何も二次創作同人界隈に限った話ではないのですが、それがテーマのブログなので、その界隈に寄せて今回のブログを書きます。
私のTwitterのTLはアニメやゲーム好き、同人活動をしている方やそれを楽しむ方が多いので、TLを眺めていると自分の性格や趣味嗜好についてツイートして「私はこういう性格だから私に合わせてもらえると助かる」っていうスタンスが見え隠れする方が多いような気がします。
どういうことかと言うと……。例をひとつ紹介します。
先日ちょっと気になったのは、『アニメ好きだからといって、必ずしも腐女子ではないし、必ず推しカプがいるわけではないんだよ』という主旨のツイートがバズっていたこと。
女性で、オタクで、アニメやゲームが好きだと、必ずと言っていいほどBLが好きだという前提で話しかけられ「推しカプだれ?」等の質問を受けることについて、苦言を申し立てているツイートでした。
気持ちは分かります。腐女子だからといって、必ず推しカプができるわけではないです。
男と男の関係性が好きだからといって、その二人を絶対にカップルにするわけでもないです。「この二人は友情だからいい!」「この二人の疑似親子的な関係性が本当に好き」等、誰にでもある感想だと思います。
なので、推しカプがある前提で話を始められることに、疑問を抱くのも無理はありません。
私がこの件で「うーん」と思ったのは、『アニメ好きだからといって、必ずしも腐女子ではないし、必ず推しカプがいるわけではないんだよ』というバズっているツイートをRTして、「私もこれやられたことある」「これほんと困る」「BL前提で話すのやめてほしい」とツイートしている人たち。
RTしたツイートが追い風になるのか、つい声が大きくなって、過去にあったイヤだったことや、関連する愚痴をつらつらツイートし始める方がちらほらいるのです。
しまいには、RTしたツイートの趣旨から離れ、自分がされてイヤなこと、イヤだったことをつらつらと並べはじめる始末。
言いたくなる気持ちは分かるけど、度を超えるとうるせえなって思います。
そして、そういう人たちの多くは、「自分はこういう性格だから、私に合わせて欲しい」と無意識に発信してしまっていることに、気づいていないように感じます。
相手が「推しカプだれ?」って聞いてきたら、「私この作品は腐目線で見てないんだ~」って話せばいいと思います。「A×Bが好き!おすすめ!」って言われたら「ごめん、私その二人は友情が好き」って言えばよくないでしょうか。
相手がいきなり突っ込んだ質問をしてきたことに問題が無いわけではありませんが、コミュニケーションをきちんと重ねれば双方の趣味嗜好を理解し合えると思うのです。
相手が自分の地雷を踏んだらもうその時点で「この人だめだ」「この人と話してるとイラッとする」と決めつけてしまう人が多い気がするんです。
「私はこういうのが好きだから、そういう話しないで!」と言うのは簡単です。ですが、相手から「その作品好きなんだ~、推しカプだれ?」というコミュニケーションの第一歩が届いているのに、突然「腐女子だからっていつでも腐萌えしてるわけじゃねーし」とへそを曲げているようでは心が狭いなと思います。
相手が何が好きなのかを理解し、自分がどういう人間なのかを理解してもらうのがコミュニケーションじゃないでしょうか。
ツイッターのプロフィールは、必ず全員が読むわけではありません。
プロフィールに「〇〇が地雷です」って書いてあるのに、相手が地雷の話をしてきたとき、「プロフ読んでないんですか?」と怒るのはあまりに自分本位すぎます。
「すみませんが、私それ苦手なんです」と言えば済む話なのです。
話したことのない方に、「私それ苦手だからその話しないで」「私はこういう人間だからそういうことしないで」等の感情を抱き、「私に合わせて」と思ってしまうことは、ちょっとおかしいと思いませんか。
それなら、あなたは相手のことを理解しようとしましたか?
相手に合わせようとしましたか?
自己主張だけが激しくて、他人への理解が足りないことに、気づいて欲しいのです。
RTをして「それみたことか」と喚きだすのはみっともない
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誰かのツイートに共感し、RTをしてそれについて言及するのは悪いことではありません。
RTしたツイートをきっかけに、何かを考え、発信することは良いことだと思います。
しかし、私がみっともないなと感じるのは、TLに流れてきた愚痴ツイートや啓蒙ツイートなどを見て「私と同じこと考えてる人いた!」と水を得た魚のように愚痴を爆発させる人たちです。
「私もこれされてイヤだった」「私だけが違うのかと思ってた」と安心してつい声が大きくなります。バズっているツイートが味方になってくれるのですから、自分の発言にブーストがかかって、今まで溜め込んでいたものが爆発してしまうのです。
日々のコミュニケーションをサボって溜め込むから、そうしたことをきっかけに爆発してしまうのでは?と私は思います。
愚痴ツイートをつらつら並べてしまうと、本当は仲良くしたいと思っている方からも「もしかして、私のあの発言も不快だったかな」と知らず知らずのうちに不安にさせ、人を遠ざけてしまうのです。
『Twitterでは自由に発言しています。不快なリプはしないでください』そう思うのは結構ですが、TwitterというSNSを利用している以上、コミュニケーションは避けられません。
もし本当に自分だけの世界で自由に発言し、誰も見なくていいと思っているなら、フォロワー0の鍵垢で延々と呟いていればいいのです。
「自分はこういう人間だから」を相手だけに押し付けるのではなく、「自分はこういう人間だから、私はこうするね、だからあなたはこうしてね」と相手にも理解を示し、自分も相手に合わせる姿勢を見せることが大事なのではないかと考えました。
相手にはいい顔をしておいて、その人が見ていないところで「あの人にあんなこと言われて実は不快だった」と愚痴ったり、RTしたバズツイを追い風に自分のわがままを発信するのは、明らかなコミュニケーションの放棄でしょう。
結局何が言いたかったのか
RTして愚痴ブーストする人を例に出したので分かりにくくなってしまったかもしれませんが、ようは「自分に合わせてもらうことばっかり考えず、コミュニケーションしましょう」ということが言いたかったのです。
仕事関係でもそうです。仕事がうまくいかないのを環境や他人のせいにして、自分が変わろうとしない方にかぎって、すぐ仕事を辞めるし、職場になじめないように思います。
ダウンロードコンテンツを配信する公式に向かって、「Wi-Fiが近くにない家もあるんですよ!」と喚き愚痴る人を見たことがありますが「ルーター買えよ」としか思わないので、つまりそういうことです。余計分かりづらくなりましたね。
なんだか考えたくなって、『ブログを書こう』と思って筆をとりましたが、なんだかまとまりのない記事になってしまいましたね。
この記事を書く前日に、Twitterでフォローしている仲のいい方が、この記事の前半で書いたようなツイートをRTして喚いていたんです。
それを見て「それは相手との会話で解決しようよ」と思ってモヤモヤして、この記事を書きました。
Twitterなんだから何言っても自由でしょ、と言ってしまえばそれまでなんですが、それも思考放棄じゃないでしょうか。どうなんだろう、うーん。
もし似たようなことを思った方がいたら、マシュマロなどで教えていただけると嬉しいです。 考えが整理できたら、また記事を書きますね。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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