15話 大昔に大百足退治をしたことがあるとか言ってなかったっけ?
エント帝国の冒険者たちにとって、エルフの森は未知の領域だった。
冒険者などと呼ばれるぐらいだ。危険に満ちた場所であろうと冒険にでかけるものかと思われがちだが、冒険者は冒険者システム外で活動は行わない。
冒険者システム内であれば、クエストを達成したかは明確に判定されるし、倒した敵も全てカウントされそれに応じた報酬が支払われる。
だが、エルフの森は不思議な力で外部からの力を遮断していた。帝国が管理する冒険者システムすらはね除ける人外魔境なのだ。
そのため、わざわざエルフの森へと行くものはほとんどいない。
行ったところでエルフや魔物に襲われるだけであり、倒したところでなんの見返りもないとなれば行くだけ時間の無駄なのだ。
しかし、難易度EXで発行されたクエスト「王家の残党を殲滅せよ!」によって事情は一変した。
このクエストは特殊なものだった。
王家の者たちがエルフの森に向かっているので、それを狩ってこいというものなのだ。
討伐系クエスト自体は珍しくはないが、達成条件がいままでにないものだった。
王族の首を帝都に持ち帰ること。それにより望むがままの報酬が支給されるというものだった。
落ち延びた王族は五名。
当然早い者勝ちなため、冒険者たちは色めきだった。
王族はただの人間なので、倒す事はそれほど難しくないだろう。
つまり、弱小冒険者であっても、発見さえできればチャンスはあるということだ。
なので、エルフの森に冒険者たちが殺到することになるのは当然の帰結だった。
*****
「で、弱小パーティどもが死屍累々ってわけなんだが」
そう言うのはSランクパーティ「ゲヘナ」のタクヤだった。
クラスはサムライ。
鎧兜を身につけている。
「まあ。冒険者はギフト持ちで、皆自信過剰ですからね」
自嘲気味に言うのは魔法使いのカナメだ。ローブをまとい杖を持つ姿はいかにもそれらしい。
エント帝国で冒険者と呼ばれるのは例外なくギフトを持つ者たちだった。
そうでなければ化け物どもと戦うことなどできはしない。
冒険者システムとは、クエストの判定に用いられているだけのものであり、冒険者としての力を与えるものではないのだ。
「しかし、王家の残党を倒せとはどう思う? どちらかといえば王家側の味方をした方が正義の味方のようなのだが?」
不満そうなのは暗殺者のキミタカだった。
クラスには衣装による能力補正があるため、大抵の冒険者はそれらしい格好をするが、キミタカはとりたてて特徴のない服を着ている。
この三名がゲヘナのメンバーだ。
「クエストの詳細を気にしたって仕方なくね?」
「帝国に楯突いて冒険者の資格を失いたくはないですね」
「それはそうだが」
東エント側からエルフの森に入ってすぐの地点だった。
冒険者らしき者たちの死体が散乱していて、蟲にたかられている。
「隼円斬!」
タクヤが抜刀する。
たかっていた蟲どもは、まとめて真っ二つになった。
「無駄に戦うのはやめたほうがいいのでは? ここで何匹倒そうと報酬とは無関係なのですから」
「けどよ。目に付いたやつらをほっとくわけにもいかねぇだろ」
無視して通り過ぎて、背後から襲われてはたまったものではない。
だが、数十匹を倒したところで大した意味はなかった。
「チチチチチチチッ!」
「ゲゲ、ゲゲゲ、ゲ」
「ガ、ガ、ガ、ガ」
いつの間にか、大小様々な蟲たちに囲まれていたのだ。
「くそっ! 隼円斬!」
「マルチプル・ファイヤバースト!」
タクヤとカナメが範囲攻撃を放つ。
蟲どもは、まとめて斬り裂かれ、燃やし尽くされた。
「森の中で炎を使うのはまずくないか?」
「大丈夫ですよ。そう簡単に燃えるものなら苦労はありません」
エルフの森など邪魔でしかない。
幾度も開拓が試みられたし、燃やそうとする計画もあった。
だが、エルフの森は何をどうしようとその領域を減らすことはなかった。
少々減らそうとすぐに復活するし、木の一本や二本を燃やせたとしても、燃え広がることはなかったのだ。
「ギャギャギャ!」
「テケテケテケテケ!」
「増えてやがる! どういうことだよ!」
「仲間を呼んでいるのでしょうか!」
蟲は次から次にあらわれた。
一匹一匹の強さは大したことがないが、倒しても倒してもあらわれるのだ。
「この先にひらけた空間がある。そこまでいけば立て直せるだろう」
ここまで戦っていなかったキミタカが言う。
暗殺者のクラス特性として集団戦は得意としていないが、諜報関連のスキルを持っているのだ。
「よし!」
蟲どもを蹴散らしながら三人は駆けていく。
すぐに、キミタカがいうところの空間に到着した。
「蟲は……こないな」
「木々がないところは苦手なのでしょうかね」
短い草が生えているだけの、広場だった。
「少し休憩して対策を考え――なに!?」
地面が揺れ、訝しく思った瞬間、タクヤの体は地面に飲み込まれていた。
あっというまに、上半身だけが地面から出ている姿になっていたのだ。
「落とし穴ですか?」
「さっさとひきあげ――ギャァー!」
地面が盛り上がり動き出し、タクヤの上半身だけが地に落ちた。
「こ、これは……地面に擬態したスライム状の……」
盛り上がった地面は、半透明の状態になっていた。
その内部にはタクヤの下半身があり、透明な体は血で赤くなっている。
「く、くそっ! 俺の体が!」
Sランク冒険者はこの程度で死にはしない。
だが、戦力が激減したのは間違いなかった。
「ぐももおおおおおお!」
「今度はなんです!?」
地響きとともに、それはあらわれた。
見上げる程に巨大な蟲。
歩く度に地面が揺れるほどに大きな甲虫が、広場にあらわれたのだ。
「に、逃げましょう!」
「おい、俺を置いていくな!」
だが、誰もその場から逃げることはできなかった。
甲虫が頭部に備える巨大な角。
それが、雷光を放ったのだ。
それは、広場全体を覆い尽くし、そこにいる全てに等しく襲いかかる。
スライムは弾けて内容物をばらまき、ゲヘナのメンバーは黒焦げになった。
巨大甲虫は悠々と広場の中程までやってきて、スライムの残骸をすすりはじめる。
「こ、ここは……外の世界とはまるで……」
スライムを喰らい尽くした甲虫は、そのまま前進を開始した。
甲虫は冒険者など眼中になかったのだろう。
まだ生きていた冒険者たちは、甲虫に踏まれて死んでいった。
*****
「あっつい……」
知千佳はくたびれていた。
夜霧よりも体力があるのは間違いないが、それでも不快感が相手ではどうしようもないのだろう。
エルフの森の中。
そこは熱帯雨林のごとき様相をしており、当然のように高温多湿の環境だった。
ねっとりとした青臭い空気の中を、枝葉を斬り裂いて無理矢理に進んでいる。地面の高低差が激しく、少し進むだけでも難儀する始末だった。
知千佳は、またもや水着のような格好になっている。
いつもは習慣でなんとなく学校指定のシャツとネクタイをしている夜霧も、薄手のシャツに着替えていた。
普通なら、ジャングルで薄着など自殺行為だろう。
ヒルや蚊やダニといった、肌に取り付く害虫の餌食になってしまうだけだが、そこは夜霧の能力でどうにでもなっていた。
それらは、近づいてくるだけで、死んでいくのだ。
「って、なんか揺れてない!?」
言われてみれば大地が揺れているようだった。
地震というわけではなく、一定間隔で重低音とともに震えている。
そして、それは徐々に大きくなっていた。
ズンという大地を揺るがす音と、メキメキという木々がへし折れていくような音が近づいてきているのだ。
そして、それは木々を踏み倒しながらあらわれた。
「へ!? 象?」
「にしては、表皮が艶々としすぎておるの」
「蟲……かな?」
巨大な虫だった。
象と見紛うほどの大きさの、甲虫がやってきたのだ。
体高は5メートルほど。
足は六本で全てが太い。全体的に丸く、頭部には立派な角が生えていた。
「なぁ? こんなとこにエルフって住んでるのかな?」
「私に聞かないでくれる!?」
「こいつ俺たちを狙ってやってきた……ってわけでもなさそうだけど」
「だがまぁ遭遇してしまったとなると、こいつはどう動くものやら」
「カブトムシだと樹液を吸ったりだろ? 人は襲うのかな?」
「肉食の甲虫もおるしのう」
今のところ、明確な殺意は向けられていない。
刺激しなければ問題なさそうだった。
「道を譲ろう。というか、こいつが進んだ後をついてった方が移動は楽そうだ」
「こやつの進む先が目的地かどうかはわからんがな」
夜霧たちは巨大甲虫の進路をそれた。
甲虫は夜霧たちなど眼中にはないようでそのまま前へと進んでいく。
そこに、巨大な樹木が倒れかかった。
「いや……あれは木ではない! 木に擬態した虫のようだ!」
「ナナフシみたいなもんか」
「昆虫ですらないのかもしれんな。やけに足が多い」
木のような何かが甲虫に絡みついた。
「グモォオオオオオオ!」
「キシャアアアアアァアアア!」
蟲たちが雄叫びを上げた。
「なんなのこれ!? 昆虫が戦いだしたら私たちどうしたらいいの!?」
「俺は、おっきい甲虫の方を応援したい」
「見てないで逃げようよ!」
巨大甲虫が体を震わせ絡みつく虫を引き剥がそうとする。
木のような虫は、足を外骨格の隙間に突き刺そうと蠢いていた。
今のところ、奇襲を受けて角をへし折られた甲虫の方が分が悪そうだ。
夜霧は勝負の行方を見守っていたが、幕切れは唐突に訪れた。
突風が巻き起こり、争っていた二体の姿が消えたのだ。
「え? 次はなんなの!?」
目の前に巨大な何かがあった。
唐突にあらわれた黒い壁のようなもの。
よくみれば、それも虫の体のようだった。
とてつもなく長大な虫が、目の前を塞いでいるのだ。
「百足……かのう?」
森が斬り裂かれたようになり、空が見えるようになっていた。
上空に先程まで争っていた虫たちの姿がある。
それらは、巨大な顎にまとめて咥えられていた。
ぐしゃりと音がして、虫たちはばらばらになって落ちてきた。
「もこもこさん。大昔に大百足退治をしたことがあるとか言ってなかったっけ?」
「いや……さすがにここまで大きくはなかったのだが」
昔の日本には、鬼やら大蛇やら大百足やらがいたともこもこは語っていた。
壇ノ浦流にはそれらを倒す術もあると自慢げに語っていたが、この状況で役に立つものではないらしい。
「まあ、ここまでのスケールだと俺たちなんて眼中に入らないんじゃないのかな?」
「むっちゃ見てる! あいつこっちに興味津々なんだけど!」
大百足は、次の獲物はお前たちだとばかりに頭部を夜霧たちへと向けていた。
「死ね」
大百足の巨体がぐらりと揺れる。
持ち上げた体が一気に倒れていき、森を押しつぶすように横たわった。
地面が波打った。これまでの揺れなどとは比較にならないほどに大きく揺れたのだ。
「なんなんだよ、ここ! どこがエルフの森なわけ!?」
「想像していた以上に危ない場所だな」
「それでだ。言いにくいのだが、迷っている気がするのだ」
もこもこが唐突にそんなことを言い出した。
「え? 真っ直ぐ進んでたんじゃないの?」
「進んでいたつもりではあったのだがな」
「いやいや。斬り裂きながら進んでるんだから、真っ直ぐ進んでるかどうかぐらい……」
知千佳は振り向いたので、夜霧もそちらを見た。
森は散々に荒れていた。
巨大な蟲が移動することで、周辺の環境は簡単に激変するのだ。
「海が見えればどうにかなるんじゃなかったっけ? もこもこさんが上空に飛んで確認すれば」
「それがだな。この森は魔力やら呪力やら瘴気やらが混ざり合ってあふれておってな。あまりお主から離れることができんのだ」
「それ、もうちょっと早く言ってよ!」
「暗くなってきたな。日が落ちてきたかも」
夜霧が時計を確認すると夕刻になっていた。
「よし! 今日はここまで!」
休んだところでなんの解決にもならないが、とりあえずは野営することになった。
もこもこが触丸で周囲を念入りに切り拓き、そこに触丸でテントのようなものを作りあげる。
三人は中に入り床に座った。
床はクッション性があり、座り心地は悪くない。
中に入れば継ぎ目はなく、完全に周囲の影響を遮断することができた。
「あ、涼しい。どうやってんの?」
「触丸でクーラーの仕組みを再現しておるだけだ。ボイル・シャルルの法則など学校で習ったのではないか?」
「うう……平安時代の幽霊に知識でマウントとられる私って……」
「これは移動中にはできない?」
「移動しながらの制御は難しいのう」
「ま、暑さ対策なんかも含めて、明日からのことを相談しとこう」
「まぁ……ちょっといきあたりばったりすぎたよね……」
「うむ。今となっては現在地もよくわからん状態だな」
「方角ぐらいはわかんないかな? 槐にそういう機能ないの?」
「地磁気を検知する機能はあるが、地球とは違うからのぉ。ほぼ役には立たぬ。まあ、太陽や星を見ればある程度の目安はつけられるとは思うが」
「闇雲に進みすぎたな……ビビアンたちはどうするつもりだったんだろう?」
「そりゃ、計画があったんなら対策もあるんじゃないの? こんな森だってことは知ってたみたいだしさ」
マーヌは、偵察に行ってもエルフが出てこなかったと言っていた。
当然、エルフの森についてはある程度把握していたことだろう。
「そうだな。誰かに出会ったら話を聞いてみようか」
「誰かって誰? ビビアンたちと再会できるとは限らないと思うけど」
「大丈夫じゃないかな。森にくるまでも使徒が襲ってきてたから、ここにもそのうちやってくるんじゃない? 問題は、使徒たちが蟲とかにやられないかだけど」
「行き当たりばったりすぎる……」
夜霧も適当にここまで来てしまったことについては反省するしかなかった。