•活動期間:88~95年
•出身地:ダブリン
•メンバー:Craig Walker(Vo& G)、Ian Olney(G)、 Michael Lennox(B)、 Keith Walker(Ds)
•Discogs:http://www.discogs.com/artist/291580-Power-Of-Dreams
•HP:http://www.powerofdreams.ie/
•FB:https://www.facebook.com/pages/Power-Of-Dreams/259994374169
•FB(クレイグ・ウォーカー):https://www.facebook.com/pages/Craig-Walker/95988622932
•TW: https://twitter.com/powerofdreams4
•MIXI:http://mixi.jp/view_community.pl?id=5289
このバンドはアラフォーの方なら知っている人も多いでしょう。バンド名で検索するとホンダ自動車の宣伝文句とともに、バンドの思い出を語るエントリがいっぱい引っかかります。渋谷陽一さんのお気に入りだったらしく、当時、結構プッシュされていて、日本のメディアにもそこそこ露出していたのです。だからこそ当時、チャゲ&飛鳥、中島みゆき、尾崎豊くらいしか聴かず、洋楽に対する興味も知識も皆無だった私でも、このバンドのことを覚えているのです。
デビュー当時、メンバー全員10代と、まるでThe Strypesのようですが、音楽性はかなり違って、PODはU2のようなストレートなギターロックをやっていました。87年にU2が「The Joshua Tree」で世界的な成功を収め、これまで軽視されてきたアイルランドのバンドでも世界を狙えるということが分かったので、80年代後半~90年代前半には、アイルランドからポストU2ともいうべきU2と似たようなテイストのバンドが沢山デビューしたのです。
ライブやデモテープで地元アイルランドで評判になった後、PODはポリドールと契約。90年1st「Immigrants, Emigrants and Me」をリリースします。
当時、日本はバンドブームに湧いていて、このような才能があるのかどうかも分からないけど音楽への情熱だけはある素人ぽいバンドが沢山デビューしていましたが、そんな日本人リスナーの耳にはPODの音楽は馴染みやすかったのかもしれません。違いは日本のバンドブームはバブル崩壊前の時代の最後の徒花だったこと、アイルランドのバンドブームは90年代後半に訪れた「ケルティック・タイガー」と称された経済成長期の前兆だったこと、そして凡百の日本のバンドと違ってPODにはたしかな才能があったことです。
このアルバムからは後で紹介する「100 Ways To Kill A Love」という曲がIREチャートの20位に食い込み、また噂の(?)U2批判ソングも収録されていました。
PODは当時アメリカに接近し、政治的な歌を歌っていたU2に批判的で、2nd「2 Hell With Common Sense 」の日本盤ライナーノーツには、メンバーによる次のようなU2批判発言が載っています。
「一つのロックバンドに世の中を変えることなんでできるわけがない。僕ら新世代の人間はそこまでナイーヴじゃないよ」「U2の方法論は、20年前のヒッピーによって試され、そして成し得なかった失敗策なんだよ。それを今更焼き直ししようなんて、あまりに安直だね。彼ら自身もそんなこと可能だなんて思ってないよ、きっと。あれが彼らのイメージなんだ」
そしてこの歌では「テキサスへは行ったことがない…/帽子を被りたくない/ブーツを履きたくない」(当時のボノはカウボーイハットとブーツがトレードマークだった)ときて、サビの「I Want to You to Say」の「You to」が「U2」に聴こえるという仕掛けになっているというわけです。
「僕たちのアルバムがリリースされると、「Never Been To Texas 」はB・B・キングと一緒にアメリカへルーツを探しにいったU2の歌なのか? ってよく訊かれたよ。そして SFX で最初のライブをやった夜、ボノは花束と大きなチョコレートケーキとスマーティーズ(チョコレート)とB・B・キングのレコードとコンドームを僕たちに送りつけてきた。クールなやり方だとでも思ったんだろうね。まったくなんて奴だ。それで僕たちはDinosaur Jr.のアルバムと俺たちのコンドームを送りつけてやったんだ。彼は今やミスター・クールだよ。サングラスをかけたペテン師だ」(キース・ウォーカー)
ウィキにはアイルランド、UK、フランス、日本で好評を博したとあるのですが、調べた限りこの1stアルバムはどこの国でもチャートインしておらず、商業的成功を収めたわけではなかったようです。が、とにかくPODはヨーロッパを中心に30カ国を回る世界ツアーを敢行し、来日公演も果たしました。
大阪のIMPホールという小さな会場で(多分1500人くらい入ると思います)それでも、8割程度しか埋まらないといった感じでした…まあ、こんなマイナーなバンドのライブにやってくる人たちですから、コアな人が多かったです。シングルになった曲が演奏されると、合唱が始まるんです。英語の歌ですよ。それをみんな歌うんです、踊りながら…とにかく、初めてのコンサートと言うことで何もかも新鮮でした。 俺の席がスピーカーの目の前で、えらい音のバランスが悪かった事。 CDじゃヘタクソだと思ってたキースのドラムが、ライブでは千手観音みたいでびびったこと。そして、俺と二歳しか変わらない、当時十八のクレイグが、本当に、本当に醒めた声で、それでも、客席に向けて必死に歌いかけてくれた事。アンコールの「100 WAYS~」そしてU2大批判のラストソング「AMERICAN DREAM」みんなで歌いました。今でも、おぼろだけど、思い出すことが出来る。俺の初体験は、本当に素晴らしいものでした。
そうそう、初来日のライブをクアトロで観たのを憶えています。クアトロの、向かって左側の柱がジャマだった、ということは鮮明に憶えています・・・。100 ways to kill a loveでピョンピョン飛び跳ねてる自分も思い出します・・・。若かった~!純粋に楽しいライブでした。そう、パワー・オブ・ドリームスのこのアルバムは、若さが充満しているのです。もちろんメンバー自身が若かったのもありますが、若くないと作れないだろう、という曲ばかり。でも、若いのにいいメロディー作っているのですよ!切なさとか甘酸っぱさとか純粋とか突っ走る感情とか反抗心とか、そんなイメージです。
その後PODは「American Dream」と「There I Go Again」の2曲をIREチャート20位台、UKチャート100位以内に叩き込みますが、快進撃もそこまで。92年2nd「2 Hell With Common Sense 」も94年3rd「Become Yourself 」もチャートインせず、ポリドールとの契約を切られ、バンドは解散してしまいます。
きっと彼らは今ごろ、持ち上げて突き落とした日本人を怨んでいることでしょう。 持ち上げるだけの価値はある、ストレートで気持ちのよい音ではありましたが。
なぜPODは売れなかったのか?流行から外れていたというのはあるかもしれません。当時UK圏ではブリットポップ・ブームが沸き起こっていて、PODのようなストレートなロックはそれらとは一線を画していました。流行に抗うためには、それなりのフックが必要でしょう。例えば93年にデビューしたPODと同じU2テイストのThe Cranberriesにはそれがありました。紅一点という目を引くバンド構成、ドロレス・オリオーダンの「張りつめていて刺すようだ」と称された歌声、「Dreams」や「Linger」のようなキラーチューン……これらのもがあったから彼らは世界的な成功を収めることができたのです。
対するPODはどうか? バンド構成やクレイグの歌声にはさほど目を見張るものはないかもしれませんが、楽曲は十分魅力的だったでしょう。ライヴでの演奏もなかなかだったと聞きます。それではなぜ?――その答えはダサかったからだと私は考えます。やはりバンドも人気商売、見た目が悪いとティーンの心を動かすことは難しい。U2も糞ダサかったわけですけど、その欠点もボノというカリスマ性のあるヴォーカルの存在で補って余りあり、世界的な成功を収めることができたのです。クレイグ・ウォーカーにそこまで望むのは酷というものでしょうね。ちなみにこのダサいがために売れなかったという呪縛は、80年代にデビューし、才能があったのに売れなかったアイルランドのバンドすべてに共通するものです。アイルランドのミュージシャンが洗練されてくるのは90年代に入ってから。00年に入ってからは洗練され過ぎて、ぱっと見ではUKのバンドと区別がつかなくなってしまいますが。
さてPODは解散してしまっとはいえ、当時メンバーはまだ25歳前後。その年からバンドを始める人間だって少なくないわけですから、まだまだやり直しが効く年齢でした。この後彼らの音楽キャリアはどう展開していったのか――ページを改めてクレイグ・ウォーカーを中心に見ていきたいと思います。
さて日本でほんの少しだけ売れたPODを高く評価しているバンドがいました。後にSpinal Life、Airで活躍する車谷浩司さんと現在は写真家をしている谷口宗一さんが中心メンバーのBakuです。彼らは「聞こえる 〜Power of Dreams〜」というタイトルのアルバムをリリースし(オリコン3位)、その中に「Power Of Dreams」という曲を収録、このアルバムかどうかは知りませんが、PODをプロデュースしたことのあるジェシカ・コクラン女史をプロデューサーに起用したりするほど、PODに惚れ込んでおりました。
そしてBakuが解散して谷口さんがソロ活動に入った際、PODは彼のバックバンドに起用され、晴れの武道館公演でも演奏しました。
それはともかくBAKUがパワーズに強い仲間意識を持っていたことは明白である。日本と英国/アイルランドの社会環境・表現方法の違いはあるが、どちらも若さを武器に夢の力を信じてロック表現をしたことは共通する。1992年「バクは夢を食べ続けなければならない」というメッセージを残してBAKUを解散しソロ活動をスタートした谷口宗一はUKロックに接近し憧れのパワー・オブ・ドリームズとアルバムを共作。1995年にはパワーズをバックに武道館公演を成功させる。当時メジャー契約を切られインディーに戻って地道に活動していたパワーズにとってはデビュー時高く評価された日本のアーティストと共演し8000人の前で演奏したことはキャリア最大の出来事に違いない。
ということですが、PODのファンの間では「落ちぶれた」と嘆く声が多かったようです。
ちなみにこのPOWER OF DREAMS、ワタシが働いてたお店では、一押しっ、でした。来日ライヴもすっごく良かったし。ただ、若さゆえ~、か、シングルやアルバムを出すごとに だんだんハードな面が前面に出るようになってた。1st「Immiglants,emigrants and me」や「American Dream」の頃がほんっと、 好きでしたね~。そういえばこの子達、もうあんまり聴かなくなった頃に、グーゼンTVで、その頃のバンドブームの、なんてバンドだったっけ、ゾーキンがどーのこーのって歌ってた子達とジョイントしてた曲のプロモビデオを見てしまって・・・ なんだかなぁ・・・まあ、たしかに、日本とアイルランドの同世代くらいのバンドなんだけど、ちょっと悲しいなぁ・・と思ってそれっきりだった。
その後クレイグはロンドンを拠点に活動しているArchiveというエレポップバンドのオーディションに合格し、02年~04年まで在籍、その間、三枚のアルバムでヴォーカルを取っています。このArchive、私もよく知らないのですが、そこそこ人気があるようで、クレイグがようやく脚光を浴びれた時期といっていいでしょう。
その後、クレイグはDJをしたり、他のミュージシャンのアルバムに参加して食いつないでいたようなのですが、09年初のソロアルバム「 Siamese」をリリースしました。
そして10年、1stの再発盤がIREチャートで10位に入ったのを機に、クレイグはPODを再結成。アイルランド、UKでライヴを行いました。
それと並行してパリを拠点に活動するMineralというエレポップバンドもやっているようです。これもレーベルのオーディションに合格して、デビューを勝ち取ったのだとか。40歳を超えてオーディションというのも悲しいですが、その執念、合格してしまうあたりの才能は本当に素晴らしい。
14年、クレイグがThe Avener & Phoebe Killdeerというグループのために共作した「Fade out Lines」という曲がヨーロッパ各国のチャートの上位に入り大ヒットしました。スペイン、ドイツ、豪州ではチャート1位に輝いています。ようやく栄光を(ほんの少しだけ)手に入れました。
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