年増園
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年増園(としまえん)とは、1927年に開業し業態を変えながら90年以上営業を続けていた公娼施設。2020年に惜しまれながら完全廃業となった。
概要[編集]
日本において若い娘が尊ばれるようになったのは中世後期に入ってからで、またその理由が血筋の正統性を保つため結婚相手に処女が求められた[1]というものであった為、娼婦としては専ら「婀娜な年増」が好まれた。そもそも年増という言葉自体が庶民の間では「女盛り」を意味し、遊び相手としては最適とされていた。
明治に入り公娼制度が変革されると公式に許可を得て営業する遊里は苦戦を強いられるようになり[2]、生き残りを求めて一点特化の今で言うコンセプト重視の店が増えていった。そんな中で昔ながらの年増にこだわり、伝統的な日本の性風俗の灯火を守るために開業したのがこの年増園である。
歴史[編集]
原型となる建物は、明治の頃から娼婦たちが客待ちに集っていた室町時代の城趾が、関東大震災の為崩壊し取り壊された跡地に建造された。まだこの頃は関東大震災の傷跡も生々しく、更に関東大震災の補償に乗じた不正な手形決済も相次いで[3]社会不安が蔓延していた。かよわい男衆が年増の包容力を求めるのも、御時世としては当然だったと言えるだろう。
第二次世界大戦終了後、公娼制度廃止により表向きは遊里として営業出来なくなり「赤線内の公園」として水と緑に溢れた景色を売りにするようになる。勿論これは見せ掛けで、他の赤線内の施設と同じく実際には性風俗を旨とする遊里のままだった。これは当時の性風俗では常識であり、カフェーや料亭に看板だけ差し替えて営業すれば「赤線内で商売をする限り」合法だった。その後売春防止法施行、いわゆる赤線廃止を経て昼は公園からプールや図書館など様々な施設を持つアミューズメントパークとして、夜は婀娜な年増たちと触れあう「大人の遊園地」として広く愛好されていった。しかし世間の嗜好の変化や相次ぐ経済不況もあって、2020年8月に全面閉園となっている。
夜の年増園の特徴[編集]
年増園の大きな売りはやはり年増の姐さん方であり、彼女らによる奉仕を求めて男性客がやって来るのである。また昼の姿から違和感無く移行出来るように、昼間でも下着(表向きは水着)で園内を探索するイベントがあったり、時間を問わず入れる温泉があるなど遊里としては異例となるテーマパーク的な要素が多い。その一方で成人式という名目で童貞客を集めて筆下ろしするなどディープなものも。
時代に応じて様々な新しい流行りを取り入れるのも特色で、例えば1992年には前年発売された宮沢りえのヘアヌード写真集「Santa Fe」にあやかって、「豊島園にサンタフェの扉がやって来た」と題しヘアヌードショーを行ったし3D映画ブームの際には、3Dの主観AV映像に併せてリアルに奉仕を受ける「年増園4Dシアター」を開設している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
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