20話 今くっつく必要あったかな!?
ほとんどの者が呆然となっている中、動き出した者がいた。
まずはテオディジア。
彼女からすれば、結界も魔神もほとんど眼中にはなく、ほとんど衝撃を受けていなかったのだ。
千載一遇の好機に彼女は躊躇わなかった。ここぞとばかりに踏み込み、横凪ぎに抜刀する。放たれた衝撃波はあっさりと剣聖の首を刎ねた。
次は、知千佳が見た刃のバケモノだった。
*****
「え?」
間抜けな声を上げたのは、女神ヴァハナトだった。
落ちていく魔神アルバガルマを目で追い続け、川に落ちたところまでをその目ではっきりと目撃し、思考が空白になった。現実を受け止められなかったのだ。
そして、胸から黒い刃が生えているのを見て我に返った。
「なに、これ?」
首だけで振り返る。
全身から刃を生やしたバケモノがそこにいた。肘に生えている刃で貫いているのだ。
女神はさらに混乱した。全く以て意味がわからない。これはありえないことだった。神の肉体を貫くなどできるはずがないのだ。
赤く光る双眸がヴァハナトを見つめている。そこに何らかの意思を読み取ろうとして、さらにヴァハナトの思考は乱れた。
バケモノが揃えた指先でヴァハナトの側頭部を貫いたのだ。
神はこの程度で死にはしない。だが、受肉した状態だと思考の大半は脳で行われている。もうまともに反撃する方法を考えることもできなかった。
バケモノが中を探っているのがわかる。そして、それの思考が流れ込んできた。
結界のほとんどを壊したのはこのバケモノだった。バケモノは結界の防衛機構に捕らわれていたが、手当たり次第に斬り裂いて脱出してきたのだ。
そして脱出にエネルギーの大部分を費やしたバケモノは、ステルスモードでヴァハナトの隙を窺っていた。
『お前じゃない』
伝わってきたのは落胆だった。
何かがライニールを狙っていることはわかっていた。
その理由は定かではなかったがこうなってしまえば嫌でもわかる。このバケモノは神を探していたのだ。ライニールがわずかに帯びる神の気配を追っていたのだろう。
ずるりとバケモノの手が引き抜かれた。もう興味はないということか、止めを刺す気はないらしい。
ヴァハナトは崩れ落ち、バケモノはいずこかへと飛び去った。
*****
剣聖の首が転げ落ち、女がバケモノに貫かれ、聖王がその場で倒れ、そして氷付いたようになっていた場が動き出した。
「主よぉおおおお!」
翼の生えた眷属が、叫びながら崖下に飛び降りたのだ。幾人かの眷属もそれに続いて飛んで行く。
「え、その、なにがなんだか」
立て続けに事が起こり知千佳は混乱した。とりあえず、いきなり剣聖を討った女が隣にいるのでそちらを見る。
「今なら殺れると思った」
「怖いな! この状況でその考え!」
テオディジアは淡々としたものだった。ある意味ちょっと夜霧に似ている気もする思考回路だ。
だが、確かにあの瞬間、剣聖は無防備だった。そのわずかな隙を活かせるとはたいした胆力だと知千佳は思う。
「で、あっちはあっちでどうなってるわけ?」
「あれが、壇ノ浦さんが見たってやつか。確かに怖いね。全身刃物って感じだし」
バケモノが体に生えている刃で、派手な格好の女を貫いていた。背中と頭を貫き、それで気が済んだのか無造作に放り出す。そして、いずこかへと消え去った。
「どうしたもんかな。出てっていいんだろうか」
夜霧は相変わらずの様子だった。
「こっそり出て行けば……」
この混乱状態だ。気付かれないかもしれない。
そんなことを考えていると、翼の眷属が、魔神らしき男を抱えて戻って来た。
眷属は魔神をそっと横たえる。魔神はぴくりとも動いていなかった。
「主様っ! お目覚めください! いかがなされたのか!」
眷属が声を荒らげた。
だが、いくら呼びかけようと、激しく揺さぶろうと魔神がそれに答えることはない。
「はは……はははははっ……そうだ……主様はいけにえを欲しておられた……いけにえを求める神なのだ……」
眷属がどこか遠くを見つめながら、ぶつぶつと言っている。
「あ、嫌な予感がしてきた」
魔神はいけにえに応じて願いを叶える存在だ。リックが語ったことを知千佳は思い出した。
「きっと、長年の封印によりお力を失われているのだ……ならば、捧げよう……全ての人間を捧げようではないか!」
翼の眷属が立ち上がる。
それに呼応するかのように、他の眷属どもがいきりたち始めた。
それらはどうしていいのかわからなくなっていたのだろう。そこに、とりあえずの目標が示された。
そして、いけにえとして血祭りにするには手頃な人間たちがここにはそろっている。
眷属どもが、その憤りを叩きつけるべく荒ぶり始めるのは当然のことだった。
「数が多いし、危ないな。壇ノ浦さんとテオディジアさん。もうちょっと俺にくっついといて」
「こう?」
知千佳は夜霧の腕に抱きついた。テオディジアも知千佳の真似をしたのか素直に反対側の腕に掴まっている。
「死ね」
夜霧が力を放つ。
魔神の眷属は次々と倒れていき、たちまちのうちに死屍累々といった光景が現れた。
「ねえ、今くっつく必要あったかな!?」
「ばらけてるといざってときに危ないだろ。俺への危険は対処しやすいから、一丸になってたほうが都合がいいんだよ」
そうなのだろうか。夜霧の、状況を楽しむスタイルの話を聞いたあとでは疑わしく思えてしかたがない知千佳だ。
「じゃあ、そろそろ塔を出ようか。残ってるとめんどくさいことになりそうだし」
「もう、どこまでが塔かわかんない状態になってるけどね」
様々な問題が山積みになっている気もするが、肝心の魔神が死んでいるなら他は些細なことだろう。知千佳は自分にそういい聞かせた。
「高遠殿。あの女はほうっておいていいのか?」
テオディジアが派手な格好の女を指差した。
「殺意はなかったし、見た目は人間ぽいし、わざわざ殺すほどでも」
「ならいいのだが」
だが、夜霧がどう思っていようと相手には関係のない話だ。
胸を貫かれ、頭を潰されていた女はいつの間にか立ち上がっていた。傷はもう治ったらしい。
女は、虚ろな目をしていた。どこを見ているのかはわからないが、おそらく正気ではないのだろう。
「あははははははははは」
女が調子外れな声を上げながら手を振るう。
背後に浮いていた武具の群れが輝き始め、あらゆる方向へと光線を放ち始めた。
「む、むちゃくちゃだ……なにあれ!」
光線は山を貫き、川を蒸発させ、大地を斬り裂いた。
生き残っていた候補者たちが逃げ惑う。
何かを狙っているわけではないのだろうが、光線に触れた者たちは跡形もなく消え去っていった。
「ライニールさんたちは……」
今さらながら知千佳は確認した。
破壊に伴い飛んでくる岩や、砂礫のおかげではっきりとはわからないが、聖王が立ち上がり光線を防いでいるようだった。光の壁を前方に作り出しているのだ。
「あれ? 誰か増えてる?」
ライニールとリックと魔法使いの少女と死んだ剣聖と聖王。そんな一団のはずだったが、いつのまにか二人増えているようだった。
*****
「もういやぁあー! おうち帰してでござるぅ!」
花川が叫んでいる。
ようやく塔に辿り着いてみると、言語を絶するような破壊の嵐が吹き荒れていた。
ある一点から、光線が四方八方へと放たれているのだ。
それは触れた物を全て焼き尽くし、一瞬で蒸発させている。このままでは塔どころか、峡谷すら全て消え去ってしまうような勢いだ。
「大丈夫だって。ボクらはこんなことで死なないよ。ほら、アクション映画の銃撃戦で主人公には弾が当たらないだろ? あんな感じだよ。ここで流れ弾くらって死んだって何も面白くはないしね」
「銃撃戦とは規模が違いすぎるのですが!」
「光線だろうと、銃弾だろうと当たれば死ぬことにかわりはないさ」
アオイにはなんとなく、このあたりにいれば大丈夫だろうというポイントがわかっている。ここで自分が死なないという確信があるのだ。
アオイは花川を引きずりながら、事の中心地へと向かっていた。
おそらくはそこに高遠夜霧がいるはずだ。
この周辺で何かが起こりそうな場所へ歩いていく。
辿り着いた場所では、白い法衣を来た女が光の壁を作り出して光線を防いでいた。
その影にはひょろりと背の高い男と、白銀の鎧をきた騎士のような男と、右腕が焼き菓子になっている少女がいる。
ひょろりとした男と少女ははうずくまって震えていて、鎧の男は剣を抜いてはいるが途方に暮れているようだった。
「どっちかが高遠夜霧……ってことはないか」
どちらの男も容貌はこの世界で一般的な人種のものだ。日本人の高遠夜霧とはまるで異なっている。少女も壇ノ浦知千佳ではないだろう。
もうひとり、首を切られて死んでいる男もいるがこちらは老人だ。とても高校生には見えなかった。
「あなたは? 高遠さんの知り合いですか?」
鎧の男が驚きとともに聞いてくる。まさかこの状況の中、やってくる者がいるとは思っていなかったのだろう。
「ボクはアオイ。知り合いっていうならこっちのブタくんかな」
「知り合いでもなんでもないでござるが!」
「まあ、いいや。高遠夜霧がどこにいるかは知ってる?」
「いや、今はそんなことを言っている場合ではないんですが!」
鎧の男がアオイなどどうでもいいという様子で、破壊の中心地へと向き直る。
確かにこの状況でのんきに話などしている場合ではないのだろう。
「そうだね。運命的には、どう考えてもこの状況の解決が先かな」
アオイが周囲を観察する。
運命の流れを読みとれば、ここに至る経緯と、解決策が脳裏に浮かび上がってくる。
「君、自分がもう剣聖になってるって自覚はある?」
「え? そういえば、そのようなことを剣聖様が!」
鎧の男が再びアオイに興味を示した。
「なんてことはない。君が突っ込んでいって、あの女神とやらを殺せばそれでおしまいだよ」
「しかし、あれほどの相手に無策で立ち向かっても……」
「大丈夫だよ。今のあれは正気を失っている。光線はむちゃくちゃに撃っているだけだし、向きは武具をよく見ていればわかるよ。剣聖の力を得た君なら、それで回避はできる。そして、女神は胸と頭に傷を負っている。そこを君の剣で狙えばいい。普通なら女神を殺すなんて無理だけど、治りきっていない傷に聖剣オーズを突き立てることができるなら神殺しは可能だよ」
「なぜ、これが聖剣だと!」
だが、それで信憑性が増したのだろう。男はやる気になったようだ。
何度か剣を振り、調子を確かめている。
「わかりました。聖王様のお力も長くはもたないでしょうし、手をこまねいていても、全滅するだけです」
男が覚悟を決め、光の壁を通りぬけた。
光線を躱しながら、女神へと迫っていく。いくら剣聖でも光の速度で放たれる攻撃を躱すのは不可能だ。だが、出所と向きがわかっているならいかようにも対処はできる。
女神が正気であればこうはいかなかっただろう。男はあっさりと女神のもとに辿り着き、その剣をまっすぐに胸へと突き刺した。
光線が止まり、武具の群れががちゃりと落ちる。
アオイは女神が死んだことを確信した。運命の流れとしてはこうなるのが妥当なのだ。
攻撃がおさまったところで、アオイは周囲を見回した。高遠夜霧はここにいるはずだ。
すると塔の端の方に三人の男女がいるのが目に入った。
「ブタくん。あれが、高遠夜霧かい?」
「え? ああ、砂埃でよくわかりませんが、知千佳たんのシルエットならわかりますので、そのはずでござる」
「じゃあ、行こうか」
「いや、あの、拙者、再会すると殺される気がするんですが」
「殺意がなければいきなり殺されることはないんだろ?」
アオイは、有無を言わせずに花川を引きずり、夜霧へと向かった。
砂塵を抜け、その姿がはっきりと見えた。
高遠夜霧と壇ノ浦知千佳だ。それに半魔の女も同行している。
まずは、夜霧がどの程度の存在かを計らねばならない。
アオイは、運命を観る力を行使した。
視界が歪んだ。
平衡感覚を失いしゃがみ込む。とても立ってなどいられなかった。
内臓がねじれるような苦痛にもだえ、こみ上げてくる吐き気を抑えることができない。
花川が何かを叫んでいるが、どこか遠くから聞こえてくるようだ。
両手を床に付いて体を支え、アオイは吐いた。
無様な姿だが、そんなことを気にしている余裕がアオイから消え去っていた。
どうやってこの場を逃れるか。それ以外の事を考えられなくなっていた。