【キョンシーのお札】 符呪の歴史、作り方、呼び出し方のまとめ【中国呪術】

香港映画「幽幻道士」などでキョンシーに貼られたり呪術で使うお札「符呪」の、歴史から作り方、使用方法や処分の仕方などをまとめた文章です。小説や漫画の資料にも使えると思います。

更新日: 2019年04月25日

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この記事は私がまとめました

tinkonさん

注意! 後半の文章では、符呪の画像が前提の文章が有りますが、このまとめでは現在その画像が載っていません。
いずれ符呪の画像も追加したいと思いますが、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。

 もともと以下に記された文章は、圓寂坊という方がHPで公開されていた文章です。圓寂坊氏は多くの気功法や練功法、そして中国の呪術、符呪など様々な知識を惜しげもなく披露されていた方です。

 ですがその文章も知識も、2019年3月にYAHOOジオシティーズが全サイトを消滅させてしまいました。これは先人の膨大な知識が失われるに等しい愚かで悲しい行為でした。
まとめ主は、恐らく消える事のないネイバーまとめに圓寂坊氏の文章を残すことにしました。

目次
プロローグ
符呪――その起源は?
迷信か? その理論
道士としての錢老師
黒白舎人の術
符呪の道具立て
符法要領略述
1.符を書くのに良い時間とは?
2.符を書く為の準備
3.霊符作成の次第
4.勅符
5.送神
6.退符法
7.終わりに……

■■ プロローグ ■■

★ 拝好兄弟(幽霊はお友達?)

 台湾へ旅行に行ったことのある方なら、皆さん一度ぐらいは目にされたことがあると思う光景があります。それは、町を歩いていると、いろいろな店の店先の歩道のところに、何か円筒形の焼却炉のようなものが出してあり、そこで何かを燃やしているという光景。さらにまた、それに加えて台のようなものの上に果物や菓子それに饅頭、蒸した鶏(まるごと)、豚肉(頭はめったに見ませんが脚とか。)、酒、飲料、米飯等々いろいろなお供え物を置き、更にそれらの供物にはそれぞれ線香が挿してあるという光景です。

 これらを見て、不思議な思いを抱かれたことのある人は大勢いらっしゃると思いますが、これについてガイドさんなどに訊ねたことのある人は少ないかもしれません。訊ねたことのある方でも、たぶん「拝拝(パイパイ)ですよ。」とか「商売繁盛をお祈りしているんですよ。」という答えぐらいしか返ってこなかったと思います。

 台湾に住んでいると、こういう光景は本当に毎日見るといっても過言ではありません。まぁ、もちろん同じ場所で毎日やっているわけではなく、いろいろな店舗で昨日はあの店、今日はこの店というふうにやっております。別に順番があってやっているというわけでもありません。(さすがにデパートの前でやっているのは見たことはありませんが。)

 それではこれらの行為は何の為に行われ、そして一体何を意味しているのでしょうか?

 もしかしたら、仏様に供養しているのかな?とも思ったりしますが、供物の中に不精進物(酒、肉)などが含まれていることから、どうもそうとは思えません。なぜなら、台湾の仏教徒はお坊さんでなくとも肉や魚、はては卵まで食べないような人が大勢います。(その為《素食》と言って精進料理の店がいたるところにあります。)だから、仏様の供養に不精進物を供えるということは考えられません。

 実は、これらの供養は無縁霊や浮遊霊に供養しているのです。そう聞くと、『なんと台湾の人々は信心深い人々なんだろう』、『すばらしいなぁ』、と感動される方もいらっしゃると思いますが、それは早合点というものです。この方法はたんに無縁の霊の供養の為だけに行っているのではありません。実は、この供養は実はギブアンドテイクなのです。どういう事かといいますと、これらの供物を捧げ、紙錢(焼くと冥界のお金に変わるらしい。)を焼き、線香を上げるかわりに、お客さんをたくさん連れてきてほしいと願っているのです。

この方法は『拝好兄弟』(パイハオションティーと読む)といいまして、民間に行われている一種の呪術なのです。「拝」は文字通り拝むということで、「好兄弟」というのはいい友達というぐらいの意味で、どうやら「無縁の霊」の隠語として使われているようです。ここでいう「無縁霊・浮遊霊」とは、街のいたる所をうろついている不成仏霊や人格を有する霊的存在のことであります。これらの霊の力を借りて商売を繁盛させようともくろんでいるのです。つまり肉や魚、果物や菓子、線香などで無縁の霊をもてなし、更に冥界で使うお金まであげて饗応し、その見返りとしてお客さんをたくさんつれて来てもらおうという発想です。どうです?この中国人的発想!すごいでしょう?(まぁ日本でお稲荷さんを拝んで商売繁盛を祈っているのも、使う対象が動物霊であるだけのことで大同小異ではありますが。)

 では、この『拝好兄弟』は本当に効果があるのでしょうか?多くの方は「そんなのは迷信だよ」と、一笑に付されると思います。でも、中国人は「本に書いてあることは容易に信じるけれど、人から聞いた情報はすぐには信じない日本人」とは少し違っています。「本に書いてあることは信じないが、人がやっていることは一応試してみる」のが中国人なのです。そのコンセプトを持つ中国人の商人たちが、何百年と続けてきた方法なのです。迷信だと片付けることが出来るでしょうか。恐らく効果がなければとっくにすたれているはず?!

 …実際にこの方法は大変効果があるそうです。これは台湾人の友人(商人)などからの情報です。ただし、この効果が何ヶ月も続くということはないみたいです。聞く所によると、この方法を行ってから、だいたい一週間から十日ぐらいは大変客の入りが良くなるそうです。が、その期間を過ぎるとまた元の状態(ぼちぼち)に戻るということです。…恐らくそういうわけで、「最近客の入りが悪いなぁ~。」と思った商店主たちが、ときどきこの方法をやっているのでしょう。

 日本では、古来、霊とは恐るべきものであり、その祟りを鎮める為に供養したり、ご機嫌をとったりしてきたものです。そして仏教伝来の後は、恐るべき霊にはこれを慰撫し、迷えるかわいそうな霊とか、誰もまつり手がない哀れな霊に対しては、これを成仏させる為に供養を行ってきたというのが実情です。その中でも不成仏霊である可哀想な無縁の霊を、ギブアンドテイクの関係とはいえ、金儲けの為に使役するとは…。いやはや中国人恐るべしと言うところでしょうか。

 では、日本にはどうしてこういう発想は起こらなかったのかというと、やはり霊という物に対する態度が上述のように恐るべき触れるべからざる対象であったからでしょう。しかし中国の人たちにとって、霊は実際にこの世にも干渉しうる力を持つ頼もしいお友達なのです。(そういえば官僚が賄賂を貰って便宜を計るのと同じ発想ならば中国は賄賂の本場でありますから、なるほどと頷けるところもあります。)

 さて、中国の人々の「現世利益の為には幽霊までも利用してしまおう」というコンセプトを理解していただいた上で、いよいよ符呪というものについて考察していきたいと思います。中国人の用いる符呪とは別に護符とか呪文を唱えなくとも、上記のような方法も符呪に属すものです。もちろん、符呪ですから護符や呪文を多用するのは当然です。これらの符呪は、多くの場合現世利益が目的で『拝好兄弟』のように商売繁盛を祈ったり、金運を良くしたりするものもあれば、恋愛成就、学業成就、身体健全、心願成就等を願って行うものもあり、中には恐ろしい呪いをかけて敵を破滅させる為の符呪もあるようです。このあたりの考え方は日本でもあまり変わらないと思います。

 もちろん、日本で民間に行われている呪符とか呪法(密教系を除いたもの)とかはほとんどが中国から伝来したものでありましょうから、日本の符呪のルーツは中国の符呪ということになります。それでは中国の符呪のルーツはどうなっているのでしょう。次章において探ってみたいと思います。

■■ 符呪――その起源は? ■■

☆ 道教と道家思想

 まず初めに、皆さんは符呪というものが「中国人の独自の宗教であるところの道教から起こったものである」という認識をおもちであろうと思います。その通り、符呪とは道教の符派から出ているものです。では、その道教とはいかなる宗教なのでありましょうか。そして、符派とは?

 一般に我々日本人が認識している道教とは、老子や荘子などの道家思想を中心にした宗教であり、その目的とする所は無為自然の道理を体得して宇宙や自然と合一することであり、更には不老不死の仙人になることであるが、近代に至るにしたがい儒教や仏教の影響を受けたりして変化したあげく、民間の迷信や謬説そして卑俗な習慣等が付加されて、低俗化してしまった中国人独自の宗教、というところでしょうか。でも、それは的を射ていないように思うのです。

 かく言う私も、台湾へ行く前まではこのように考え、そして道教と道家思想は同義語ぐらいに思っておりました。ところが、実際に台湾でいろいろな廟(道教のお寺)を見て歩いたり、その宗教的行事をまのあたりにしてみて、これらの認識が正しくないということがだんだんと分ってまいりました。

 この道教と道家思想とはもちろん密接に関係しておりますが、本来は別なものとして区別しなければならないと思います。なぜなら、結論から言うと、道教の本質とはシャーマンであるからです。そして道家思想とは一種の瞑想修行を通じての悟り、もしくはその悟りの精神状態の哲学的な思弁の結果できあがった思想であり、それは神のお告げ的なものやシャーマニズムとは無縁のものであるからです。(この点についてだけ言うならば仏教と似ているといっても良いでしょう。)実はこのことは一般の人々のレベルではどうか知りませんが、台湾の識者の間では常識になっています。道教と道家思想はイコールではないのです。

 私が道教をシャーマンだとする根拠は、いたるところにある廟で定期的に行われる宗教行事としての、神降ろしのパフォーマンスを幾つか見学する機会を持てたことによります。(テレビなどで見たこともあります。)シャーマンとはいわゆる神懸りということです。つまり神降ろし、即ち霊媒に降りたその神格によって、未来のお告げを受けたり、悩み事を解決してもらったりして、そのお告げを参考にして物事を決定していくという原始的な宗教なのです。

 古代日本における邪馬台国の女王卑弥呼などもこの有名な例のひとつです。実は日本の神道もこのシャーマンの系列に属するものであると言えましょう。現代ではあまり見られませんが、昔には神懸りとなって、いろいろご託宣をする巫女などもたくさんいたみたいですし、そういう意味では日本の神道の原点がここにあるのかもしれません。ただ、中国の神様は日本と違って大変派手で、けばけばしい感じもしますが…。(;^_^A

 因みに台湾では、この神霊の降りる霊媒のことを「タンキー」といい、タンキーの素質を持った人がそれぞれの廟の専属のタンキーとして所属しているようでした。これらのタンキーたちは廟の宗教的行事においては無くてはならない存在です。このタンキーにいろいろな神様の霊が降り、お告げをしたり質問に答えたりするのです。(後で分ったことですがこのタンキーたちの寿命は普通の人よりも短いらしいです。)

 さて、そのパフォーマンスですが、だいたいはその廟に祀ってある神様がタンキーに降りて、いろいろなお告げをしたり、信者からの質問に答えたりするみたいです。が、ときどきその主祭神の眷属(けらい)の霊格が降りて、威嚇したり変な行動をとったりします。そして、トランス状態に入ったタンキーたちはさまざまな道具を用いて自身を痛めつけたりもします。この辺の理由はどうしてなのか聞かなかったので定かではありません。部外者としてみていると、とても面白いものですが、信者さんや道士等はとても真剣にこの儀式を行っているようでした。

★ 張道陵と正一教

では、なぜこのシャーマンである道教と、哲学的である道家思想が結びついてしまったのでしょう。そもそも道教の起源は、後漢の時代にほぼ時期を同じくして興った、「太平道」と「五斗米道」という新興宗教であるといわれています。この二つの宗教の開祖は太平道は于吉、五斗米道は張陵(後に張道陵といわれる。)という人ですが、なんと面白いことに、この二人ともが、神から授けられた道書(呪法やお札など)を使って、多くの人の病気を治してその教えを広めていったのです。もともとこの二人は黄老の道(黄帝や老子のといた教え)を貴び、その思想のバックボーンとしていたらしいので、このあたりからもう既に道家思想がとり入れられていたようです。

 この二人の中でもとくに五斗米道の張道陵こそは、中華道教の開祖とされる人物です。この人物は学識深く五経に通じていましたが、晩年になって、このようなものは不老長寿については役に立たないとして捨て去り、長寿の道を求めて研究していました。しかし家が貧しかった為、丹薬を調合するための薬を買うことができず、弟子とともに鵠鳴山にこもり、道書二十四篇をつくって精神の練磨に励んでいました。

 するとある時、忽然と天から神仙たちが降臨し、彼に「正一盟威秘」という道書を始め、多くの法術の書物が授けられたのです。そこでこれを授かって後、道陵はこの法の研鑚に勉めて成就し、よく病を治すことが出来るようになったのでした。後はとんとん拍子に有名になり、弟子たちを組織して巨大な宗教団体をつくりあげたのでありました。この宗教団体は後に「天師道」と名乗り、更に後代に至っては「正一教」という道教教団になります。

 この「山ごもりの時に神仙が降りて道書を授けられた」というのがクセモノで、ここに秘密があるように思われます。多くの人が見ている前でそういうことが起こったのならともかく、鵠鳴山で修行中の張道陵と弟子達だけしかいなかったわけですから、どのようにでも話を作ることが出来るではありませんか。

 では、実際にはどのようにしてそのような大部の書物を得ることが出来たのでしょうか。私が思うに、おそらく弟子の誰かが神懸りとなり、その言葉を筆記していったのではないでしょうか。そう考えれば、割と合理的に解釈することが出来ます。なぜなら、まるっきり始めから、このような体系を持った符呪や法術をたった一人、または数人で編み出すのは大変難しいことであり、もし創り上げるならば何代もかけて初めてできることでしょうから、人間の作為以外のものが働いたとしか思えないからです。(しかも、それで本当に多くの人々の病気が治ったということですから。(@o@))

【たとえ神がかりしなくても、フーチーと呼ばれる自動書記のような方法もありますしね。f(^_^)】

 現在、台湾のいろいろな廟で行われているシャーマン的なやり方は、恐らく古代より続く伝統的な方法であり、科学の発達した現代においても、まだ立派に機能しているところを見ると、千何百年もの昔にはその当時の常識であり、何の疑いも抱かれることは無かったと思われます。山で、その霊気に触れつつ修行していた、霊媒の素質のある弟子に神様が降りて、いろいろな経典をご託宣したかもしれないという可能性はかなり大きいでしょう。

 さて、この張天師(道陵)の正統な法脈はその血縁の人々(子供や親族または張姓の者)にのみ伝えられるそうです。ですから、現在に至るまでこの法統は六十三代も続いており、今は六十四代だそうです。(相続争いがあって複雑らしいですが。でもここまで絶えることなく続いているのは神様の保護があるからかもしれませんね。)もちろん、この法術の枝葉末節な部分は一般の弟子たちにも伝授されるみたいですが、大事なものは他のものに漏らしてはならないということです。

 後で小耳にはさんだ話ですが、なぜそのようになったかというと、実は神様のお告げでこうなったという話です。この神様は非常に張道陵を気に入り、愛していたみたいで、「この法はおまえだけに授けるものであり、おまえの子孫以外には授けてはならない。」というふうに戒めて道書を授けたらしいのです。【なんかユダヤ教の神様を彷彿とさせますが…】

 一般には、このときに降臨した神仙は太上老君、即ち老子ということになっております。本当はどんな神様かは誰も知らないのですが、張道陵とその子孫のめんどうみは良かったわけです。このように、血筋にかかる神様というのは日本の神道にもよく見られる現象です。(日本でも神様の好む家系というのがあって、この家系にのみ神懸りするらしいです。)そこで以上の事柄を総合して考えてみると、「正一教」の法術とはやはりシャーマンによってもたらされた法術ではないかと推測してしまうのです。

 さらに、その他の多くの中華道教教団もこの教団(正一教)の影響を多大に受けているようです。そして、その他の教団の開祖のカリスマも、その源となっている力は、時代の後先を問わず、やはり山篭りなどをしている時、天から降りてきた神仙に授けられた秘伝の道書によるものが多く、この正一教と大同小異のようです。

 以上の理由から中華道教はシャーマンであると思うのですが、道家思想と結びついた理由は、やはりその開祖たちが、もともと道家思想の素養を持っていたことと、教団を創り上げた後、その教義的なものが必要となった時に、神仙思想に最も適合し取り込みやすかった道家思想をとり入れたのだろうと推測できます。

  ★ その他の流派は?

 それでは「正一教」以外の道教の流派にはどんなものがあるのでしょうか。以下に紹介してみます。

 まずその修行の方法などによって五つの派に分けられます。

 1.経典派―――経典を学び、これを研鑚することにより、いろいろな疑問を解決し
            教理を極める。
 2.積善派―――仙人になる為には多くの善行を修めねばならないという思想から、
            功過格表などに照らし合わせて、悪を避け善を行う。
 3.符派―――神道を尊び、符を用いて斎や祈祷を行い、鬼を度し人を救う。
 4.占験派―――方術を修め、易の思想即ち陰陽五行、理数などを用いて占いを行い、
            凶を避け、吉に趨く。
 5.丹鼎派―――仙人になる為の金丹を成就する為に、静座や呼吸法を行う。

 というような感じになるのですが、経典派は学問、積善派は善行、占験派は占いと枝葉末節であるし、丹鼎派はどちらかというと道家思想の修行体系に近いと思われるので、道教の本家といえば符派ということになるでしょうか。そこで以下に符派を中心として見ていきたいと思います。符派は大きく分けて次のようになります。

1.龍虎山張天師派正一玄壇……龍虎正一宗
 2.茅山三茅君派上清法壇………三茅上清宗
 3.西山許旌陽派浄明法壇………西山浄明宗
 4.閤皀山葛仙翁派靈寶玄壇……閤皀靈寶宗
 5.新天師道       …………圖派(後に正一宗に合流?)

 龍虎正一宗とは正一教のことで、既に前節において触れましたので、次の三茅上清宗から説明していきます。この派は今の江蘇省句容県の東南にある茅山のあたりで起こったようです。三茅とは茅盈、茅固、茅衷の三兄弟でこの派の開祖と目されています。そしてこの三人の茅姓の兄弟が得道成仙したことにより、この茅山の地名があるようです。

 しかし、この派の根本的な開祖は魏華存と呼ばれる女性で、西晋の頃の人です。その得道の過程は、やはり張道陵と似ていて、幼少の頃から道を好み修行を重ねていましたが、親に強制されて結婚させられてしまいます。しかし、二児を設けた後、やはり修行を実践したくて、家族とはなれて修養していた時、突然神仙の降臨にあって多くの道書を授けられたのです。(女性のシャーマンは多いですよねぇ。)そこで彼女はその授けられた道書を実践して、とうとう仙人になったということです。そして、さらに少し時代が下ってからのことですが、楊羲という第二代目の人に降り、法を授けたということです。そして代代相承されて、陸修静という人に至って小成し、かの有名な陶弘景に至って大成しました。

 次に西山浄明宗ですが、この派の祖師は許遜という人で別名を許真君といいます。西暦239年ごろに東呉に生まれ、若いころから聡明で四書五経に通じ、博覧強記の人であったようです。その当時西安で有名であった呉猛という人に師事してその秘術を受け継いだということです。その後、旌陽県の県令になったらしいですが、後に官を辞して黄堂母という人について浄明五雷の法術を修得したということになっています。

 その後、また時代が下って南宋の時代に何進公という人にこの許真君が降り、法を伝授したということであるから、ここにもやはりシャーマンの匂いがします。その後、劉玉真、黄元吉そして趙宜真と相承されていきました。

 さて、次の閤皀靈寶宗ですが、この派の開祖は「抱朴子」で有名な葛洪です。この人はもと儒学者であり、大変有名でしたが、後に道教に転向しました。その系統は左慈(字は元放)という仙人が開祖といえます。この左慈という人は、「神仙伝」などに詳しい話も載っており、かなり有名な仙人であります。その彼が天柱山という山に篭り、修行している時に神から「金丹仙経」を授けられたのです。そこで、それによって金丹を創ろうとしましたが、折悪しく後漢末の大乱に遭い、呉へと逃亡しました。その呉の地で葛洪の父の従兄弟であった葛玄が弟子入りし、その葛玄の法術を鄭隠が受け継ぎ、鄭隠から葛洪へと相承したようです。しかし、この派でも山篭り、神の降臨、道書の伝授というパターンは同じですね。

 また、この葛洪の道統はもうひとつあり、それは馬鳴生―陰長生―鮑―葛洪と相承した系統です。この辺の話も「神仙伝」の【馬鳴生、陰長生】の項に詳しいので、興味のある方はそちらをご覧ください。因みに「抱朴子」や「神仙伝」は平凡社の「中国古典文学大系8」に載っています。(私が中学生の頃はこの本を貪るように読んだものです。懐かしいなぁ~。)

 圖派は、北魏の時代に寇謙之という有名な道士によって開かれた宗派です。この人も幼少の頃より仙道を好み研究を重ねていましたが、なかなかうまくいかなかったということです。ところが、ひょんなことから謫仙(天上で罪を犯して下界へ追放された仙人)と知り合い、以後その仙人から教えを受けることが出来たのでした。

 ところが、この仙人の罪が許されて天上に帰ってしまい、寇謙之は仕方なく一人で嵩山に篭って修行を続けていたのでした。そんなある日、太上老君が降り、彼に「雲中音誦新科之誡」という書物を授けて天師道の立てなおしを命じたのです。更にこの時に太上老君に随っていたその他の神仙からも服気法や導引、辟穀の方などを授けられたのでした。

 更にこの八年後に、太上老君の玄孫にあたる牧土上師が降り、彼に「圖真経」という道書を授けられたのでした。そして、この経を用いて北魏の太武帝を補佐して道教を広めるようにとの使命を与えられたのでありました。この派の名称の由来はもちろんこの「圖真経」から来ています。その後、時代が下ってこの派は天師道の中にくみ入れられてしまったようです。

■■ 迷信か? その理論 ■■

★ 日本の護符との違いは?

 それではいよいよ中国のお札(護符)と日本のお札の違いについて見ていきたいと思います。

 まず使う紙ですが、日本では和紙を用います。半紙や奉書紙ですから、色は白色が多く符を書く墨ももちろん黒色が多いようです。もちろん例外もあると思いますが。そして、千枚通し(体の不浄を除くために飲む小さな薄い護符)のように飲み込んだりするものは、かなり薄い紙を用います。その他には白磁の小皿に食紅で符を書き、それを水で溶かして服用するという方法もあります。つまりこの場合では紙は用いません。

 では中国ではどうなっているのでしょう?実は中国のお札は白い紙に書くことはあまり多くありません。(もちろん皆無ということではないですが。)多くの場合は黄色の紙に書いて、用いる墨も朱色です。この朱色の墨は朱砂といいます。今日でこそ、朱色の墨汁なんかを売ってはいますが、本来は朱砂を磨って朱の液体を作って用います。そして今でも書道の道具を売っている店で買えると思います。(ちょっと高いかも?!)この朱砂は丹砂(硫化水銀)というものから創られており、古代においてはこれを防腐剤として用いていたものであります。丹砂は、そのいろいろな物を保存する力があるところから、古代においては邪気を払う吉祥な仙薬として珍重されていました。

 ですから、中国のお札は普通の墨を用いるのではなく、吉祥な仙薬である丹砂を用いて符を書いているといえるでしょう。(以前、香港映画の「靈幻道士」ではこれに鶏の血を混ぜていました。これは恐らく五行の内の金に属する鶏の血を混ぜることによって悪霊を斬る力を増すという意味で使っていたのだと思います。)でも、この丹砂は硫化水銀という化学物質で、実は猛毒です。もし、黄色に朱で書いてある護符なら飲んだり食べたりしては駄目です。

 また黄色に朱だけではなく、赤色の紙に書くことも多いです。この場合は墨は普通の墨を用います。護符に限らず、赤地に黒い文字はとても映えるので、目出度いことが有った時など、中国の人は好んでこの方式を用いるようです。とくに過年(クオニェン)と言って旧正月の年越しの時などには、目出度い言葉を赤い紙に墨で書いて至る所に貼ってあります。因みに中国では、普段神仏にお供えするローソクなども紅いものを用います。実は白という色は中国では不吉な色(冬の雪の色だから?)というかあまり好ましい色ではないようです。だから白いローソクなどは人が死んだ時などにしか用いないみたいです。この辺は習慣の違いですね。

 さて、その護符の書き方ですが、日本ではだいたい、『手を洗い、口を漱ぎ、精神を統一して、臍下丹田に気力を充実させて一気に書き上げる、そして、何よりも重要なのは誠心誠意、まごころを込めて行うことである。』というような感じの解説が多いみたいです。どうも、まごころさえこもっていれば効験が有るという考えみたいです。

 それでは、本場中国の護符の書き方はどの様にするのでしょうか?その方法は日本のように単純なものではありません。かなりの道具立てと、練習、根気を要し、その細かな設定は結構うるさいものです。しかし、ちゃんと型どおりやればそれなりの効果は期待できるのでは?と思わせるものです。この方法と要領は次のページの「符法要領略述」のところで、解説を試みたいと思っておりますので、ここでは省略させていただきます。「符法要領略述」にご期待ください。

★ 道教で使う呪文

次に道教で使う呪文ですが、その多くは古文調で書かれており、五言や七言の詩の形式をとっているものあり、定型句のものあり、更には自由な形の文などいろいろなパターンがあるようです。恐らくこれを唱える中国人は、日本人が祝詞(ノリト)を唱えたり、和歌を読んだりするのと同じような感覚を持つのではないでしょうか。

 もちろん、現代の中国人は中国語(北京語)を用いてこれらを唱えることになりますが、台湾人などは台湾語で唱えます。広大な中国には実にいろいろな言語があります。広東語、客家語、福建語、上海語等々恐らく細かく数えたらきりがないほどでしょう。だから、当然呪文を唱える時も、広東省の人々は広東語で、上海の人は上海語で、客家の人は客家語でということになるでしょう。その他の地方でも同じことです。その土地の言葉で漢字を発音します。

 【余談ですが、この台湾語というのは俗称で正式には南語という言葉です。元々台湾に住んでいた本地人と呼ばれる人たちは福建省からの移民で、この南語というのは本来は福建省の一地方の方言であったと思われます。】

 今公用語として使われている北京語は、もともと満州付近に住んでいた人々の言葉であったと聞いております。しかし幸いなことに、これらの異なった言葉を使う民族どうしは古来より漢字という媒体を通して意志を通じることが出来ます。それはなぜかというと、〈発音は異なるけれども言葉としての文法構造はだいたい同じであったということ。〉そして、彼らは自分たちの発音で漢字を発音しますが、〈その漢字本来の意味を変えることなく、ほとんど共通の意味で用いているということ〉の二つが挙げられると思います。だから、字を見れば意味が通じるのです。字を見れば意味が通じるという意味では、日本語も中国語の一部と見ても良いかもしれません。言語としては全く異なるものではありますが。

それでは、もし日本人がこのような符呪の呪文を唱える時には、やはり中国語で発音しなければならないのでしょうか?以下に考察してみましょう。

 日本という国は、古代においては中国との交流が大変盛んでした。なぜなら、その当時において最も文明の進んでいた国は中国であり、その中国の文化をいち早く吸収する必要があったからです。そして、その為には中国語の理解は必須であり、漢字と言うメディアも必ず学ばなければならないものでした。そして、その時外来語としてとり入れた漢字の発音を《音読み》、意味を《訓読み》として現在のような日本語が出来あがっているわけです。また、その発音と意味は千何百年過ぎた今でも当時(古代)と変わっていません。

 現在我々が使用している漢字の音読みはその多くが呉音と呼ばれるものです。(その他に漢音、宋音などがあります。)恐らく古代の日本の朝廷、その他文化的なものを担っていた中枢は、三国時代(魏・呉・蜀)の呉の国と交渉を持つことが多かったからなのでしょう。そしてこの時代にとり入れられた呉音は、現代に至るまで変化することなく用いられており、既に日本語になっています。

 ちょっと話を変えます。私は以前師範大学で中国語を学んでいる時、「唐詩三百首」のクラスを受講したことがあります。その時に先生が言っておられたのですが、現代の北京語を用いて詩を朗読すると、韻がふめないからその味わいが激減する、というようなことを仰っていました。ところが、台湾語を用いて朗読するとちゃんと韻がふめるということです。これは一体どういうことでしょうか?

 それは、古代の中国人たちが用いていた言葉と北京語とは異なった言葉であり、むしろ広東語や福建語、そして客家語のほうが古語に近いからであると思われます。(因みに北京語では声調が4つですが、広東語などでは8つもあるということです。)そして、広東語や台湾語の方が古代の言葉に近い声調を持っているからなのでしょう。

 因みに日本で使われている音読みの呉音は、先にも述べましたとおり呉の国の言葉です。呉の国というのは中国大陸でも南の方に属する地方で、現在の江蘇省から福建省などを含んだ地方ですから、恐らく現在の福建語や広東語の母体となるような言葉だったのでしょう。(かなり大胆に推測していますが、なにぶん素人なのでお許しください。)実はその証拠に呉音で唐詩などを読みますと、ちゃんと韻がふめるのです。

 という事はどういう事かと言うと、我々日本人が音読みとして用いている呉音は、古代中国の発音をちゃんと残しているということです。少なくとも北京語よりは。

 以上のことから考えてみると、「符呪」の呪文をもし我々日本人が唱えるならば、呉音を用いて唱えれば少なくとも北京語で唱えるよりは、古代の言葉に近いわけですから、こちらの方が正しい発音に近いと言うわけです。ですから、辞書で呉音を調べて音読みすれば、その方が正統的であるといえるでしょう。より神様に通じるかも?!なんせ道教の神様は古代から居たんですから。

★ 印訣と歩踏斗

あとふたつ符呪に必要な要素があります。それは印(訣)と歩踏斗です。まず印について説明します。印とは密教では指を組み合わせることによってさまざまな形象、道具、人物等を象徴として顕すものですが、道教でもこれと同じようなものを使います。この道教で使う印は密教の印と比べてかなり複雑怪奇な物が多いです。

 そしてこれを道教では「訣」と呼びます。例えば、密教で使う剣印(拳を握ってから人差指と中指を伸ばして剣の形にする。)は剣訣といいますし、雷を打ち出すという印(小指から人差指までを握り、親指でその他の指の爪の部分を覆うようにする。)を雷訣と云ったりします。

 【その他に掌訣といって親指で掌や指の関節や皺(文といいます。)を抑えることによって、天地の間のあらゆる現象をコントロールしようというやり方もあるようです。たとえば左手の親指で人差指の横の所の関節を下から順に点じて北斗七星の形に気を入れるというように。これがどのような効果を発揮するのかはわかりませんが。】

 それではこの訣を用いて何を行うかというと、さまざまな用途があり、それは各訣の形象と意味によっていろいろな使われ方をします。先ほどの剣訣ならば、邪気を斬ったり払ったりすることも出来ますし、それをハンコのように使って護符に気や力を篭めたりすることも出来ます。雷訣等はもっぱら攻撃用で、陽雷とか陰雷を打ち出して悪霊を雷で撃ったりします。その他にも多種多様な印があり、その用途も結界・神様の供養・神様の招請・悪鬼を縛る・悪鬼を斬るなどと枚挙に遑がありません。

 さて、印訣の説明はこれくらいにして、次の歩踏斗に移ります。これは道教独特のもので、特殊な足取りを行うものです。その名前から想像できるように、おもに北斗七星とか星宿の形に歩を進めることによって、パワーを集めたり、姿を隠したり、神様を呼び出したり、儀式の力を強めたりするものらしいです。

 元々この歩踏斗の起こりは「禹歩」と云い、禹という古代中国の王様が治水工事を行った時、疲弊した禹がびっこをひきながら歩いたその様子が「禹歩」だとか、はたまたこの治水工事が完成した時、上天がご褒美として禹に「天に相応する歩法」を授けた、これが「禹歩」であるとか言われています。前者の説ではなにも面白いことはありませんが、後者の説ではこの「相応於天之法」は訣と呪文を配合すれば、制神・召靈・消災・離厄・拔苦の効能があるとされています。

 更に別の捉え方としては次のようなものがあります。それは、古の練達の道士は功力が深厚であり、その身のままで天に飛翔して、玉帝に様様な上奏を行ったが、後世の道士はとてもこのような道士に功力が及ばない為、道場を結界してこれを九天に擬し、この九天の空間において配列された星々を踏んで玉帝の所に至り、奏上するという象徴的行為を行って、同様の効験を得ようと言う狙いがあるということです。

それでは、具体的には歩踏斗とはどのように行われるのでしょうか?ここではその起源である「禹歩」のやり方を借りてその一端を紹介してみましょう。

 道教的な云い方でいうと、この「禹歩」とは天地造化の現象と日月の運行に法って歩を進めていくものであります。この歩き方は我々が普通考える、右足を踏み出して一歩、次に左足を踏み出してまた一歩、というような歩き方とはちょっと違います。どの様にするのかと言うと、例えば右・左・右と脚を進めたものを一歩とするのです。(左・右・左でも同じです。)そして、「一歩を一交とし、一交を三跡とします。」これはどういう事かと言うと、一交とは陰と陽が交わることであり、左右の脚を陰陽、即ち日月にみたてて、それが交差することによって、陰陽の交わりと見るのです。(陰陽が交われば当然そこになにかが生じるということなのでしょう。)このように右・左・右と足を踏み出せば、その足跡は三つ残ることになります。これが一歩三跡です。

 それでは実際に最も基本的な「禹歩」である三歩九跡というやり方で説明してみましょう。この三歩というのは前述のとおり、普段我々が言う三歩ではなく、一歩三跡を三回繰り返すということですから、九歩ということです。

 初めに両足をそろえて立ちます。これは天の交わりを象っています。そして、まず「登歩洗身呪」を唱えます。その呪文は「吾以日洗身・以月錬真・仙人輔我・日月佐形・二十八宿・與吾合并・千邪萬穢・逐水而清・急急如律令!」です。次に男なら春秋の歩を用い、女なら冬夏の歩を用います。春秋の歩とは左足から歩を進めることで、冬夏の歩とは右足から歩を進めることです。以下に記号を足の形にみたてて図示してみます。これは男性用です。女性はこの反対になります。(∽が左足、∝が右足です。)左を起点として右に進んでいきます。

(左) ∽  ∽ ∝ ∽   ∽ ∝ ∽  ∽

(右) ∝      ∝ ∽ ∝      ∝

 法としてこれを行うときには、順逆を一回として三回これを繰り返すということになっています。それにこの「登歩洗身呪」の他に「禹歩」を始める前と行った後にそれぞれ唱える呪文もあります。(ここでは省略させていただきます。)そして、この「禹歩」を行う間、しなければならない観想(いろいろな神様や眷属が前後左右に囲繞しているというような)もあるみたいです。私は師についてこれを習ったわけではないので、実際にどのように行うのかは分りません。でも、以上の説明から歩踏斗とはだいたいどのような意味を持って行われているのかご理解いただけたと思います。

 どうでしょう?本場中国の符呪のやり方はいろいろの要素を含んでかなり複雑でしょう。あと忘れてはならないのは、存想と呼ばれる観想つまりイメージを心に思い描くということです。これもかなりの修練を必要とするものです。符と呪文と訣と歩踏斗と存想、これらは道士自らが学んで身につけなければなりません。大変ですなぁ。そして、必要な道具立ても様様です。この道具立ては次のページの「符呪の道具立て」のページで解説を試みたいと思います。ご期待ください。

■■ 道士としての錢老師 ■■

★ 臨水宮のタンキーと錢道士!!

 プロフィールの所で既に述べましたが、私の占いの師である錢思吾老師は、実は「陳太后」という女神様を祭った「臨水順天宮」という廟の住職であり、そこで道士もやっています。この女神様のお話(伝記)はなかなか面白いので、その伝記は別に「順天聖母陳靖姑聖蹟」のページを設けて翻訳して、日本の皆様に披露申し上げ、功徳を積みたいと思います。

 以前私は、錢老師のお招きでその廟の法会を見学させてもらったことがありました。そして、その時に神降ろしの様子をつぶさに観察することができました。今考えてみれば非常にラッキーだったと思います。以下にその時の様子を思い出しながら、述べてみたいと思います。

 颯爽と登場した錢老師はいつもとは全然違っていました。なんと映画の「霊幻道士」の中の道士が着るような黄色の衣服を着て、やはり道士が被る冠を被り、道士の履く特殊な靴を履いていました。まさにホントの道士をやっていました。私はこの時、衣を着た坊さん姿の自分のイメージを重ね合わせ、『なるほど衣服が人に与える効果というものは結構インパクトのあるものだなぁ。』と密かに思ったのでした。

 そうこうしている内に、人々がだんだん集まり始め、いよいよ神降ろしが始まりました。そのタンキーの人は男性で、しかも60歳はとうに過ぎているように見えました。この場所に来る前までは、タンキーは寿命が短いと聞いていましたので、もっと若いタンキーを想像していた私は、少し意外な感じを持ちました。儀式が始まる前、そのタンキーは女神様が着る衣装を着て(因みにおじいさんです。(^_^;))リラックスした様子で廻りの人々と談笑したりしていました。因みにこういう時は皆台湾語で話しているので何を喋っていたのかは分りませんでした。

 さて、儀式が始まりますと彼は信者さんたちに廻りを取り囲まれながら、主宰神である女神様の神像のまん前に立たされました。その廻りの信者さんたちのある者は女神様の冠を持っていたり、ある者は払子のような物を持っています。その他の人もなにか道具を持っていたようにも思いますが、記憶が定かではありません。

 それから錢老師はおもむろに彼に近づき、ある動作を始めました。(この前後に呪文を唱えていたかどうかはっきり覚えていません。)その動作は彼(タンキー)の周りを廻りながら、右手を剣訣にして左掌に「勅令……」と符を画き、口で「ヒュッ」という音をさせながら、彼のタンキーの身体の到る所に放っていました。これは後で錢老師に聞いたのですが、タンキーの身体中の穴(ツボ)に目に見えない符を「ヒュッ」という音にのせて打ちこんでいるのだということでした。

 錢老師はかなりの回数この一連の動作を行っていましたが、もうそろそろ終わるかなと思っていた時に、そのタンキーはだんだんブルブルと震えだし、トランス状態に入っていったのでした。そしてこのブルブルが終わった時、そのタンキーにはもう既に陳太后が降りていました。そして廻りの信者たちは陳太后が降りたと知るや、すぐに持っていた冠をかぶせ、その手に払子を持たせました。

 するとそのタンキーのおじいさんは、冠をかぶされ手に払子を持たされたまま、女性のしぐさでしゃなりしゃなりと堂内を歩き回った後、もとの位置に戻りました。その間、信者たちはその後に付き従っていました。元の位置に戻ってから女性の口調でなにかご託宣を言っていましたが、多分台湾語だったでしょうし、私はその時離れて見てましたので何を言っているのかよく解りませんでした。でも、廻りの信者の皆さんは大変敬虔な態度でこの陳太后の降りたタンキーに接していました。(因みに、おじいさんが野太い声で女性の口調をまねて喋っているようにしか聞こえませんでした。部外者の私には。^_^;)

ご託宣が終わると信者の代表のような人から順々にいろいろの事を尋ねているようでした。多分仕事のこととか、家庭のこと、入学試験のこと、悩み事や病気のこと等々なのでしょう。そして、女神様はこの信者たちの問いに一々答えてやっていたようです。

 で、しばらくして信者たちの質問が終わると、今度は来年はどんな事が起こるとかいろいろな予言を詩の形で御託宣した後、女神様は天へ帰って行かれたのでした。するとタンキーは崩れ落ちるように倒れました。もちろん廻りの信者たちは慣れたもので、ちゃんとこのことを予測しており、タンキーが気を失って倒れる前に両脇から体を支えていました。この後かなり消耗したように見えたタンキーは別室へと姿を消していきました。

 以上が私が臨水宮で参観した、錢老師が導師を勤めた神降ろしの様子です。この廟は道教の廟としては小さい方であり、もっと大きな廟になると何人ものタンキーがトランス状態になり、いろいろのパフォーマンスを繰り広げるようです。それに比べてみると、ここはあまり派手ではなく、私はこの廟はこじんまりしているのだなぁという感じを持ったのでした。

■■ 黒白舎人の術 ■■

★ 黒白舎人の術とは?

 さて、これは余談ですが、この廟(臨水順天宮)には独特の面白い法術?があります。それは「黒白舎人」にお願いして、危難から救ってもらったり、困った出来事などを解決してもらったりするという法です。錢老師などはちょくちょくこの法を行って助けてもらっていると仰っていました。。

 どのような時にこの法を使うのかというと、例えば見知らぬ土地などへ行って道に迷った時に正しい道を知りたい時とか、商店街の福引なんかの抽選の時に、より良いもの(各人の福徳によるので、分相応の物よりちょっとだけいい物)を当ててもらいたい時とか、セールスなどで誰かに会う時に、気持ち良く会談できるようにしてもらいたい時など様々に使うことが出来ます。更に危急の際などに助けを依頼することも出来ます。しかし、多くの場合は日常のちょっとしたかわいらしいお願い事を叶えてほしい時などに便利な法です。

 錢老師に言わせると、この法はとても便利な法であり「奇門遁甲」などを使うよりも、もっと効果がはっきりしているとのことです。実は錢老師は奇門遁甲についてとても造詣が深く、かなり専門的に深く研究している人なのですが、その現れる効果という点について比べてみると、錢老師自身で試してみて、日常茶飯事のこまごまとした願い事の実現に限れば「黒白舎人」の法の方が優れていると言っていました。

 【奇門遁甲:奇門遁甲については「占術のページ」で項を設けて紹介しようと思っておりますので、ここでは簡単に触れるだけにしておきます。奇門遁甲というのは元々軍学であり、簡単に言ってしまうと、戦いの時にどの方向からどの時間に相手を攻めれば勝ちを得る事が出来るかを判断する為の占術です。現代においては試験や買い物、セールスとか旅行などをうまく運ぶ為に使ったりします。一応占いの部類に入っているのですが、本格的には呪文や訣や歩踏斗を行ったり、それを行うにあたっては怒りの感情はもっての外で、常に平静を保っていなければならないとか、法術的な要素を多分に含んでいます。(この法術の本来の目的は敵に見つからないように姿を隠すことです。)】

★ 黒白舎人の正体!!

では、この黒白舎人とは一体何者なのでしょう?簡単に一口で言ってしまうと、この臨水宮の女神(陳太后)の息子である、劉太子という方の眷属(家来)で、二人の子供の兄弟(小孩神つまり子供の神様と言っても良いです。)です。黒舎人が兄で、白舎人が弟です。

 実は錢老師によると、この陳太后という女神様は元々安産や子守りの神様で、小さな子供たちを育み助けるという誓願を持った女神様なのですが、霊界で迷っている無縁の子供の霊を救う、孤児院のような場所を世界中に置いているということです。そして、その孤児院を管理統括しているのが劉太子であり、実務に当っているのが黒白舎人なのだそうです。そして、黒白舎人の活動は世界中に及び、世界の至るとことにこの霊界の孤児院があるということです。

 この霊界の孤児院に属している無数の無縁の子供たち(小孩)の霊には役目があります。それがこの「黒白舎人の法」の源となっています。それは人々(善人に限ります。)の危難を救うということです。だから、黒白舎人を念じて助けを求めれば、黒白舎人の指令を受けた無数の霊界の孤児たちの霊がその救助や願い事を叶える為に奔走するわけです。

 では、具体的にはこの「黒白舎人」の法はどのようにして行うかというと、そのやり方はとても簡単です。なにか困った出来事に遭ったり、助けがほしい時に心の中で、『黒白舎人、黒白舎人、今~~の問題で困っています。どうぞちょっと手助けをお願いします。』というふうにお願いするだけで良いのです。それだけで充分効果があるようです。そして、お願い事を叶えてもらったら、必ず後で線香を供えて、お菓子や飴玉など子供の喜びそうなお供え物をあげます。別にその黒白舎人専用の壇などは設けなくても良いですが、清浄な場所にお供えをして、線香やローソクを上げて感謝を表せば良いのです。この法において最後のお供え物をするというのは重要なポイントのようです。(なんか拝好兄弟の法に似てますなぁ。f(^_^)供え物が後か先の違いだけのようにも思えますが。)

 私も一度だけ試してみたことがあります。それは、ある時何かの福引の抽選会があった時のことです。丁度その時、錢老師からこの法を教わったばかりであった私は、これは良い機会だと思い、心中密かに黒白舎人に『私は籤運が悪いので、何でも良いからちょっと当ててください。』とお願いしたのでした。すると、私は本来クジ運や博才は全くと言って良いほど無い方なので、福引などはだいたいいつもスカを引いているのに、その時はなんと5等か6等が当ったように思います。(これを効果があったと見るか偶然と見るか、皆さんのご判断に任せましょう。もちろん、私は後でちゃんとお供え物を上げておきました。)

 因みにクジ運などはその人の持って生まれた福徳(または運気)がおおいに関係しますので、普段の自分が持っているクジ運よりちょっと良いぐらい、つまり、(もし一等から5等まであるとしたら)普段はスカしか当らないような人なら四等か5等ぐらいが当る可能性が強いです。もちろん普段よく三等とか二等が当る人なら、2等もしくは一等が当る可能性があります。いつもクジ運が良く一等がちょくちょく当る人なら確実?でしょう。(o^_^o)

 だから例えば、普通の人がこの方法を使って、「しめたぞ!黒白舎人に頼んで宝くじで一億円を当ててもらってはどうかな?」などと考えても、元々それに値するような福徳が無いと土台無理な話ですから、あきらめましょう。これは黒白舎人に限らず、それが正しい法に属する神様なら、どのような神明にお願いする時でも、その人の本来持っている福徳と比べてみて、分不相応なお願いは聞いてもらえるはずがないのです。

 【因みに道教的に言うと、前世で多くの人の命を救ったり、たくさんの人々を養ったり、一生を通じて多くの人に布施したりして、感謝されるような行為の蓄積が福徳になるということです。今生で頑張って来世は良い暮らしをしましょう。(p^-^)pq(^-^q)】

 でも、この法はなんと言っても臨水宮独特の法ですから、条件的にはやはりこの陳太后という女神様への信仰を持っていることが望ましいでしょう。そして、正法に属するものですから、普段の行いや心がけの悪い人には向かないと思います。

このページでは一般的に符呪を練習したり、実習したりする時に必要と思われる道具類を説明してみたいと思います。その中には日本ではなかなか手に入らないものもあると思います。しかし、中国大陸ではどうか知りませんが、台湾には確実に売っておりますので、どうしても全部揃えて実習してみたい方は、この方面へ旅行に行く人などに頼んで、買ってきてもらうというのもひとつの手でしょう。ご参考までにどこで売っているか記しておきますので。

 ☆ 香炉 …… これは日本でも売っています。仏具屋さんなどで手に入ります。
           中に盛る為の香灰もちゃんと貰っておきましょう。

 ☆ 線香 …… 日本の線香のちょっと良いものを使いたいですね。因みに台湾で
           使う線香は竹ひごの軸の上に線香がつけてありますので、無駄が
           無いです。台湾で買うなら、ちょっと街を歩くと線香やお香そして
           仏具などを売っている店がすぐに見つかると思います。

 ☆ 紙  …… 用いる紙は黄、紅、白などです。日本で買うなら色紙で代用しても
           良いと思います。残念ながら台湾でどこで売っているか知りません。
           多分文房具店に行けば買えるのではないかと思います。

 ☆ 筆  …… これは符呪専用に新しい小筆を何本か買っておきます。練習用に
           何本か安い筆を本番用に二~三本良い筆を買っておくと良いでしょう。

 ☆ 砂 …… 日本の文房具店で買えると思います。小さな墨のような形態をしてお
           りますが、磨ると朱色になります。書道の先生が添削用に用いたりする
           ものです。しかし、この墨液は化学合成されたものかも知れませんので
            固形の物を買ったほうが良いでしょう。なお、台湾なら漢方薬店で砂
           といえば置いてあるそうです。

 ☆ 墨  …… 墨汁を買ってもいいですが、出来たら墨を買って磨りましょう。これも符呪
           専用に用意します。

 ☆ 硯  …… これも符呪専用のものを新しく買います。

 ☆ レンガ … 符を画く練習用に用います。

【 墨汁を使わないで、ただの水を用いて符を画く練習をします。練習用の筆もやはり新しいものを用意した方が良いでしょう。そして、その筆やレンガはいつもは清浄な場所に保管しておかなければなりません。何年もこれを用いて練習していると、このレンガには霊気が篭ってきますので、鎮宅の効果を持つようになるということです。(昔はこのようにして練習をしていたらしいのですが、日本では現在、水で書道の練習をする特殊な用紙もあるみたいですから、そういう便利な物を用いても良いと思います。レンガだと筆がすぐにちびてしまうからです。
文明の利器を上手に利用しましょう!) 】

☆ 魯班尺 … 台湾の文房具店などで売っています。日本で大工さんが使うようなメジャーに
(門公尺)尺寸の他、財・病・離・義・官・劫・害・吉などの字が記されているもので、吉祥な寸法で符を画く紙を測って大きさを決めます。(因みに魯班とは大工の神様です。)

 ☆ 冥錢 …… これは神様に供養したり、鬼(日本でいう幽霊のこと)に供養する為に燃やす冥界のお金のことです。これには位の高い神様用、位の低い神様用、そして一般の霊用といろいろな種類があります。神様用は金紙、鬼用は銀紙といいます。符を画いた後、勅符という行為を行った後に神様に感謝を表す為に燃やすものですから一般には 「大壽金」 「壽金」 「刈金」等というものが用いられます。
           
 台湾の雑貨店(日本なら田舎で良く見かける、食料品や日用品や雑貨などを売っている小さな店)お香の店等においてあります。無縁の霊の供養に用いるなら銀紙です。やはり、上記の店などで売っています。

因みに銀紙を用いて霊を供養する場合には丁度半分になるぐらいの所に折り目をつけてから燃やします。折り目のついていない、まっさらの銀紙は燃やしても霊界で使えないということです。

 以上が符呪を練習したり、実習したりする時に必要であろうと思われるもののリストです。もちろんこれらに加えて、水を入れる器や机や椅子なども必要であるのは当然です。(神様〔もちろん道教の〕を祭る壇があればそれに越した事はないのですが、なくても観想さえしっかり出来れば大丈夫らしいです。)

 更にこれは余談ですが、練習をする時にはちょっと大きめの紙に「我現在練習中、請不要降臨」などと書いた紙を、頭上ぐらいの高さに外に向けて、四方に張っておかなければならないそうです。そうすると偵察にきた神様の眷属が了解して神様に降臨する必要はないと報告するということです。

1.符を書くのに良い時間とは?

さて、いよいよ符の書き方について解説していきたいと思います。まず符を書くのはいつでも良いのでしょうか?いいえ、これにはちゃんと禁忌がありますし、一日の内で最も良い時間というのもちゃんとあります。

 まず一年で四日、霊符を書いてはいけない日があります。それは以下の四日間(全て旧暦)です。
 
    三月九日    六月二日   九月六日   十二月二日

 以上の四日間ですが、なぜなのかは良く分りませんがどの符呪の本にもこの四日間は禁止しています。あと、その日の十二支がその月の十二支より刑や破の関係になる日は使えないと言う事です。(これは占いに属することなので占術のページの方でまた解説します。)その他の日は大丈夫だということです。

 次に符を書くのに適した時間ですが、符を書く為には霊気をもっとも重んじますので、子の刻(午後11時から午前一時までの二時間)が最も良いということです。その理由は子の刻というのは前日の陰気と後日の陽気との交接の時間であり、更に言うならば天地の霊気が交わり新しい日が生じる時間であるから、というのがその理由です。また、亥の刻、午の刻、卯の刻、酉の刻などでも良いそうです。