久しぶりにオーバードーズをしました。再三、もうしていないと言って、つらいことは解決したと言っていたのにもかかわらずやってしまったことを、申し訳なく思っています。でも、やってしまいます。
生きていくのが難しいなと感じたときに、甘えたくなります。でも、私には甘える相手がいない。皆さんもそうかもしれません。
心の痛みを、体の痛みに置換することで、耐えやすくしています。心の痛みは、言語化したり、明晰な言葉にして表現することで、客観的に自分を見つめなおしたり、そこから癒しが生まれたりするけれど、私はそこまで思考が至らなくて、心の痛みを体の痛みに消化することで、どうにか現実を耐え凌いでいるような状態です。言語化したりすることって、知性も必要だし、しっかりと現実を直視する勇気も必要です。私にはそんな勇気がなかった。
ブロンを飲むと、何も考えられなくなります。
私はいつも、親がいないという現実に苛まれています。そして、何よりも、親を捨てたのは私自身であるということを受け入れるのが辛くて、耐えきれそうにありません。もっと理解力のある親のもとに生まれていたらよかった、とか、暴力をふるってこない親がよかったとか、そんな反実仮想をずっと考えています。自分で選択したんだから、自分の責任。私が親を捨てたんだから、それでつらいことがあれば自分のせい。頭では分かり切っています。でも、心でそれを受け止める余裕がないのです。周囲に、自分の責任なんだから、と言われて、それが重荷になって、私を苦しめる。
ブロンを飲んで、深呼吸。ふう、と息を吸うたびに、心臓が苦しくなる。吐き気が出てくる。
そのたびに安心してしまいます。体は心と違って、客観的に痛みが分かる。痛いのか痛くないのか、感覚で判断できます。
そうやって現実から逃げていて、甘えているのだろうと思います。だから、みんなはすごいなって思います。わたしにはできないことを、皆さんはできている。ここを読んでくださった方は、きっと、現実をしっかり見据えていて、私みたいにブロンを飲んで体を傷めつけてごまかしたりしていないでしょう。ここを読んでいて、もし、自分はダメな人だなとか感じたら、どうかそんなこと思わないでほしいと、私からお願いします。頑張ってきた自分、生きていて、逃げることなく現実を直視している自分。それをほめてほしい。しっかり人間として生きているだけで、本当に素敵なことだと思います。
生きているだけで、素晴らしい。生きている状態を保つのって、本当にすごい大量のエネルギーを使う。私は死にたがりだけど、死にきれないんです。みんなえらい。
辛いことがあったら、まあ、死ねばいいから。そうごまかしています。だけれども、いざ、死のうとしたら、怖くてしょうがない。死ぬ瞬間ってどのくらいつらいんだろうとか、どのくらいいたいんだろうとか、そんなことを考えています。
私は死にたいからブロンをやっているわけではありません。ただただ、傷めつけて、自分の問題から逃げまどっているだけ。本当に情けない姿です。そして、隠し通せばいいものを、隠すこともできず、発信してしまった。本当にごめんなさい。
私は今まで、もう立ち直ったことにして、元気だと言い続けてきました。でも、本当はそんなことなかった。立ち直ってなんかいないし、現在進行形で、今も悩み続けています。かっこつけて、もう大丈夫って言っていたけれど、気づいた時には、またブロンに逃げていました。本当に、情けない。
いつも、私の人生の選択肢の中には、自殺が入っています。何か耐え切れないことがあるとき、いつも自殺が脳裏によぎります。浅はかです。私には、現実を見据える勇気も知性もないから、こんなことになるんです。この記事は、私の浅はかな思考の記録として残しているのもあります。選ばないとは思うけれど、いつかそんな日が来た時に、誰かこれを読んで、私と同じルートをたどるようなことがないように。私の情けない部分を、全て載せておこうと、思い立ちました。
ブロンを飲んで、横になると、ゆっくりと心臓の止まっていくような感覚がします。心を傷めたときに、物理的に心臓がいたくなることがありますけれど、それを無理やり起こしているような感じです。
胃がむかむかしてきて、吐き気も出てきます。頭もくらくらしてきます。そうやってつらいと感じているところに、さらにお酒を飲んだりすることもあります。体が限界を迎えている時にさらに自傷行為を行うとき、つかの間の安らぎを感じることがあります。それを求めて、自傷してしまう。
私の太ももには、傷があります。カッターで切った傷があって、ボコボコになっています。おそらく一生残るでしょう。もしかして、将来後悔するのでしょうか。将来もし仮に私に子どもができたとして、(私はあまり子供を持ちたいとは考えていないけれど)、子どもにすべて見せることができるのだろうか。おそらくできないでしょう。
自暴自棄になって、未来の私が後悔するようなことがあるのかなと思うと、それもまた、怖いです。
自分を救えるのは自分しかいないけれど、誰か手を差し伸べてくれないのかと、今も神の手を、求めています。
芥川龍之介の有名なお話の蜘蛛の糸を思い出しました。地獄にいたとある男が、天から降ってきた細くて頼りない蜘蛛の糸にしがみつき、一生懸命にそこを登っていくる途中、ふと下を見たら、細い糸に地獄から来たたくさんの人がしがみついていて、「上ってくるな、糸が切れるだろう」と怒ったら、また地獄に振り落とされてしまった話。
私って、もしかしたらそんなことしているんじゃないのかなって感じたりします。神様の与えてくれたチャンスを、ブロンで無駄にしているというか、なんというか。
もうやめたいです。将来の自分が、いつかやめられていますように。
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