7話 拙者、この人たちに無理矢理つれてこられただけで、なんの関係もないのでござる!
ラグナの首が消し飛び、あたりを血に染めて倒れ、チンピラにしか見えなかった男が賢者を名乗る。
花川たちからすれば信じがたい出来事だが、冒険者ギルド兼酒場は通常営業を続けているようだった。
つまり、こんなことはここでは日常茶飯事なのだ。
――どうするでござる?
三田寺重人、丸藤彰伸、九嶋玲の三人は棒立ちだった。まだ状況を把握できていないのだろう。
そんな中、最初に動いたのは花川だった。
花川は土下座を敢行したのだ。
賢者とクラスメイトを天秤にかけて、どちらに付くべきかを判断した。
結論は、賢者の圧勝だ。
そもそも、賢者候補ごときが、賢者に勝てるわけがない。
重人の預言者の力を活用すれば、賢者に勝てる目もあったのかもしれないが、準備を整える前に遭遇してしまってはどうしようもないだろう。賢者を倒す為に必要とされる、世界剣オメガブレイドは今この手にないのだから。
花川の動きが重人たちよりも早かったのは、賢者と接した経験の差だろう。
花川は賢者の恐ろしさを身に染みて知っていた。
彼らに逆らってはいけない。
下手に反感を買う前に、殺す価値もないような惨めな存在だと思わせるのだ。
その手段として、花川は土下座を選んだ。
敵対の意思がないことを示すにはそれが一番だと思ったのだ。
それは実に滑らかで、見事な土下座だった。
もちろん、土下座になどなんの意味もない可能性はある。
相手の性格によっては、破れかぶれで攻撃したほうが、好感を持たれる可能性もある。戦いもせずに全面降伏など男らしくないと思う相手もいるかもしれない。
だが、ヨシフミは武人ではないはずだ。
惨めったらしく許しを乞う方が、チンピラ然とした男には有効だと花川は考えたのだ。
「拙者、この人たちに無理矢理つれてこられただけで、なんの関係もないのでござる! いわば被害者! 賢者様に敵対する意思などまったくないのでござる! ですが、こやつら実は賢者様を殺そうと計画してたりするんですよ! もうほんと、ひどいやつらなんでござる!」
「え? なんなの? お前?」
椅子に座っている男。賢者のヨシフミは呆気に取られているようだった。
少なくとも、いきなり花川を殺すことはなかったので、ひとまずは成功だ。
「俺を殺しにきたってかぁ? だが、その驚きようからすると俺がここにいるとは知らなかったようだなぁ」
ヨシフミはにやにやと笑っていた。
「運がわりぃったらありゃしねーよなぁ! こっちは暇潰しに新人潰してただけなのによぉ」
「花川、てめぇ……」
重人が憎々しげな声をあげるのが聞こえてくる。だが、花川はそちらを見もせず土下座を続けたままだった。
「預言とかさぁ、まどろっこしいと思ってたんだよね」
彰伸の言葉に反応するように、床がぐねりと蠢いた。
「ひいいぃい! こーゆーの前にも見たことあるのでござる!」
花川の手が触れている床が、赤黒い肉のようなものへと変わっていった。
建物の生物化。
それは、魔界最下層でも起こった現象だ。
あの時は、魔神の身体が融合し侵蝕していったようだが、これは彰伸の力によるものだ。
創造主。
それは、触れた物を生物に変えて支配する能力。
砦を巨人に変えることが出来るのだ。酒場の一軒を何かに変える程度のことは造作もないのだろう。
「賢者がいるってなら丁度いい。かみ砕いて消化しちまえばいいだけじゃん!」
不揃いの牙が天地に生え、巨大な舌が蠢き、奥には闇へと続く黒洞が出現している。
どうやら何かの口の中といった状況だ。
――あ、これは誰に取り入ろうと巻き込まれて死んでしまうやつでござるよ!
「うわあああああああ!」
酒場の客たちは叫び声をあげていた。突然の環境の変化に混乱しているのだ。
花川は、動かなかった。
動かないことを選択した。とでも言えれば多少は格好がつくのだが、この場合はただ判断がつかず動けなかっただけのことだった。
――いや、こんな場合でも土下座を続けていれば、状況に動じない見上げた奴。みたいな評価になったりしないでござるかね?
都合のいいことを考えていると、ぶよぶよになっていた床が硬くなるのを花川は感じ取った。
見てみれば、桃色だった肉の床が灰色へと変化している。
元は木製の床だったので、元に戻ったということはないようだが、石のようになっていた。
「へぇ? あれの対策はこれなのかよ」
ヨシフミがこれをしたようではあるが、自分でもよくわかっていないような口ぶりだった。
「ヨシフミぃ。あいつら逃げちゃったけど?」
「どうすんの? ほっとくの?」
「あほかよ。創造主はともかく、預言者と運命の女はほっとくとやっかいだ」
「なんで? 賢者なら賢者系統のギフトなんて無効化できるでしょ?」
「あ? 俺がそんなややこしい技術持ってると思ってんのか?」
「嘘ぉ? ヨシフミって見た目のまんま馬鹿なの?」
「あのな。そもそも俺がギフトをさずけてるの見たことあんのかよ」
「あ、そーいやないね。出し惜しんでるのかと思ってたけど、もしかしてできないの?」
「できないことはねぇよ? 向いてねぇんだよ」
「えー? いいわけくさーい! で、ほっとかないならどうすんの?」
「レナ。お前が行って始末しとけ」
「はーい」
レナと呼ばれた女が出ていき、沈黙が訪れる。
花川は顔を上げた。
牙が生え、ぐにゃりと歪んだ壁や床はそのままだが、全てが石のようになっていた。
「石化……でござるかね?」
「みてぇだな」
返事があるとは思っていなかった花川はびくついた。
「い、いやぁ。さすがは賢者様でござる! 彰伸殿の創造スキルをこのような形で破られるとは!」
「お前、卑屈でいいなぁ。俺はなぁ、俺を怖れて怯えて、縮こまってる雑魚は大好きなんだぜぇ?」
「ははぁ。恐悦至極にござるぅ」
花川は額を床にこすりつけた。
とにかくへりくだる。この路線でいくしかないのだと花川は判断した。