大空のブルーイレブン
蒼井 真昊
第2話 最悪な出会い
機体を収納する格納庫が建ち並ぶ駐機場には、すでに先客たちがいた。青い帽子をかぶった、第11飛行隊の整備員たちと、第21飛行隊の学生たちだ。思い思いの場所に立った彼らは、みんな首を長くしてブルーインパルスの帰還を待っている。さらにフェンスの向こうには、一般人らしき人たちが大勢集まっていた。
しばらく待っていると、遠ざかっていたエンジン音がまた聞こえてきて、海の方向から6機の飛行機が飛んできた。縦一列に並んだ6機は、さながら鷲のように大きく旋回しながら、滑走路の端を目指して飛んでいった。
滑走路に飛んできたのは、T‐4という名前の飛行機だ。T‐4は主に航空学生の訓練に使われていて、機体のフォルムがイルカに似ていることから、「ドルフィン」という愛称で呼ばれている。
そしていま飛んできた、白と青の2色に塗られたT‐4は、ブルーインパルスのパイロット――ドルフィンライダーだけが乗れる、特別な機体なのだ。
空にエンジン音を響かせながら、一定の間隔を保ったまま、6機は順番に滑走路に着陸した。着陸したあと誘導路上で隊形を整えた6機は、駐機場まで低速走行する。ブルーインパルスは地上滑走中でも、最後までその編隊を崩すことは許されない。空でも地上でも、常に編隊精神という絆で、強く結ばれているからだ。
整備員のパドル誘導に従って、6機はそれぞれ決められた位置に停止した。エンジンが切られると、キャノピーが開いて、全国の部隊から選抜された、精鋭パイロットたちが降りてくる。するとフェンスの外にいる人たちが、一斉に歓声を上げてカメラを撮りはじめた。パイロットたちは、ファンサービスの笑顔を浮かべて、見物客に手を振っている。
「なんだか航空祭みたいですね。いつもこんな感じなんですか?」
「まあ……そうだな。それだけ俺たちは、みんなに期待されているということだ。創設されたときと違って、ブルーインパルスはいまや、航空自衛隊の花形部隊だからな。おまえは空自初の女性ドルフィンライダーだから、もっと騒がれるかもしれんぞ」
ファンサービスを終えたパイロットたちが、実桜と武知2佐のところに歩いて来る。いちばん最初に実桜に気づいたのは、最後に着陸した6番機のパイロットだった。
「隊長! もしかしてその女の子が――ブルーに配属された新人パイロットですか!?」
武知2佐が「そうだ」と頷くと、彼は子供のように無邪気に笑ってみせた。
「初めまして! 俺は6番機パイロットの
腕を組んだ江波1尉は、「むっふっふっ」と不気味に笑いながら空を見上げた。
きっといま江波達也1等空尉は、友達に自慢している光景を、脳裡に妄想しているのだろう。まだ返事はしていないのだけれど――。いささか対応に困っていると、別のパイロットが実桜のところにやって来た。
「……江波が迷惑をかけて申し訳ない。江波には1週間のトイレ掃除と草むしりをさせるから、ここはひとつ勘弁してやってくれないか?」
「ええーーっ!? ちょっとちょっとモーニングさーん! それは勘弁してくださいよ~!」
トイレ掃除と草むしりがよっぽど嫌なようで、涙目になった江波1尉が、情けない声で罰の取り消しを訴えた。一瞬の静寂のあと、パイロットたちは声を揃えて大爆笑する。彼らの明るい笑い声は、整備員と学生たちにも伝播していき、駐機場は大爆笑の渦に包まれた。
だけれど1人だけ笑っていなかった。彼らから少し離れた所に立っている、サングラスをかけた長身の青年だ。青年は実桜をじっと見つめている。見られているのに気づいた実桜が、青年のほうに目を動かすと、彼は視線が重なるまえに、素早く顔を逸らした。
「……みっともないところを見せてすまんな。自己紹介、簡単によろしく頼む」
呆れ顔の武知2佐に頷いた実桜は、踵を合わせて背筋を伸ばすと、右手をこめかみに当てて敬礼した。
「築城基地第8飛行隊から着隊しました、藤咲実桜2等空尉であります! よろしくお願いします!」
実桜の着隊の挨拶が終わると、パイロットたちは順番に、自己紹介と握手をしていった。飛行班長の朝倉友哉3等空佐。2番機の
「おーい! なにボケッと突っ立ってるんだよ! おまえもちゃんと挨拶しろって!」
振り向いた江波1尉に呼ばわれた青年が、渋々といった様子で歩いてきた。「失礼だぞ」と注意されて、青年がかけていたサングラスを外す。青年の素顔を見た瞬間、実桜の鼓動は大きく跳ね上がった。
年齢は実桜と同じ20代後半だろう。弓なりの眉毛は整った形で、鋭く直線的な鼻梁は高い。切れ長の大きな瞳は意思の強さを感じさせる。
引き締まった細身の姿態に、贅肉はほとんどついていないから、すべての筋肉が念入りに、鍛え上げられているのが分かった。とても端正な青年の容姿に、実桜の鼓動はしばらく嵐のように騒いでいた。
「――5番機パイロットの
「藤咲実桜2等空尉です! よろしくお願いします!」
元気いっぱいに挨拶した実桜は、握手をしてもらおうと彼に右手を差し出した。
だけれど実桜の期待は裏切られる。神矢琉青1等空尉は、握手もせずに実桜の横を通り抜けると、格納庫の中に入っていったのだ。握手を拒絶された、実桜の右手に当たる風は、やけに冷たく感じられた。
(えっ……? どういうこと? わたし、なにか気に障るようなことをしたの……?)
戸惑いと衝撃で実桜は呆然とする。憧れていた5番機パイロットに、無礼極まりない態度をされるとは、夢にも思っていなかったからだ。
憧れの彼と会える日を、指折り数えて楽しみにしていたのに、まさかこんな出会い方をするなんて――。実桜は喜びで輝いていた景色が、急速に曇っていくような気がした。
「……神矢が無礼な態度をとってすまん。神矢にはきつく注意しておくから、俺に免じて許してやってくれ」
武知2佐が琉青の代わりに謝ってきた。
「いえ、いいんです。わたしは気にしていませんから――」
「それならいいんだが……。疲れているのに、長い時間引き留めてしまったな。宿舎に案内するから、今日はゆっくり休んでくれ」
武知2佐の案内で、実桜は女性用の幹部宿舎に向かった。玄関で武知2佐と別れた実桜は、自分の部屋に入ると、まずは電気を点けてカーテンを開けてから、荷物の荷解きと整理をはじめた。
荷解きの途中で実桜は、銀製の写真立てを見つけて手に取った。実桜の口元に自然と微笑みが浮かぶ。中に入っている写真は1年前の物だ。実桜が松島基地に遊びに行ったときに、撮ってもらった思い出の1枚である。
写真に写っているのは、松島基地の駐機場だ。ブルーインパルスのT‐4を背後に置いた、実桜と男性が肩を並べて立っている。ダークブルーのパイロットスーツを着た男性――勇輝は喜色満面に笑っているけれど、彼に肩を組まれた実桜は、照れくさそうな微笑みを浮かべていた。
「――父さん、もうすぐ同じ空を飛べるね」
実桜は写真の中の勇輝に話しかけた。写真の勇輝は笑っているだけで、なにも答えてくれなかったけれど、きっと実桜の着隊を、心から喜んでくれているだろう。
あれから1年が経ち、実桜は再び松島基地に戻ってきた。前にいた第8飛行隊では、ARパイロットとして飛んでいたけれど、ここでは訓練可能態勢のTRパイロットとして扱われる。もしかしたら実桜がTRパイロットだから、先輩の神矢琉青1等空尉は、あんな態度を取ったのかもしれない。
でも――それだけじゃないような気がする。なにか別の理由があって、琉青は実桜に冷たい態度をとったのだ。武知2佐がぽつりと漏らしたあの言葉が、大きく関係しているのだと実桜は思う。
荷物の整理を終えた実桜は、ベランダに出て空を見上げた。いつの間にか日は暮れていて、空は夕焼けに染まっている。
薔薇色に燃える空を、ブルーインパルスのT‐4が、タッチアンドゴーで飛んでいく。なぜだか実桜はあのT‐4に、琉青が乗っているような気がしたのだった。