ネットが遅くてイライラしてない!?

可愛い+ございます=かわゆうございます?

ちなみに、
{勿体無い・情けない・切ない}+ございます={勿体のう・情けのう・切のう}ございます?

正しいかどうか教えてください。

A 回答 (3件)

正しゅうございます。



かわいくございます→(かわいう)→かわゆう     ウ音便形
情けなく→(なう)→のう

関西弁だと「ございます」につながらなくても「なさけのう」「ゆうて」などの変化はあると思いますが。
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この回答へのお礼

わかりました。音便の規則も教えてくれて、ありがとうございます。まさに知りたかった知識です。

お礼日時:2013/06/07 00:52

1ですが。



いわゆる「になります」言葉が流行っている理由に、ひとつには「ございます」という言葉が廃れてて違和感を持たれているという事があると思うのですよね。

「××セットでございます」と言えば良いところで「ございます」が使えない、「××セットです」で済ませるとなにかもの足りない丁寧でない気がする、そこで「××になります」と言ってしまうんじゃないか。

もうひとつ、「あぶのうございます」という言い方が廃れてしまったので「あぶないです」という言い方になっています。私もそうですが。
これは「です」を丁寧語でない物に直せば「あぶないだ」という言い方ですからいまだに違和感を覚えるという年配者はけっこう居ますね。
ちなみに「あぶのうございます」式の言い方が廃れたのは大戦後だと思われます。「ございます」が廃れて「あぶないです」式の言い方が盛んになったのは軍隊言葉の「であります」の影響ではないかという説があります。

「ございます」「存じます」の代わりがこのさきどうなるか、今はかなり流動的な状況ではないでしょうか。
なお、相手の持ち物や子供をほめる場合は「いらっしゃる」を使うのが無難です。
「上手く着ていらっしゃいますね」「元気なお子さんでいらっしゃいますね」
「ございます」はむしろ自分のお店の品を「こういうものがございますよ」とへりくだったニュアンスが出しやすうございます(=出しやすいです)。
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この回答へのお礼

詳しいご分析ありがとうございます。勉強になりました。

お礼日時:2013/06/07 01:08

全て正しいのですがなんだか 江戸時代に タイムスリップしたような雰囲気があります。



かわゆうございます の前に 普段は何か必ず有りますね。
その場合、雰囲気を合わせると
わが子は かわゆうございます。 (今では わが子 という人は殆どいないと思います。)

この様な立派な褒美を頂いて 勿体のうございます。(殿様へのお礼の言葉)
出世に失敗して 情けのうございます。(侍の奥さんが夫へ)
もう三日も合わずに 切のうございます。(町娘が恋人へ)

●これらを使うと、いずれも江戸時代の雰囲気になってしまいます。 でも 用法は正しいです。

現代風に言うのであれば
可愛い お子様で ございますね。 や ございますこと。 など
勿体無い お金の使い方で ございますね。
情けない 試合の結果で ございましたね。
切ない 気持ちになる 物語で ございましたね。
となるでしょう。(意味は最初の例文とは異なります。)
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この回答へのお礼

面白い例文まで作ってくれて、本当にありがとうございます。勉強になりました。

お礼日時:2013/06/07 01:00

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Aベストアンサー

を も が も正しくて、意味も同じです。

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「名詞」を他動詞の目的語と考えれば助詞 を が付きます。

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#6です。

誠に申し訳ありません。
辞書記述をすっかり読んでいなかったため、誤った回答をしてしまいました。(大辞林でも、「歌わない です」の形を認めています)
お詫び申し上げると共に、全面的に訂正させていただきます。


「です」は、昭和初期ぐらいまでは、名詞・体言に接続するのが基本だという考え方から、「歌わないです」ではなく「歌わないものです」のような表現が一般的だったようです。
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https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/menu7_folder/symposium/pdf/8/10.pdf
因みに、わたしは(若くはありませんが)書き言葉でも使っています。
とはいえ、子供の頃は使っていなかったように記憶している。

#6です。

誠に申し訳ありません。
辞書記述をすっかり読んでいなかったため、誤った回答をしてしまいました。(大辞林でも、「歌わない です」の形を認めています)
お詫び申し上げると共に、全面的に訂正させていただきます。


「です」は、昭和初期ぐらいまでは、名詞・体言に接続するのが基本だという考え方から、「歌わないです」ではなく「歌わないものです」のような表現が一般的だったようです。
「歌わないでした」と過去形にすることができないことなどから、「用言+です」の形は不安定だという認...続きを読む

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②このテーブルにはハンドルがついてて持ち運びやすい。

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それでも、には の場合はどうですか。

私の考えによると、一応ある言葉が「は」の前置かれて、いくらどんな長い文でも、最初から最後までのいずれの部分はみんなこの言葉を巡って説明するだろう。
①の場合、このテーブルは(ハンドルが付いてて)持ち運びやすい。
括弧の部分がなくても、 このテーブルは持ち運びやすい 「は」は役割を果たしているね


じゃ②場合はどうですか

このテーブルには 持ち運びやすい?

Aベストアンサー

この「は」は特殊性の認識を表わす副助詞です。

①このテーブルはハンドルが付いてて持ち運びやすい。

は、他のテーブルではなく、このテーブルというテーブルの特殊性の認識を表わします。

②このテーブルにはハンドルがついてて持ち運びやすい。

では、格助詞「に」が「このテーブル」の空間的な位置付けの認識を表わし、さらに副助詞「は」で、この位置付けの特殊性の認識を表わし、「このテーブル」の位置付けを強調しています。

このような、「は」は、

君がいくら探してもそこに【は】ない。
あの男だけ【は】信用できる。
博多まで【は】新幹線で行くことにする。

のように使用されます。

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これを一纏めにして混同し、主題を表わす、新情報を表わす、取立てを表わすなどと個別の文での機能を取り上げても混乱するばかりです。■

この「は」は特殊性の認識を表わす副助詞です。

①このテーブルはハンドルが付いてて持ち運びやすい。

は、他のテーブルではなく、このテーブルというテーブルの特殊性の認識を表わします。

②このテーブルにはハンドルがついてて持ち運びやすい。

では、格助詞「に」が「このテーブル」の空間的な位置付けの認識を表わし、さらに副助詞「は」で、この位置付けの特殊性の認識を表わし、「このテーブル」の位置付けを強調しています。

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①の文章に問題はないのでしょうか。

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・賛成の人もある。
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上の文は辞書や文法書には書いてありますが、実際にはもう使われないでしょう。
もっとも、古い昔の本を読む外国人もいるから、説明はしておかなければならないのが、日本語教師のつらいところ。



「~『に』は(モノ)があります」ならいい。
・彼には才能がある。
・私には時間だけはたっぷりある。
・両国間にはつながりがある。
・その意見には問題がある。

この場合、「に」はなくてもいいかもしれない。
・彼は才能がある。
・私は時間だけはたっぷりある。
・両国間はつながりがある。
・その意見は問題がある。

ただし、体の部分は難しい。というか、無理だろう。
・私には高い鼻がある。
・象には長い鼻がある。



「約5人の親友」という言い方にもびっくりですけどね。
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正しい表現は「大阪から羽田まで約1時間かかった」だと思いますが、
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Aベストアンサー

この場合の「約 1時間」は名詞でなく、副詞として使われていますので助詞は不要です。
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「大阪から羽田までは時間がかかる」の場合の「時間」は名詞として使われていますので助詞「が」をつけます。

Qすみません、教えて下さい。 例: 彼は、車の運転はできるが、あまり上手ではない。 上の文に「車の運転

すみません、教えて下さい。
例:
彼は、車の運転はできるが、あまり上手ではない。

上の文に「車の運転はできるが」と書いているけど、ふだん、「車の運転ができる」ではないですか。
「は」を使う理由がありますでしょうか。


もう一つの質問:
「間」の使い方について

例えば
1時間の間がよく見ますけど
同じように
30分間
75秒間
も使っても大丈夫ですか。

時間を表す時は何でもに使ってもいいですか。
一年間?
一ヶ月間?

こちらのサイトは勉強になっていますので
皆さんに感謝します。
宜しくお願いします。


A. 一分間は六十秒あります。
B. 一分は六十秒

Aベストアンサー

1.
(ア)
「は」は、「主題提示」という用法。
「車の運転ということに関して言えば~」という意味で使いたい場合は、

・彼は、車の運転はできるが、あまり上手ではない。

と表現する。

(イ)
が」は、「希望・好悪・能力などの対象を示す」という用法。
「車の運転をする能力」に重点を置きたい場合は、

・彼は、車の運転ができるが、あまり上手ではない。

と表現する。
一般的には、a のように表現するほうが自然です。

2.
(ウ)
・30分間=30分+間
・75秒間=75秒+間
・1年間=1年+間
・1ヶ月間=一ヶ月+間
ですが、
1時間=1時+間
ではありません。
「1+時間」という意味です。
「30分待ってください」
「30分間待ってください」は、両方言えますが、
「1時待ってください」とは言えない。
「1時間待ってください」と言う。

(エ)
#5さんがおっしゃるように、
「時間の幅」を表す場合は、「間」を付けます。
「時間の概念」を表す場合には、「間」を付けません。
通常、厳密な区別は殆んどしません。
〇A. 一分間は六十秒あります。 ⇒ 一分という時間の幅は六十秒あります。
〇B. 一分は六十秒。⇒ 一分という時間の概念は六十秒を意味します。

ただ、「かかる」などのように、明らかに「時間の概念」を表す場合には基本的に付けない。
〇C.家から学校まで30分かかります。
×D.家から学校まで30分間かかります。
〇E.説明するのに5分程度かかります。
×F.説明するのに5分間程度かかります。

とはいえ、この場合でも、「幅」と「概念」の峻別が難しいため、あまり神経質に考えなくても大丈夫です。

1.
(ア)
「は」は、「主題提示」という用法。
「車の運転ということに関して言えば~」という意味で使いたい場合は、

・彼は、車の運転はできるが、あまり上手ではない。

と表現する。

(イ)
が」は、「希望・好悪・能力などの対象を示す」という用法。
「車の運転をする能力」に重点を置きたい場合は、

・彼は、車の運転ができるが、あまり上手ではない。

と表現する。
一般的には、a のように表現するほうが自然です。

2.
(ウ)
・30分間=30分+間
・75秒間=75秒+間
・1年間=1年+間
・1ヶ月間...続きを読む

Q(2)がなぜ終止形になるのか教えてください

(2)がなぜ終止形になるのか教えてください

Aベストアンサー

「とも」という接続助詞は、「動詞型・形容動詞型活用語の終止形、形容詞型活用語および助動詞『ず」の連用形に付く」となっています。
「なり」(断定の助動詞)は形容動詞型活用語に入っています。
  [活用表]
          未然 連用 終止 連体 已然 命令
形容動詞      なら なり なり なる なれ なれ
             に
助動詞(「なり」) なら なり なり なる なれ なれ
             に
のように、全く同型です。したがって、「終止形接続」の仲間に入ることになります。
(現代語の「静かだ」という形容動詞と「だ」という断定の助動詞も同じになります。「だろ だっ・で・に だ な なら ○」)

Q国文法の助動詞と日本語教育文法の接辞と語尾について

国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)とされています。
ナ形容詞(国文法の形容動詞)の場合はいずれにしても語尾(スフィックス)ですが、
イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、語尾でしょうか。

Aベストアンサー

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

  丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思うのですが、日本語文法
  では何に位置付けられているのかを知りたいのです。

というところで、「丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思う」とありますが、ここも「繋辞ではなく」なのでしょうか。

大事な用語が違っていては、何が何だかわからなくなります。

ああ、もっと後の「コメント」で、

  この形容詞(イ形容詞)に用いられる「です」は形容詞(イ形容詞)の語尾(sufix,
  суффикс)なのか、繋辞(copulă, связка)なのかという質問です。

とありますね。「語尾(sufix」ということは、「語尾=接辞(suffix)」ですね。これではっきりしました。
しかし、この「です」はどう見ても、二つの名詞を「繋いで」はいないので、「繋辞」ではありえないでしょう。

井口厚夫の説明がわかりやすくていいですね。コピュラでなく、活用語尾とも言えない。形容詞普通体の、独立できる形にくっついているだけですから。
しいて分類するなら「接辞」でしょうか。

それにしても、

  いろいろな考え方のご紹介は結構ですので、「赤いです。」の「です」を助動詞
  という用語を使わずに外国人にどう教えるのかについてだけご存知の方のご説明
  をお願いします。

という最後のコメントは強烈ですね。

「どう教えるか」という観点から言えば、この「です」の品詞論・形態論的位置づけをごちゃごちゃ考える必要はない、でいいんじゃないですか。そんなことを学生に言う必要もないし、教師も悩む必要はない。
「形容詞の後について「丁寧」の意味を加える」、と言えば終わりです。

日本語学としてこの辺の形態論を教えるなら、何か適当なことを言わなければなりませんが、「日本語文法」での定説・通説などないし、例外的な用法なので例外として扱うのがいいでしょう。

そう言えば、初めの「日本語(教育)文法」とは何を指しているのか、という問いへのお答えはないのですね。まあ、いいですけど。

saburoo

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

...続きを読む

Q次の文に欠落している「何を」は何のことでしょうか。

これからこの個室で、ご利用者のサービスに還元できるか、スタッフのやり甲斐を見いだせる機会を作れるか、自法人の将来をどう切り開いていくかなど、しっかり熟慮し、実行できるように努めたいと思います。

(出典 https://ameblo.jp/raven-jj-rambo/entry-12404682794.html )

Aベストアンサー

#12です。

>「スタッフのやり甲斐を見いだせる機会を作れるか」は、「スタッフのやり甲斐をどう見いだすか」とすればより自然になるのではないでしょうか。

たしかに。
同意できます。
「見いだせる」「作れる」と可能形が重なっているので良くない。
採点甘すぎましたかね。

>「お楽しみブログだから間違いや意味不明なところがあっても構わない。誤記やてにをはなどをいちいち気にしていたら、楽しくブログを書くことはできない」

程度問題でしょうね。^^;

Q「する」の可能形

「される」は「する」の受身、尊敬形だと思いますが、可能、自発形でもあるのでしょうか。

Aベストアンサー

>される には可能の意味もある(あるいは、あった)ということですね。
「勉強さ・れる」は「サ変動詞」の未然形に「れる」(「れる・られる」の「れる」の方)が付いたものです。これが今でも正しい形と考えられています。しかし、実際使うと「受身・尊敬・可能・自発」の意味を兼ねているため、分かりにくいのは確かです。
そこで、「勉強+できる」(勉強ができる)という「複合動詞」の方が分かりやすいことが理由で使われます。
 なお、「れる・られる」(せる・させるも同様)は、「れる」は五段活用に付き、それ以外の(上一・下一・カ変・サ変)活用には「られる」付くという分類が分かりやすいのですが、「サ変」だけは「五段」と同じように「れる・せる」がつきます。
 勉強さ・れる(勉強さ・せる)

>できる が する の可能動詞と言えると思いますが語源的には する と できる は全く別のものでしょうね。「できる」は可能の意味を持った動詞です。(上一段活用)


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