12話 こんなの置いていかれてもな。いる?
夜霧に会いに来た少年は、深井聖一と名乗った。
長髪で顔を隠すようにしているし、俯きがちなためその表情はわかりづらい。喋り方からすると、人付き合いが苦手そうな少年だ。
名前も知らなかったし、当然思い当たるような用件もない。だが、話があると言うなら聞いてみようと、夜霧は聖一を部屋に招き入れた。
夜霧がソファに座ると、聖一は向かい側に座った。もともと座っていた悠吾と幸正はすでに離れている。どうやら聖一に対して苦手意識があるらしい。
「話ってなに?」
「……話、そう。僕は、高遠くんと、いや、もうごまかす必要も隠す必要もないのかな。おかくし様」
おかくし様。その言葉を聞いた夜霧は身を固くした。
その名を知る者は、ごく一部のはずだった。
「何者だよ?」
「死神。そう! 死を司る、全ての生殺与奪を握る、絶対無比の力だよ。だからもう、おかくし様に、全てを任せる必要なんてない。教母様も、コントロールしようのないあなたなんかよりも、僕を重用してくださるに決まっている……」
「ろくに話もできないのはわかったけど、だったら何しにきたんだよ」
会話がまるでかみ合っていない。聖一は違う世界にでも漂っているかのようだった。
「これまでは、ふふっ。お側で見守り続けろと言われながらも、近づくことも話しかけることも、直接見ることすらできなかったんだ……随分と理不尽な話だと、思わないかい?」
「こいつ同じクラスなんだよね?」
夜霧は後ろにいる、悠吾に聞いた。聖一と話をしたことはなかったが、かろうじて見覚えぐらいはある。見ることすらできなかったとは言いすぎだろうと思ったのだ。
「高遠もたいがいだよな。同じクラスに決まってんだろ。つーか、こいつはもともとよくわかんねー奴だったんだけどさ。こっち来てから完全にどっかイっちまって……もう何言ってるんだかよくわかんねーことになってんだよ」
だからまに受ける必要はないということか。だが、どうしたものかと夜霧が考えていると、聖一が動きを見せた。
ゆっくりと右手を挙げていき、顔の前にもっていったのだ。
この場面でそんなことをする理由がわからない。疑問に思っていると、聖一は唐突に、揃えた指先を右眼に突き入れた。
「!」
意味がまったくわからず、夜霧は単純に驚いた。
背後からは短い悲鳴が聞こえてきた。悠吾と幸正のものだ。
呆気に取られて見ていると、聖一が眼球を取り出して、テーブルの上に置いた。
「おかくし様を、直接見ては、いけない。そんな掟のために、僕の目は、えぐり取られた……」
よく見てみれば、それは眼球ではなかった。大きさは似たようなものだが、そこに瞳はなく、何やら模様が描かれているだけなのだ。義眼の類のようだが、これもまたその意図がよくわからない。
「聖眼、だよ。これは、超常なるものを、見通す眼なんだ。ぼんやりとした、曖昧な視界で、僕はあなたをずっと見続けていた……」
「眼を外すとか、何がしたいんだよ。俺のせいだとでもいいたいの?」
「これは、もう使えない。こっちに来てから、力を失って、しまった。教母様の、力が、届かなくなって、しまったから……」
だがそんなことは、わざわざ夜霧の目の前にやってきて眼を取り出した理由にはなっていない。彼の中ではなんらかの理屈が通っているのかもしれないが、それが夜霧にはさっぱりわからないのだ。
危険なわけではない。ただ、不愉快だった。理解が及ばない存在を目の当たりにすると、不快感が沸き起こってくるのだ。
聖一はゆっくりと立ち上がった。
「話ってのはもういいの?」
「うん。あなたが、まるで力を、解放していないことが、わかった。だったら、好きにしていればいい。後は、この僕が、この力で、引き継ぐとするよ」
夜霧には、結局何がなんだかよくわからなかった。
夜霧のことを以前から知っていたようだが、何を考えているのかまるで理解できなかったのだ。
「あいつ、やっぱりなんかおかしいだろ。高遠もそんなに気にしなくてもいいと思うぞ」
聖一が出て行ったところで、ようやく部屋の中に満ちていた張り詰めた空気が緩んだ。
夜霧は、テーブルの上に放置されている球体を手に取った。
文字のような、幾何学的な模様のようなものが、内部に浮かぶように描かれている。工芸品としては大したものかもしれないが、特別な機能があるようには思えない。
「こんなの置いていかれてもな。いる?」
夜霧は、悠吾にそれを差し出した。
「そんなもんいらねえよ! やっぱお前もどっかおかしいな!」
そう言われて、夜霧は球体をゴミ箱に投げ捨てる。
すると、またもやノックの音が聞こえてきた。
「まさか戻ってきたんじゃないだろうな?」
「どうだろう。そろそろ話し合いが終わったのかも」
幸正が言うのはリーダーによる打ち合わせの事だった。
1から5のグループにはリーダーがおり、賢者候補たちの行動はリーダーの打ち合わせにより決められているのだ。
ちなみに6と7のグループは、使えない人間を置いておくためのグループなのでリーダーはおらず、発言権もないこととなっていた。
「こんにちはー。あ、高遠くん、ちょっといい? 二宮さんとキャロルが話があるらしいんだけど」
やって来たのは知千佳だった。
その後ろには、女子を二人引き連れている。
「……なあ、なんで高遠のところに女子がやってくんの? こいつも深井とか幸正といっしょでぼっちだったろ? 俺もずっとぼっちなのはどうかってあれこれ気を使って話しかけたりしててだな……なんで、こんないい奴の俺のところには女子がこないんだよ!」
「それは……深井くんや、悠吾くんとは違って、高遠くんは見た目がいいから……とか?」
納得がいかないという様子の悠吾に、幸正が答えていた。
*****
賢者候補たちが拠点としている屋敷の庭の隅。
「本当に申し訳ありませんでした!」
そこで黒髪ロングで、学校の制服を着た美少女が土下座をしていた。
二宮諒子というらしい。
もちろん、夜霧にはなぜこんなことをされるのかがまるでわからない。先程からわからないことだらけで段々と嫌気がさしてきていた。
「ほら! キャロルも謝ってください!」
「why? ナゼワタシガ?」
片言の日本語で返すのはキャロル・S・レーンという少女だ。金髪碧眼で容姿に日本人らしさは欠片もない。実際、アメリカ人ということだった。
彼女も学校の制服を着ていて、どうやら普段着として制服を使う者が多いようだった。
「片言やめてくださいよ! むかつくんですから!」
「ま、それはともかく。なぜ謝る必要が? 本人は、どうでもいいって言ってたじゃない」
「第一門が開いてるんですよ! つまり、それは、いつどこでだって、ちょっとむかついたぐらいで、即死させられるってことなんです! クラスメイトは全員、既に対象となっていると考えるべきです。へりくだる以外に何ができるっていうんですか!」
「なんなのこれ?」
うんざりしてきた夜霧は、二人を連れてきた知千佳に聞いた。
「うーん。なんなのって言われても、高遠くんと話がしたいから口利きしてくれって言われてさ」
知千佳も事情はよくわかっていないようだった。
「謝る必要はないし、ましてや土下座なんてしなくていいから」
「ですが……」
「むかつくっていうならその態度がむかつくんだけど?」
すると諒子は即座に土下座を止めて立ち上がった。
「そもそもなぜ謝られてるのかがわかんないんだけど」
「それは高遠くんたちをバスに置いていった件についてです。あの時点では突然のことに混乱しておりまして、統率スキルに対して抵抗することもできず、流されるままになってしまいまして……我に返った時には、もう随分と離れており、今さら引き返すこともできず。いえ! 高遠くんがあんな蜥蜴程度に殺されるなどとは思いもしていなかったんですが」
「HAHAHA! 普段クールぶってる諒子が慌てるのは面白いねー」
しどろもどろになっている諒子を、キャロルは楽しげに見つめていた。
「キャロルさん、いや、レーンさん?」
「キャロルでいいよー」
「じゃあキャロル。あんた達は俺のことを知ってるってことなんだよね?」
「そうだね。私は『機関』からだし、諒子は『研究所』からでしょ。そういや、さっき部屋から出て行くのを見たけど深井くんは『教団』からだったかな。私の知る限りだとこの三人は、高遠くんの動向を監視するために、同じクラスになったんだろうね」
「野放しにされるわけはないと思ってたけど、まさか同じクラスに三人もいるとは思ってなかったよ……」
夜霧は深く溜め息をついた。クラスメイトと関わろうとしなかったこともあるが、まったく気付かなかったのだ。
「いやあ、アメリカ人だなんて、すぐにばれるかと思ったけど、高遠くんはぼーっとしてるから拍子抜けしちゃったけどねぇ」
「外国人だってだけで一々疑わないよ」
どの組織も散々痛い眼にあったはずで、もう余計な手出しはしてこないはずだった。事実、高校入学以降は何事も起こっていなかったのだが、監視だけはされていたらしい。
「そういやキャロルは特に俺のことを怖がってないみたいだけど、二宮さんとは考えが違うの?」
「そうだねー。考えただけで人を殺せるようなのを相手にご機嫌伺ったって仕方ないでしょ。何がきっかけでむかつかれるかなんてわかんないし、こんなのもう運次第としかいいようがないよね」
「……勝手なことを言いたい放題だな」
むかついた程度で殺したことなど一度も無い。一方的に決めつけられて、恐れられるなど心外もいいところだった。
「『研究所』は一番よく高遠くんのことを知ってるはずだから、私が知らないようなことで恐れてるのかもしれないけどね」
「謝ってもらうようなことはされてないと思うけど、謝りたいってことならわかったよ。さっきも言ったように気にしてないし、許しの言葉がいるってのなら、許すよ。けど、なんで壇ノ浦さんも一緒なの?」
「だよね。別に謝るぐらいのことなら、私関係ないよね」
「それは……付いてきてもらえば、多少は穏便に話を聞いてもらえるかと……」
藁にもすがる気持ちだったのか、諒子は小さな声でそう言った。『研究所』関係者なら、夜霧の実績を一番よく知っているのだろう。
「恐れるのは勝手だけど、ほっといてくれないかな? こっちも関わらないようにするから」
夜霧の力を知っている組織関係者がこの世界にいることには驚いたが、だからといって何かが変わるわけでもない。夜霧たちの邪魔をしないなら、問題はないはずだった。
「本当ですか!? その、身体を差し出す必要は! 覚悟はしてたんですが!」
「ん?」
「あはははは!」
諒子が何を言おうとしているのか理解できずにいると、キャロルが笑い出した。
「この子、思い詰めて先走るタイプみたいでねー。高遠くんが知千佳と二人きりでここまで来たってことは、やることやっちゃってるだろうし、殺されてないのはそれが理由だと思い込んじゃってたみたいなのよー」
「な!? そういうのないからね!? 勘違いしないでよね!」
知千佳が慌てて否定する。
「でも、不思議ではあるのよねー。健全な男子高校生が、こんな可愛い女子高生とずっと一緒にいて自制できてるってのが」
「ん? ああ、別に自制っていうか、適度に――」
「やめろー! 生々しいこと言おうとすんなー!」
何を考えたのか、知千佳が顔を真っ赤にして叫んでいた。