本日の日記

声が

2020年9月22日(火曜日)

好きなリズムの曲が流れると心が落ち着いて来ますが、そうでない曲が流れると心がざわつきます。
人も同じでね。
キンキン声だと話す内容より苛立ちの方が先に立ちます。
理由なく人から嫌われる時というのは、声のトーンが原因かもしれませんよ。

松原照子の印

本日の世見

もしもし/モアイ

2020年9月22日(火曜日)

  • 古代文明・歴史
  • 文化・学問

電話機に向かうと、誰もが「もしもし~」と言いますよね。
スマホの時代が到来した今でも、電話に出る時には「もしもし」からスタートする人が多いことでしょう。
この 「もしもし 」という言葉が使われるようになったのは、日本に電話が導入された1890年(明治23年)のことなのですよ。
当時は逓信省(ていしんしょう)というのがあって、そこの役人の一人が、英語の「ハロー」に代わる言葉として提案したのがこの「もしもし」でした。
語源はと言いますと「申し 申し」だったのです。
この「申し 申し」が詰まって「もしもし」になりました。
「申し」とは、神仏に願い事をする時や、神社で神官が祝詞をあげる前に使う言葉です。「畏れ多くも申し上げます」と言いますか、神仏に敬意を表す言葉なのです。
「もしもし」と気にもせずに言っていたこの言葉、神仏に敬意を表す言葉なのですから、心を込めてご挨拶をなさる時には、「もしもし」と明るい声で言ってみては如何でしょうか。
話は変わりますが、
「イースター島には樹木がなかった」と誰かが言っています。
誰かとは勿論、不思議な世界の方。
私ってね、こうして原稿用紙に向かっていますと、突然声が聞こえたり、画面が見えたりするのです。
もしかすると、私自身が無の世界に入るからかもしれません。
考古学者のアルフレッド・メトロは言いました。「この島に植民した勇敢な古代の航海者も年を重ねると脱出が出来ないことがわかった。筏さえも作れない島だからだ。集団的なるエネルギーの表出こそがモアイだ」と。
この思いから作られたとしたら、モアイは“悲劇の作品”ということになります。

松原照子の印