『鬼滅の刃 片羽の蝶』/amazonより引用

明治・大正・昭和

『鬼滅の刃』が少年漫画を変えた!善逸・沼鬼・伊之助らで変えたのだ

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    善逸よ、その“軟派”ぶりは恥そのものである!

    『鬼滅の刃』はジェンダー観においても秀逸である――。

    そう指摘すると、即座に否定材料にされる人物像は想像がつきます。

    筆頭が善逸です。

    善逸は、性的な妄想に悶々としているうえに隠さない、大正時代でも現代でも、極めてダメな少年です。

    現代ならば「典型的な女好きのヘタレだな」で終わりますが、大正時代は本当にダメでクズな「軟派」扱いをされていたことは想像がつきます。

    男はいつの時代だって、女にデレデレしちゃう、それが本能! それは思いこみであり、時代によって異なります。大正時代はどうであったかと言いますと……。

    ◆童貞崇拝の時代

    日本は、男女ともに性的な経験でマイナスがつくことは、他の文化圏と比較すると無いとされてはいます。

    女性よりも男性において、その傾向が強いものです。

    その例外的な短期間が、明治維新後にプロテスタントの影響を受けた、ごく短い時代でした。

    そうした道徳心だけではなく、梅毒予防という側面もあります。

    遊ぶなとは言わない。けれども、遊ぶにしても慎重にして、大っぴらにしない。そういう嗜みは一応ある。

    そんな時代で、女性に対して無闇にデレデレする善逸は、周囲からどうしようもない奴だと思われるのです。

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    ◆軟派は恥だ!

    「ナンパ」という単語があります。これも、かつてとは異なる意味で使われるようになった典型例です。

    現在は、公共の場で面識のない相手に対して、遊びに誘う行動を指しますよね。

    元は明治時代以降にできた新しい単語で「軟派」と書きました。変遷が激しいもので、男色趣味(=硬派)に対する異性愛を指した時代もあります。「軟弱な女を愛する派」という意味です。

    男色が下火になっていくと「硬派」から男色の意味は消え、軟派はさらにチャラチャラしたものとなっていきます。

    ポルノを愛好するとか。派手な服を着るとか。酒を飲んで遊び呆けるとか。その時代らしい軽薄な遊びをする者を「軟派」と称したのです。

    そんな軟派が遊び相手を見つける行為に、その名前が残った構図です。

    大正時代の日本人男性が、性的に真面目であったとは思えません。けれども、名目や建前では「軟派」は軽蔑の対象でした。

    ロールモデルとして、吉川英治『宮本武蔵』の主人公がおります。

    大正生まれの日本人が愛読した、昭和10年(1935年)連載開始のベストセラー。この物語では、武蔵は思いを寄せるお通という女性を思うけれども、結ばれることはなく拒み続けます。

    お通はなんでくっつくわけでもうろついているのか?

    そもそも当時の治安からして、女性の旅は当時無理があると思います。

    これも当時のロールモデルとしての役割があります。

    「お通みたいな女性ですら拒んでこそ、武蔵になれるんだなぁ……」

    そう青少年を教え導く空気が、日本にはありました。

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    大正生まれ青年の日記を読みますと、女性への憎悪をせつせつと語り出す日があります。

    これはただの女嫌いでもない。

    「嗚呼、日本男児でありながら、道ゆく女に見惚れるなんて。こんなにくだらないことで悩む自分が情けない、恥ずかしい。女が魅力的なのが悪いんだ!!」

    そういう悩みを持って、延々と、グルグル回っているような悲惨さがある。

    試しに、当時を生きていた青少年の日記や手記でも読んでみると良いでしょう。

    自分の中にある、女が好き、かわいい女の子となかよくしたいという欲望を、全力否定せねばならないのです。

    そういう時代に、善逸がどれほど軽蔑されることか!

    現代人が思うよりも、厳しい目線があったことでしょう。

    「こいつは駄目だ、人として、恥辱の極みだ……」

    そう憐まれていたことを、想像してみてください。

    「少年漫画からエロがなくなるなんておかしいよな〜。嫌な世の中になっちまったな〜」

    そんな意見はよくあるものですが、それだって『鬼滅の刃』の大正時代よりはマシなんですね。

    善逸は問題がある性格です。

    こんな問題児をレギュラーにしておく、鬼滅隊士にする時点でありえないという感想も時折見かけます。

    そういう落ちこぼれてしまいそうな彼をすくいあげることが、本作の個性です。

    そういうこともあり、善逸の女好きは微笑ましいわけではなく、ひたすら無能でどうしようもないように突き放されています。ここが重要です。

    よく勘違いされますが、【ジェンダー観】とはセクハラ描写を入れないことではありません。セクハラがどれだけバカバカしく、非効率的で、愚かで、くだらないか。加害者が社会的制裁を受けるか。そこまで描けば、むしろ批判や問題提起となります。

    ポイントをまとめてみましょう。

    ・被害者が強く拒否しているか? “No means no.”(=イヤなものはイヤ!)とされているか?

    セクハラ被害者には、賢い断り方のような、わけのわからない規範がまとわりつきます。

    「やだぁ〜もぉ〜」

    「やめてよぉ〜」

    まんざらでもない。顔を赤らめている。性的魅力があると証明されたと喜ぶ。そういう明確ではない拒否、加害者ファンタジーに寄り添ったものはいけません。

    善逸のみならず、本作は人物の問題行為が即座に否定される傾向があります。ダメなものはダメだとわかるという意味で、とても良心的なのです。

    ・被害者がトーンポリシングされない

    トーンポリシングとは?

    「なんだその言い方は! 断るにせよ、やり方ってもんがあるだろ、もっとお願いしろ!」

    こういうことです。

    女性に対して行われることが多く、たとえ「イヤだ」と拒否するにしても、ソフトにすべきだ!として、セクハラそのものの問題ではなく、話し方の問題へと論点をずらすこと。

    善逸に迫られた側は、結構きつく、断固たる口調で断ります。

    若い読者は、そんな断ることでもいちいち柔らかくしなければいけない時代もあったのかと、ショックを受けるかもしれません。

    それこそが、世の中の進歩です。

    善逸のセクハラは不愉快ですし、それで読まなくなったとすれば、仕方のないことだとは思います。

    けれども、野放しにしているのではなく、考えた上での描写ではあります。

    厳しすぎても窮屈だけど、ゆるすぎても周囲が困る。そういう欲求の出し方を考えさせる、善逸の描写です。

     

    16歳少女という”トロフィー“は、沼鬼を救えない

    善逸は女好きとされていますが、読んでいくとそう単純なものではないとわかってきます。

    捨て子であったこと。愛情が不足していること。理解者が少ないこと。

    自分を認めてもらいたい。受け止めてもらいたい。自分を認めてくれる誰かに執着する。

    そんな愛情や理解者の欠如があります。

    善逸は男性である正一にも、強烈な執着を見せていましたね。

    なぜ、そうなのか?

    自己評価の低さや、不安感の解消を、「女性さえいればなんとかなる!」と誤解していると思えるのです。こういう心理的な飢餓感を女性で埋めようとして、埋められずに破滅する人もいます。

    そんな人物の成れの果てと推察できる存在が……沼鬼でしょう。

    沼鬼は、女が一番美味である時期は、十六であるという持論を展開しました。

    現代人ですと、こうなるところです。

    「なんだこいつ、キモいロリコンだな」

    実はこの“16”には、伝統的な意味がありそうです。

    女性は16歳が色づきはじめるものとされていました。

    民法でも結婚可能年齢とされたもの(2022年18歳に改正予定)。女体が成熟し、まさに食べごろになるのが十六だという伝統的な意識が、古来よりあったのです。

    沼鬼は、そういう解禁された女を真っ先に食べることを喜びとする、下劣な心理が鬼になってからも発揮されているのでしょう。

    江戸っ子が初鰹を待ち望むような心理ですね。

    初鰹はじめ、初ものは味が決して良いわけでもないということは、指摘されています。ただ、レアもの、周囲に自慢できてステータスシンボルになるから、無茶をしてでも買って食べる。

    そんな見栄っ張りが「女房を質に入れても初鰹」なんてバカげた言葉を生み出してもいます。

    初鰹が必ずしも美味しくないように、女が16歳で最高の状態になり、それ以降は駄目になっていくなんて、検証のしようはありません。17歳になったからダメになるって? んなアホな……個人差だって当然あるでしょう。

    それなのに、沼鬼のようなステータスシンボルを求めるものは、“16“というレアパラメータだけを自慢するために、犠牲者を手にかける。

    相手がどんな存在であろうとどうでもいい。中身なんて気にしていない。まさしく下劣そのものであり、鬼であろうと同情を見せる炭治郎すら、あっさりトドメを刺しています。

    この沼鬼は、嫌なリアリティもある存在です。

    だって現実にいますでしょう。JKだの、JCだの、属性で価値を決め、被害者の画像や奪った装飾品を自慢する。一人を捕まえても、別の誰かが同じことをする。あるいは、ひっそりとどこかに姿を消す。

    そういう事件が現実に起きているわけです。

    そんなことをしても心の穴は埋まらない。憐まれることもなく、救われない。スマートフォンに何人美少女がいて、放置すらば育っていくところで、現実は何も変わらない。

    心の穴を埋めるものは、自分自身で見出すしかない――本作はそう教えてくれていると思えます。

    救われないどころか、現実にステータスシンボルとして未成年に手を出した結果、多大な損失を被ることを、他ならぬ『ジャンプ』読者こそ思い知る事件があったわけです。

    そんな沼鬼のような価値観はいりません。大人ならば女性を守る漫画でも読んでみましょうか。

    漫画『Y十M~柳生忍法帖~』で「十兵衛流#HeForShe」を学ぼうぞ!

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