(今日は心の声です。口に出すことはありません。)

社長をしていると、社員に給与を遅配してはならない、黒字にもしなければならないという縛りがあり、仕事の数と受注額と手元のキャッシュがどうしても気になります。

はっきりいって技術屋としては楽しくない仕事です。

社長業を終えてどうするか、を最近はよく考えています。

仕事を始めてから38年、独立してから30年、いろいろなことに取り組みました。2000年以降は、谷埋め盛土や、崖崩れなどの民間需要や、裁判などの紛争案件に取り組みました。その中で新しい技術をいろいろ作りました。それはそれで楽しく有意義な時間でした。

技術を創ったら、それを普及させて銭儲けをするというのがビジネスの基本パターンです。

でも、私は老いました。老後は防災技術の「普及」などどうでもいいじゃないかと思うようになりました。防災したい人は世の中に、非常に低率だけど一定数存在しています。その人たちだけを相手にしていくのに、広告したり宣伝したりしなくても、HPで検索できるようにさえしておけばいいじゃないの、と思うようになりました。

(今年も7月に大きな雨が降り、たくさんの方が被害に遭いましたが、、、本当にたくさんか???「命だけ助かるように」という掛け声なので、命を失った人に焦点を当てましょう。100人の犠牲者として、100人÷1億人×100=0.0001%。100万人に一人です。まだこの確率を下げますか?下がりますか?もう十分なんじゃないですか?あとは自らを他人より確率高く助かりたいと思っている人だけでいいんじゃないですか?そういう人は自費でもやりますから)

先日、地盤品質判定士が行うべき仕事のブレーンストーミングをしてみたら、ほとんどの中堅から大手コンサル系の人たちには、この仕事はできないということもわかりました。なんと独占市場じゃん!

ならば、時間があり、気が向いたときに、金額に納得できればやる、というブランド屋的な仕事でいいじゃないか。。。。こちらから仕事を求める必要はないんじゃないか、と。

そうなると、学会でいろいろ手の内を晒して発表する意味もないんじゃないか。残された社員たちに技術流出で不利益になるだけだから、一子相伝的に社員にだけ伝えていけばいいんじゃないかなぁ。業界内で存在くらいは知ってもらっていた方が、口コミに乗りやすいけど、詳細のことを話す必要はないんじゃないか。こっそりと他社のコンサルたちが公共事業でタダ使いするのが落ちだから。いままでもそうだったように。。。太田ジオで掛けた時間と費用の投資を、そんなバカげたことに提供しなくてもいいんじゃないか。。。(頭の中の邪念を言葉にする必要はないのですが、防災に熱心な「良い人」、と思われたくないので。。。このあたりの心情が牛山先生と共通していると感じています)

防災のゴールは、安全なところで暮らすことです。実に簡単です。

わざわざ危険なところに住んでおいて、危ないから公共事業で対策せよ!というのは滑稽に見えます。私にはそれが可哀想な人には見えません。

谷埋め盛土の滑動崩落は、たしかに後出しじゃんけん的なので、かわいそうな気もします。でも崖対策は、、、最初からその崖は見えてたでしょ?土石流対策は、、、そこに沢があるのはわかってたでしょ?それを社会の会費をつかって個人の利益のために使うの?あまりにも利己的でないの?

そして、たとえ危ないところにいて何もしなくても、確率的にはめったなことでは被災しないと思います。放置してよい問題とも言えます。被災したら運が悪いんです。

予防対策が必要な人は、移転という簡単なことができず、危ないところに住んでいて、それが気になって仕方がない人たちです(案外比較的安全な場所に住んでいる人の方が怖がりです)。その子・孫が安全なところに住むようになれば、需要は無くなります。(そもそも住宅政策・都市政策が防災に目を向けて作られていれば、防災屋の需要は無かったのです)

危ないところに住んでいる人が、その場所で安全を確保したいと考えるなら、他の場所を買って家を建て替える費用との天秤で考えないとダメだよなぁ。決してそれは安くはないよなぁ。。。。そしてそれを私がやらなきゃならない義理は無いよなぁ。。。だから、特に安値でやる必要はまったくないなぁ。。。
せいふ17

「防災って神聖な仕事」みたいな変な風潮があるので、敢えて逆の視点で考えました。