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総裁選の報道 威圧するかの自民の要請

 見過ごせない報道への干渉である。自民党が総裁選をめぐって新聞・通信各社に「公平・公正な報道」を文書で要請した。

 取材は規制しないとする一方で、記事や写真の内容、掲載面積について「必ず各候補者を平等・公平に扱うようお願いする」と注文をつけている。告示前日の7日付で、総裁選の選挙管理委員長名で送付したという。

 前回2018年の総裁選の際にも、自民党は同様の文書を各社に送っている。前例を踏襲したと選管は説明するが、都度繰り返されていることこそが問題だ。

 要請の形をとってはいても、報道への威圧になる。取材は規制しないとあえて書くことにもその意図はちらつく。自民党は文書を撤回し、要請をやめるべきだ。

 総裁選は、自民党の選挙であると同時に、後継の首相を決める重要な意味を持つ。主権者である国民の知る権利に応えるには、新聞やテレビがそれぞれの視点で報道することが欠かせない。

 公正・公平が大切であることは言うまでもない。しかし、それはあくまで報道各社の自主的、自律的な判断によって確保されるべきものだ。政治権力が公正・公平を持ち出して横車を押せば、その原則が掘り崩されていく。

 安倍政権の下で、報道への圧力は目に見えて強まってきた。14年の総選挙では、民放の番組に出演した首相が、政権に批判的な街の声に「選んでますね。おかしいじゃないですか」とかみついた。自民党は在京のテレビ各社に、選挙報道の「公平中立、公正」を求める文書を送っている。

 ほかにも、放送事業者の自律を損なう政府、与党の手荒な介入が目についた。総務相は15年、個別の報道番組の内容に立ち入って、NHKに厳重注意の行政指導をしている。自民党は幹部を呼んで事情聴取した。

 その後、総務相はさらに踏み込み、放送番組が政治的な公平を欠く場合、電波の停止を命じる可能性にまで言及している。何が公平かを政府が判断するなら、政権の意に沿わない放送がやり玉に挙げられかねない。電波停止をちらつかせて脅すような発言に、強大化した政権のおごりが浮かぶ。

 報道の自由が脅かされてきた責任の一端はメディアの側にある。不当な干渉を押し返せなかったばかりか、やすやすと受け入れてきた面がなかったか。長期政権の退陣を機にあらためて自戒し、主権者の知る権利に応える報道の役割を再確認しなければならない。

(9月12日)

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