約束の時間になっても姿が見えない彼女の携帯に電話をかけると、すぐに切れてしまった。
その直後、「この携帯、電話機能が壊れているんです!」という意味不明なLINE。
僕の職場でアルバイトをしていた「リコちゃん」だ。
いつも一つ一つの行動がユニークで、もう同じ職場で姿を見ていたのは3年も4年も前なのに、いまだに強烈な印象を残している。
僕の中では今でも「バイトのリコちゃん」だが、ほぼ1年ぶりで会った彼女は少し大人びたように見えた。
重田莉子、24歳。
この春、通信社の記者を辞め、突如コンサルタントに転身した。
そんな彼女は秘めたる野望を持って、今も走り続けている。
テレビ局のアルバイトには、メディア志望の学生が自然と集まってくる。
そんな一人ではあったが、彼女には幼い頃からライフプランがもう出来上がっていた。
とにかくテレビに出たいんですよ。
だから小さい時からもう、慶応に行って、
ミス慶応からアナウンサーになって、それから政治家って決めてて。
その話を聞いて僕は大笑いするが、彼女は至って真面目だ。
現に慶応大学に入り、テレビ局でアルバイトをし、アナウンサー・スクールにも通った。ここまでは大筋ほぼ順調だった。
だがテレビの世界を垣間見て、ただチヤホヤされるだけの女性アナウンサーになりたいとは思わなくなった。
だって私、胸が大きいじゃないですか。
だからもしアナウンサーになったら、週刊誌とかに何かチャラい感じで書かれたりするな、と思って。
そういうのが嫌だったんです。
「見出しに『新人巨乳アナウンサー』とか?(笑)」
冷やかす僕に彼女は続ける。
「だったら、ただチヤホヤされるだけのアナウンサーじゃなくて、ちゃんと取材ができる記者の方がいいな、って」
そんな彼女は新卒で在京テレビ局を受け続けたが、
どうしても入社試験をクリアすることは出来なかった。
テレビへの思いを抱きつつ、大学を卒業し通信社に就職。
1年目から大阪で記者として社会人生活をスタートする。
記者として壁にぶち当たっていた訳では無かった。
就職した通信社は他社に比べれば貧弱な態勢。それだけに新人といえども、上司からは「他社の記者から教えてもらえ」といきなり現場に放り込まれる始末。
他社が数人がかりで取り組む取材に、彼女は一人で担当の取材を切り盛りしなくてはならなかった。
それでも、大阪では知事への取材に他社を圧倒するほど食い込んだ。
辞めた今でも「知事が『取材に来てくれないかな』と言ってたよ」と支援者から耳打ちされる程だ。
どうして突然、記者辞めちゃったの?
突然じゃないんです。ずっと考えた末だったんです…。
急な転職の理由を尋ねると、いつもニコニコしている様子とは対照的に、
彼女が語り始めた思春期の身の上話は切なかった。
彼女への教育方針をめぐって両親は対立。
父親はある時から彼女や母親を顧みることはなくなった。
週に1度ほどだけ家に帰ってきては2人を罵り、恫喝を繰り返す。
時には生活費すら渡さぬ父親に、母親は「今月ももらえなかった」と彼女に恨み言を言う。
母親はパートで働いてやりくりした。それでもお金が足りなくなると母親に頼まれ「生活費をください」と言いに行くのが一番辛かった。
そんな境遇に「私は男の人にお金をもらう生活は絶対にしない」と誓った。
記者として2年目、埼玉に転勤になり取材に明け暮れる毎日。
しかし、ある日、彼女はハッと気づかされた。
それは「京都アニメーション放火殺人事件」の容疑者の男の生い立ちを取材している時だった。
男は埼玉で暮らしていた。
多くの犠牲者を出した大事件の容疑者だが、男にも複雑な家庭環境や貧しい生活、男なりの辛い過去があった。
メディアはそれを一つ一つ拾い上げては、事件の動機に結び付いたのではないか、と書き立てる。
自分もそんなメディアの一員ではあるけれど、
男が事件を起こすまでの半生に受けた辛さが痛いほど分かった。
男は社会に居場所がなかった。
彼女も、家にも学校にも居場所がない思春期を過ごしていた。そんな男と、自分の姿が重なった。
40過ぎまで食いつないで生きてきた男に、尊敬すら覚えた。
取材で男の動機の解明には繋がるかも知れない。
でも事件は、男をそんな境遇に追いやった社会への復讐だったんじゃないか。
そう思うと男の生い立ちを取材することが辛くなった。
それを境に記者という仕事が一時、嫌になってしまった。
記者って一体、何なのだろう、
疑問は日に日に膨らんで行った。
「夜回り取材」だと、汗水垂らして取材相手のご機嫌を伺いに行くことに、どんな意味があるんだろう。
どうせ「女」を武器にしてネタを掴んでいるんだろう、と陰口を言って蔑む同業他社の記者に、あれほど崇高な仕事だと思っていた記者というのはこの程度の連中がやっていたのか、と落胆もした。
一度は嫌になった仕事だが、
それでも彼女は「テレビ」という舞台、そして映像への憧れを断ち切れなかった。
チヤホヤされず、真面目に映像と向き合える、しかも多くの人に影響を与えることができる仕事。
私がやりたいことは結局、テレビの記者なんじゃないか。
いつかテレビに、と憧れてこの小さな所帯の通信社で、大手メディアの記者から小馬鹿にされながら仕事を続けても、道は切り開かれないとも思った。
「もっといろんな世界を見てから、テレビに挑戦しようと思って」
彼女が受け直したのは大手コンサルティング会社だった。
今は中央省庁のプロジェクトを手掛けている。
「でも、1、2年くらいしか、ここで仕事をしようとは思っていないんです。やっぱりテレビで仕事がしたいんです」
埼玉の記者時代の同業他社で、今は長野で取材に奔走する彼氏と遠距離恋愛が続く。
記者の仕事は、取材相手にどこまで感情移入が出来るかで仕事の優劣が生まれるのかも知れない。
彼の取材相手との間の取り方を見ながら、そんな風にも思えてきた。そんな彼の姿を見ていると、もう一度、テレビの世界に挑戦しようと思う。
私、あいつなんかより全然、
中継のリポートとか上手く出来ると思いますよ!
埼玉で同じ担当だった、僕の後輩記者のことを指して彼女は胸を張った。
ここまで思い入れを持ってテレビの記者を目指す人がいる、
まだまだテレビも捨てたものじゃないな。
ネットに押される今、テレビの報道に少し諦めすら覚えていた僕は、そう思いながら彼女の背中を見送った。
「バイトのリコちゃん」はもう、
挑戦を続ける大人の女性になっていた。
Text:Motoi Araki