面白かった。異世界転生(あるいは異世界召喚)というよりはループものとして処理したので異世界パート(後半のループが終わって白鯨戦~魔女教戦~ラスト)は特に興味もなくほとんど面白いと思わなかったが、ループものとしてはかなり高評価だった。

そもそも俺は生死について相当興味があるようで、物語ではそこにフォーカスしがち。ループものは概して(ここでいうループものとは『まどマギ』『シュタゲ』『オールユーニードイズキル』『バタフライエフェクト』あたりを指す。これしか見てないので。)、死の価値を低下させやすい。死の価値とは、物語における登場人物の死の重要度であり、主人公にとっての他のキャラの死の重要度である。まどマギやシュタゲでは、ほむらや岡部はヒロインの死を避けようと尽力するという意味で死が重要であるようにも見えるが、彼らループ者はループによってその死をなかったことにでき、本来非ループ者にとって事実として訪れる死を可能的な死に変換することができるため、1ループ上でのキャラの死の重要度は低下するし、物語における(≒視聴者目線での)死の重要度も低下する(またループすればええやんって思うよね)。こうした死の価値の低下はどうも個人的に面白いと感じるものではなく、ゆえにループものは今までそこまで好きではなかった。

だがリゼロはこの死の価値の低下という問題に対して割としっかり向き合っていたように感じた。1話でスバルは突然面倒に巻き込まれ、大変な痛みを伴う死を体験する。その時もそれ以降のループでも、スバルにとって死というのは耐え難い痛みを伴う避けるべきものであり、それは死の直前に多く口にする「死にたくない」というセリフでも表現されている。死というものの苦しさ、辛さを表現することが1度のループにおける死の価値を引き上げ、またそのループそのものの価値も高めている。
ループものでよくあるのは「トライアンドエラー」「人海戦術」だが、スバルがそれを行わない理由もそこにある。スバルにとって死は耐え難い苦痛であるため、死んで次に行こうといった行動はできない(一度だけ自殺があるが)。基本的に次のループのことを考えず、今回が最後のループであるかのように努力する。結果的に死に戻りした時には前回得た情報を用いるが、最初から次回に持ち越す情報を得る前提で行動することはなく、今回はAを選択して次回はBを選択しようみたいな計画性はない。
また死の価値の問題は他のキャラにも適用される。スバルは最初の王都での何度かのループにおいて初回に助けられたことを理由にして関わりのなかった回でもエミリアを助けようとするし、最後のループ期間においてレム、ラム、エミリアの死を毎度毎度嘆き苦しみ次の周回で回想したりする。スバルは他の人の死を自分の死と同じような重みで受け止め、次回以降のループで、ループ者としての、超越者としての責任を取ろうとしているわけだ。
総じて、こうした生き死にに関わる展開の迫真さをループものに落とし込んで描けたということとその誠実な姿勢が個人的な一番の評価点である。「死に戻りを口外できない」設定もこれを助長していて、スバルが死に戻りによって世界を「世界線」として相対化できる一方で非ループ者にとって世界は1つしかないものである。死に戻りを口外してしまえばメタ視点が共有され、スバルの行動に説得力が生まれてしまうとともに死の価値は低下してしまう。毎回のループで各キャラが真剣に行動できるのは生が一度きりだからであり、ループ者はそれを邪魔してはならない。

しかしここで問題になるのが情報の非対称性である。ループ者が口外できない場合、ループ者は起こり得る事象を一度経験し把握しているが非ループ者にとってそれは未来のことであり未経験事項であるため、ループ者が非ループ者から信用されなくなるという事態が生じる。白鯨戦前の王都でスバルが空回りしていたが、それはスバルの性格・性質ゆえではなくループ者と非ループ者の情報の非対称性に原因がある。よってここで「口外できない」設定を守りつついかにこの問題を解決するかが重要だったのだが、18話においてレムが愛をもって全てを無制限に信用するという解決法が提示されたのは非常に残念だった。そもそも信用の理由に正当性があるとも言い難いのだが、ループ設定によって起こった問題をループの関係ないものによって解決するというのがあり得ないと思っている。
18話のスバルの発言で自分の空回りが自身の性格・性質によるものであると解釈できる説明があったことからも今後の展開をループものとしてではなく異世界転生ものとして処理しようという意図が見てとれたし、なんとも微妙な終わり方に感じてしまった。

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(俺はエミリアが一番好き)

ちなみに、ペテルギウスはスバルとパラレルの存在で、終わり方が対称的なのは少し良かった。ペテルギウスは他人に乗り移ることによって死を回避しているという意味でループ者と似たような立場にある。不死者にとって死は存在せず無意味であるためコインの裏表である生も同様に無意味・無価値になる恐れがあり、何かしらの生きる意味、つまり信仰対象が必要になってくる。ペテルギウスにとってはそれが魔女でありスバルにとってはエミリアになる。なのでペテルギウスが最期に魔女に拒否される一方でスバルがエミリアに受け入れられるというのはちょっとした対比関係だったわけだ。ただこの場合魔女とエミリアが信仰対象として同格になるのだが、普通のラブコメ的恋愛感情しか持ってなさそうなエミリアがスバルの告白を受け入れるには少々理由が足りない気がするな~と思っている。