輝く星のような君が


 歩いていると時折、ぐちゅりと足裏に感触の悪い心地がして、夏の暑さで腐敗した生ゴミの腐臭がむわっと鼻をつく。裸足で歩き続けすっかり硬くなってしまった踵に、食物の残滓やごみ屑がついて不快だった。
 
 野鳥も眠りに落ちる深夜に少年は、息を切らしながら静かな山道を登る。塵山の頂を目指して駆け上がる少女の背中を、少年は見失わないよう必死に追いかけた。今すぐにでも足を止めて休みたい気持ちを飲み込み、はあ、と息をこぼす。一度足を止めてしまえば、距離を離されここに置いていかれるような気がした。

「フェイタン大丈夫?あともうちょっとだから、頑張って」

 立ち止まって後ろを振り返る名前は、同じく息を荒げながら手を差し出してくる。強がって要らないと突っぱねようと考えたが、そんな強がりよりも少しでも彼女に多く触れていたい気持ちに比べればとるに足らない矜恃で、素直に伸ばされた幼い手を握ると、名前もまた当然のように自分の手を握り返す。彼女の背景には殆どが夜空に埋め尽くされていて、綺麗だと思った。この夜も、彼女も。

「ねえ、フェイタンは星は好き?」

 星を好きだと思ったことはない。けれど、彼女をがっかりさせたくなくて、好きだとウソをついた。自分の住む街の一番高いところで星を見ようと言い出したのは名前だ。フェイタンは星を見ること事態に毛ほども興味もない。ただ名前が行くからついて行くだけで、彼女の側から離れたくないだけだった。

 頂上にたどり着くと、二人の呼吸はより大きくなる。新月の夜は圧巻だ。この汚濁な場所にも美麗な星の世界が訪れる。ふたりは夜空を仰いだ。数多の星がまたたいている。夜の空気は澄んでいて、鼻の奥まで突きとおる。ゴミを焼く煙で大気が曇る昼とは違い、夜は余計な街灯もゴミも燃やしていないせいか、空が澄み渡って見える。下からむせ返るような腐臭も、銀砂のようにこまかくきらめかせ輝く絶景を見れば忘れられた。

「大きくなったら、ここを出よう」

感嘆で声を上げる彼女の横顔を無言で見つめていると、突然そんな言葉を切り出されて返事に困ってしまう。何を言い出すかと思えば、この流星街を出ていくつもりらしい。普段は涼しい顔で「あ、そ」と素っ気なく返事を返すフェイタンも、今回だけ気に食わないというように口をへの字に曲げた。

「それは、ワタシと離れるてことか」

「ううん。フェイタンも一緒に行くんだよ」

 不燃の塵を燃やす有毒ガスに肺をやられていて話している最中に痰が喉に絡み付いたが、彼女が自分の元から離れる意思がないことを知り、安堵してしまえばそんな事はどうでも良くなった。

「ここを出た先にワタシ達の居場所なんてあるか?」

「居場所ならあるよ。もし無くても、自分達で作ればいいってウボォーさんが言ってた」

「じゃ、名前はここを出たら何したい?」

「はたらくの」

彼女は決意表明をするように立ち上がる。
フェイタンはその仕草一つすら見逃さないよう、瞬きすら惜しんで目に焼き付けた。

「盗みをやめて、はたらく。たくさんお金を貯めて、好きなものを食べて好きな事をしたい。そしてもっと色んなところを旅して回りたい」

「大きくなてここを出て行けば、今みたいに名前と一緒に居られなくなる。ワタシ、それ嫌ね」

 フェイタンが次に心配したのは、ここで生きていくのがやっとの自分達が流星街を出てから上手くやっていけるのかという問題だった。楽観的な彼女に反してフェイタンはかなりの慎重派で、彼女が何かしたいと言うと次から次へと問題点を突き出す。けれど、折れるのはいつも自分だった。例え名前の意見を打ち負かしたとしても、もう知らないと拗ねられてしまえばいうことを聞かざるを得ない。彼女に嫌われてしまえば、唯一の心の拠り所を無くしてしまうからだ。フェイタンにとって最も強い恐怖は、彼女に拒絶される事だった。

「じゃあ、結婚すればいいじゃん」

「結婚?」

「そう。結婚すれば、ずっと一緒に居られるって死んだお母さんが言ってた」

いい考えだと手の平を拳で打つ名前のあっけらかんとした顔で固まってしまう。

「ずと、一緒?」

「そうだよ。結婚すれば、ずーっと一緒」

 ぽかんと口を開けているフェイタンは、みるみる内から湧き上がる喜びを顔に出していく。とんでもない提案だが、名前でもたまには良い事を言う。結婚すればずっと一緒にいられる。彼女の夫という肩書きが手に入る。戸籍云々と難しい話を取っ払った幼いながらの考えは、無謀にも彼にこの先、生きる事の目標を作った。

「うん、ワタシ。名前といしょにいる。ずと一緒ね。約束」

「ふふ、約束ね」

 満面の笑みで笑いかけられ、自分も控えめながらも笑顔を返す。花のように愛らしい子と、この先も一緒に暮らすのはきっとすごく素敵な事に違いない。輝かしい未来を思い浮かべる名前もやはり、結婚という意味をよく理解していなかった。特に深くも考えない。その時の思いつきでしかない、幼いながらの淡い約束。当時、約束をなかった事にしたいと後悔するなんて思いもしなかった彼女は、フェイタンに差し出された小指に少しの躊躇もなく自分の小指を絡めた。


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