たちが駐機場に出て来た。
「ブルーインパルスのみんなだ。おーい! 訓練頑張ってくださーい!」
立ち上がった拓海が武知2佐たちに両手を振った。拓海に気づいた武知2佐たちが、屋上を見上げて笑顔で手を振り返す。拓海のカメラに撮影されながら、武知2佐たちはT‐4に乗りこむと、まさに阿吽の呼吸でエンジンをスタートさせた。
「そういえばみなさんが着ているのって――展示服ですよね。確か展示服って、航空祭とかのイベントのときにしか着ないって聞きましたけれど……」
「ええ、そうですよ。雑誌の取材も一大イベントですから、みんな勝負服の展示服を着たんです。だからみんな気合いが入っているんですよ」
「それじゃあ僕も、みなさんに負けないように、頑張らないといけませんね」
エンジン音を空に高く響かせて、武知2佐たちが乗るT‐4は、順番に離陸していった。一眼レフカメラを構えた拓海は、雄大な宙返りを打ち、天高く上昇していくT‐4を、一瞬も逃さずカメラに写していく。青空に向けてカメラを構える、拓海の姿はとても凜々しくて、並々ならぬ情熱が全身に満ちているような気がした。
すべてのアクロバット課目が終わると、拓海はカメラを下ろして息を吐いた。滑走路に向かって飛んでいく、6機のT‐4を見つめる拓海の横顔は、果てしない憧憬の色に染まっている。熱い視線を空に向けたまま、拓海はおもむろに口を開いた。
「僕は本当は航空自衛隊のパイロットに――ドルフィンライダーになりたかったんですよ。3次試験まで順調に進めたんですけど、航空機操縦の適正検査に落ちちゃったんです。落ちたらあきらめるって両親と約束していたから、そのときは本当に悔しくて悲しかったな……」
下を向いた拓海は膝に置いているカメラを見つめた。
「でも僕は――どうしても夢をあきらめられなかった。だから僕はカメラマンになって、こうやってブルーインパルスを追いかけているんです。もう届かなくなった夢を、未練たらしく追いかけている僕は……情けない男ですよね」
「わたしは――そう思っていません」
実桜の言葉に反応した拓海が、顔を上げて彼女のほうを向いた。
「カメラマンになってブルーインパルスを追いかける。それは吉野さんの新しい夢なんだって、わたしは思います。強い心を持っているから、途中であきらめずに努力を続けて、吉野さんは新しい夢を叶えられた。だから吉野さんは情けない男じゃありませんよ。わたしは吉野さんを尊敬します」
「藤咲さん――」
拓海の言葉は最後まで続かなかった。だけれど実桜には分かる。拓海は実桜に「ありがとう」と言いたかったのだ。
もう一度空を見上げた拓海の横顔は、とても清々しくて晴れやかだった。きっといま拓海は、T‐4に乗って空を飛ぶ自分の姿を、脳裡に思い描いているのだと実桜は思った。