契約5
割と真面目な三者会議。
ジュリアスは一瞬、あの悪魔のようなお嬢様に戻ったのかと危惧した。
だが、違う。あの悪魔はもっと凄まじかった。あれが成長したらもっと悍ましくも華麗に咲き誇る悪の華だっただろう。あれは享楽的だった。そして加虐的だった。
もし成長していたなら香りだけで全てを惑わせ狂わせ、そして腐らせ養分にするような毒華だ。周りの全てを吸いつくし、己だけが比類なき輝きと共に絢爛に咲き誇る。
今のアルベルティーナは、緊張の糸がぎりぎりまで張り詰めている。一見静かだが、極限の均衡の上に成り立っているだけだ。
落ち着いているように見えて、荒れ狂っている。
何故というには、余りにそうなる要因が多すぎた。
無理やりラティッチェ家から連れ出されたことにより始まった、不安とストレスの多い王宮での生活。
ようやく家に戻れると思ったら、魔物に襲撃されて最愛の父を失った。
その後、家に帰してもらえないどころか、政治的な理由で籍まで王族にさせられた。満足に家族に会えず、父の墓参りさえいけない。
喪に服しているとはいえ一年後には婚約者を選定し、婚姻することは決定事項。
このすべてに、アルベルティーナの望んだことは何一つない。
挙句、最近では分家がアルベルティーナに接近しているという。ろくでもない男であるとは知っていた。
室内は微妙な空気に包まれていた。だが、先ほど張り詰めてはいない。
アルベルティーナが居なくなった部屋の中で、それぞれが異変について考えているのだろう。
「どう思う?」
口を開いたのはキシュタリア。
「どうもこうも、まあまともな反応では?」
「あれがか?」
「ええ、あれだけストレスにさらされ続けていたのです。勝手な周りに振り回され、大切な家族も、実家も奪われそうになっている。
自分の貞操を景品のように扱われ、王侯貴族たちの玩具にされそうになっている。
怒れる感情があるだけマシでしょう?」
「だが、あのアルベルは尋常ではない。怒っているなら、もっとはっきり怒りを露にしていいはずだ」
「……それは、難しいのかも」
「何故?」
「じゃあ、聞くけどさ。この中で、本気で、本当にアルベルが怒った姿を見たことがある?」
顰め面のキシュタリアの言葉に口を噤む。
そんなこと、一度としてない。ジュリアスは慇懃無礼であるが、引き際を心得ている。そもそもアルベルティーナの沸点は非常に高いと思われる。
ミカエリスなど、一度アルベルティーナのドレスの上に吐いたことがある。吐瀉物まみれになったドレスは当然、汚れも異臭も酷かった。だが、その時すら怒りを微塵も見せず、それどころかミカエリスを労わるような鷹揚さと慈愛を持ち合わせている。
だが、ミカエリスは二人よりアルベルティーナと接する時間は短い。
「……お前たちですら、ないと?」
「ないですね、アルベル様はとても温厚な方です。普通なら怒髪天のつくような使用人の大失態も仕方ないと流してしまわれる方ですし、御父上の公爵の異常な束縛ですら笑顔で受け入れます。
身内に甘いということを含め、極端に負の感情を、特に攻撃的な感情を表に出すのが無い方です。自分の中で折り合いを付けることに長けているといえば聞こえがいいですが、そもそも不慣れ過ぎて、己の感情の発露の仕方すら迷走している可能性があります」
「僕もないな。そもそも、アルベルよりも父様やセバス、ジュリアスやアンナのほうがずっと沸点が低い。
アルベルが怒る前に、その辺が始末していたし……多少拗ねるようなことや、むくれることはあったけど本当の意味で怒るような人ではなかったし」
確かに拗ねたりしたことはあった。
身長がはっきりわかるほど追い抜かされた時など、分かりやすくむくれていた。差が開くたびに拗ねていた。
だが、今回とは大きく違う。そんな可愛らしいものではない。
「しかし、あれは。だとすれば……かなり自暴自棄だ。かなり不安定だし、あのままでは……」
言葉を濁すミカエリスに、ジュリアスは頷いた。
彼女の怒りには正統性がある。人としておかしくない感情だと頭では理解している。
「ミカエリス様の憂慮も解ります。では、なぜ断らなかったのです? この中で、正直貴方が一番に躊躇われるかと思ったのですが」
「……断ったら、二度と彼女は私を頼らない。そう思った。アルベルは悪からず思った人を危険なことに巻き込むことを良しとしない人だ。
これでも好意的にみられている自覚はある。
根は非常に慎重で臆病な人だ。彼女の決断を否定した人間とは、それとなく距離を取るだろう。もしアルベルが距離を置きたがれば……このまま二度と会うことすら不可能になる可能性は十分ある」
ヴァユの離宮に出入りできる人間は王家に、フォルトゥナ公爵家に制限されている。厳戒態勢といっていいほどだ。
それでも三人が比較的安易に入れるのは『アルベルティーナの信用と好意』によるものが多い。慣れない人間に露骨に怯える彼女のストレスを配慮して、かといって閉じこもりっぱなしも良くないので特例的に許されている。
そして、アルベルティーナの事情もあり、若い異性の出入りは特に厳しいのだ。
「その通り。こんな危険な願い出を、他にしてされてみてください。私でしたら、そいつを殺しますよ。
貴方がたは知らない仲ではありませんし、これでも信用しているんです。共犯者としては申し分ないと思います――逆に断られたら、色々と考えさせられますが」
「怖いこと言うなぁ。まあジュリアスらしいけど。しかし、魔法による契約なんて危ない方法、どこから覚えてきたんだろう……
アルベルはこういうシビアな事を信頼関係に持ち込まないタイプだったけど」
「というより、避けていましたね。それについては、少々情報があります」
「ジュリアス、何か知っているのか?」
「ええ、最近アルベルの周囲をうろついているマクシミリアン侯爵。
典型的な家柄に胡坐をかいているお貴族様ですね。お世辞にも勤勉とはいいがたい方が、王宮図書館に出入りをしていたんですよ。それも、ちょうどアルベル様が足を運んだ日に、ね?」
「あからさまに臭うな」
顔を顰めたミカエリスと、それよりももっと厳しい顔のキシュタリア。
その家はキシュタリアがラティッチェ公爵家の当主となることに、あからさまな反発や叛意を持っている。
古くからの分家筋とはいえグレイルに能力なしと切り捨てられた筆頭と言える。色々と前科のありすぎる家だったのだ。
「名目上は、焦げ付いた領地の運営を改める為にということですがその一回きり。
アンナに確認したところ、その日のアルベル様は酷く動揺をしていてまともに会話もままならなかったそうです」
「それ、絶対当たりじゃない」
アルベルティーナがアンナを無視するなんてありえない。
全幅の信頼を置いた侍女だ。肌を、特に背中を見せることを厭うアルベルティーナが唯一アンナだけは任せる。着替えも、風呂もアンナだけは許されるのだ。
「その影響で魔力が安定せずいくつか魔道具を壊してしまっているくらい、動揺していました。それに心配したフォルトゥナ公爵が、うっかりアルベル様の部屋の前をうろついてしまうほどに」
「フォルトゥナ公爵……」
同じ騎士として武人として、ミカエリスはフォルトゥナ公爵の人となりを知っている。
キシュタリアやジュリアスより心象がいいため、ジュリアスの扱き下ろし方に何とも複雑な表情を浮かべている。
「ミカエリス、アンタにとっては尊敬できる騎士の公爵かもしれないけど、アルベルの前では徘徊老人だよ。いや、徘徊熊? 徘徊公爵?」
キシュタリアが無慈悲なとどめを刺した。
ミカエリスより離宮へ頻繁に出入りしている義弟は、徘徊熊をよく目にしている。
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