57.チーズが食べたい
お店を開店してから数日。
私が主に店番を務める錬金術の工房は、朝が忙しく、そのあとは割と暇なことが多い事がわかってきた。
私の店は、立地と価格的に、主要顧客は迷宮都市にあるダンジョン攻略やその他ギルド依頼をこなしに行く冒険者達になった。彼らは基本朝早くにこの街を旅立っていく。だから、朝の忙しい時間を過ぎると割と暇なのだ。
特に、私のポーションをあえて選んで買い求めるのは、ダンジョンの深層まで攻略しようとする人で、彼らには切実な『おトイレ事情』があるらしい。他店で売っている普通のポーションを複数本飲むより、うちで販売している、高いけれど一本で済むポーションに価値があるのだそうだ。
……なぜって?トイレの回数が減るから。
特に、後衛職であまり汗をかかない魔導師や回復師さん、その中でも特に女性にマナポーションが好評である。
ダンジョンの中には当然トイレなんかないので、彼女達はちょっと草陰があるエリアや、物陰に隠れて用をたさなければならない。それが精神的にとても苦痛なのだそうだ。そこに現れたのが、価格は高いが効率よく回復できる私のポーションだった、ということらしい。
一度買ったお客さんが、冒険者ギルドの酒場の情報交換がてらに、口コミで広めてくれているらしい。ありがたいことである。
おかげで、元々国への納品もあって金銭的に困っていない我がアトリエは、店舗自体も経営難といった荒波に揉まれるでもなく、平穏な日常を送っている。
パン工房の方は、毎日ミィナが忙しく働いている。
定番の『ふんわりパン』はご近所の皆さんに、『三日月型のデニッシュ』は、少し金銭的な余裕のある商家や貴族家のお使いの使用人さんが買っていく。
日替わりのパン二種は、美味しそうな匂いと物珍しさで、通りがかった人達がつい手に取ってゆく。
朝や昼時には結構な賑わいで、マーカスがよく接客のサポートに入っている。
そんな『アトリエ・デイジー』のパン工房の常連のひとりに、道路向かいの端っこに住むおばあさんがいる。実は同業の錬金術のアトリエを持つ人で、名前はアナスタシアさん(愛称アナさん)。色々あって、他の国から移住してきた人らしい。
小柄で華奢な体つきで、少し腰が曲がっている。白寄りのグレーの髪は、引っ詰めにして、顔には小さな丸メガネをかけている。シワシワの顔にはいつも笑顔が絶えない優しいおばあちゃんだ。
『子供が熱を出したらアナおばあちゃんのポーション』といった感じで、地元に愛されている。
「こんにちは、アナさん」
店にやってきた彼女に、ミィナが声をかける。
「ミィナの焼くパンは絶品だからね。今日も来たよ」
ニコニコ笑って店内のパンの見本が並べられた棚に近寄る。
「今日の惣菜パンは、チキンとじゃがいものローズマリー風味かい。美味しそうだね」
アナさんは、ニコニコと笑っていたが、ふっと呟いた。
「これにチーズが乗っていたら、もっと美味しいだろうねえ……懐かしいねえ」
少し寂しそうな顔でそう言い残して、そのお惣菜パンと『ふんわりパン』を一個ずつ買って帰って行った。
◆
「……という事があったんですよ」
営業時間も終わった夕食時、ミィナが私にアナさんの話をしてくれた。
「この国では、チーズってとても高価よね。私も食べたことないわ。アナさんは移住経験があるから、昔食べたのかしら……」
チーズというものは、教会が大きな力を持っていて、修道院が領地を持つような他所の国で作られている。修道院の領地で牛やヤギといった動物で牧畜を行い、そこで飼育する動物の乳を原料とした食べ物だ。また、山岳地帯で大規模な牧畜をする農家がいるような国でもつくられる。
だが、私たちの国では、教会や修道院などが領地を持つといったことはなく、農家の規模も小さい。そのため作る人はおらず、なかなか手に入りにくい食品だった。
「あの時のアナさん、寂しそうな顔してましたね。いつも『ニコニコ』なのに」
マーカスがその時のアナさんの様子を追加で説明してくれる。
「錬金術で作れないか、調べてみようかしら」
私は、明日の昼間の空いた時間に調べてみることに決めた。
◆
『錬金術で美味しい食卓』を探すと、新鮮な牛乳を発酵させたものに、『凝固剤』を入れて作るらしい。本当は子ヤギや子牛を屠殺して、その胃の中にある液体を凝固剤にするらしいが、さすがにそれは経済的に宜しくない。だが、代わりの方法があるらしい。
私は、チーズを作ることに決めた。