諸事情あって東京を去り、生まれ故郷に移住することになった。引越しの日が目前に迫っているが、腐海の如きアパートの自室からゴミを出すのに疲れ果て、荷造りも始まらぬうちに、とりあえず現実逃避すべくこの記事を書いている。雑な文章だが許していただきたい、オレは引越し準備で忙しいんだ。ああ忙しい。
2019年の1月~3月の深夜アニメは、アニメ史上に残る面白さだった。言うまでもなく同じクールでぶつかった「ケムリクサ」と「けものフレンズ2」のことである。
2017年の第一期「けものフレンズ」は腰抜かすほどの傑作であり、たつきというアニメ作家の衝撃的な商業デビューだった(同人では有名だったらしい、よく知らないが)。「9.25けもフレ事件」*1(このネーミング最高)を経て、たつき監督の新作「ケムリクサ」は2019年1月~3月に放送された。そして「ケムリクサ」と同時期にぶつけて放送されたのが、制作体制を一新した「けものフレンズ2」だった。その結果は皆様がご存知の通りである。
「ケムリクサ」は腰抜かすほどの傑作だった。アニメとして傑作なのはさておくとしても、オレが感心したのは作品テーマの今日性、たつき監督が見事に時代を掴んでいることだった。終わってしまったこの国の数知れぬ理不尽の中で、あきらめずに生きること。過酷な世界で、自分だけの生きる理由を見つけること。やさしさを失わないこと。寛容であること。愛すること。本当に大切なもののために、自己犠牲を厭わぬこと。
オレの見立てでは、たつき監督の才能はスタンリー・キューブリック級だ。いつハリウッドに引き抜かれてもおかしくないと思う。彼の年齢は30代半ばらしい。ハッキリ言って宮崎駿が「未来少年コナン」で演出家デビューしたのが35歳とか36歳、黒澤明が「姿三四郎」で監督デビューしたのが33歳だからね。判るだろ? そういうことだ。
対して、「けものフレンズ2」は商業アニメ作品として破格に不出来だった。しかしアニメのデキよりヤバいと思ったのは、作品を通してあらわになった作り手の思想と感性だ。他者を信じないこと。バカにすること。蹴落とすこと。そして最も冴えたやり方は、差別し、支配し、切り捨て、操ることで他者を自分の思い通りに動かすことである。嘘偽りなく「けものフレンズ2」にはこのようなメッセージが溢れており、本当に驚かされた。言語化せずとも作り手がそう「生きている」ことが、作品に残酷なほど表れている。「けものフレンズ2」を観てないそこのあなた、いくらなんでもそんなアニメがあってたまるかボケ、と思うことでしょう。あるんだよ。ホントにホントだ。
たつき監督の凄まじい才能と善良さを、たつき監督を排除した「けものフレンズ2」が結果的に証明してしまった。これだけでもたいへん面白い現象なのだが、「けものフレンズ2」の作り手たちは作品外の現実世界でも悪意の痕跡を大量に残してしまった。これがネットに巣食う好事家たち、及びわたくしの御馳走になっているのが現状である。2階席から見る場外乱闘はホントに面白いよな。
オレは、たつき監督を「けものフレンズ」から追放した連中の気持ちが、少し判るような気さえするのだ。映画「アマデウス」*2で、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトその人と出会ってしまった宮廷音楽家アントニオ・サリエリの気分だろうと思う。たつき監督ご自身は、こう言うちゃ申し訳ないけど冴えない感じのおっさんだ。同人あがりのCGアニメーターで、商業での実績は「てさぐれ!部活もの」ぐらい。そりゃけものフレンズプロジェクトでなくたって誰だって、こいつチョロい、コントロールできると思いますよ。ボンクラ新人監督を激安でこき使ってやろうと思いますよ。それがまさか、中身モーツァルトだとは。サリエリがモーツァルトを追い込んだように、連中がたつき監督をその才能ごと、才能ゆえに憎悪したとしても驚かない。それが我々受け手から見ても丸わかりというのは、きょうび脇が甘すぎるよな。「アマデウス」劇中のサリエリは、炎上せずに済んだ。ウィーンにネット回線がなく、宮廷にWi-Fiが飛んでなかったからだと思われる。さすがにサリエリとて悪意を自分の作品にこめて音楽の神聖を汚すようなことはしなかった。それでも、老いて自分の作品が世間から忘れられた後もサリエリは、モーツァルトの音楽が時代を超えて愛され、讃えられるのを目の当たりにしなくてはならない。時間に劣化されないモーツァルトの音楽と、それを愛した民衆が、時空を超えてサリエリを裁く。「すべての凡庸なる者たちよ、お前たちすべてを赦そう」とサリエリは言う。きっと「けものフレンズ2」の作り手たちも、サリエリに赦してもらえるに違いない。オレは許さない。
この「けものフレンズ2」騒動の中、テレビ東京のプロデューサーが批判対象の中心的人物になった(それにしてもこの騒動は批判対象が多すぎるのだけど)。オレの経験から言って、この人は確かにひどいがこの人に限らずPというのは十中八九ろくでもないものだ。その中でも局P、これはもう例外なく全員がクソである。そもそもプロデューサーというのは、システムの構造からしてどうしたって多かれ少なかれクソにならざるをえない役職なのだ。それは多くの場合、創作者ではないのに創作者以上の権力を持つことに起因する。実際、いろいろうまく回すためにはそんなクソなプロデューサーが役職として必要なのである。これは制作システムが必然的に抱えるジレンマであって、一種の必要悪なのだ。ゆえにプロデューサーとは悪であることを引き受ける存在であるし、優秀なPは自分が悪であることに自覚的だ。まれに「クソで申し訳ない」とすまなそうにしているPも、いるにはいる。だが局Pにはいない。少なくとも見たことない。
この騒動を、オレはゲスな気持ちで大いに楽しんだ。いや、今も進行形で楽しんでいると言わざるを得ない。これはオレが普段軽蔑しているワイドショーの感覚そのものだ。「けものフレンズ2」の瘴気が、自分の中の最もゲスな気持ちを引き出してみせたのだと思う。ズバリ言って、人に「けものフレンズ2」はお薦めしない。画面から発散される悪意と憎悪と不可解さで、体調を崩してもおかしくない代物だ。しかしアニメ史上類を見ない、極めて特殊な作品であることも間違いないのだ。「ケムリクサ」と「けものフレンズ2」を並行して観ていた今年アタマの3ヶ月間は、「生涯に一度きりの」「特別な」「かけがえのない」「極めて貴重な」体験だったと思う。二度とゴメンだけど。
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*1:http://dic.nicovideo.jp/a/9.25%E3%81%91%E3%82%82%E3%83%95%E3%83%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6
*2:言うまでもないが映画「アマデウス」はフィクションです
けものフレンズは、奇跡の作品でした。
死にかけたコンテンツが、稀代の天才監督によって大絶賛される作品へと昇華した奇跡。
天才監督をのけものにしたことで、平成でワーストを争う最低作品へと転落した奇跡。
そんな奇跡の結果、ケムリクサという傑作が世に知らしめられることになったのは皮肉なことです。
視聴者への、作り手への、作品への愛情の結晶と憎悪の結晶のバトルは予想以上の圧倒的大差がつきました。
しかしここまで他人を落とし貶し馬鹿にしコケにし、それを隠すどころか撒き散らした作品はもう二度と出ないでしょうね。
1視聴者として一生KFP関係者を許す事はないでしょう。
Pはクズとなると、福Pもどちらかと言うとそっちよりの人間なのかしら。
まぁ、若いころの写真?は酷いし(というかどういう経緯であの写真を撮ったんだ)光のヤクザとか揶揄されているし。
まぁ、声優さんをしっかりガードしてたというからクズ度はかなり低そうだけど。