7話 だったら君は死ぬべきだ
「はあ? カウントダウンだ? いいぜ、俺をやってみろよ!」
ロバートが挑発するように少年の前へと馬を進めていく。
ジョルトは、憐憫を込めてその少年を見つめていた。
見た目は日本人なので、ジョルトたち転生者とは異なり転移者なのだろう。
もちろん、転移者が相手なら油断などしない。取り得る限りの手段で解析するのは当たり前だ。だが、結果は、ギフトを持たないただの少年だとわかっただけだ。
それにギフトを使えたところで、ダリアンが手がけた無敵装甲の前ではなんの意味もない。
「死ね」
少年がロバートを指差す。
実に滑稽な姿だった。それが最後の抵抗だというなら実に間抜けな話だ。
ジョルトは、この後の少年の姿を幻視した。
人としての姿を留めることはできないだろう。それがロバートの性癖だからだ。限界まで痛めつけられ、死んだ方がましだという苦痛を与えられ、それでも死ぬ事は許されない。
だが、ロバートは落馬した。
ジョルトには意味がわからなかった。
ぐらりとゆれたロバートは、馬から落ちてそのまま動かなくなったのだ。
「俺は、任意の相手を殺すことができるんだ。だから、立ち去ってくれ」
少年が、噛んで含めるように言う。
そこにあるのは諦めだ。
どうせあんたらには理解できないんだろうとでも言いたげだった。
言葉の意味はわかる。
ならば、ロバートはこの少年に殺されたのだ。
だが、わけがわからない。
ロバートの軍服には、ダリアンが開発した無敵装甲が施されている。
これは奇跡のごとき代物だ。以前、ダリアンはジョルトの魔法を無効化したことがあったが、それを誰にでも扱えるように、ただの布きれでしかない軍服に効果を付与したのだ。
それはどんな魔法も解析して無力化し、ありとあらゆる状態異常、属性攻撃、物理攻撃を完全に無効にする。
それは、この世界を支配するシステムに干渉していた。
だからこその無敵なのだ。
ダリアンが気まぐれで作ったような代物ではあるが、それでも今までにこの装甲を破ったものはいない。
システムに囚われている者にとって、この装甲は想像の埒外の存在だ。
この世界では力とはギフトのことであり、ギフトはシステムが処理する現象にすぎない。
ならばギフトで無敵装甲を破ることなど絶対にできないのだ。
「貴様! 我ら無敵軍団をなんと心得る!」
だから、ジョルトはそんなことを口走っていた。
我々は無敵なのだと、装甲が破られるはずがないのだという思いが、そう言わせたのだ。
「いいわ! こんな奴ダリアン様の手を煩わせるまでもない!」
氷炎の魔女、イレーネが叫ぶ。
ジョルトは止めようとした。この女は手加減というものを知らない。
その力を解放すれば、周囲一帯に絶対零度の暴風が吹き荒れることだろう。
ジョルトたちは無敵装甲のおかげで無傷かも知れないが、それでは回収すべき半魔たちが根こそぎ死んでしまう。
だが、その心配も杞憂に終わった。
イレーネもまた言葉を途切らせて、落馬したからだ。
二人が死んだことを、ジョルトは認識していた。
システムを介して見れば、彼らのステータスが死亡になっていることがわかったからだ。
それは、この場にいる仲間たち全員が認識したことだろう。
「当たり前だけど、攻撃してきたら反撃するからな。それと、逃げる人は攻撃しないから、安心して逃げて」
少年は、イレーネを殺したことについて言っているのだろう。
だが、少年は何をしたとも思えなかった。
先程のように、死ねとすら言っていないのだ。
「馬鹿な……」
バナードがつぶやく。
「こんなことがあってたまるか!」
激昂し、抜刀し、またもや落馬する。
三人目。
もはや疑いようもない。
この少年の言葉は事実なのだ。任意の対象を殺すことができ、殺そうとしただけで反撃される。
「
サリアが落馬した三人を対象に魔法を使う。
彼女の蘇生魔法は破格だ。
誰が誰なのかわからないほどバラバラになった十数人を一度に蘇生したことすらあり、それが故に命を弄ぶ者、冒涜の魔女とすら呼ばれている。
だが、その魔法は効果を発揮しなかった。
そもそも、何が原因で死んだのかもわかってはいなかった。
見たところ、落馬した三人に外傷はない。なのに死んでいる。動かなくなっている。
「何がどうなってるってのよ!
それは、生きている人間に蘇生魔法を行使する禁忌。
魂と体を重ね合わせ、見るも無惨なありさまへと変える外法。
だが、結果は同じだった。
サリアもまた、力なく落馬し、動かなくなったのだ。
「なあ。あんたら馬鹿なのか?」
少年が呆れたように言う。
四人が死んだ。
さすがに、これ以上無駄に突っかかっていこうとする者は出てこなかった。
*****
わけがわからない。
それが、ジョルトの率直な感想だった。
四人が急に動かなくなり、落馬したのだ。
何がおこったのか、さっぱりわからなかった。
これを目の前の少年がやったらしいというのは、その言動からわかる。
だが、素直に信じることはできなかった。何をしたとも思えなかったからだ。
最初の一人は死ねと言われて死んだ。だが、それがなんだというのか。その程度のことで人が死ぬわけがない。
魔力が消費された形跡もないし、道具の類も使用していない。ジョルトの感知能力では、少年が何もしていないとしか思えなかった。
だが、信じるしかない。
原因はわからないが、四人が死んでいるのだ。
自分は大丈夫だと突っ込んでいく気にはとてもならなかった。
とりあえずはそういうものとして理解するしかない。
そして、それは仲間たちも同様だろう。わけがわからないながらも、これ以上何かをするのはまずいと悟ったのだ。
誰もが動きを止めた。
馬が不満げに唸る声だけが草原に響いていた。
――おかしい……こんなことがあっていいわけがない!
ジョルトは幸せだったのだ。
ゴミのような前世から脱却し、新たな人生を生きる。
それはうまくいっていた。
自らの力で好き勝手にすることこそ挫折した。だが、より強大な力の庇護下におさまることにこそ幸せはあったのだ。
ジョルトは傍若無人に振る舞うことにどこか罪悪感を覚えていた。
気に入らない奴を殺し、気に入った女を傅かせる。力があれば好き放題にはできるが、そんなことが本当にしたかったのかといえば自信はなかった。
制限のない自由を得たとしても、途方にくれてしまう。ジョルトはそんな人間であって、ダリアンのような強者に従うことにこそ喜びを覚えていたのだ。
何が正しいかは自分で考える必要はない。
どんな場合でもダリアンが正しい。ジョルトにとってはそれでよかった。
なので、どう見ても人間でしかない半魔を物として扱おうと、邪魔をする民間人を殺そうと、ダリアンがよしとするならそれでいい。
それはいつもの、世直しの旅の一行程でしかない。
ただそれだけのことであり、どんな複雑怪奇な事件でも、魔王の手下である魔族共がやってこようとも、たとえ吸血鬼が相手であろうともなんの問題もない。
全ては、ダリアンがどうにかしてくれて、ジョルトたち仲間はそれをもてはやす。それだけのことのはずだったのだ。
なのに。
あっという間に四人が死んでいる。
それは、恐怖だった。
ぼんやりと突っ立っている少年からはなんの脅威も感じられないというのに、仲間はなんの抵抗も許されずにあっさりと死に至っている。
点と点が繋がらないとでもいうのか、何か重要なものを見落としているかのような、記憶に齟齬でもあるかのような気持ちの悪さがある。
少年が何かをしたのかもしれないが、それが何なのかが何もわからない。
理解が及ばない。それ自体が何よりも恐ろしい。
「これは君がやったんだね?」
だが、ダリアンは平然とそう口にし、ジョルトは平静さを取り戻した。
ダリアンは恐怖を感じていない。
ならば、どうにかなるのかもしれないと思ったのだ。
「そうだよ。わかったなら帰ってくれ」
「それはできないよ」
どちらも余裕の態度だった。
お互いに実力の一端は示している。だが、双方ともに脅威を感じていないという様子なのだ。
ジョルトは、ダリアンを信じることにした。
確かにジョルトにはわけがわからず、少年が恐ろしくて仕方がない。だが、ダリアンならどうにかしてくれる。
これまでにも様々な強敵を下してきたダリアンだ。今回もいつものように、この事態をも解決に導いてくれると信じたのだ。
「なんでだよ。半魔を取り返せないなら引き上げるしかないだろ」
「ふむ。説明をする必要もないかと思っていたけど、君は半魔の用途がなんなのかを知っているかな?」
「……結界?」
少し考えて少年が言った。詳しくは知らずとも、なんらかの事情は知っていたのだろう。
「うん。思ってたよりも話が早いね。この世界には数多くの脅威がある。それらを封じるには結界が必要で、その為には半魔が必要なんだ」
「だからなんなんだよ」
「人の命を数で考えるのはどうかとは思うけど、百万人を救うために百人が犠牲になるのは仕方がないと、そうは思えないかな? 事実、それをするのが国というものだろう?」
「言いたいことはわかるけど、俺には関係ないよな、その話」
「高遠くん! もうちょっとオブラートに包もうか!」
どうでもいいと言わんばかりの少年に、隣にいる少女がツッコんだ。
どうやら、少女の方はまだまともな感性を持っているらしい。
「いいのかい? 君がその少数の半魔を助けることで、無関係の大勢が死ぬことになっても」
「あんた強いんだろ? 封印されてるなんだかわかんないのも倒せばいいんじゃ?」
「なにが出てくるかもよくわからないんだ。できるなら現状維持をしたいというところだね」
ダリアンに倒せない敵はいないだろう。
だが、それがどんな戦いになるのか、その影響がどこまで及ぶかはわからない。それによって必要のない被害が出るかもしれないのだ。戦わずにすむならそれに越したことはないだろう。
「けどね。実は、もう半魔のことはどうでもいいんだ。危険度が高い封印に、残っている半魔を集中させるとかやりようはあるからね」
そう言いながら、ダリアンは馬を下りた。ジョルトには意図がよくわからなかった。
「僕が引き下がれないのは、君のためだよ」
「仲間を殺したからか?」
「それもあるね。当然それは我が国では殺人罪にあたる。因果関係が不明ではあるけど、自供もあるし、王族の僕が見ていたんだから罪は免れないよ」
「言っても無駄だろうけど、こっちはやり返しただけだ」
少年は殺したであろう瞬間、眉一つ動かしてはいなかった。
この世界はとても平和とはいいがたく、ジョルトも時には人を殺すことがある。
だが、人を殺す際に何も感じないわけではない。
それが、むかつく相手を一方的に蹂躙するのは爽快だ、といった歪んだ感情だったとしても、自分と同じ人を殺す際には何らかの心の動きがあるはずなのだ。
だが、少年は何を感じているようにも思えない。それもジョルトが恐怖を覚える原因の一つだった。
「君はまだ何もしていない僕の仲間を殺した。そこに罪悪感はないのかい?」
「黙って見てたらこっちが死ぬんだ。仕方がないだろ」
「そうかな。やりすぎなように思えるけどね。そんなもの結局君のさじ加減一つだ。客観的な証拠もなく、殺されそうな気がしたから殺したなど言い訳にもなっていない」
「言い訳のつもりもないけど、あんたに納得してもらおうとも思わないよ。こっちの要求はさっさと帰ってくれってことだけだ」
少年は、多少苛ついてはいるようだ。
だが、無闇に殺そうとはしていない。しかし、そうは言ってもこちらから手出しをすれば、機械的に、何を思うこともなく淡々と処理をするのだろう。
「君は任意の相手を殺す事ができる。それには何らかのアクションは必要ない」
「そうだよ」
「そして、殺されそうな気がしたといって何かをしようとした相手を簡単に殺す。つまり君の気分次第というわけだ。ちょっとでも気に入らない相手を、そう思うだけで殺すことができる。君、自分が相当な危険人物だという自覚はあるのかな?」
「そりゃ、自覚ぐらいはあるよ」
そう言って、少年は眉を顰めた。
「そうか。だったら君は死ぬべきだ。生きていることが許されない存在だ」
「よく言われたよ、その手のことは」
「ちょっと! あなたにそんなこと言われる筋合いないと思うんだけど!」
少女が口をはさむ。少年はなんとも思っていないようだが、少女は怒りに顔を歪ませていた。
「あるさ。生きとし生けるもの全て、彼に殺されるかもしれない者全てに彼を批難する権利がある」
そう言われて少女は黙ったが、憤懣やるかたないという態度だ。反論はできないが、納得もできていないらしい。
「今さらなんだろうけど、一応聞いておこうか。自決するつもりは?」
「本当に今さらだな。そうするつもりならとっくにやってる」
「だろうね」
「一応言っておくけど、何もしてこないなら何もするつもりはないんだけど……まぁ、この流れで何もされなかったことがないからな……」
少年が困った顔をする。
呆れたような、うんざりとしたようなそんな表情で、そこに緊張感はない。
ダリアンが何をしてこようと対処できる自信があるのだろう。
「君をこれ以上生かしておくことはできない。それが僕の結論だ」
「まあ、そう思うのはわかるよ。俺だって、俺みたいな奴がいたら、生かしとくのはまずいと思うしね」
「余裕だね。自分が殺されることはないと、高をくくっているのかな」
「俺は自分が無敵の存在だとかは思ってないから、俺の力を上回れば殺せるんじゃないか?」
「そうか。なら僕が君と出会ったのは偶然ということじゃないのかもしれないね。君を止めろという天の配剤なのかもしれない」
対するダリアンも、少年の力はわかった上でそれでも余裕は失われていない。
ならば、どうにかできるのだ。
ダリアンがゆっくりと少年へと歩きだす。
ジョルトはダリアンの勝利を確信していた。