「所沢飛行場誕生100周年記念」陸軍所沢飛行場跡をとことこ・・・・
2011年4月3日
今年の4月1日に日本初の飛行場、所沢飛行場が誕生100周年となった。
記念式典が行われる予定でしたがこのご時世で中止となりました。
勝手に「100周年記念」に陸軍所沢飛行場跡をとことこしました。
所沢飛行場は戦前の陸軍所沢飛行場、戦後アメリカ軍の接収時代の所沢基地と大きく分けられます。
今回は陸軍所沢飛行場跡の周りをとことこします。
今後は、気が向いたら「戦後の所沢基地」「航空公園内で所沢基地跡を探そう」をとことこ予定
コース
西新井町交差点 ⇒航空公園 正面口 ⇒航空公園交差点
⇒東京航空交通管制部 ⇒所沢通信基地 ⇒東部浄水場 ⇒中新井緑地 ⇒中新井
⇒川越所沢線 ⇒所沢北町 ⇒新所沢駅 ⇒航空公園駅 ⇒西新井町交差点
1.西新井町交差点をスタート
基地正面ゲート跡があった西新井町交差点を起点に
反時計回りで陸軍所沢飛行場の周りをとことこ行きます。
2.航空公園 正面口
浦所街道沿いの歩道は自転車専用側は昔からの歩道で
歩行者専用側は基地の敷地内でした。
3.航空公園交差点
基地東ゲートがありました。
浦所街道を離れ左側へとことこ・・・・・
4.昔はこの植え込みに道路がありました。
5.東京航空交通管制部前をとことこ・・・・・
中国地方東部(高知県、岡山県、鳥取県)から東北地方南部(宮城県、山形県)の範囲を飛ぶ
飛行機の交通を管理行う機関です。
<参考>国土交通省航空局 情報区(FIR)及び管制部管轄空域
6.航空管制部前交差点
6.中国帰国者定着促進センター前をとことこ・・・・・
1984年(昭和59年)に中国残留孤児が日本に永住帰国することに伴って生ずる問題、
言葉、習慣などの教育等を行う機関として開設しました。
その後、中国残留孤児の帰国が少なくなり中国・樺太等帰国者を受け入れているようです。
まだここには「戦後」があります。
<参考>中国帰国者定着促進センター
この裏はアメリカです。とことこ・・・・・
アメリカ軍 所沢通信基地
7.とことこ・・・・・ここは昔、砂川堀がありました。
8.給水タンク群が見えて歩道を突き当たると砂川堀が見えます。
水色矢印=水の流れ
歩道の下に再び流れています。そして東川に流れ込みます。
砂川堀の上流は暗渠になっています。そこをさかのぼります。
9.団地群横をとことこ・・・・・
10.中新井緑地をとことこ・・・・・
道路の幅はほぼ昔のままです。
11.桜の古木があります。
12.富士見緑地
遊水地が見えてきます。
遊水地を迂回するとやたら広い道路があります。
この下に川があります。
ひたすらとことこ・・・・
13.やがてガードが置かれている所に突き当たります。
川の分岐点のようです。
道をカックンと曲がり真っ直ぐにとことこ・・・・・
隣りの畑に川の印が・・・・
埼玉県の境杭と
砂川堀の基準点が見られます。
14.川越所沢線にぶつかります。
ここはいかにも暗渠らしく蓋をした歩道になっています。
舗装された歩道に変りとことこ・・・・
15.とことこ・・・・
とことこ・・・・
ところどころで基準点が見受けられます。
砂川堀都市下水路
参考資料
掩体壕と砂川堀
http://f57.aaa.livedoor.jp/~maika/Entaigou.htm
16.所沢北町交差点
とことこ・・・・
砂川堀がここで顔を出します。
17.道なりに進むと新宿線にぶつかります。
昔ここに踏切があったようです。
新所沢駅を渡り線路沿いをとことこ・・・・
18.とことこ・・・・
19.航空公園駅
20.線路沿いをとことこ・・・・
反対側に所沢基地時代のフェンス跡がみられます。
西新井町交差点ゴール
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所沢飛行場歴史概要
1911年(明治44年)4月1日 日本初の陸軍飛行場として開設
1912年(大正元年)11月17日 大正天皇御訪問
1913年(大正2年)3月28日 日本初の航空機事故
1915年 (大正4年) 7月21日 皇太子(のちの昭和天皇)御訪問
1917年(大正6年)~1923年(大正12年)にかけて115.7ha拡張
1919年(大正8年)4月14日 陸軍航空学校及び補給部支部を設置
1920年 (大正9年) 所沢航空学校開設
1933年~1936年(昭和11年)にかけて245.3haに拡張
1935年(昭和10年)11月8日 航空兵団司令部設置
1937年(昭和12年) 陸軍航空整備学校を設置、所沢陸軍飛行学校閉校
1938年(昭和13年) 陸軍航空総監部設置
1945年(昭和20年)2月所沢陸軍航空整備学校閉鎖
1945年(昭和20年)9月12日 米軍に接収 「キャンプ所沢」となる兵器補給分廠(しょう)
1961年(昭和36年)4月19日 - 所沢補給廠(Tokorozawa Depot)に名称変更。
1966年(昭和41年)兵站(へいたん )補給施設機能が転出
1968年(昭和43年ベトナム戦争のため医療廠ができる
1968年(昭和43年)6月 大陸間弾道ミサイル探知用レーダー設置
1971年(昭和46年)6月30日 医療廠は廃止
1971年(昭和46年)6月30日第一次返還
1975年(昭和50年)9月 短波無線送信所機能が移転
1976年(昭和51年)10月 所沢補給廠から所沢通信基地となる
1978年(昭和53年)6月20日第二次返還
1979年(昭和54年)3月28日所沢航空記念公園オープン
1982年(昭和57年)6月30日第三次返還
1987年(昭和62年)5月28日 航空公園駅開業
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今年の4月1日に日本初の飛行場、所沢飛行場が誕生100周年となった。
記念式典が行われる予定でしたがこのご時世で中止となりました。
勝手に「100周年記念」に陸軍所沢飛行場跡をとことこしました。
所沢飛行場は戦前の陸軍所沢飛行場、戦後アメリカ軍の接収時代の所沢基地と大きく分けられます。
今回は陸軍所沢飛行場跡の周りをとことこします。
今後は、気が向いたら「戦後の所沢基地」「航空公園内で所沢基地跡を探そう」をとことこ予定
コース
西新井町交差点 ⇒航空公園 正面口 ⇒航空公園交差点
⇒東京航空交通管制部 ⇒所沢通信基地 ⇒東部浄水場 ⇒中新井緑地 ⇒中新井
⇒川越所沢線 ⇒所沢北町 ⇒新所沢駅 ⇒航空公園駅 ⇒西新井町交差点
1.西新井町交差点をスタート
基地正面ゲート跡があった西新井町交差点を起点に
反時計回りで陸軍所沢飛行場の周りをとことこ行きます。
2.航空公園 正面口
浦所街道沿いの歩道は自転車専用側は昔からの歩道で
歩行者専用側は基地の敷地内でした。
3.航空公園交差点
基地東ゲートがありました。
浦所街道を離れ左側へとことこ・・・・・
4.昔はこの植え込みに道路がありました。
5.東京航空交通管制部前をとことこ・・・・・
中国地方東部(高知県、岡山県、鳥取県)から東北地方南部(宮城県、山形県)の範囲を飛ぶ
飛行機の交通を管理行う機関です。
<参考>国土交通省航空局 情報区(FIR)及び管制部管轄空域
6.航空管制部前交差点
6.中国帰国者定着促進センター前をとことこ・・・・・
1984年(昭和59年)に中国残留孤児が日本に永住帰国することに伴って生ずる問題、
言葉、習慣などの教育等を行う機関として開設しました。
その後、中国残留孤児の帰国が少なくなり中国・樺太等帰国者を受け入れているようです。
まだここには「戦後」があります。
<参考>中国帰国者定着促進センター
この裏はアメリカです。とことこ・・・・・
アメリカ軍 所沢通信基地
7.とことこ・・・・・ここは昔、砂川堀がありました。
8.給水タンク群が見えて歩道を突き当たると砂川堀が見えます。
水色矢印=水の流れ
歩道の下に再び流れています。そして東川に流れ込みます。
砂川堀の上流は暗渠になっています。そこをさかのぼります。
9.団地群横をとことこ・・・・・
10.中新井緑地をとことこ・・・・・
道路の幅はほぼ昔のままです。
11.桜の古木があります。
12.富士見緑地
遊水地が見えてきます。
遊水地を迂回するとやたら広い道路があります。
この下に川があります。
ひたすらとことこ・・・・
13.やがてガードが置かれている所に突き当たります。
川の分岐点のようです。
道をカックンと曲がり真っ直ぐにとことこ・・・・・
隣りの畑に川の印が・・・・
埼玉県の境杭と
砂川堀の基準点が見られます。
14.川越所沢線にぶつかります。
ここはいかにも暗渠らしく蓋をした歩道になっています。
舗装された歩道に変りとことこ・・・・
15.とことこ・・・・
とことこ・・・・
ところどころで基準点が見受けられます。
砂川堀都市下水路
参考資料
掩体壕と砂川堀
http://f57.aaa.livedoor.jp/~maika/Entaigou.htm
16.所沢北町交差点
とことこ・・・・
砂川堀がここで顔を出します。
17.道なりに進むと新宿線にぶつかります。
昔ここに踏切があったようです。
新所沢駅を渡り線路沿いをとことこ・・・・
18.とことこ・・・・
19.航空公園駅
20.線路沿いをとことこ・・・・
反対側に所沢基地時代のフェンス跡がみられます。
西新井町交差点ゴール
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所沢飛行場歴史概要
1911年(明治44年)4月1日 日本初の陸軍飛行場として開設
1912年(大正元年)11月17日 大正天皇御訪問
1913年(大正2年)3月28日 日本初の航空機事故
1915年 (大正4年) 7月21日 皇太子(のちの昭和天皇)御訪問
1917年(大正6年)~1923年(大正12年)にかけて115.7ha拡張
1919年(大正8年)4月14日 陸軍航空学校及び補給部支部を設置
1920年 (大正9年) 所沢航空学校開設
1933年~1936年(昭和11年)にかけて245.3haに拡張
1935年(昭和10年)11月8日 航空兵団司令部設置
1937年(昭和12年) 陸軍航空整備学校を設置、所沢陸軍飛行学校閉校
1938年(昭和13年) 陸軍航空総監部設置
1945年(昭和20年)2月所沢陸軍航空整備学校閉鎖
1945年(昭和20年)9月12日 米軍に接収 「キャンプ所沢」となる兵器補給分廠(しょう)
1961年(昭和36年)4月19日 - 所沢補給廠(Tokorozawa Depot)に名称変更。
1966年(昭和41年)兵站(へいたん )補給施設機能が転出
1968年(昭和43年ベトナム戦争のため医療廠ができる
1968年(昭和43年)6月 大陸間弾道ミサイル探知用レーダー設置
1971年(昭和46年)6月30日 医療廠は廃止
1971年(昭和46年)6月30日第一次返還
1975年(昭和50年)9月 短波無線送信所機能が移転
1976年(昭和51年)10月 所沢補給廠から所沢通信基地となる
1978年(昭和53年)6月20日第二次返還
1979年(昭和54年)3月28日所沢航空記念公園オープン
1982年(昭和57年)6月30日第三次返還
1987年(昭和62年)5月28日 航空公園駅開業
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