第12話 親子の絆

 無事に翔太を見つけた実桜たちは、まず南地区を捜している晴真に、彼を見つけたと電話で連絡した。

 晴真によると、彼はいま進藤3佐と美幸と一緒にいるらしく、2人を連れてすぐに行くと言ったので、実桜と琉青は合同庁舎の前で晴真たちを待つことにした。


「バーティカル・クライム・ロールってそんなに高く昇るんだ! でもさ途中で気持ち悪くなったりとか、怖くなったりしないの?」


 翔太の明るい声が聞こえたので、実桜は彼がいる方向に視線を動かした。興奮気味の翔太に質問されているのは琉青だ。なぜか琉青は翔太に懐かれてしまったらしく、さっきからブルーインパルスのことを訊かれているのである。

 最初は面倒そうに答えていた琉青は、翔太の反応を見て嬉しくなったのか、いつしか身振り手振りを交えて、アクロバットの説明をしていた。


「俺たちは毎日身体を鍛えてるからな。それに俺はブルーインパルスのエースなんだぜ? 高く昇っても怖くないし、気持ち悪くなったりなんかしねぇよ」

「えっ――!? ブルーインパルスのエースってすっげーカッコいいじゃん! 琉青兄ちゃんって、すごい人なんだね!」


 翔太に褒められた琉青が、いかにも得意気な顔で胸を張った。続いてサインをせがまれた琉青は、翔太が脱いで渡した帽子に、いそいそと自分のサインを書いている。最後にハイタッチをした2人の姿は、まるで仲の良い兄弟のようだった。


「翔太!」


 どこかから翔太を呼ぶ声が聞こえた。道の向こうから走ってくるのは、晴真と進藤3佐と美幸の3人だ。さっきまで笑っていた翔太は、いまは緊張で表情を硬くしている。琉青に背中を押された翔太は、彼を見上げて頷くと一歩前に踏み出した。


「いままでどこに行っていたの!? 皆さんと康文さんに迷惑をかけて――! ちゃんと謝りなさい!」


 開口一番に美幸が翔太を叱った。美幸の鬼のような剣幕に翔太はうなだれている。美幸に追いついた進藤3佐が、「まあまあ」となだめると、彼女は気持ちを落ち着けるように、大きく深呼吸をした。


「ごめんなさい、母さん。――それと進藤さん、いままで反抗してごめんなさい」


 翔太が進藤3佐と美幸に頭を下げた。いきなり「進藤さん」と呼ばれた進藤3佐は、驚きで目を白黒させている。進藤3佐と同様に、美幸も鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

 反発していた息子が、人が変わったように素直になったのだ。だから2人が驚くのも当然である。翔太の本心を聞いた美幸は、涙を滲ませて息子を抱き締めた。


「捨てられるだなんて、悲しいことを言わないで。私はそんなこと一度も思ったことはないわ。だってあなたはお母さんがお腹を痛めて産んだ子なのよ? 世界で一番あなたを愛しているに決まってるじゃない」


「そうだぞ翔太。俺は君から美幸さんを――お母さんを取ることなんて絶対にしないよ。俺のことは無理に『父さん』って呼ばなくていいさ。翔太の気持ちの整理ができたら、そのときに俺を父さんと呼んでくれたらいいんだ。それまでに俺は頑張って、翔太が胸を張って誇れるような、立派なパイロットになってみせるよ」


 進藤3佐が翔太と美幸を包みこむように抱き締める。3人が流すのは喜びの涙。たとえ血がつながっていなくても、相手を思う気持ちが心があれば、誰だって家族になれるのだ。進藤3佐たちは壁を乗り越えることができた。だからきっと彼らは幸せになれるだろう。


「いろいろと迷惑をかけて悪かったな。でも――みんなのお陰で、翔太と分かり合うことができたよ。本当にありがとう」


「私からもお礼を言わせてください。主人が自衛官なので、みなさんのお仕事がとても大変なのは知っています。お仕事で忙しいはずなのに、みなさんは一緒に翔太を捜してくれました。自衛官のみなさんは、国を守るだけでなく――わたしたち国民のことも思ってくれているんですね。これからも頑張ってください。本当にありがとうございました」


 実桜たちと握手をした進藤3佐は、美幸と翔太と手をつないで一礼すると、来た道を戻っていった。途中で翔太が振り返り、満面の笑顔で実桜たちに大きく手を振る。親子の姿が見えなくなるまで、実桜たちは手を振り続けた。


「俺は自転車を返しに行ってから宿舎に戻るよ。それじゃあ、また明日」


 自転車に乗った晴真は、行く前に実桜と琉青に片手を挙げて、風を切りながら颯爽と走り去っていった。


「さてと――俺も宿舎に戻るか。しまった、晴真の後ろに乗せてもらえばよかったな。……しかたねぇな、のんびり歩いて帰るとするか」


「神矢さん! 待ってください! わたしを怒ってください!」


 背中を向けて歩き出そうとしていた琉青が振り返り、奇異の眼差しで実桜を見つめた。


「……いきなりなにを言い出すんだよ。なんで俺がおまえを怒らなきゃいけないんだ?」


「親子を仲直りさせに来たんじゃない、展示飛行のために来たんだって、食堂でわたしに言ったじゃないですか。わたしは神矢さんの言ったことを聞かずに、任務よりも子供捜しを優先した自分勝手な人間です! お願いします! わたしを怒ってください!」


 琉青に頭を下げた実桜は、ぎゅっと両目をつむった。沈黙する琉青の気配が、実桜の恐怖を増幅させる。数分間の沈黙のあと、「頭を上げろ」と琉青に言われて、実桜は恐る恐る頭を上げた。


「――ああ、そうだな。俺が言ったことを聞かずに、任務よりも子供捜しを優先したおまえは、自分勝手で傍迷惑な女だよ」


 琉青に傍迷惑を追加された実桜は、がっくりと肩を落とした。次はもっと強烈なことを言われるに違いない。実桜はそう思って覚悟したのだが――。


「一生懸命なおまえを見ていたら、怒る気なんてほとんど失せちまったよ。それに『国民を助けるのも自衛官の任務だ』って、藤咲2佐がいつも言っていたからな。だからおまえは――立派に任務を果たしたと俺は思うぜ」


 実桜は言葉も出ないほど驚いた。なぜなら「立派に任務を果たした」と、琉青に褒められたからである。普段の琉青なら口が裂けても、絶対に実桜を褒めないだろう。驚く実桜を見やった琉青は、不愉快だと言わんばかりに眉間に皺を寄せた。


「……なんだよその間抜け面は。確か朝のときも俺を見て、そんな顔をしていたよな。おまえ――今日は俺に対して失礼すぎやしないか?」


「間抜け面ってひどいじゃないですか! これはただ単に驚いてるだけです! だっていつも厳しい神矢さんが、初めて褒めてくれたから――」


「先輩が後輩に厳しくするのは当たり前だ。それに――おまえは仲間だからな。頑張る仲間を褒めてなにが悪いんだよ」


 今度は「おまえは仲間だ」と言われて、実桜はまた驚いてしまった。琉青は実桜を仲間だと言った。だとすると琉青は実桜を認めてくれたということになる。もちろん少しだけかもしれないけれど。そう思ったとき――実桜は身体中に喜びがみなぎるのを感じた。


「わたし――走りたくなりました」

「……は? なんだって?」


 実桜のいきなり走りたくなった発言に、琉青は切れ長の目を丸くした。


「神矢さんに褒められたら、なんだか走りたくなっちゃいました。――よしっ! わたし、宿舎まで走って帰りますね! そうだ! 神矢さんも一緒に走りましょうよ! どっちが先に宿舎に着くか競争しませんか?」


 実桜は冗談半分に言ってみた。宿舎まで競争だー! なんて小学生がするような提案に、あの琉青が乗るはずがないと思ったからだ。だけれど不敵な笑みを浮かべた琉青を見て、実桜は彼の闘志に火を点けてしまったのだと気づいた。


「――上等じゃねぇか。この俺に勝負を挑んだことを後悔させてやるよ!」


「ああーっ! フライングなんてずるいじゃないですか! そんなことしたって、わたしは負けませんからね!」


 フライングスタートした琉青を追いかけて、実桜は地面を蹴って小鹿のように走り出す。今日は嬉しいことが多すぎて、実桜はいつの間にか微笑んでいた。浜松基地を吹き抜ける凱風が、微笑みながら走る実桜の髪を優しく撫でていった。

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