バンドの解散が続いた冬の時代
グループ・サウンズ(GS)に関心を持つ人が急に少なくなり、マイナーなバンドが自然消滅していったのは、1969年から1970年にかけてのことだった。
なんとか70年代まで生き延びたメジャーなバンドも、1971年の1月にタイガース、テンプターズ、スパイダースが解散してしまった。
さらに5月にはオックス、6月にはヴィレッジ・シンガーズ、7月にはジャガーズ、10月にはワイルド・ワンズが活動を停止した。
そこでニュー・ロックを目指して結成されたスーパーグループの「PYG」は、GS時代に人気絶頂だった沢田研二(タイガース)、萩原健一(テンプターズ)がツイン・ヴォーカル担当すると打ち出したことで、前評判は上々だった。
しかし1971年に鳴りもの入りでライブを行ったが、思ったほどに固定ファンが集まらず、まわりのバンドからも総スカンのような扱われ方で、ごく短期間で活動中止に追い込まれた。
その後もゴールデンカップスが72年1月に、遠征先だった沖縄の地で解散した。
もっとも長いキャリアだったブルーコメッツは歌謡コーラスグループになって生き残りを図ったが、やはりその年の後半には解散せざるを得なくなった。
GSブームという現象はロック的な衝動によって、舞台と客席の間でバンドと若いファンとの交歓を生みだした。
しかし歌謡界に大きな転換期を作ったものの、ロックを定着することはできずに冬の時代を迎えて、芸能界の商業主義に飲み込まれてしまった。
そんななかでモップスだけがなぜ、ロックバンドとして生き残ったのか?
ニューロックと世界への挑戦
1967年に日本語によるロックの傑作「朝まで待てない」でデビューしたモップスは、1970年に東芝レコードに移籍して第1弾シングル「ジェニ・ジェニ’70」を5月5日に発売した。
これはリトル・リチャードのヒット曲を英語でカバーしたものだった。
それに続く「朝日のあたる家」でも、アニマルズのヒット曲を英語でカバーしていた。
しかしここでモップスはピアノ主体のアレンジを導入し、和楽器の尺八を間奏から登場させて、カウンターメロディーには弦の四重奏を使った。
バンドのメンバーに鍵盤を弾く人間がいないのに、あえてそうしたアレンジにしたのは何かしらの目的、もしくは計画があったのだと考えてみた。
おそらく英語で唄ったことも含めて、日本のロック・サウンドを世界に届かせるための第一歩という、秘められた意図があったのではないかと、ぼくは想像したのだ。
「朝日のあたる家」の後に制作されたモップスのシングルは、1971年1月25日に発売された「御意見無用(Iijanaika)」(作詞:喰始、鈴木博三 作曲:星勝)である。
ここではあえて英語と日本語を混在させていたが、江戸時代の末期に各地で発生した民衆運動の「ええじゃないか」を受け継いだ反抗のエネルギーと、阿波踊りや音頭を取り入れた土着的なリズムに特徴があった。
その頃に日本語とロックの問題に直面したことの影響が、多少なりともあったと考えるのが自然だろう。
モップスを気に入っていた内田裕也は、英語の歌詞で世界に出ようと主張していた。
ぼくが初めて「ご意見無用」に出くわしたのは、大学に入って1年目の冬が終わるころだった。
藤田敏八監督による日活映画『野良猫ロック 暴走集団’71』は、1971年1月の末に日活の封切館で公開された。
それから少し遅れて明大前にあった「昭和館」という二番館で、この映画を観たという記憶がある。
映画の中でモップスが突然、路上にトラックで乗りつけて歌うシーンに、和太鼓から始まる「御意見無用」が唐突に流れてきた。
その瞬間、「これは日本のロックにおける新たなアプローチだ!」と感じた。
本来のタイトルが「御意見無用(Iijanaika)」であったように、英語詞と日本語と両方でレコーディングされたという。
それはバンドの側の気持ちとして、日本語でも外国に通用するという意識があったからだろう。
2020年の現時点でロック史に「御意見無用」を置いてみると、プログレッシブ・ロックといえる作品だったことがわかってくる。
しかし「御意見無用」は話題になることもなく、当時の音楽シーンではまったくレコードが売れなかった。
そのために企画倒れのように見えてしまったが、ぼくは「惜しいなぁ」という気持ちをずっと引きずっていた。
外国からの借り物ではない日本のロックで、現状を打ち破りたいとするモップスを支持したい気持ちになったのだ。
「でも……、ムリかな…」と思ったのも事実である。
いかに斬新なロックが生まれてきても、そこに気づくリスナーはほんの少数に過ぎなかった。
孤立無援の状態では支持者を増やすことができない。
そう思っていたらコミカルな「月光仮面」が思わぬヒットになり、モップスに注目が集まって支持者が急増したのである。
そこで必要になったのは、モップスに共感をよせる仲間たちの協力だった。
(続く)
次回の更新は、3月24日(火)17:30予定
著者プロフィール:佐藤剛
1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)
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