『江戸庶民の読書と学び』について長友千代治 |
江戸時代の庶民が暮しの中で、書物から学んでいる諸相を彼らが学習した教材に基づいて記述した。研究書として新知見の探索を心掛けながらも、周辺領域 或は一般読者の方々にも読んで頂けるよう、私自身も楽しみ、江戸265年間の変遷を、世代交代 凡そ30年間を一区切りとして考えてみた。 資料は、長期間収集してきた重宝記(拙編『重宝記資料集成』臨川書店)を主とする。重宝記は庶民生活万般の知識の宝庫、生活の指針書であり、本書での記述や解説はその資料自身に語らせ、私の論評はできるだけ控えた。 図版も本文理解に役立つよう原資料から転載したが、それは即 読者への絵解き、具体的な教示であった筈である。複雑に解説するよりも、図版提示の方か理解しやすいことがある。 教材としての教科書は、写本から整版印刷になり、それは何刷もでき 出版部数も随意だった。整版印刷の技術は版画製作に基づくもので、図版挿入にも適合していた。整版出版は寛永期(1624~44)頃から盛んになったが、時代が下るにつれ寺子屋教育の隆盛に伴い、出版本屋は軒並み需要の多い教科書、啓蒙書を製作して販売した。熾烈な出版競争になり、名の通った戯作者や画工を編集製作に傭うこともり、自ら編集出版する者も出現した。 出版業は、本屋・作者・読者が相互に関連し合う営為であり、ここからまた行商本屋や貸本屋が派生した。驚くべきことは彼らも出版本屋の成立に遅れず、寛永期から営業している。 出版本屋・行商本屋・貸本屋・作者・読者の相互関係から、近世文学を彩る浮世草子・読本・洒落本・黄表紙・合巻・人情本等江戸文学の諸ジャンルが誕生したと考えている。文学史では各ジャンルの講説は多いが、その誕生の様相を説く者は少ない。 教科書や啓蒙書の普遍的な思想は四書五経の精神、例えば「五倫」の道を学び取り実行する事、体認である。それは君臣間の義、父子間の親、夫婦間の別、長幼間の序、朋友間の信である。この場合、臣が君に、子が親に、弟は兄に、絶対服従せよとは言っていない。上の者が下の者を労わり、先に生れた者が人の道を教え、憐れみ恵むならば、自ら忠節・孝行・敬愛を尽くすというのである。その訳は、教えなければ解りはしないのだと、実に簡明である。江戸時代は相手を尊重する社会であり、各人はそれぞれの立場で果たすべき義務と責任を背負っていた。
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