第一話:フェイト・ブレイク・オンライン――起動【一】
俺ことラックは、生まれたときから体が弱かった。
なんでも徐々に細胞が死滅していくという先天性の難病を
現代の魔法医学でこれを治す術はなく、高位の回復魔法によるわずかな延命治療が限界だ、と五歳の時に宣告された。
このまま何もしなければ、十五歳で死ぬ。
延命治療を施せば、十八歳で死ぬ。
父さんと母さんは、口を揃えて「延命治療をしよう」と言ってくれたが……。
俺はきっぱりと断った。
延命治療には、目玉の飛び出るような大金がいる。
片田舎にあるこの家にそんなお金はない。
それに……愛情の深い父さんと母さんのことだ。
もしも俺が「生きたい」と願えば、きっとどんなことをしてでもお金を用意しようとするだろう。
たとえそれが、法律や倫理に反することであっても。
大好きな二人にそんなことはしてほしくないし、何よりこれ以上の迷惑を掛けたくない。
俺は自然に身を任せて、『十五歳の死』を選んだ。
その後、無情にも時は流れていく。
八歳の頃、手足の感覚が徐々に麻痺していくのがわかった。
十歳の頃、ついには自分で立つことができなくなり、寝たきりの生活となった。
ベッドの上で仰向けになりながら、ただぼんやりと天井を見つめていると……窓の外から、楽しそうな子どもの声が聞こえてきた。
同年代の村の子どもたちが、鬼ごっこやかくれんぼをして遊んでいるのだ。
もしも俺がこんな病気を患っていなければ、きっと今頃はみんなと一緒に遊んでいたことだろう。
(……いいな……)
自由がほしかった。
大空を自由に飛べる翼……とまでは言わない。
ただせめて、自由に動く手足がほしかった。
それからさらに数年が経過し、いよいよ十五歳――『最後の一年』を迎えた。
最近はずっと四十度近い高熱が続いており、一日のほとんどを眠って過ごしている。
村でただ一人の医者の話では、既に免疫機能が崩壊しているため、今後は死ぬまで今のような苦しい状態が続くそうだ。
酷い高熱に浮かされながら、とても不思議な夢を見ていた。
夢の中の俺は、『日本』という信じられないほど高度に文明の発達した島国で、どこにでもいる普通の高校生をやっていた。
いや、『普通』と表現するには少し語弊があるか。
俺は自分でも呆れ返るほどの『廃人ゲーマー』で、
最近特に熱を入れているのが、一か月ほど前に発売されたばかりのフルダイブ型VRMMORPG『フェイト・ブレイク・オンライン』――通称『FBO』。
史上最高の糞運営が作りし、廃人仕様の神ゲーだ。
キャッチコピーは『運命をぶち壊せ』。
それを体現するかの如く、FBOは本当になんでもありのゲームだった。
果てのない広大なマップ・自由自在なキャラビルド・底の見えないやり込み要素に加え、巧妙に仕組まれた初見殺し・無駄に盛られた伏線・予想の斜め上をぶち抜くイベントなどなど……。
その混沌とした世界に、世界中のゲーマーは魅了され、昼夜を問わずプレイし続けた。
重度の廃人ゲーマーである俺もその例に漏れず、プレイヤーネーム『ラック』を使って、『攻略組』の最前線を走っていた。
未知を既知にしたときの快感。
最適なビルドを組み上げたときの満足感。
PvPに勝利したときの高揚感。
自分だけが知る攻略情報を見つけたときの優越感。
強敵と対峙したときの緊張感。
レアドロップを手にしたときの多好感。
みんなでクエストをクリアしたときの達成感。
楽しかった。
本当に、本当に……楽しかった。
しかし、この楽しい夢も次第に見られなくなっていった。
どうやら現実の体が、いよいよもって限界らしい。
【第一の運命:天空氷城の祈り姫】――その舞台となる『天空氷城グレイシャリオ』へ到達したところで、俺の夢は完全に途絶えてしまった。
(ぅ、ぐ……はぁはぁ……っ)
強烈な頭痛と節々の鈍痛によって、現実世界へ引き戻される。
明滅する視界に映るのは、父さんと母さん、それからヨレヨレの白衣に身を包んだ村医者。
耳を澄ませると、今夜が峠だとかなんとか聞こえてきた。
「ラック、ごめんなさい……。丈夫な体に産んであげられなくて、本当にごめんなさい……っ」
母さんは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ベッドで横たわる俺の左手をギュッと握る。
母さんは、なんにも悪くない。
俺の方こそ、強い子どもに生まれてこなくてごめん。
だから……そんなに泣かないでくれ。
「すまん、ラック……。俺に金を稼ぐ知恵が、その病を治してやれる頭があれば……ッ。……駄目な父親で、本当にすまない……っ」
父さんはギュッと拳を握り締めながら、怒りと悲しみに満ちた言葉をこぼした。
父さんは、駄目な父親なんかじゃない。
俺なんかのために、いろんな街を駆けずり回って、あちこちに頭を下げて、必死にお医者さんを探してくれた。
だから……そんなに苦しそうな顔をしないでくれ。
二人に伝えたいことは、山のようにあった。
だけど、それを言葉にすることができない。
どれだけ必死に口を動かそうとしても、体が全く言うことを聞いてくれないのだ。
徐々に五感が霧散していき、自分の意識が希薄になっていく。
(……あぁ、これが『死』か……)
残りわずかな命の灯が、ついに消えようかというそのとき――奇妙な声が鼓膜を打った。
「――おぉ賢者よ。死んでしまうとは情けない……」
瞳だけを動かし、声のする方に目を向けるとそこには――白髪・白眉・白髭の老爺が、不敵な笑みを浮かべていた。
あれは確か、フェイト・ブレイク・オンラインの進行役『運命の仙人』だ。
家の中にあからさまな不審者がいるにもかかわらず、誰もそれを気に留める様子はない。
(なんだあれ、幻覚か……? というか、俺はまだ死んでねぇよ)
「ほほっ、こりゃ失敬した。確かに
俺の心が読めるのか、運命の仙人は長い髭を揉みながらそう答えた。
「賢者ラックよ。残念ながら、お主の人生はここで終わりじゃ。なにせその死は、『運命』によって決められておるからのぅ。おぉ、なんと不遇な人生じゃろうか……」
彼はわざとらしく首を振った後、妖しい笑みを浮かべる。
「――しかし、ここに『一つの可能性』がある」
運命の仙人が指をパチンと鳴らせば、俺の目の前にシステムウィンドウが出現した。
――このクソったれな運命をぶち壊しますか?
・Yes
・No
「さぁ、好きな方を選ぶがよい」
高熱に浮かされた俺は、特に何を考えることなく、吸い込まれるようにして『Yes』の選択肢へ指を伸ばそうとした。
しかし、腕はピクリとも動かない。
当然だ。
この体は、とっくの昔に『死に体』なのだから。
「ほっほっほっ、動けんか? まぁ、動けんじゃろうな。賢者ラックの死は『運命』、すなわち『フェイト』! これをぶち壊すには、
運命の仙人は意味のわからないことを声高に叫びながら、ジィッとこちらを見つめた。
するとその直後、
「……残念ですが、ラックくんはもう限界のようです」
村医者はそう言って、小さく首を横へ振った。
「ラック、ラック……っ。いや、お願い……返事をして……!」
「すまん、ラック……ッ」
母さんと父さんの声が、やけに遠く聞こえた。
馬鹿、謝ってんじゃねぇよ。
これが最後なんだから、せめて二人とも笑ってくれ……。
(あぁ、くそ……我ながらほんと情けねぇな……ッ)
――ありがとう、俺は幸せだった。
最愛の両親へ、自分の気持ちすら伝えられずに死ぬ。
なんて惨めな最期だ。
なんて不条理な世界だ。
なんて酷い運命だ。
あまりにも残酷でどこまでも救いのないこの世界に対し、燃えるような激しい怒りが湧いてきた。
「……ふざ、ける、な……っ」
その瞬間、リミッターのようなものが外れた気がした。
「ラック!?」
「先生、ラックが言葉を……!」
このクソったれな運命をぶち壊しますか、だと?
そんなもん、決まっているだろうが……ッ。
「……イエス、だ……!」
俺はありったけの力を振り絞り、ウィンドウに頭突きを食らわせてやった。
すると次の瞬間、世界が大きくブレた。
――ユニークスキル<アンリミテッド・コード>の発現を確認。
――原初の運命が破壊されました。
――因果修復プログラム・オートスタート。
――修復不能。因果律の不可逆的な損傷を確認。
――当該事象の発生確率0%。
――対象ユーザーラックを『異端者』と判定。
いくつものエラーメッセージが視界を埋め尽くす中、運命の仙人は大声をあげて笑い出す。
「く、くくく、ふはははは……ッ! さすがは賢者ラックだ! 今ここに『原初の運命』が破壊されたぞ!」
彼は両手を広げ、高らかに叫ぶ。
「さぁ、それでは始めようか! 本当のフェイト・ブレイク・オンラインを!」
――フェイト・ブレイク・オンライン、起動。
膨大なプログラムコードが視界を埋め尽くしていく中、俺の意識は深い闇の底へ沈んでいった。
■
穏やかな太陽の光を受けて、ゆっくりと目を覚ます。
「う、ん……?」
湿った土の感触・青くさい草のにおい・澄んだ小鳥のさえずり――どうやら俺は、だだっ広い草原で仰向けになっているらしい。
ゆっくりと上体を起こせば、どこかで見たことのある風景が広がっていた。
「ここは……『スタッポ草原』、か?」
俺の記憶が正しければ、今いるこの場所はFBOの新規プレイヤーのスポーン地点――スタッポ草原だ。
スッと立ち上がり、服の汚れを軽く払いのけると不思議な声が聞こえてきた。
――ようこそ、フェイト・ブレイク・オンラインへ。
――あなたは、因果の
――どうかその手で、この世界に刻まれた『破滅の運命』をぶち壊してください。
これは確か、FBOの新規プレイ開始時に流れるプロローグだ。
「もしかして……夢の続き、なのか?」
俺が小首を傾げると、
「――
背後から、しわがれた声が聞こえてきた。
慌てて振り返るとそこには、白髪・白眉・白髭の老爺が立っていた。
白い装束に身を包み、木製の杖を手にしたその姿は、まさに仙人然としており、どこか浮世離れした不思議な空気を放っている。
「あんたは、運命の仙人!?」
「ほっほっほっ、さすがは賢者ラック。儂の見込んだ通り、お主はやはり異端者であったか!」
彼は楽しげに笑いながら、手元の杖をゆっくりと叩いた。
「なぁおい、ここは本当にフェイト・ブレイク・オンラインの中なのか? 『賢者』ラックって、『異端者』ってなんだ? というか、俺の体はどうなった? 父さんと母さんは!?」
頭の中で燻っていた疑問が、次から次へと吹き出した。
「混乱する気持ちもわかるが、ひとまず落ち着くがよい。そう矢継ぎ早に問われては、おちおち答えることもできんからのぅ」
運命の仙人はそう言って、近くにあった切り株へ「よっこらせ」と腰を下ろす。
「さて……それではまず、この世界について簡単に説明しよう。先のプロローグにもあった通り、ここはフェイト・ブレイク・オンライン――『時間』と『空間』の制約から逸脱した『完全なる異世界』じゃ。こちらの世界で何十億年と経過しようが、外の世界ではコンマ一秒として動かぬ」
あまりにも非現実的な話に、俺は思わず息を呑む。
「……ここが本当にあのフェイト・ブレイク・オンラインの世界だと仮定して、ログアウトはどうやるんだ?」
「残念じゃが、ログアウト機能は実装しておらぬ。何せこの世界は、
運命の仙人はこちらへ木の杖を向け、そんな忠告を放った。
「ログアウトできないのなら、どうやって元の世界に帰ればいいんだ? それともなんだ。俺は今後一生、こっちの世界で生活しなければならないのか?」
「元の世界へ戻る方法は二つ。HPがゼロになるか、このゲームをクリアするか。まぁ前者の場合は、『ゲームオーバー』――モノ言わぬ死体となって、帰還することになるがのぅ」
「つまり……五体満足で帰るためには、フェイト・ブレイク・オンラインをクリアする必要があるってことか」
「左様」
運命の仙人は、深くコクリと頷いた。
「この世界については、なんとなくわかったよ。それで――
「くくっ、よいぞよいぞ! さすがは『廃人ゲーマー』! 物事の『本質』を見抜くのが早い早い!」
彼は杖の先端を強く叩き、スッと立ち上がった。
「儂の望みはただ一つ、この世界に刻まれた『破滅の運命』をぶち壊すこと! そのためには、賢者ラックの持つ『異端の力』が必要なのじゃ!」
なんかちょくちょくと『引っ掛かる単語』が出てくるけど……。
まぁそれについては、後でまとめて確認するとしよう。
細かく話の腰を折っていたら、一向に先へ進めなさそうだ。
「とりあえず……運命の仙人の目的は、『誰かにフェイト・ブレイク・オンラインをクリアしてもらう』ってことでいいのか?」
「まぁ簡単にまとめるならば、そういうことじゃな」
「なるほど。そっちの事情は、
「無論。『クリアボーナス』を用意させてもらった」
「クリアボーナス?」
「うむ。見事この世界に刻まれた破滅の運命をぶち壊し、フェイト・ブレイク・オンラインをクリアした暁には――なんでも一つ、お主の望みを叶えてしんぜよう」
「なんでも……? 今、なんでもって言ったか!?」
大事なことなので、二回確認させてもらった。
「あぁ、言ったぞ。天にも届く金銀財宝・歴史の改変、他には……そうだのう。
「……っ」
先ほど運命の仙人は、フェイト・ブレイク・オンラインを指して【『時間』と『空間』の制約から逸脱した『完全なる異世界』】と称した。
それはつまり、この世界でどれだけの時間を過ごそうが、現実世界にはなんの影響も及ぼさないということだ。
(フェイト・ブレイク・オンラインをクリアし、そのクリアボーナスで不治の病を治してもらえたならば……!)
俺はもう一度、父さんや母さんと幸せな毎日を送ることができる。
あの悲惨な結末をぶち壊し、やり直すことができるんだ。
そう考えると、体の奥底から熱いものが込み上げてきた。
「さて……名残惜しいが、そろそろ『時間』のようじゃな」
見れば、運命の仙人の体が、どんどん透明になっていくではないか。
「あっ、おい! ちょっと待てくれ! あんたには、まだまだ聞きたいことが山ほどあるんだ!」
「さらばじゃ、賢者ラック。いつかまた会う『そのとき』を心待ちにしておるぞ」
彼はそう言って、まるで霧のように消えてしまった。
「ったく……。言いたいことを言ったら、すぐさまドロンかよ……」
まぁいいか。
『未知』を『既知』に塗り替えていくのもまた、このゲームの
「ふぅー……」
大きく息を吐き出し、思考を巡らせていく。
(さて、今の話のどこが『嘘』だ……?)
俺はこれまで人狼・テキサスポーカー・じゃんけん、ありとあらゆる心理ゲームを勝ち抜いてきた。
その経験から、一つ断言できることがある。
(運命の仙人は、重大な『ナニカ』を隠している。
ただ、さっきの話が『丸っきりの大嘘』というわけじゃない。
本当の話の中に、小さな嘘を紛れ込んでいる。
要するに、一番見抜くのが難しいタイプのやつだ。
(死亡・クリア以外の『第三のログアウト手段』が存在する? クリアボーナスに制限がある? はたまた、運命の仙人には何か別の目的が……?)
いくつもの可能性が脳裏をよぎるが、現状ではあまりに情報が少な過ぎるため、「これだ!」と断定することはできない。
なんにしても――当面の目標は決まった。
「フェイト・ブレイク・オンラインをクリアし、健康な体を手に入れて現実世界へ戻る!」
どうせあのままじゃ、現実世界の俺は、数分と経たずに死んでいた。
考えようによっては、これはラッキーとも言えるだろう。
「しっかし……ははっ、こりゃすげぇな!」
俺は小走りで草原を駆けたり、軽く跳びはねたりしながら、とてつもなく大きな感動を噛み締めた。
自分の力で立って歩くなんて、ましてや跳びはねるだなんて、いったいどれぐらいぶりのことだろう。
まったく痛みのない体。
思いのままに動く手と足。
寝そべったままでは決して見ることのできない、立体的で美しい世界。
俺は今――これ以上ないほど『自由』だった。
グッと拳を握り締め、そのまま後ろへバタリと倒れ込む。
「あー……。空気がうめぇ……」
空は蒼く、どこまでも澄み渡っている。
まるでこれから先の明るい未来を暗示しているかのようだった。
「――これから始まるんだ」
俺の……フェイト・ブレイク・オンラインでの『第二の人生』が!
※とても大事なおはなし
『面白いかも!』
『続きを読みたい!』
『陰ながら応援してるよ!』
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