第3話 扱いにくいリードソロ

 空の彼方から昇ってきた、春の朝陽が松島基地を照らしていく。まだ空が暗いときに起きた実桜は、朝食を早く済ませて、誰もいないブリーフィングルームの掃除をしていた。

 部屋にいるのは実桜だけで、武知2佐たちは誰もまだ来ていない。誰よりも早く――いの一番に部屋に来て、ブリーフィングの準備を整えて、みんなに飲み物を配ったりするのは、部隊に入ってきたばかりの、新人隊員の役目だからだ。


(ゴミなし! 埃なし! 飲み物の準備よし! これでいつみんなが来ても大丈夫!)


 実桜が最終確認をしているとドアが開いて、パイロットスーツを着た青年が入ってきた。一番乗りの実桜に気づいた青年は、ぎょっとしたような表情で、入り口に立ちつくしてしまった。

 とても失礼な反応だけれど、ぎょっとしたのは実桜も同じである。なぜなら実桜の次にやってきたのは、5番機パイロットの神矢琉青1等空尉だったのだ。


「おっ――おはようございます! 神矢さん! 今日も良い天気ですね!」

「……そうだな」


 実桜は頑張って挨拶したけれど、琉青の返事は短くて素っ気なかった。琉青は窓際の席に座ると、すらりと伸びた長い腕と脚を組んで、すぐに目を閉じてしまった。昨日と同じ無愛想な態度に、実桜はがっかりしたけれど、気を取り直して琉青の斜め向かい側の席に座った。


 腕と脚を組んだ琉青は、修行僧のように沈黙している。とても話しかけづらい雰囲気だ。だけれど自分は琉青と飛ぶことになるのだから、少しでも友好関係を築いておきたいところである。なので実桜は勇気を出して、琉青に話しかけることにした。


「なんだか喉が渇いちゃいましたね。お茶を淹れてきましょうか?」


 実桜が話しかけると、琉青は閉じていた双眸を開いた。ロシアンブルーのような瞳に見つめられて、実桜はドキッとしてしまった。


「来るまえに飲んだからいらない。もうすぐ訓練が始まるんだぞ? いまからお茶を飲んで、飛行中にトイレに行きたくなったらどうするんだよ」

「そっ、そうですよね! 話は変わりますけれど、神矢さんの好きな食べ物はなんですか? わたしは唐揚げが好きです!」


「――うるさい」

「えっ?」

「さっきから九官鳥みたいにうるさいんだよ。……おまえのせいでイメージトレーニングに集中できねぇだろうが」


 固まった実桜を冷たく睨んだ琉青は、聞こえよがしに舌打ちすると再び目を閉じた。絆を深めようと思った実桜の行動は、悲しいことに裏目に出てしまったのだ。睨まれて舌打ちされた実桜は、身をすくめて萎縮してしまい、それきり琉青に話しかけることができなくなってしまった。


 極度の緊張で実桜の胃が痛くなってきたときだ。武知2佐たちが、気象隊と統括班の隊員たちと一緒に、ブリーフィングルームにやって来た。いまの実桜にとって、彼らはまさに救いの神だ。これで琉青と二人きりという状況から解放される。実桜はこっそりと安堵の息を吐いた。


「みんな揃ったな? これよりプリブリーフィングを始める。今日も1日事故がないように、気を引き締めて頑張ろう」


 武知2佐の簡単な挨拶のあと、飛行前に行なう作戦会議――プリブリーフィングが始まった。まずは気象隊による、基地周辺と代替基地の天気予報にはじまり、その日の留意事項を確認する。ホワイトボードに飛行計画を書いたり、他の部隊と連絡を取ったりと、忙しく動き回っているのは、総括班の隊員たちだ。


「午前は高気圧に覆われて快晴が続くが、午後になると西から低気圧が近づいてくるそうだ。だとすると……午後は天気が崩れる可能性があるな。午前は第1区分の飛行訓練、午後は第3区分の訓練を実施する。午後の訓練は様子を見て、雲が多くなってきたら、早めに切り上げるぞ」


「隊長。午前は洋上アクロ訓練にしたらどうでしょうか。午後は金華半島で、救難隊のレスキュー訓練があるそうですし、海上にある目標物の位置を、藤咲に早く覚えさせたほうがいいかと――」


 朝倉3佐が提案すると、武知2佐はしばらく考えてから頷いた。


「そうだな。今日のファーストフライトは、金華山半島東岸沖の空域で洋上アクロ訓練。午後からのセカンドフライトとサードフライトは、基地上空で行なう飛行場訓練にしよう。みんなもそれでいいか? なにか意見があるなら遠慮せずに言ってくれ」


 意見する声は上がらず、訓練内容は洋上アクロ訓練と飛行場訓練に決まった。

 ブリーフィングを終えた実桜たちが次に向かったのは、隊舎の1階にある救命装備室だ。救命装備室は格納庫とつながっていて、救命胴衣や耐Gスーツにヘルメットなど、飛行中に命を守ってくれる装備が、保管されているのである。


(どうしよう……やっぱり謝ったほうがいいよね……)


 実桜は気づかれないように琉青のほうを見た。実桜が見ていることを知らない琉青は、黙々と装具を身に着けている。

 実桜が迷っているあいだに、琉青は全部の装具を身に着けて、足早に部屋から出て行ってしまった。謝る機会を逃した実桜は、肩を落として嘆息した。


「どうしたんだ? えらく元気がないじゃないか」


 実桜に声をかけたのは、師匠になる江波1尉だ。


「なっ――なにを言ってるんですか! わたしは元気いっぱいですよ!」

「藤咲は嘘が下手だな。いかにも元気がありません! って顔をしているじゃないか。あと、それ俺のヘルメットなんだけどな」


 江波1尉に指摘された実桜は、自分が手に持っている、メタリックブルーのヘルメットを見やった。

 ヘルメットのバイザーカバーの右側には、「TATSU」のタックネームが描かれている。実桜のタックネームは「CHERRY」だ。つまりこのヘルメットは実桜の物ではない。間違いに気づいた実桜は、慌ててヘルメットを返した。


「すみません……うっかりしてました……」


「ははっ、いいってことよ。それよりなにかあったのか? 頼りになる師匠に言ってみろ!」


 頼りになるのかは疑問だけれど、相談したら気持ちが軽くなるかもしれない。今朝のブリーフィングルームで、琉青を怒らせてしまったことを、実桜は江波1尉に話した。江波1尉は真剣な面持ちで、実桜の話を聞いている。実桜の話が終わると、江波1尉は大きく息を吐いた。


「神矢は気難しい奴だからな、俺もみんなも最初は苦労したよ。リードソロは単独飛行が多いだろ? だからちょっと、個性というか、癖の強いパイロットが選ばれるんだ。神矢はそういう奴だって割り切ったほうがいい。それにさ、嫌なことを言われたからって、すぐに嫌いになるのは子供のすることだぞ。俺みたいに全力でぶつかれば、心を開いてくれるさ!」


 白い歯を見せて快活に笑った江波1尉は、実桜の肩を叩くと部屋を出て行った。みんなが出て行ったあと、実桜は自分のヘルメットを見つめながら、しばらく考えこんでいた。


(……そうよね、江波さんの言うとおりだわ。ちょっと嫌なことを言われたからって、すぐに苦手意識を持つのはよくないわ。あれはわたしが悪いんだもの。人間悪い面だけじゃない。神矢さんにだって良い面もきっとある! それにまだ1日しか経っていないじゃない! ドンマイよ実桜!)


 自分を励ました実桜は、ぎゅっとフライトグローブをはめる。最後に頬を叩いて気合いを入れた実桜は、救命装備室を出ると整備員たちとT‐4が待つ駐機場に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー