第14話 今日は特別な日
いよいよ迎えた実桜の取材の日は、朝から絶好の快晴に恵まれていた。バケツをひっくり返したような、大雨でなくて本当によかった。今日の晴天は、昨日こっそりと作って吊るしておいた、てるてる坊主のお陰なのかもしれない。
実桜は琉青と一緒に駐機場の周辺を歩いていた。実桜は琉青とデートをしているわけではない。これはFOD対策といい、異物やゴミが落ちていないかを、目視で徹底的に確認する作業である。
なぜその作業をするのかというと、駐機場に異物やゴミが落ちていれば、それらを吸いこんだ飛行機のエンジンが、内部損傷してしまうからだ。実桜たちパイロットの仕事は、フライトだけではなく、こういった細かな仕事もあるのだ。
「ふぅ……俺のほうは終わったぞ。そっちは終わりそうか?」
「あっ、はい。いま……終わりました。異物もゴミもなかったです。今日も無事にフライトができますね」
「そうだな。これはいつやっても疲れるな。まったく……首が痛くなっちまったぜ」
琉青は首の凝りをほぐすように左右に動かした。首が痛いのは実桜も同じだった。パイロットが安全に空を飛ぶということは、上空での事故を防ぎ、ひいては国民の生命を守ることにつながる。だから駐機場の清掃は、必要不可欠で大切な作業なのだ。だから実桜は疲れよりも、達成感のほうが大きかった。
「おはようございます。今日は良い天気ですね」
駐機場の清掃作業を終えた実桜と琉青が、飛行隊隊舎に戻ろうとしたときだ。2人は後ろから声をかけられた。
爽やかな笑顔を浮かべた、ワイシャツとスラックス姿の青年が、2人の後ろに立っている。親しげに声をかけられたけれど、実桜も琉青も彼に見覚えがなかった。
見覚えのない青年に警戒したのか、琉青が実桜を守るように前に出る。自分が警戒されていることに気づいた青年は、胸ポケットから出した名刺を2人に見せた。
「驚かせてすみません。怪しい者ではありませんから、安心してください。僕は帝日出版社の吉野拓海と言います」
年齢は実桜と琉青と同じ20代後半だろう。薫風のように爽やかな雰囲気の、端正な顔立ちの青年で、人を惹きつける魅力のようなものを感じる。
すらりとした長身の吉野拓海は、雑誌記者というよりも、特撮ヒーローのイケメン俳優に見えた。そして実桜はふと気づく。実桜は吉野拓海という名前に覚えがあったのだ。
「吉野拓海さんって――もしかしてミリタリーマガジン【GUARDIAN WING】の、カメラマンの方ですか!?」
「ええ、そうですけれど……」
「8月号のイーグルの写真、すごく格好よかったです! まるで本物を見ているみたいで、いまにも写真から飛び出してきそうなくらい迫力満点でした! イーグルの代わりにお礼を言わせてください! 素敵な写真を撮っていただいて、ありがとうございました!」
戦闘機の代わりにお礼を言うだなんて、普通に考えればおかしいと思う。けれども興奮が最高潮に達していた実桜の頭は、普通に考えられる状態ではなかったのだ。呆れ顔の琉青に肘で突かれて、実桜は我に返る。きっとドン引きされていると実桜は思ったのだが。
「ありがとうございます。いままでそんなに褒められたことがなかったので、すごく嬉しいです。カメラマン冥利に尽きますよ」
吉野拓海は嬉しそうに実桜に笑い返した。さっきの実桜の奇怪な言動なんて、ちっとも気にしていない様子である。そういえばこちらの自己紹介がまだだった。実桜は拓海に歩み寄り、彼に右手を差し出した。
「第11飛行隊の藤咲実桜2等空尉です」
「――同僚の神矢琉青1等空尉です」
実桜と琉青は吉野拓海と握手を交わした。琉青と握手したあと、拓海は少し痛そうな顔をして、右手の甲をさすっていた。
「特集記事の取材に来たんですけれど――武知2佐はどちらにおられますか?」
「武知2佐なら隊舎にいますよ。わたしたちもこれから隊舎に行きますし、よければ案内しましょうか?」
「いいんですか? それじゃあお願いします」
実桜と琉青は拓海を連れて飛行隊隊舎に入った。確か武知2佐はブリーフィングルームにいるはずだ。階段で2階に上がって廊下を進む。ブリーフィングルームのドアをノックして、実桜と琉青は室内に入った。
ブリーフィングルームには飛行班のみんなと、涼しげな夏服を着た広報班の男性隊員がいる。実桜と琉青が連れて来た拓海を見た、江波1尉・飯島1尉・森村2尉の3人は、ぎょっとしたように目を見開いた。
「おいおいおいっ! 藤咲がイケメンを連れて来たぞっ!」
「藤咲にもついに春がきたか! 先輩は嬉しいぞ!」
「ライバル出現って――ちょっと神矢先輩超ピンチじゃないですか!」
江波1尉たち3人は揃って騒ぎはじめた。注意してくれると期待していた晴真も、「頑張れよ!」というふうに、実桜に向けてサムズアップしている。
それにしても彼ら――三馬鹿トリオの騒がしさといったら、まるで遠足のバスの車内ではしゃぐ小学生のようだ。「いい加減にしないか!」と、武知2佐が一喝すると、3人は雷に打たれたように、飛び上がって静かになった。
「第11飛行隊の飛行隊長、武知泰我2等空佐です。彼は広報班の平山昌和1等空尉です」
「帝日出版社の吉野拓海です。このたびは取材に協力していただき、ありがとうございます」
拓海は武知2佐と平山1尉と、握手を交わして名刺を手渡した。
「吉野さん。確か2人来ると聞いていたのですが……もう1人の方は?」
「それがですね――」
平山1尉が訊くと拓海は話しはじめた。拓海の話によると、一緒に来る予定だった先輩記者は、昨日の夜にどうしても外せない用事ができてしまい、それが片づいたらすぐ松島に来るらしい。基地に向かうまえに、拓海が先輩にメールしてみたところ、午後には基地に到着すると返信が届いたそうだ。
「安心してください。先輩が来るまでは、僕が取材をさせていただきます」
「分かりました。それでは打ち合わせを始めましょうか」
平山1尉の主導で打ち合わせは始まった。
まず始めに隊舎のブルーミュージアムと救命装備室を拓海に案内する。次に屋上の観覧席で飛行訓練の写真撮影だ。そのあと1時間ほどの休憩を挟み、ブリーフィングルームで実桜のインタビューをすることに決まった。――問題は誰が拓海の案内役になるかだ。武知2佐と相談した朝倉3佐が実桜を見やった。
「藤咲、君に案内を頼んでも構わないだろうか。飛行訓練には参加できないが――」
「明日明後日明明後日、いつでも飛べますから、1日くらい飛べなくても大丈夫です! おもてなしの心を胸に、全力でご案内します!」
「ありがとう」と実桜に微笑んだ朝倉3佐は、次に琉青のほうを見た。
「神矢。平山1尉と一緒に藤咲のサポートを頼んだぞ」
朝倉3佐に指名された琉青は、いきなり神のお告げが聞こえたような表情になった。
「サポートをしろって――どうして俺なんですか?」
「広報業務全般を担当するのが、広報幹部で5番機パイロットの仕事だろう。案内は途中まででいい。そうだな……救命装備室の案内が終わったら飛行訓練に参加だ。それで文句はないな?」
「……分かりました」
「よかったですね神矢先輩! 少しのあいだですけれど、藤咲さんの側にいられるじゃないですか――あぎゃっ!」
森村2尉が雨蛙のような声を上げた。どうやらテーブルの下で、琉青に思いきり向こう脛を蹴飛ばされたようだ。口は災いの元。余計なことを言わなければ、痛い思いをせずに済むのに――。と誰もが内心呆れ果てているに違いない。
「それではプリブリーフィングを始める。今日は特別な日だ。いつもよりさらに気を引き締めるように!」
気合いの入ったみんなの声が部屋に響き渡る。自分たちの写真が雑誌に掲載されるから、みんなも少しだけ浮き足立っているのかもしれない。こうしていつもと少し違う、ブルーインパルスの1日が始まったのだった。