ずっとくすぶっていた『風と共に去りぬ』の黒人描写が、反黒人差別運動のもりあがりを受けて、映画の配信一時停止にいたった。
過去の作品を現代の価値観で位置づけることを否定するなら、『風と共に去りぬ』という映画そのものが否定されるのでは - 法華狼の日記
『風と共に去りぬ』は自由奔放な女性を主軸にした先進的なドラマだが*1、黒人が奴隷階級におかれている社会をうたがいはしない。
たとえ個々の黒人は善良と描写したり、白人男性へ批判的な観点もあっても、社会の構造そのものを批判できなければ、むしろ社会のありようは強く固定されてしまう。
たしかに敗北した南部への郷愁をかきたてつつも先進的な物語だったし、その女性像は現在も新しさを感じさせるだろう。青木冨貴子氏が著作でくわしく分析している*1。
- 作者:青木 冨貴子
- 発売日: 1996/04/22
- メディア: 新書
たとえば主人公は重税をはらうために立ちまわり、伝統に反した考えを育てていく。小説の描写を孫引きしよう*2。
男は全知全能で、女はただ美しいだけのものという伝統のなかで育ったスカーレットにとって、女でも男と同様、あるいはそれ以上に、りっぱに事業が経営できるという考えは、まさしく革命的なものだった。
しかし、あくまで黒人を格下に位置づける描写は古びている。「革命的」な主人公も例外ではない。
黒人を「解放」した側の北部女性が実生活では「オールド・ニガー」「ひきがえるのようにふくれている」*3などと蔑視を公言したことへ、主人公が批判する場面を引こう*4。
あの女たちは、ピーターじいやが黒いというだけで、彼女たちとおなじように敏感に侮辱を侮辱と感じ取る耳も感情もないと思っているのだろうか? 黒人というものは、こどもみたいにさとしたり、ほめてやったり、甘やかしたり、叱ったり、やさしく扱ってやらなければいけないということを知らないのだ。
おぞましい無自覚な差別を風刺した描写としてなら現代でも通用するだろう。藤子・F・不二雄『ミノタウロスの皿』*5の主人公が、言葉がつうじるのに話がつうじない恐ろしさを痛感する場面のように。
しかし作中で差別に位置づけられていないとなると、当時でもアウトではないだろうか?
事実として、発表した時点で黒人描写は問題をかかえているとみなされ、ずっと懸念や批判をむけられていた。それを無視できる力が作者にあったにすぎない。
たとえば出版社が原稿を激賞しながらも「マミーの猿面」「黒い前足」などの表現を注意して、作者が釈明しつつ修正を拒否したことがわかっている*6。
二グロたちが自分の手を“黒い前足”と表現するのを何度も聞いているし、また哀しげな表情の年老いて皺だらけの二グロの女は、大きな猿としか見えないから、あのように描写したまでです。
北部人の「ひきがえる」という表現を作中で批判しながら、よくこのような釈明ができたものだと思った。
映画が公開された1939年にも、作者が友人へおくった手紙において、大学奨学金などで黒人を助けてきたのに不当な批判をあびているという自認が書かれている*7。
本が発売されてから、黒人白人を問わない急進的で共産主義的な雑誌が”この本は黒人を侮辱するものだ”とだけ書いて、ケチをつけはじめました。この二年間というもの彼らは、なぜ、この本が黒人を侮辱するのか、その理由をみつけられませんでした。
その手紙には、ラディカルな雑誌に賞賛されたら堂々と街を歩けないので、それらに嫌悪されることは喜んでいると書きつつ、黒人からの批判には悲しんでみせる*8。
でも、二グロの攻撃には悩まされています。神の知るように、わたしは黒人を侮辱しようなんていうつもりは、かつても、今も、まったくないのですもの。
侮辱しているという自覚は作者にはなかったのだろう。それは真意なのだろう。
しかし後世の人間として審判するならアウトをとらざるをえないし、それこそが過去への誠実な態度だろう。
*1:ただ1996年が初版なためか、現在に読むとこの著者の筆致にも違和感が散見された。具体的には148~149頁において作者の手紙を紹介したくだりで、人種差別への批判は感情的になることが当たり前としつつ、それゆえ論文までふくめて一般的に論理的なものが少なくて一方通行に終わると評している。
*2:69頁。
*3:この描写自体は歴史の一側面を背景としており、北部批判として一利はある。
*4:71~72頁。
*5:
- 作者:藤子・F・ 不二雄
- 発売日: 2011/10/25
- メディア: コミック
*6:146頁。少し違う話として、青木氏は黒人の会話だけが南部訛りで書かれている原書に対して、南部白人も当時は訛りがあって、むしろ影響元なはずなのにそうではない不自然さを67頁で指摘している。それを延長すれば、白人の奴隷状態におかれていた黒人が自認する表現もまた、白人の認識に影響されていると考えられないだろうか。
*7:147頁。
*8:148頁。