自公連立政権発足当時の小渕恵三内閣では、官房長官の野中だけでなく、政権の後ろ盾だった元首相・竹下登や首相の小渕自身、それに古賀誠や大島理森などがそれぞれ学会や公明党の幹部とパイプを持ち、自民党と重層的な関係を築いていた。
だが、安倍政権では菅ー佐藤ライン一本だ。それは代表の山口や、前幹事長で副代表の井上義久ら公明党の幹部が、安倍政権との間にパイプを作ってこなかったことの裏返しでもある。そもそも佐藤が菅との関係を深めるようになったのも、公明党幹部たちが安倍政権中枢との関係を作れず、機微な情報が入ってこないことに苛立ちを深めたからだった。
こうした現状は、もし菅が政権中枢から外れてしまえば、政権とのパイプが直ちに失われることも意味している。学会幹部によれば、学会内でもそうした懸念の声は以前から出ていたという。だが、公明党・学会の意向を受けて自民党内をまとめてくれる剛腕政治家は他に見当たらず、菅が学会の「打ち出の小槌」になっていることから、学会は菅との関係にさらに嵌っていく。その結果、公明党・創価学会は菅に対して異常なまでに配慮を見せるようになった。
公明党は、東京都議選を国政選挙と同程度に重視する。1955年の統一地方選で創価学会が初めて政界に進出した際、学会の最高幹部が都議選で当選したことや、宗教法人としての認証を得ていた自治体が当時は東京都だったことも相俟って、東京都議は国会議員と同等に扱われ、その選挙には毎回、全国の学会員を動員して全員当選を目指してきた。
しかし、衆院選がその都議選と近接した時期に行われると、どちらかの選挙の運動量が極端に落ちるため、従来、学会・公明党は都議選の前後半年ほどは衆院解散を避けるよう自民党側に全力で働きかけてきた。実際、都議選の1か月後に行われた2009年の衆院選で公明党は惨敗。2017年にも都議選から3か月後に衆院選が行われ、議席を大きく減らしている。いずれも解散時期をずらしてほしいという公明党の要請を当時の首相、麻生太郎や安倍晋三に却下された結果だった。このうち2017年の際は、学会の佐藤が菅に解散の先送りを強く働きかけたものの、安倍は菅の申し出を受け入れなかったという。
今回は、都議選が来年7月初めに行われる見通しである一方、同年10月には衆院が任期満了を迎えることから、学会としては本来、衆院選は来年1月頃までに終わらせてほしいと自民党側に強く求めるところだ。
ところが、6月末に副総理の麻生太郎から「この秋に安倍首相の手で解散することが望ましい」との考えを伝えられた公明党幹事長の斉藤鉄夫は「準備が全く進んでいない」として反対する考えを示し、代表の山口も記者会見などで年内解散に慎重な考えを繰り返し強調した。公明党が、従来の考えと異なる主張をしたのは一体なぜなのか。