子どもは大人の庇護がないと生きていけないので
本能で、誰に頼り、従わなければいけないかを察知する。
そのため、後になってから、様々な不適応をおこす子ども達を
支援してきた私。
今私は、児童相談所に子どもたちの面談をお願いしている。
子ども達の父親への思いを受け止め、整理し昇華するサポートをしてほしいと。母の私には、できないから。
子ども達が、本当は児相ではなく、ママに話を聞いてほしがっていることはよくよくわかっているのだが、今の私にはできない。これ以上無理をして、私が心身を壊してしまったら、子ども達を食べさせて、学校に行かせることもできなくなってしまう。
最近次女の笑顔が消えた。ずっとうずくまっていたりするなど、元気がない。昨日ぼそっと私に教えてくれた。
次女「あのね、パパの夢をみたの」
私「どんなこと言ってた?」
次女「忘れちゃった。だけどパパが帰ってきた夢だったの」
私「そっかあ。たくさん甘えたのね」
次女「うん」
たったそれだけの会話のあと、私は過呼吸をおこした。
こんないたいけない子どもを、なんという目にあわせるのか。
可愛がって、優しくして、信用させておいて、突き落とすなんて。
と。
成人として、父親としての責任感があれば
わざわざ京都までいって、事件を起こしたりはしていないだろう。
夫がやったこと(裁判前ですが)は、単なるミスとか、カッとなって思わずやってしまった行動とは、訳が違うから。
それにしても人間の身体は、本当によくできている。過呼吸にも意味があって、これ以上考えさせないために、起きるんですよねえ。
そして長女は、寝る前ににこにこして私に行ってきた。
「ねえママ、本当に無理だったらさ、別の男の人にパパになってもらったらいいよ。わたしは、パパのこと、忘れられるから」
私は長女が、どんなにパパのことを好きだったか知っている。
とてもじゃないが、8歳の子どもの言葉ではない。
子どもの寝息を聞きながら、私はただ考えていた。
子ども達は、父親に棄てられた現実に適応するため
必死で頑張っているのだ。
おとなのわたしが
酒やデパスを飲んでいる場合ではないので
結局全く口にしてはいない。薬飲んでも、現実が
変わるわけではなく、時機を逸する分、事態は悪化する。
現実を変えるのは、行動しかない。