東海豪雨20年 地域社会が住民を守る
2020年9月11日 08時12分
「伊勢湾台風以来の水害」といわれた東海豪雨から二十年。治水による「公助」が進むが、七月豪雨のように水害は近年「凶暴化」し、想定外の事態も。「自助」と「共助」がますます重要になる。
二十年前の九月十一日、本州上に停滞していた秋雨前線に、九州沖の台風から暖かく湿った空気が流入。東海地方上空で線状降水帯が発生して豪雨をもたらした。
名古屋では観測史上最高の一時間雨量九七ミリ、総雨量は五六七ミリで年間雨量の三分の一。川の氾濫などで愛知、岐阜、三重、静岡の四県で十人が死亡し、約七万棟が浸水した。
大都市から山間地までが襲われた災害だったが、このうち、名古屋市の外縁部を流れる一級河川・庄内川が十一日から増水。支流の新川の水位も上がり、十二日午前三時半ごろ、同市西区で左岸堤防が約百メートルにわたって決壊し、八・三平方キロ、住宅地の約七千戸が浸水したものの死者は出なかった。
「公助、共助、自助がうまくいったからではないか」と決壊現場に近い愛知県西枇杷島町(現清須市)の町内会長だった工務店経営福島章雄さん(73)は振り返る。
決壊の二時間前「避難勧告が出た。自分の町内に告げてほしい」と役場から電話があった。町内の路上を歩いて大声で避難を呼び掛け「手ぶらで行かないで。誰かと手をつなぎ、何人かで逃げて」と付け加えたという。消防団員もポンプ車で地区を回っていた。
「役場が公助、私や消防団員が共助、住民の皆さんが自助。あの晩は怖くて寝付けず、親の代から私を知る人も多かったので、情報に飛び付いてくれたのでは」。決壊後、水位は高さ一・八メートルにも。逃げ遅れて平屋建ての家の中で長押(なげし)にぶら下がって救助を待ち、命拾いした人もいたといい、早期避難が奏功したことがうかがえる。
国土交通省中部地方整備局や愛知県は、東海豪雨並みの雨量に耐えられるよう庄内川と新川の堤防かさ上げや河道掘削を進めているが、完工は二〇三〇年代。さらに同省の試算では、関東などを襲った昨年の台風19号が庄内川を直撃したら東海豪雨を上回る雨量だった可能性もあるという。
公助には限界もあり、共助や自助、特に地域コミュニティーの重要性を再認識したい。都市部では希薄化しがちだが、いざというとき頼れるのは地域のつながりだ。東海豪雨を経験していない世代や新住民に被災者が経験を語り継いでいくことも重要であろう。
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