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ごごナマ「笠井信輔」がんで4か月半入院。医師から「完全寛解」と言われて現場復帰するまでの闘病生活をブログ…
2020/09/17 15:59

出典:『ごごナマ「笠井信輔」がんで4か月半入院。医師から「完全寛解」』の番組情報(EPGから引用)


2020/09/17(木) 13:00:00 ~ 2020/09/17(木) 13:55:00
ごごナマ「笠井信輔」[字]

ゲストはフリーアナウンサーの笠井信輔さん。がんで4か月半入院。医師から「完全寛解」と言われて現場復帰するまでの闘病生活をブログで告白。自分で伝えた言葉とは?

番組内容
ゲストはフリーアナウンサーの笠井信輔さん。民放のアナウンサーからフリーになった直後にがんで4か月半入院。医師から「完全寛解」と言われて現場復帰するまでの闘病生活をブログで告白。自分の言葉で伝えたかったことは?▽生放送での失言でスポンサーが降板!?スタジオであるものを食べて視聴者から抗議が殺到!?局アナ時代の「ウワサの真相」▽現場が命のリポーター時代の決死の取材。震災取材で学んだ事とは?
出演者
【MC】船越英一郎,美保純,小松宏司,【ゲスト】笠井信輔,【出演】ヒデ


『ごごナマ「笠井信輔」がんで4か月半入院。医師から「完全寛解」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)
画像
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  15. 今日
  16. ニュース
  17. 家族
  18. 取材
  19. スタジオ
  20. 悪性リンパ腫

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『ごごナマ「笠井信輔」がんで4か月半入院。医師から「完全寛解」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

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笠井≫「エール」
今日もいいお話でした。

ここからは「ごごナマ」です。

今日のゲストは
去年フジテレビを退社しまして

現在フリーアナウンサーとして
活動している

私、笠井信輔です。
そしてMCは

いつもおなじみの
こちらのお三方です。

船越≫いつもなら私が
ご紹介させていただくんですが

今日は笠井さんに
オープニングをお願いしてます。

このあともよろしくお願いします。
小松≫残り時間はニュースまで

あと30秒です。
お願いします。

笠井≫小松さん
ありがとうございます。

私、初めてテレビに出ましたのは
何を隠そう

小学4年生のとき
NHKでございました。

40年以上たって、また
ここで出演することができて

うれしく思っております。
いつもは聞く立場として33年間

ではお伝えします。

日銀は、きょうまで金融政策を
決める会合を開き

今の大規模な金融緩和策の維持と

新型コロナウイルスの影響を
受けた企業への資金繰り支援策の

継続を決めました。

景気の現状については

経済活動が徐々に再開している
ことを踏まえ

極めて厳しい状態にあるから

引き続き厳しい状態にあるが
持ち直しつつあるに改めました。

日銀は、きょうまでの2日間、

金融政策決定会合を開き

長期金利が0%程度

で推移するよう

国債を上限なく買い入れて市場に

潤沢な資金を供給し

短期金利はマイナスにする
今の大規模な金融緩和策の維持を

賛成多数で決めました。
また、

新型コロナウイルスの影響を
受けた企業向けの融資を金融機関

が増やすよう
130兆円規模の資金繰り支援策

についても継続することを
決めました。

景気の現状については、
経済活動が徐々に再開している

ことを踏まえ
これまでの極めて厳しい状態に

あるから
引き続き厳しい状態にあるが

持ち直しつつあるに改めました。
そのうえで

当面、新型コロナウイルスの影響
を注視し

必要があれば、ちゅうちょなく
追加の金融緩和に

踏み切るとしています。
気象庁のホームページに

掲載されていた広告の中に
法律に違反するおそれがあるなど

不適切なものが含まれていると
して

きのう急きょ掲載が停止された
問題で

国土交通省の労働組合が会見を
開き、

今回の問題を機に広告の掲載を
取りやめるべきだと訴えました。

気象庁はホームページの運営費の
一部を賄うため

国の省庁としては異例の
取り組みとして

ホームページ上に民間の広告の
掲載を始めましたが

法律に違反するおそれがあるなど
およそ100の不適切な広告が

確認され
開始から僅か一日で掲載を

停止しました。
これを受けて気象庁の職員などで

作る
国土交通労働組合は

きょう会見を開きました。

このように述べ、

今後、気象庁に直接申し入れを
行うなど対応を検討する方針を

示しました。

また、
ホームページの運営費用に

民間企業などからの広告収入を

充てることについては
重要な防災情報を提供するうえで

財政基盤を民間に頼ることは

国の責任放棄であり、
必要な予算は国の予算で確保する

よう努めるべきだと訴えています。

新型コロナウイルスのワクチンに
ついて

アメリカのCDC・
疾病対策センターのトップは

多くの人が接種できるのは

来年の第2四半期後半から

第3四半期になるという見通しを

示しました。

一方、この直後トランプ大統領は
発言は不正確だ。

年末までに1億回分を供給できる
と述べ、

見通しが大きく食い違っていると
して議論を呼んでいます。

EUのフォンデアライエン委員長
は16日のヨーロッパ議会で

去年の就任以来初めてとなる

施政方針演説を行い、
地球温暖化について

新型コロナウイルスによる
ロックダウンの影響で

世界の活動は停滞しているが
気温は上がり続けていると

危機感を示しました。
そのうえで

2030年にEU域内で
排出される温室効果ガスの量を

1990年と比べて少なくとも
55%削減することを提案し

地球温暖化対策で主導的な役割を
果たす姿勢を改めて示しました。

船越≫改めまして

「ごごナマ」でございます。

本日のゲストは
フリーアナウンサーの

笠井信輔さんです。
ようこそおいでくださいました。

笠井≫ありがとうございます。
本当うれしいです。

船越≫こちらこそ
ありがとうございます。

本当に長い間
フジテレビの

看板アナウンサーとして
大活躍を

されておりましたけれども
改めてNHKの番組に

お出になるというのは
どういう心境なんでしょう。

笠井≫やっと帰ってきたなと。

46年前に
小学校4年生のときに

秋祭りだよ全員集合という
生放送の番組があって

私は「桃太郎」のコスプレをして

サルになって、それで

祭りに出たという。
子ども会の代表として出たんです。

小松≫笠井さんが
出演されてるのをお母様が

撮ってくださったんですね。

笠井≫テレビがない時代なので
出てたわよ!あなた!

みたいな感じで。
私本当にうまく

しゃべっていたみたいで。
船越≫この体験がもしかしたら

アナウンサーを目指す
きっかけになったとか?

笠井≫そこまではいかないのは
生放送で、ビデオありませんから

自分がテレビに出ている感覚が
ゼロなんです。

スタジオにいただけでして。

小学校時代に地元の子ども祭りで
1日司会をしたんです。

立候補して。

それが大ウケしまして
それでハマってしまって

中学校は英語劇の
クラブに通っていたんですが

そこでも出演しながら司会をして。
高校時代は文化祭で

クラスの出し物で
当時のクイズ番組のコピーを

そのまま、イベントにして。
私、司会したんです。

もうそれはそれは教室に人が
入らないくらい

人が集まってきて。

自分はもしかしたら人より
話すのがうまいのかなって。

そのときやったのが
ゲームほんとにほんと。

小松さん、ご存じ?

それの完全コピーをやって
その司会をやって。

そういうところから
しゃべるってことが

仕事になったらすてきだなって。
船越≫原点のNHKに今日は

戻ってこられた
ということかもしれないですね。

笠井≫本当に親孝行。

今、母
また写真を撮っているかも。

船越≫それで「ごごナマ」を

選んでくださって本当に
ありがとうございます。

笠井≫選んでいただいたのは
こちらのほうです。

小松≫笠井さんへのメッセージは
こちらまでどうぞ。

1987年に
フジテレビに入社されて

去年までのおよそ32年間

「とくダネ!」など
主に生放送の情報番組を

担当されました。

入社されたときは
どんなアナウンサーを

目指していたんですか。
笠井≫この話していいのか

分からないですけど
私、うそついて

フジテレビに入ったんです。

学生時代、ワイドショーと
スポーツ紙と

週刊誌が大好きな大学生で。

OB訪問の就職活動のときに
そのことを話したら

ワイドショーなんて

低俗なものを目指していたら
絶対アナウンサーになれないと。

だから、うそでもいいから
報道・スポーツ志望と

言いなさいとなって。
学生なので

そのまま、就職試験受けてて
しゃべっていたんです。

報道、スポーツって。
日本テレビ落ちて

テレビ朝日落ちて

フジテレビに拾ってもらって
フジテレビはそれこそ

信じてくれたんですが
そのままいくと思います?

入社して。
早々にトラブルが起きて。

私が入社して1週間ぐらいで
研修始まった直後に

生放送の番組に出て
新人アナウンサーの

夢を語りなさいって言われて
リハーサルもなく…。

この番組と一緒ですよ。

リハーサルもなくバンと
ワイドショーの司会を

やりたいですとしゃべったら
これが大問題になって

すぐに部長に呼ばれて
君は報道、スポーツ志望じゃ

なかったと。
君は競馬のアナウンサーに

なることに決まっているんだよと。
ごめんなさい僕、ワイドショーが

大好きなんですって話になって

なんでうそついて入ったんだ
ということで、その場で同期の

塩原アナウンサーが
競馬アナウンサーに

なることが決まって

私はワイドショーのほうにと。
うそついて入れても希望を

聞いてくれるのがフジテレビの
懐の深いところなんです。

船越≫古巣への熱い思いを
お語りになる。

小松≫今日は笠井さんに
こうしたテーマでお話を伺います。

「自分の言葉で伝えたい!」。
笠井≫一番最初に生放送で

正直に語ったことで
自分の人生を開けたという

思いが強かったので
やっぱり自分の言葉で

語る、伝えるということは
大事なんだって

まず思っちゃったんです。
そこからなんですけどね。

美保≫ちょっと砕く

という感じですか?自分の中で
足しちゃうんですか?

ちょっとくだくというより
もっと根本的なところですね。

船越≫どうしても
アナウンサーというと

用意された原稿を
読むというイメージが

ありますからね。そうじゃない。
笠井≫原稿を読むことは

大事ですし
原稿を正しく読むことは

大事ですが
そこに集中していたら

あまりよくないと僕は思っていて
というよりも

この原稿をどう伝えたいか
どう伝えようと

しているのかっていう
気持ちのほうが大事です。

どうすれば一番
理解してもらえるか。

今、ここにある原稿を
正しく整然と読もうというのは

その前段階だと思ってるんです。
ですから、常に自分では

こうしたい、ああしたいと。

まずワイドショーの

リポーターから入ったんですけど

当時、現場へ行って
ここでリポートしろというのは

ディレクターが決めるんですけど
中身に関しては自分で考えるのが

リポーターの仕事ですから。
大体2分ぐらい

しゃべるんですけど

それを自分でしゃべると言うのは
自分で考える。

ここで何を伝えれば
一番伝わるのか。

そういうところから
勉強していって

2年目からワイドショーの

アシスタント司会に
就かせていただいたんですが

若かったんです非常に。
ありがたかったんですけど

トークをしていく中でこの事件は
人間関係が複雑だから

人物相関図を出してやらないと
分からないよと

スタッフと話すと
それは構成作家の先生が

スタジオを考えていて、僕らは

編集していて
スタジオに絡んでいる時間は

ないから
そんなことはできません

ということが始まりだったんです。

だったら僕が書くよと言って
当初「タイム3」という番組では

私がほとんど紹介する図とかを

下書きして。
僕はフリップ星人と

呼ばれてたんですけど
それで原稿出してということを

やっていたので、自分が
どう伝えたいかということを

具現化していくことに
結構、一生懸命に

なっていたんです。

NHKの台本はどうですか?

笠井≫すてきです。

美保≫構成はどうですか?
笠井≫すてきでしたよね。

だけど、打ち直しました。
美保≫さっき違うなと思ったの。

船越≫すでに原稿に
まとめてきていらっしゃる。

美保≫持ってるけど
なんか違う紙持ってるなって。

小松≫冒頭の1分も
我々スタッフが用意した言葉とは

全く違う言葉で1分
お話しになってたので。

自分の言葉で伝える場所を
求められて

フリーアナウンサーへの道を
歩み始めます笠井さんですが

そんな矢先
ある出来事が起こります。

「悪性リンパ腫との闘病」。
ということで去年の12月から

フリーとしての
活動を始められますが

そのわずか2か月後、12月に
悪性リンパ腫であることが

分かりました。

船越≫悪性リンパ腫って
私たち、よく耳にはしますが

どういった病気と
とらえればいいんでしょう?

笠井≫血液のがんの一種でして

白血球の中のリンパ球が
がん化していくんです。

希少がんで、普通のがんに比べて
数がとても少ないんですけど

そういっても
90種類ぐらいはあるんです。

いろんな種類の
悪性リンパ腫がありまして

それに対応する治療が
あるんですけど。

私はステージ4という段階で

一番上のレベルですよね。
PET検査といって

がんが黄色く光る検査が
あるんですけど

首から下は全身黄色で

あちこち、全身にがんが
散らばっていますねっていう

そういう状況で
ちょっと信じられませんでした。

船越≫それ以前に何か
ご自身の自覚できる症状は

あるんですか。
笠井≫それはありました。

退社する前から腰痛でして。

それは退社の引っ越しで
かなり段ボールを運んだので

それで痛めたんだと
ずっと思ってて

診断をしてもらっても
前立腺肥大ということだったので

そこで一向に治療しても
よくならない中で

CTを改めて撮ったところ

ちょっと骨盤に影があるので

さらに調べたところ

悪性リンパ腫というのが
分かったんです。

船越≫その検査に次ぐ検査を
しなければ

もしかしたら
手遅れになってたかもしれないと。

笠井≫悪性リンパ腫って基本的に
痛みとか出ないんです。

気付いたときに全身に
回っている方もいらっしゃるので。

普通に健康診断を受けていても
なかなか、がんですよって

シグナルが出にくいがんなんです。

内臓がんと違うのはそこでして。

美保≫奥さんが
どうしても行ってって

ちゃんと調べたんですか。

笠井≫自分で。あまりにも

腰が痛かったりするので。
でもがんの検査を勧められたのは

前立腺肥大の治療の一環の中で

泌尿器科じゃなくて
血液内科のほうへ行ったら

どうですかって勧められたの。
それによって分かりました。

船越≫ステージ4だというがんを

告知されたときのお気持ちを

まずは状況から
お聞かせいただきたいんですけど

ご自身だけで?

笠井≫1人でした。
そんな診断を受けるとは

思ってませんから。

がん患者の役って
やられたことあります?

船越≫僕はありました。

笠井≫多分、想定してるのと
同じだと思うんですが

笠井さんがんです

悪性リンパ腫ですって
言われたときに

なんで俺が?
なんで今?これからフリーとして

頑張ろうというときに
そういうことになるんですかと。

絶望感というんでしょうか
そこでしたよね。

会社に入ったままでしたら

一応、給与保障といいますか
そのままお給料もらえるんですが

辞めちゃってますから

無給状態、給料も何もなくなって

これはもう退職金を
切り崩していくしか

ないのかなって
当初はそういう状況でしたし

ステージ4と聞いて
正直言って、清水の舞台から

飛び降りるような気持ちで
フリーになったものですから

だって56歳っていったら
そんな遅くフリーになる人

いないんですよ。
みんな40代でなるので。

船越≫奥様にも
ちょっと遅すぎますよ

あなたって言われたくらい。
笠井≫思い切って飛び降りて

見事な着地を
見せようと思ったら

地面がなかったみたいな。
どこまで自分は落ちるんだろうか

という気持ちになりました。
美保≫そういうときはご家族

パパこれからフリーで
違う形になるねって

言われたときだったから
すごい思いだったんじゃ

ないかなと思って。

お子さんとか。

笠井≫長男には
すぐに知らせましたが

次男、三男には
ないしょにしてました。

船越≫ご長男はもう社会人に
なられていらっしゃいますよね。

笠井≫妻は、実は朗らかな
元アナウンサーなんですけど。

ですが、結構
気持ちの弱いところもある人で

家庭内でよく泣きべそかいたり
してるんですが

私のがんに関しては、大丈夫よ
治るわよ、しっかりしなさいって

一度も涙を見せたことはない。
私のほうが泣いていましたけど。

美保≫一緒にいたら
楽しいイベントとか

できなかったりするじゃない。

パパだけ苦しんでいるのに…。

笠井≫むしろ、私は
それを病室内で

やろうということで
クリスマスも100円ショップで

クリスマスのサンタの帽子を
入院前に買ってきて。

僕、12月19日に入院したので。

それで、家族が来るときには
クリスマスの

サンタの帽子をかぶって待ってる
みたいなことをやっていたので

おせち料理もやりましたし

豆まきもしたし
そういったことはあえて

やろうよといって
家族も参加してくれて

やってました。
小松≫入院中には

6回、抗がん剤治療が
施されて、話にもありましたが

ご家族皆さんが
支えてくださったそうで

入院とほぼ同時に
ブログを始められました。

そこには
笠井さんご自身の肉声で伝える

闘病記もありました。
(VTR)小松≫妻の協力を

得ながらの闘病記。

入院5日目に
抗がん剤治療が始まりました。

小松≫最初は順調でした。

小松≫しかし、最後となる
6回目の抗がん剤投与が

終わったあとには…。

小松≫そして翌日も…。

小松≫薬の副作用からくる
けん怠感で弱気になることも。

それでも、なんとか耐え抜き
迎えた退院の日。

船越≫本当に過酷といいますか
壮絶な闘病で

いらっしゃったんですね。

それでも、その中で

あれだけ苦しい状況でも

ほかの方たちへの気遣いを

きっちりお持ちになっている
というところに

ちょっと目頭が熱くなりましたが
こうやってブログで

ご自身の闘病を

克明に公開していこうと
決意されたのには

どんな思いがあったんでしょうか。

笠井≫私が入社してから
ワイドショー、情報番組という

番組を担当しておりまして
とにかく有名な方々の

プライバシーを
お伝えしてきました。

船越さんも
ずいぶんお伝えしました。

それは、正直言って
相手方にすると、これは

伝えてほしくないということも
仕事なので伝えてるんですよね。

それをずっと続けてきて
いざ、自分が

ちょっとこのことは
あまり伝えたくないなと

なったときに

自分のことは
そっとしておいてください

というのは
これは、ルール違反だなと。

それは小倉さんを見ていても
思いました。

あれだけのことをやっていて
自分ががんになったときに

本当に克明に正直に
そのときの思いを

ここまで話すのかということで
伝えていましたので

これが1つの
情報系のアナウンサーの

生き方なんだなということを
学びまして

すべて、できる限り
お伝えしようと決めました。

船越≫それにご家族が
また理解を示していただけたのも

すばらしいことですよね。
笠井≫時折、なんでこんな写真

恥ずかしいな

出したのとかって息子たちに
怒られたりしましたけど。

美保≫動画自体がすごいです。

動画を撮ってたというのが。

笠井≫古巣の「とくダネ!」でも
伝えてもらえるという

話だったので
それだったら、自分で撮影して

それを提供しましょうという話も
ありましたので。

そうやって
ただ、ステージ4でも

ここまで

頑張れるんだよという形で
今、とてもつらいところを

集約していただきましたが
結構明るいブログには

なってたんですよ。
前向きなところを

伝えようと思って。

ところが、途中で

つらい状況になってきたときに
これもお伝えしないと

うそになるなと。
頑張っているよ!だけじゃ。

特に、つらい思いをしながら
がんの治療や病気と

闘ってる人は多いので

そんな簡単なはずじゃ
ないでしょって

つらいところも正直に
出していこうという形でした。

小松≫笠井さんのブログを
見させていただきますと

競泳の池江璃花子選手の
退院の際の

ブログの記事が非常に印象的で。
笠井≫池江さんの退院は

私の入院の2日前だったんですよ。
一番ショックを受けてるときで

そんなときに退院されて。
私が入院中に独占インタビューが

夜のニュースで流れて
オリンピックの次を目指します。

東京オリンピックの次を
目指しますって。

すごいことですよ、それは。

だって単に
普通に仕事に復帰するのも

大変なのに

オリンピックという狭い中に
もう1回挑戦しようと。

抗がん剤を打つと
白血病で私よりも

ずっと重い症状ですから
もっともっと

体がぼろぼろになるんです。
私、2か月入院してるだけで

階段が下りられなくなりました。
リハビリしましたけど。

そういう状況の中で前向きに
17、18の彼女が

夢を語る姿を見て

病室で

わーわー泣いちゃいまして。
この方が

こんなに頑張っているんだから

弱音吐いちゃいけない。
多分、多くの闘病してる方々が

池江さんに励まされたと思います。

本当感謝しています。
ありがとうございます。

船越≫池江さんから受けられた
バトンを今度は笠井さんが

皆さんに発信していかれたという
形になりましたね。

笠井≫そういう形で
伝わってくださったのなら

うれしいことです。
船越≫たくさんの方たちが

笠井さんに
いただいたと思います。

希望を見いだした
看病されたご家族も

たくさんいらっしゃったと
思います。

小松≫今年の6月
医師から全身から

がんが見られなくなったと
伝えられたそうですけど

その言葉を聞いたときは?
笠井≫立ち上がって、万歳!って

大きな声で
病室でやりたかったんですよ。

でも、妻と長男がいてやめました。

なぜかというと
いつも子どもたちから

お父さんは声が大きくてうるさい。
リアクションが大げさで白々しい

うざいってすごい言われてるので

ここでそんなことやったら
また怒られちゃうと思って

グーっていう感じで
控えめに喜びましたけども。

家族への感謝とともに
もう1つ思ったのは

ブログをやらせていただいて
本当にたくさんの

がんと闘っている皆さん
ご家族の皆さん

お知り合いの皆さんから
コメントをいただきました。

多いときには
1000件、1500件くらい

いただくんですけど
入院中なので。

4か月半も入院していましたので
全部読むので。

でも、そこの
皆さんの応援だったり

真摯なコメントに
本当に励まされました。

小松≫笠井さん、今、まさに
メッセージが届きまして

がんの治療中の方でしょうかね
島根県の40代の方からです。

がんによる抗がん剤治療中です。

病室のベッドの上で
チャンネルをつけたら

笠井さんの満面の笑みが。
自然と涙があふれてきました。

元気な姿を拝見し
乗り越えられた治療の

大変さを思い
私も笠井さんのように

早く回復したいなと感じています。

無理をされず今後も
すてきな笠井さんの活躍を

期待していますと
メッセージをいただきました。

笠井≫SNSって
私も「とくダネ!」で

ずいぶん
光と闇の闇の部分を

お伝えしてきました。

気をつけてくださいね

だまされないで、傷つけないで。
ですが

今回、私がんになって
いろいろやってみて

本当にSNSの皆さんとの
つながりに、光を感じました。

やはり諸刃の刃なんだと思います。
場合によってこんなにも

自分の力づけになるものなのかと
強く感じて。

コメントをくださった皆さんには
感謝をしております。

♪~(コーナー音)

ヒデ≫ウワサの真相でございます。

不思議です。

お台場では
よくお会いしてたんですけど

渋谷でということで。

船越≫よくこの美しいお話の中
あれだけのテンションで立ったね。

ヒデ≫デビュー当時以来
ドキドキしていました。

ただ現在、うちの相方も
がんと闘ってまして

すごく勇気づけられてると
思います。

本日は笠井さんの局アナ時代
それも生放送中にやらかした

うわさ。

かなりのとくダネを

つかんでまいりました。

「皇室のおめでたい話題で
大クレーム!?」。

どういうことですか?笠井さん。

笠井≫小松さん、特にわれわれ
皇室のニュースに関しては

気をつけて。
一つ一つの言葉選びから。

日本の文化のね、あるんですよ。

敬語?そんな
なまやさしいものじゃないですよ。

今の天皇陛下が結婚されたとき

結婚の儀というのが行われまして
私お昼のワイド番組の

アシスタント司会をしていて。
そのとき記念のお祝いの品として

配られるんですよ。
結婚式のときもいただきますよね。

ああいうのをお借りしてきて
スタジオで

生報告というので
私が紹介したんです。

それが、皇室は違っていて
一つ一つのおかずのパーツが

大きいんです。
もう違うなという感じです。

ところが、ぱんと寄ると
大きさは分からない。

リハーサルをやっていませんから。
この番組と一緒で。

それで、これじゃ大きさが
分からないということで

手でつまんで
かまぼこがあって

ほとんど半月が

顔と同じ大きさ。こんなに
大きいんですよってやって

初めてスタジオではおー!となり。
その次、これおいしいんですよと

台本にない試食をしたんです。
そうしたら電話が一斉に

ダー!っと。
大炎上して大変でした。

小松≫どのような
お叱りの言葉が?

笠井≫いただいた
ありがたいものを

食べるんじゃないという。
失礼だろうが!

誰の許可を得たんだ!という
苦情かと思ったら

それもありました。
でも、一番多かったのは

皇室のお祝いの品を手で食べた!
それが一番多くて。

箸を使え!
親の顔が見たい!

お母さん、ごめんなさい…。

ヒデ≫育ちのほうに
いかれたんですね。

笠井≫それが私の人生の中で
2番目か3番目ぐらいに

大きな反響があって。
もう本当すみませんでした。

一応、いただいたものでは
あったんです。

今、言わせていただきますが。

ですから
食べてもよかったんですが…。

だけれども
台本にはないことをやったのは…。

勇み足というか
若かったなと思います。

美保≫ちょっとワイルドさも
出したいから?

笠井≫おもしろいし
俺ってこんなことも

できちゃうんだよみたいな
勘違いですよね

若いアナウンサーの。

ヒデ≫そういうこともあって
司会者としても

板についたで
いいんじゃないんですか。

かまぼこだけに。

笠井≫うまい。
小松≫じゃあ、もういいですよ。

ヒデ≫やめてください
まだありますから。

僕の結婚式なんて
渋谷のダーツバーで出てきたの

たこ焼きで。

ということで
こちらのうわさはホントでした。

続いて局アナ時代
生放送が多かったということで

やらかしたんですけね。

「失言でスポンサーさんが
降りた!?」。

船越≫民放はね…。
笠井≫それどこで…。

フジテレビでは
話せなかった話ですよ。

ヒデ≫なんせ民放ですから。

船越≫伺っちゃってもいいですか。

笠井≫韓国の有名な歌手の方が
交通事故を起こして

有名な外国の車に乗っていて

横転かなんかしたんだけども

けが一つしませんでしたという
ニュースを

私がお伝えしたんです、その日。

そこにニュースコメントとして
やっぱり違うな、このメーカーは。

日本車だったらどうでしょうかね
って思わず言った。

そこまでだったら
まだよかったんですけど

ワイドショーって
今もそうなんですけど

生コマといって、同じスタジオに

生コマーシャルの時間があって

どうですかこの洗剤?なんて
あるんですけど

その日は特別に初めて
日本の軽自動車メーカーの車が

入ってくるときだったんです。

そのことをよく分かっていなくて

それでニュース終わって
ちょっとしたら

車が入ってきて

やばいんじゃないかなと思ったら

案の定
メーカーの方が激怒されて

スポンサーを
降りてしまったんですよ。

ヒデ≫一番事故ったのは
笠井さんっていう。

一番横転したのは。

船越≫これ普通だったら降格人事
あるいは、クビ…。

一番
やっちゃいけないことですもんね。

笠井≫民放としては。
小松さんは

絶対経験しないことですが。
なので、営業に行って

本当に謝りにいきました。
土下座する勢いで。

そうしたら、このスポンサー枠

今、まだまだ
並んでいる企業あるから

次のところにお願いしたから
今回はいいよと。

バブルってすてき。

船越≫そして
フジテレビの懐の深さ。

笠井≫好景気と優しさに
私、何度も助けられて

若いとき、失言とか
いろいろしているんですけど

ここまでやってこられたのは
そういった皆さんのおかげです。

船越≫そのおかげと言えることが
笠井さんのすてきなところです。

美保≫フジテレビのにおいって
ありますよね。

笠井≫みんな仲いいんですよ。

ヒデ≫NHKも仲いいですよね。

ちっちゃい声で
NHKでよかったって。

ということで
こちらのうわさもホントでした。

以上、ウワサの真相でした。

小松≫今日は笠井信輔さんの
モットーでもあります

「自分の言葉で伝えたい!」
というテーマで

お送りしていますが、笠井さん
フジテレビのアナウンサーは

新人のころというんですか
どんどん現場に出て行って

というイメージがありますが。

笠井≫それは1つの文化として

新人アナウンサーは
ニュース番組の

フィールドキャスターについたり
特に報道・情報系の

アナウンサーの場合は
現場に行かないと

うまくなりません。
私もアメリカ大統領選で

オバマ大統領誕生のときですね
黒人の初大統領。

あのとき、現場で取材していて

シカゴの勝利宣言、25万人も
人が集まっているところに

私もそこで取材したんですけど
アメリカの報道陣

みんな泣いているんです。

泣きながらメモして
泣きながらカメラを回してる。

それ見たときに、これって

現場にいないと分からないことで
オバマ大統領が家族で出てきて

私、思わず防弾ガラスの向こうに

アメリカのあしたが見えますって
言ったんですけども

そういうコメントって
いくらスタジオで考えていても

出てこないんですよ。
現場で思わず出てくるというのは

やっぱり、現場へ行って
体感したことによって

出てくる言葉ってありまして

ですから
今「めざましテレビ」でも

その他の番組でも
人気のある

若い女性アナウンサーでも
災害があれば

現場に行ってもらっています。
そうすると

そのほかのニュースでも
コメントが変わってくるんですよ。

頭からしゃべるんじゃなくて
1回心に落としたコメントに

なってくるんです。
そこが大事なんです。

現場に行かないと
なかなか分からなくて

絶対に分からないわけじゃ
ないですが

やっぱり現場に行くことが
成長への第一歩かなと思うんです。

船越≫心を動かした
その動きと一緒に

ニュースを伝えていく
ということですね。

笠井≫特に民放の場合は
そうかなと。

だから、アナウンサーというのは
客観的に冷静でいるというのが

よいというのが
基本的な考え方なんですが

私は喜怒哀楽を
大切にしていきたいと

ずっと思っていて
楽しかったら大笑いすればいいし

悲しかったら
泣いちゃったっていいんだよと

後輩たちには話してますし

自分も「とくダネ!」で20年間
何度泣いたか分かりません。

そうすると、スタッフが

今日絶対泣くと
思っていましたとか

言いにきたりして。
小倉さんは笠井は箸が転んでも

泣くからなって言うぐらい
涙もろかったんです。

でもそれを自分は
それでもいいんだと。そうやって

感情とともに
お伝えしていくことが

視聴者の皆さんとともに
歩んでいくことなのかなと

考えて、やってきました。

小松≫さまざまな現場に行かれた
笠井さんですが

こうしたこともあったそうです。
「命がけの取材

ペルー日本大使公邸人質事件」。

この事件というのは
1996年の12月に

起きたもので
ペルーの反政府革命運動の

14人が各国の大使や政府要人を
人質にとって、仲間の釈放

そして身代金の支払いなどを
ペルー政府に要求したものでした。

船越≫この取材でどうして
命がけということに?

笠井≫まず、MRTAという
テログループと

ペルー軍が
時折、銃激戦するんです。

われわれ、近くで取材してて

銃撃戦が起きるたびに
防弾チョッキ着て

今、銃撃戦が起きましたという
日本じゃありえないような

リポートをするんですが

それを毎日毎日、私、1か月以上
向こうにいたんですけども

だんだんルーチン化するというか
それが普通のニュースに

なってくると

スクープを上げなきゃいけない
ということで

いろいろ手を尽くして

MRTAの本拠地で

幹部からインタビューをとれる
独占スクープインタビューの

道をつけたんです。
それで、ジャングル

6時間くらい走って
アジトへ行くんですけど

その途中でペルー軍に
見つかってしまったんです。

そんなところを走ってる
アジアの車なんて

麻薬密売なのか
怪しく思われてしまって

止めろ!窓開けろ!ってなって
ライフルが一斉に入ってきて

頭に当てられて
じっとしてろって言われて

いろいろ探していたら
大きなカメラが出てきて

なんだこれは!って話になって
グーってライフルが頭にきて。

絶対死ぬと思って。
なかなかライフル

銃、弾込められたのを
突きつけられてる

アナウンサーって
いないと思うんですけど。

結局、セキュリティーとして
雇っていた

現地の元警察官が
話をつけてくれて

報道なんだということで
事なきを得たんですけど。

船越≫九死に一生ですね。

美保≫防弾チョッキって
意味がないですね

頭に突きつけられたら。

笠井≫しかも少年兵が
指をかけてるんですよ。

くしゃみしたら
ボーンってなっちゃいそうな。

でも、24年前だったから
できたことで

今、コンプライアンスが
ありますから

今、こんなことをやったら
本人も上司もみんな

処分されてしまいますね。
小松≫危険をなるべく避けて

遠いところからということに
なりますもんね。

美保≫後ろに銃撃戦が
聞こえてるときに

しゃべってる方いますよね。
ニュースで。

笠井≫それでも流れ弾が
当たらない距離に今はいますから。

そういう時代になりました。

小松≫今日は
「自分の言葉で伝えたい!」

というテーマで
お話をお伺いしていますが

そのきっかけとなったのが
2つの災害でした。

1995年、阪神・淡路大震災
そして2011年、東日本大震災。

笠井≫2つの震災は
16年離れてまして

どちらとも
発災直後から現場に入っている

記者、リポーターって
ほとんど今いないんですよ。

私、東日本大震災のときには
部長職だったので

現場には行かないんですけども
東日本大震災の前の

阪神・淡路大震災のときに
当日の午前中には

現場に入ったんですが

われわれ報道人にとっても
初めての大災害で

行くと、皆さん取材拒否
なんていうものじゃなくて

助けてください
消防車呼んでください

救急車呼んでください
ガス止めてください

ここにいるおじいちゃんを一緒に
引っ張り出してくださいって

すがりついてくる状況で

ちょっと待とうと。

私31歳で
一番年長だったんですが

4人のカメラクルーの中で。

どうしようって。
僕らは人助けに来たのではなく

伝えに来たんだと。この映像を
こんなに大変なことが

起きていると
いち早く中継車に運んで

伝えなきゃいけない。
みんなの支援を得なきゃいけない

ということで
それからずっと謝りっぱなしで

ごめんなさい、手伝えませんと。
そういう取材現場でした。

そういう経験をした者が
現地にいたほうが

いいだろうと思って
手を上げて

東日本大震災のほうの
取材には行きましたが

最初の3日ほどは
どこへ行っても、この町はだめだ

この町はよみがえらないって
それしか思いませんでした。

でも、毎日中継していましたけど
それは一切言いませんでした。

これは自分の主観なんだと。
実際、9年以上たって

今度10年になりますが
さまざまなところで

本当に復興してますし
震度の違いはありますけど

本当に皆さん
頑張っているなと思います。

船越≫その取材の中から
感じられたというか

ご自身の
その後の支柱になるようなことを

見つけられたそうですね。

笠井≫引き算の縁と
足し算の縁という

この考え方を
東日本大震災の取材で得まして

被災者の皆さんは

まず、あの人が亡くなった
あの人が津波に流された

行方不明だと
自分の周りのいなくなった

亡くなった

引き算の縁の数を、ずっと指折り
数えていらっしゃる方

ばかりだったんです。

ところが2週間、3週間たつと

そういった中から
被災地の避難所で

あの人に会えた
病院でこの先生に出会えた

ボランティアの
誰々と知り合えたと

そういった足し算の縁のことを
話してくれる人が出てき始めて

そういう人から
復興の中心人物に

なってきたんです。
どこでスイッチを切り替えるか。

震災が起きたからこそ得た
縁というのがあって

そこを大事に
貯金していくことができたら

前に進めるんじゃないかと。
そのことに気付いた方々に

教えられました。
そうなんだなと。

自分も、がんになって
あの仕事もだめになって

この仕事もだめになったと
そればっか考えました。

でも、今こそあのときの経験を
自分にも当てはめて

がんになったからこそ
先生とも

看護師さんとも
そして、この「ごごナマ」とも

出会えたと、そんなふうに考えて
生きていこうというふうに

切り替えるようになりました。
スイッチの切り替えが

大事なんだと。
船越≫引き算の縁よりも

足し算の縁を数えよう。
これはすてきな言葉ですね。

♪~(コーナー音)
船越≫この音が鳴ったので

船越のクエスチョン5!

小松≫「ごごナマ」は
だめですよ!

美保≫「シブ5時」があるじゃん。

船越≫家では亭主関白だ
ノーということですが

奥様主導型ということなんですか。

笠井≫妻の頭の回転が
あまりにも早くて。

それで、かなわないんですよね。

ですから本当にいろんなところで
軌道修正、こうしたらいいわよ

こういうふうにしたほうが
いいわよと。

これまでアナウンサーとして
生きていく中でも

いろいろと自分の中で
重大な岐路があったんですよ。

そのときに、こっちじゃない
あっちじゃないと言う方で

それに従うと
いい感じでここまで

こられたりしました。
妻には本当に感謝してます。

美保≫2択とかのとき
迷いますもんね。

笠井≫その代わり、妻も
いつもいつも

私の指示に従うんじゃなくて
私を引っ張っていって

ほしいのって言われたことあって。
美保≫女らしさもあるのね!

笠井≫それで今日はAとBの料理
どっちの外食に行きましょう?

Aがいいの、Bがいいの?って。
Bにしようって言ったら

Aにしましょうって。

妻は行きたいほうが
決まってるんですよ。

でも僕に決めてもらいたいんです。
決めてもらいたいけど

自分の意見が違うほうだと
でも私はAのほうなのって

そこを言ってくれるので。

船越≫道しるべがあるというのは
いいですね。

笠井≫羅針盤みたいな人なんです。

私の人生にとって。

船越≫無事な航海が
できるわけですね。

そして
長年ハマっているものがある

こちらもイエス。
1つは皆さんもご存じの

あれですよね。
笠井≫映画とか演劇。

映画は年間150本ほど
演劇も年間100本ほど

見るんです。
エンタメが大好きなんです。

中学校のときには
映画のノートを5冊

中学、高校で
5冊ほど書きまして。

美保≫ぴあって。
笠井≫ぴあが大好きなんです。

星取り表とかもつけて

自分で。
大体、中学校くらいで

20本ぐらい劇場に
見に行っていたので。

美保≫スクリーンという文字が
悲しいけど。

笠井≫スクリーンって英語が
よく分からなかったので

カタカナで書きました。
これは母に映画に行くと

かつあげされるから

だめって言われて

実際かつあげされてたんですけど
歌舞伎町に見に行ってて。

本当に見たいんだったら

映画感想文を書きなさいと
言われて書くようになったんです。

船越≫それがいまだに続く

連載のお仕事に
つながっていくわけですね。

あれが僕の
羅針盤みたいなものです、映画の。

では、次の質問です。

生まれ変わっても
アナウンサーをやりたい。イエス。

笠井≫僕、ノーでした。

あれ?イエスって出してましたか。
ごめんなさい、ノーなんです。

船越≫次は何をおやりに?

笠井≫俳優。

それはなぜかというと
今、俳優やりたいってわけじゃ

ないんですよ。

いつも舞台あいさつの司会とか
インタビューとかで

俳優の皆さんの話を聞いてると
とても充実していて

何か楽しそうなんですよね。

しかも困難もあって
それを乗り越える

いろんなお話を聞くと
自分も反対側の立場に

いってみたいと思って。

高校生のときに
薬師丸ひろ子さんの

「ねらわれた学園」の
相手役募集に

応募したことがあるんですよ。
書類審査で落ちましたけど

結局、アナウンサーになって

「病院へ行こう」という映画で
薬師丸さんと一緒になって

握手したときに
やっと私もあなたに会えた

という感じがしました。

船越≫まさに今、今日は
聞かれる立場で。

すごくたくさんのすてきなお話を
いただきました。

映画にも実はずいぶん
お出になっていらっしゃいますし。

笠井≫ちょこっとですけどね。

小松≫おすすめ番組のご紹介です。
これまで番組が

10年間で撮影してきた
世界中の絶景の中から

今回は、石灰岩が生み出した
多彩な絶景をお届けします。

イギリス、海峡沿いに続く
白亜の断崖。

小松≫中央アジア
トルクメニスタンでは

真っ赤に燃え上がる大地に遭遇。

さらに
中国南部で出会ったのは…。

≫いいね!

小松≫なんと、黄金の川。
環境や地形によって

姿かたちを変える石灰岩。

色彩豊かな絶景誕生の
秘密に迫ります。

ちょっと5が気になりましたね。

「ごごナマ」じゃないと
ちゃんと聞きましょう。

ヒデ≫ちょうど改変の時期が

きますからね。
笠井≫フリーになったので

そういった意気込みで
いないといけないかなって。

そういうことです。

船越≫具体的にはこんな番組が
やりたいという構想は

ご自身の中にあるんですか?
笠井≫なんでもいいですよ。

どんな番組でもいいので

何か皆さんにお伝えすることが
できればというのは

思いますし

強いて言えば

演劇の番組をやりたいです。
なかなか演劇って

紹介する時間がないので

それをなんとか
うまくできないかなって

考えています。

カテゴリ:ごごナマ

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