窓から入る心地よい風に髪を撫でられ、少女は上機嫌だった。
まだ熱いハーブティーからは湯気と一緒にラベンダーが香る。
また一ページ、既に何度も読み返した本のページをめくる度夢子の胸は高鳴った。
「…」
ふと、空気に違和感を感じる。
物語に夢中になり研ぎ澄まされた神経が、僅かな館の異変を感じ取った。
(…何かいる?)
窓の外を見れば、相変わらず木々はざわめいて心地よい風を運ぶ。
気のせい…ではないだろう。今まで周辺には感じなかった異質なオーラの残り香が微かに漂う。
次の瞬間、夢子は一瞬だけ放たれた殺気を逃さなかった。
読みかけの本を胸に抱えて横に飛び退けば、彼女が先程まで座っていた延長線上の壁にナイフが深く突き刺ささる。
夢子は息を呑んだ。もし気付くことが出来ていなかったら…と考えるだけでも恐ろしい。
「ほぅ…今のを避けるのか」
「…」
背後から男の声。ザァーッと流れ込む風は、もう冷風にしか感じられない。
夢子は意を決して振り替える。
「どなた…?」
「クロロ=ルシルフル、盗賊だ」
「…盗賊ね。せめて玄関から入ってくる常識というものはなかったの?」
夢子は胸に抱えた本をぎゅっと抱き締めると、自ら盗賊と名乗った男を睨み付ける。
しかし光の反射でお互いの顔は見えず、相手がどんな反応を示しているのかはわからない。
震える指を握って、緊張感と戦いながら夢子はクロロに挑発の言葉を並べる。
「ここにはあんたに渡せるものは何にもないわよ」
「いいや、力ずくでいただこう」
「…やる気?」
そう言いながらも、夢子は後ずさって背後の扉に手を掛ける。もちろんやる気などではないし、到底やれるとも思っていない。
祖母の森中にかけた念の呪いを、この男はパスして来たのだ。相当な手練れであることは間違いない。
だけど挑発するのは、この強力な念をかけた張本人は“私である”と勘違いしてくれているのなら、少しでも戦うことを躊躇ってくれるかもしれない。
しかし夢子のそんな根拠のない思考は、命知らずな盗賊の男には通用しない。
「あぁ、いいだろう。もちろんオレが勝つ前提だが…本当にやるのか?」
「も…っ、もちろん!」
顔を真っ青にして答える夢子は、考えずに発した言葉に後悔する。しかし性格上一度言ったことを覆すこともできず、命の危機ながらも自身の不完全なプライドに“どうにかなる”とさえ思っている。
今彼女が必死に考えているのは、“どうしたら絶対に逃げられるか”だけである。
しかし次の瞬間だった。窓枠に腰を掛けていたはずのクロロが自分の首にナイフを突き立てているのに気付いた夢子は喉に声を詰まらせてただ固まっていた。
「…っ」
「お前、やる気あるのか?」
肌に傷をつけない寸のところにあてがわれるこのナイフは、ベンズの中期型だろうか。前に本で読んだことがある気がする。やはり身近で死に触れたこともなく、修羅場に合っても何だかんだいって生き延びてきた夢子には命の危機のこの状態ですらそんな思考がまとわりつく。
すると、クロロは夢子が胸に抱えていた本を易々と奪い取った。
「ちょ…っ、返してよ!」
読みかけのページに指を挟んでいたのに、それを閉じられたことに苛つきを覚えながらも恐ろしくて上は向けない。
クロロは本の表紙を見ると物珍しそうに口を開いた。
「これは…ローゼの夢日記?幻書だな…」
「勝手に読まないでよ!」
「立場をわかっているのか?」
「…ッ」
夢子にとって自分のお気に入りを他人に物色されることは何とも好ましくないことだ。しかし、クロロの殺気籠った言葉とベンズナイフの冷たい刃先に、尻尾を巻いてしまう。
「そうだ、本題だ。禁書庫の鍵はどこにある?」
「…は?なんで禁書庫のことを知ってるの」
「いいからどこだ」
禁書庫は図書館が栄えていた時代にもその存在を世間に公表していない。管理していたのは家主の司書のみだったはず。
この男はどこから情報を持ってきているのだろうか。
「…知らない」
「嘘をつくな」
「_っ本当だってば!!」
夢子がこの館を祖母から受け継いだのは7年前の15歳の頃だ。
屋敷中に広がる本棚に興奮したのを覚えている。しかし、禁書庫の鍵だけは見つからず、7年間その中の本を読むことは出来ずにいた。
そのことをクロロに説明する。
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